とりあえず原典にあたった

仕事の帰りにコンビニによって、件の「週間モーニング」を買いました。で、コンビニチェックをしたら、20代ブルー(笑)。そうかい、そうかい。
で、読んでみました。

で、感想。「折れない心」はいいなぁ…。あ、違うか^^;;。

なんというか…。「浅い」というのが第1印象。で、ういん太さんのコメントを読んで、かなり納得しました。この主人公、理解を求めようとしているわりに、理解を求めるための行動をぜんぜんしているように思えない。ひたすら「なんでわかってくれないんだ」という感じ。
いや、もちろん存在を否定されたことに対して、「存在しているんだ!」という主張はありだと思うし、そこに理由が必要であるとは、原則的には思いません。でも、戦略としてそれではアカンだろうと思います。でなければ、現実のトランス当事者が、紆余曲折を積み重ね、頭をぶつけ、さまざまな妥協をしながら生きている現実ってなんなんだろうと思うわけです。
あと、妙な違和感を感じたことについて、Anno Job Logを読んで、これもなるほどと思いました。てか、あのセックスにかかわる質問を読んで思い出したのは、たしか第6回のGID研究会で会場から出た質問*1と似ているなぁと。で、中島さん*2だったかが「そんなこと聞かれたんですか!」と憤っておられたような記憶があるのですが…。もちろん、必要に応じて聞くこともあるんでしょうけど、それはあくまでも「必要に応じて」でしかない。
あと、パートナーの同意にかかわることについても、なんだかなぁ…。わたしの事例で言うならば、ホルモン投与へのパートナーの反対に対して、中島さんが言われたことは「お二人で航海図のようなものをつくることが大切ですね」でした*3。そういうていねいさがぜんぜんないです。どちらかというと、「金八」の最終回に金八が言った「直はこれからホルモンをやり手術を受ける」という言葉に似ているかなぁ。あのとき「それはおまえが言うことじゃない!直が言うことだ!」と憤ったことを思い出しました。すんごく乱暴だし、今後どうするかということを本人を飛び越してパートナーに言うことって、アウティングに近い話だと思います。
総じて感じたことは、「結局ネタなんや」ということ。
もちろん、わたしみたいに「人生はネタ」と思っている人間には「だから?」程度ですむし、無視もできます。でも、そうじゃない人もいる。それが、うちの日記へのういん太さんのコメント*4なんだと思います。興味はそこかぃ!みたいな。

で、難しいなと思ったことは、このあたりのことを「抗議」なり「問題提起」なりで出すことって出版社へのインパクトになるんだろうか、ということでしょうか。

*1:精神科医から体位を聞かれたが、そのような質問は必要なのか」みたいなものだったと思うのですが…

*2:もちろん、県立岡山病院院長

*3:実は、第8回GID研究会のイブニングセミナー2で講師の方のプレゼンテーションの「(ピラミッドではなく)Voyage!」というのを見て、密かに感動していました

*4:自分の下半身が具体的にどういう状態になっているかなんて知られたくはない事なのですよ。

友達からの電話

いま、を騒がせている庄司陽子のG.I.D.ですが、「いつきさんも協力してくれないか?」という電話が、友だちからかかってきました。
で、わたしについていうならば、個人的には、もう、樹村さんのコメントの上の方の「・」なんですよね。たとえば、「MtFかどうかを判断するにはのど仏を見ろ」とか「あやしかったら手術した跡があるかどうかを見てみろ」とか、んなこと書かれても、別に「わはは」なわけです。さらに言うならば、スタンスとしては、「語れる社会をどうつくっていくか」なんですから、「この身を晒してなんぼ」というところなわけです。

ただね、ただ…。
友だちが困っているんですよ。その一点なんです。でも、その一点って大切なんですよ。
まだ原典(笑)にあたっていないので、どう対処していいのかわからないのですが…。
いまのところ読んだのは、
さとしさんのところくらいなんですけど…。ほか、どなたか資料とかお持ちだったりご存じの方、おられますか?

久々の1日OFF

今日は1日年休。朝起きると9時。妙にうれしくなりました。
あとは、パートナーとつまらない話をしたり、子どもたちをレンタルビデオ屋に連れて行ったり、切れた蛍光灯をつけかえたり。そうそう、スキーのビデオをDVDに焼き直すなんてこともしたなぁ。
そうやって、なんということのない日常を過ごしていると、時間はゆるゆると流れて、気がつくと夜。みんなで「トリビア」を見て大笑いして、1日が終わりました。

「変わる」ということ

夜、第7回GID研究会を一緒にやった人が、今度転勤で関東に行かれるということで、「送別会」という名目の宴会がありました。
で、その席上でのこと。
某O島さんから「いつきくん、だんだんと言うことが変わってきているよね」という指摘をされました。ふぅむ…。
たしかに、いろいろな人から指摘をされてきたことではあるし、たとえば1年ほどのスパンでものを考えると、自分でもたしかに変わってきていることは実感せざるを得ません。なぜなんだろう…。
自分の中の「軸」となるものは、そうそうずれてきてはいないと思うのです。基本的には「社会を変えていく」というスタンスに変化はない。そのために、いま・ここで何を発言し、行動するのか。それが、基本的な線です。
じゃぁ、何が変わったのか。おそらく、人間関係とそうした人間関係をとりまく情況の変化です。個人的には、いわゆるGIDと言われる場所に深く入り込むことになりました。当然、GIDと言われる人たちとのつきあいが増えてきます。その人たちが、いまなにを求めているのか。そのことと、自分が変えたいと思っている社会の方向との間に、どう折りあいをつけていくのか。それが、「現場」ということなんじゃないかと思うのです。

例えば、「同和対策特別措置法とその後の法律の延長による施策が、部落の人々の甘えを生みだし、腐敗をつくった。だから、そうした施策は間違っていた」という論を、述べる方もおられます。それは一面の正しさを持っているでしょう。わたしも決してすべてを否定はしないです。でも、大切なのは、部落解放という軸をぶらすことなく、そういう「今」をどう変えていくのかということであって、だれかを・なにかを悪者に仕立てあげ、遠くから断罪をすることが大切なんじゃないと思うのです。

「変わること」って、忌避すべきことなんだろうか。もしかしたら、開き直りかもしれないという恐怖を自分に対して持ちながら、それでも、迎合を拒否しつつ変わることを拒否しない自分である必要があるかと思ったりします。そのことが、「変えること」につながっていくんだというかすかな希望を持ちつつ。

「普通」ということ

きのうの晩、あるトランスの友だち(Aさん)から「自分は普通というアイデンティティ(も)持っています」というメールが来ました。これ、
***
Aさん
「『ドラグァ・クィーンと一緒にされたくない。』とか、『同性愛とGIDは違う』等のセリフ聞いてると、GIDというアィデンティは何なのか・・・・ですね。(苦笑)」
わたし
「う〜ん。でも、同性愛者の中にも「わたしたちは、性的指向が違うだけで、それ以外は「普通の」人」みたいな人もいるじゃないですか」
***
というやりとりの中から出てきた話なんですけど…。
このことを考えていて、ハタと気がついたことがあったんですよね。「普通」という言葉には2種類の使い方があるんじゃないか。
1、既存の「普通」に自分をおしこむニュアンス
2、既存の「普通」の意味を自分も含まれるように拡大していくニュアンス
たぶん、Aさんは2の用法で言ったんだろうなぁと。
まぁただそれだけのことなんですけど…。でも、きっと自分は「普通」とは言わないだろうなぁ。

冷凍食品も捨てたものじゃない(笑)

前に「なすびのはさみ揚げ」というのを買ってお弁当に入れていたのですが、なんというか…。衣に味がついていなくて、なすの味はスカスカ、鶏肉もいまいちな感じで、上の子どもは「弁当に入れるのやめて」と言っていた一品なんです。でも、消費しないといけないので、わたしのお弁当にはとりあえず入れていたんですよ。でも、あまりにも味気ないので、必ずソースをつけていたという、まれに見るまずさだったんです。で、これをおいしく食べる方法です。

  • 冷凍食品のあんかけ

ニンジン、ゴボウ、タマネギ、エリンギなど、根菜やキノコ類をできるだけ細い千切りにします。これらをしばらくダシで炊いて、みりん・醤油で味つけします。最後にニラを短時間なべに入れて片栗でとろみをつけたら、あんのできあがり。まずい冷凍食品を油で揚げて上からかけたら完成です。とにかく、根菜は細くするのがポイント。味がよくなじみます。

上の子ども、かつて「弁当に入れんといて」と言ったことをすっかり忘れていました。めでたしめでたし。

家に帰ったら…

パートナーは、下の子どもの迎え。見渡すと、まったくご飯の準備をしてある形跡がありません。てことは、やろうかな…。
前から考えていた冷凍食品の揚げ物をおいしく食べる実験をすることにしました。

ながらで仕事…

別に、「MLながら」の中で仕事をしたわけじゃないです(笑)。
「ながら」っていうのは、「〜しながら」というところから来ているみたいで、「しゃべるヒマもないほど忙しい」状態から「しゃべりながら仕事ができる」状態になったみたいな感じになるでしょうか。
本当に、先週はどうしようもない状態だったんですけど、どうにか木曜日にカタがつきました。もちろん、まだまだたまった仕事はないわけじゃないんだけど、あの追い込まれた感覚じゃないので、ずいぶんと楽です。
ふと思いついた仕事をちょこっとやって、「そうそう、これもやっとこう」みたいな感じでゆるゆるとやっているうちに定時。こんな日が楽だなぁ…。

だから、なんでそこを走る…

帰りに、恒例の温泉によろうと思ったんですけど、なんだかたくさんお客さんがいるみたいなので、パス。さっさと帰って、お家でお風呂に入ろうと。
で、19号線→中央道→名神と走ったのですが…。
なぜか追い越し車線に遅い車がよく走っています。
追い越し車線の流れが一定以上のスピードだったら、ゆっくり走る人は無理して追い越し車線に出ないと思うのです。ところが、ふと「追い越してみようかな」と思える程度の流れだと、ふらりと追い越し車線に出てこられる。すると、あとは数珠繋ぎ状態です。で、そうなるとさらに同じような人が追い越し車線に出てこられる。すると、渋滞ができます。
頼むし…。追い越すときは、きちんと追い越そうよ…。
でも、なんとか子どもたちがふとんに入る頃には帰れたから、よかったかな。

若い?

山に登るといつがしんどいかというと、これが2日目だったりします。
1日目は、下界の不摂生な生活とか来るときの道中の疲れとか、いろいろあるんですけど、たぶん気が張っているので、それなりに持ちます。ところが、2日目は気圧の変化とか気候の変化とか湿度の変化とか、さまざまな要因が重なって、ものすごく簡単につかれます。なので、朝から絶不調。
そこにもってきて、太ももがぴーんと張っています。これ、原因はわかっています。昨日の午前中の「飛ばし」じゃないです。昼からの「プルークボーゲン」が原因です。
「プルークボーゲン」って、大きくひざを曲げたりすることがほとんどなくて、ず〜と3分程度の緊張感を保ちながら、ひたすら身体を支え、雪面に圧を加えるという感じなんです。これ、かなりきます。マジでコブをやっている方が楽です。
でも、2〜3日経ってから「来る」んじゃなくて、翌日来るわけですから、まぁ、いいかと(笑)。
で、一日子どもたちの相手をして、夕方1時間ほど、今シーズンだいたい最後の滑りを楽しんできました。
なんか、あっという間の3ヶ月だったなぁ…。