おまけつき

朝、車を運転しながら、今日の1時間目の授業について考えていました。で、ふと気がついて、コンビニに車を止めました。で、買ったのはチョコレート。
いや、前から「先生、14日、チョコちょうだいな」と言う生徒*1がいて、「んなもん」と言っていたのですが、なんか気になっていたんですよね。
そういえば、この1年、この子らと一緒にバタバタやっていて、楽しかったよなぁと。そのお礼はしてもいいかなぁと。でも、単に渡すのもおもしろくないなぁと。で、考えたのが、ラッピングの紙なんです。
学校に着いたら、あわてて印刷。内容は「方べきの定理」のプリントです。こいつでチョコをラッピングして、「おまけつきの宿題」を出そうかと。
1時間目、みんな眠いです。でも、わたしは焦りました。なにせ、「宿題」まで持っていくためには、そこまで授業を進まないといけないわけで。こちらが必死になってやっているのが伝わったのか、連中、「今日のいつき、なんでこんなにまじめやねん」という泣きそうな顔で、必死でノートをとります。で、最後に「じゃ、宿題渡すしね」とみんなに「おまけつき宿題」を配ると、とたんに教室が明るくなりました。よかったよかった。
そうそう、一人つぶやいている生徒がいました。「初めてもらったチョコが、先生のか…」ごめん。

*1:

火を吹く〆切

昨日の玖伊屋でも笑っていたのですが、マジで〆切って「ゴムのように伸びる」んですよね。って、感心していたらアカンけど。
先日、「17日には入稿したいのでよろしく」というメールが来て、「2〜3日中には」「この土・日には」と返事をしたのですが、土・日に原稿が書けるわけがないです。かといって、平日に書けるかというと、仕事がひとつはいると、それでアウトです。なので、月曜日の今日、まだ原稿を提出していません。
で、「ゴムのように伸びる〆切」は続きがありまして…。「切れるときはぱちんと音を立てて切れる」というのが、とりみきによる言説です。で、わたしさらにあとに「伸びれば伸びるほど、切れたときが痛い」と続けます。
ところが、「詰め」が浮かんでこない時って、ほんとうに浮かんでこないんです。どうしようと思いながら、なかばあきらめて単純作業をはじめたその瞬間、「詰めのフレーズ」が浮かびました。ここで一息ついたらせっかく浮かんだフレーズがどこかに行きます。あわててパソコンの前に行って打ち込んで、メールで送ってようやく10月頃から懸案だった原稿*1が終了。

しかし、担当の人、送っても返事をくれないのよね…。怒ってるんだろうなぁ…[1](( ;゚д゚)アワワワワ。

*1:ただし、作業にかかったのは1月中ごろだったりします

footnotes

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1 (( ;゚д゚

名言

学校ではよく「生徒は主役」と言います。「生徒が主役なんだから〜」という感じですか。でも、前々からわたしは「ちがう」という気がしていました。「生徒が主役」という言い方は、考えようによっては、「主体のをすり替え」や「責任の転嫁」の時に都合がいい言葉なんですよね。例えば、「卒業式の主役は生徒なんだから、◯◯を持ち込ませない*1」とかね。なんかずるい気がするんですよね。やっぱ、「自分の主義主張としては、卒業式に◯◯は持ち込ませない*2」と言うほうがすっきりすると思うんですよ。
で、それが授業でもあらわれる。「生徒が主役になる授業」…。いやだなぁ。わたしは前から思っていたんですよね。「教室は舞台、主役はあたし!」。だからこそ、客である生徒が「つまらね〜」と思ったとき、その責任は自分が背負わなくちゃならないわけなんですよ。だからこそ、舞台は楽しい。
跳べない舞台は、ただの舞台だ(by Ms.M)」

*1:これはあくまでも「例え」ですよ。◯◯には別に特定のなにかがはいるわけではないです(笑)

*2:あくまでもた例えです(笑)

モーニング・ゴスロリ

朝、メールが入りました。「近くまで来ています」。なので、自転車で迎えに行きました*1
駅の改札の向こうを見ると、黒い物体がいます。すぐにわかりました。ゴスロリトランス。みごとに浮きながらも、パスしているからとけこんでいます。
まぁいろいろいとあって、未成年のトランスの彼女と会うことになったのですが…。話をしていると、おもしろいというかなんというか。
でも、若年層のトランスのおかれている状況って本当に深刻だなぁと。なんと言っても、将来展望が持てないんですよね。「将来どうするの?」と聞くと「夜の蝶かな」という答え。いや、いいんですけどね。でも、たくさんの選択肢の中から「夜の蝶」を選ぶのと、いくら自分にあっていると思うからって言っても「それしかない」のでは違うだろうと思うのです。でも、彼女らにはそれしかないように見えてしまうんですよね。これは、若年層のFTMにも共通しているかなぁ。
やっぱり、「将来展望」をどれくらい見せることができるかということが大切なんだとつくづく感じました。
でも一方では、すごく頼もしいというかおもしろいというか。わたしみたいに「気づいていなかった」高校時代とはぜんぜん違いますね。それは少し羨ましいかもしれないです。なんといっても、つきぬけています。しかも、「将来は夜の蝶」と言うくらいですから、充分にクイヤです。社会の規範の中で自己否定を続けてきたわたしに比べると、発想が自由というか、対人関係も自由というか。もちろん、だからこそしんどいところもあるんですけどね…。
まぁ、濃いぃ朝でした。

ちなみに、「昼ご飯おごってあげる」というのが約束だったので、久しぶりに「愛ちゃん」へ。お母さん、目むいてました(笑)。

*1:スタッフの一人はわたしがモーニング酎ハイを買いに行ったと思ったらしいっす

朝はやっぱりおかゆ

きのうの晩のサムゲタンが残っていたので、中華風おかゆでもつくってみようかと。
まずは、水を入れてのばしました。そこに塩としょうゆで軽く味付け。ゴマ油をひとたらし。最後に溶き卵を入れてさっくり混ぜたらできあがりです。ゴマ油の風味が聞いて、なかなかあったまりました。近年でもっともおいしかった玖伊屋の朝ご飯かな。

メニューはサムゲタン

昨日鶏を仕入れたら「今日は小さいのしかないんです」と言われたので、「じゃぁ」ということで、2羽ダッチオーブンに放り込んで2時間ほど炊きました。ふたを開けると、ものすごい濃厚なスープが出ています。
考えてみると、もち米の量がかなりになるし、骨も1羽と比較するとかなりの量になります。なので、ものすごいスープになるのは当たり前かな。
さすがのみなさんも、残されたようです。まぁ、再利用ができるからいいっす。

で、玖伊屋

今日は、紀元節。「紀元節粉砕」の集会に行こうかどうしようか考えたのですが、うどんをつくっているうちに忘れてしまっていました。で、夜は玖伊屋。まぁ、個人的には「紀元節粉砕」と自分の中でシュプレヒコールをしながらの玖伊屋ということで(笑)。
最近2ヶ月に一回にペースダウンした玖伊屋ですが、その分、集まりは濃いぃのかな。今回は、「ま゛」さんの「富山みやげ」とか「富山いやげ」とかもあったし、四国から「じゃこ天」の差し入れとか、古酒の差し入れとか、まぁ大宴会の様相を呈していました。
で、わたしはというと、やっぱりスキーの放映が見たいということで、ついついテレビをオン。ちょうど、複合のジャンプをやっていたのですが、「なんだ、一人飛びかぁ…」って、なにかおかしいような気がします。しばらくモーグルを見ていたのですが、突然眠気が襲ってきてダウン。相も変わらず布団の入った押入の前で寝てしまいました。みなさん、すんません。

うどん・その後

昨日つくったうどんを試す日です。
昼前、「のばし」を開始。ハンドボールより一回り小さいくらいの玉を4つに切って、打ち粉をしながら伸ばします。最終的に4つ折りにして伸ばしてから切ったのですが、けっこう難しいですね。てか、4つ折りにして伸ばしたら、なんだか打ち粉をしていてもくっついてしまって。さらに、切った断面のところに力がかかって、これまたくっついてしまったという…。困ったことだ。
上の子どもと一生懸命ほぐして、鍋に投入。餃子は「浮いてきてから3回差し水せよ」と教えられたので*1、うどんもそれに準じて3回差し水をして終了。あとは冷たい流水でしっかり洗って完成です。
この間言われたとおり、大根おろしを載せて生醤油をかけて食べると…。うまい!マジでうまいです。長野で買ってきた雑キノコの水煮をのせて食べると、これまたうまい!いや、これだけええ加減につくって、この程度の味が出るなら、これからつくろうっと。
ちなみに、生醤油が正解でした。ダシだとたぶんダシが負けてしまいます。生醤油は薄口が正解じゃないかな。結局、ええ加減なうどんには、ストレートなダシがあうということなんじゃないかと思います。

*1:2回という説もある

いけると言われたので…

昨日の新年会で一日寝かした餃子の皮を使ったのですが、すんごくふかふかになっていて、はじめ「伸ばせるかなぁ」と思っていたほどでした。
で、それを見た参加者のうちの1人*1が「いつきさん、これでうどんつくったらおいしいで。ダシはいらん。大根おろしに生醤油や」と言われました。プロの意見ですから、「んならやってみよう」と。
ちょうどあしたは昼は家で食べます。なので、学校から帰ったら、さっそくうどんうちの開始です。といっても、入れたのは「強力粉」と「塩」と「水」だけですけど。

  • 「いつきのうどん」のつくりかた

ボールに強力粉を入れ、軽く塩を入れる。固さを見ながら水を加えて、まぜてこねる。耳たぶぐらいの固さになったら完成。あとはビニール袋に入れて室温で一日寝かせる。

さて、どうなるかな…。

*1:呼びかけ人の一人&仕事は寿司屋さん

最近頭浮かぶフレーズ

で、宴もたけなわになった頃、いろいろと騒いでいたのですが、当然論議もするわけです。で、ある人とやりとりをして、ちょっとテンションが高くなってしまいました。反省です。
なにに反応してしまったかというと、「いつきさんが言っていることは、結局は、社会が変わらなくちゃならないんじゃなくて、当事者が変わらなくちゃならないことになる」という意味のことだったんですよね。いや、これは完全にわたしの話をミスリードしているんです。でも、その一方で、確かにそういう面も感じさせてしまうのかなぁとも思います。なんというか…。かつて、蔦森さんが「自分が弱者だと思った瞬間に、弱者になってしまう。一度弱者になってしまうと、そこからはいあがるのはほんとうにたいへんになってしまう。だから、自分は弱者じゃないと言い続ける」みたいなことを言っておられました。あのときの言葉が、いま、しみてきます。

わたしも、そのある人も、ともに闇の中にいるんです。光があるかどうかもわかりません。そんな状況の中で、わたしは「それなら、どこかにある光を待つよりも、自分で光をつけよう」と思うタイプなんですよ。最近、頭の中にふと出てくるフレーズがこれです。

「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう。*1*2

なんで今時「心のともしび」やねん!という話ですわねぇ。でも、そこからスタートする以外ないと思うんですよね。

*1:パウロの言葉より

*2:そういえば、「高いと不平を言うよりも、いつもニコニコ現金払い」っつーのもあったなぁ…