仕上げは焼肉(笑)

練習が終わったら京都駅へ。滋賀県の友だちが「遊ぼ〜」と言ってきたので、「ほな行きましょか」ということになりました。
向かったのは「チヂミの王様」。ここ、安いし、おいしいし、おっちゃんはおもしろいしという3拍子そろっています。そのせいか、今日の客層を見てもファミリーとか女性ばっかりのグループ*1ばっかりです。
話の方もなかなか楽しかったです。なんでも、学校でセクマイ系のことをやろうとしたけど、校長からイヤミたっぷりの反対にあったとかで、猛烈に怒っている人の話を聞きながら、あーでもない、こーでもないと思い思いの話を交換しました。
まぁね、その校長さんは「人権は、まずは部落問題の解決から」とか公言している人らしいです。なんつーか。
同和教育から人権教育へ」という流れの中で、おそらく学校にしろ地域にしろ3つの方向を歩んでいるように思うんですよね。ひとつの方向は「いろんなことをやらなくちゃちうことで、「薄め」の方向に走り結局は何もやらなくなっていく方向。これは論外です。
もうひとつの方向は、いままでのノウハウから脱却できないためにそこに固執して「でも、部落問題が先決」といってごまかしてしまうパターン。まぁええけどね…。で、もうひとつの方向が「ウィングを広げていくことで、たくさんの仲間と一緒に課題にとりくんでいこう」というパターン。最後のパターンが望ましいとわたしは思うのですが、でも難しい。なぜなら、先駆者意識を捨て、「自分も学ぶ」という姿勢が要求されるからだと思います。
まぁ、そういう意識が希薄な人はたくさんいまして。で、先の校長さんはパターン2を装ったパターン1みたいで、最悪ですわ。
てことで、どうやったらセクシュアルマイノリティにかかわる授業が展開できるかについて、いろいろと作戦を練りました。まぁ、来年度に第1歩を歩むべくがんばるとのこと。応援しますよ〜。

*1:わたしたちも含めておきましょう(笑)

続いてプクの練習

町内会の副会長さんのパートナーさんは、韓国古典舞踊のスタジオを主宰しておられます。で、たまに国際理解講座の講師として学校とか地域から要請を受けておられるのですが、どういうわけかわたしもそこの「なんちゃってメンバー」なんです。今回は、でられる人がとても少ないとかで、踊り+わたしのチャンゴでやることになってしまいました。で、チャンゴの練習を始めたのですが…。むずかしいっす。チャンダンが複雑に変わっていくのでついていけません。しばらくあわせていたのですが、音を上げてしまい、結局プクでやることにしました。助かった…。プクでも難しいのですが、最近はプクの方が楽しいし慣れているので、ええ感じで叩けました。でも、久しぶりに真剣に叩けて楽しかった。

まずは、フィールドワークから

韓国から教職員組合の人たちが日本に旅行に来られていて、「ウトロに行きたい」というリクエストがあったそうな。で、それがめぐりめぐってわたしのところに「コーディネートしてくれ」というふうにまわってきて、結局今日は半日みなさんにつきあうハメになってしまいました。
合流場所は清水寺。3年坂とか歩いたのはいつ以来でしょうね。20年では効かないなぁなどと思いながら、バスターミナルまでぶらぶらと歩いていきました。で、出発時間になってもぜんぜん人が集まってこない。まぁ、教員が時間にルーズなのは、日本も韓国も変わりませんわ。マジで、教員の旅行の引率だけは、ぜったいにイヤです(笑)。
途中、ちょうど9条の高橋*1を通るので、「左手に見えるのが、在日大韓基督教会で、その向こうの堤防の上にかつてはたくさんの在日の人たちが住んでいました」などとガイドをしながら行くことにしました。といっても、もちろん通訳してもらいましたけどね。
ウトロでは、町内会の副会長さんに案内をしてもらいました。実は「あんたにふろうと思ったんやけどな」と笑っておられたのですが、そんなんムリに決まってますやん。で、一緒に回らしてもらったのですが、いつになく力が入っていましたね。やはり、この間韓国の人たちのウトロへの支援がすごいし、そのあたりもあったのかなぁ。ふだんは「ここまでは行かないよ」という奥の奥まで案内されていました。いや、勉強になりました。

*1:どうぞ、「たかばし」と読んで下さい

はじめての新年会

夜は、教科の友だちと新年会です。なかなかふだん数学をやっている教員同士が集まって話すことがないのですが、久しぶりに話をしたら、やっぱりおもしろいですね。たぶん、それぞれに教科の人にはそれぞれ特有の感覚があるんでしょうけど、数学は数学の独特の感覚を持っているんですね。そのことが、いろんなところに随所にあらわれて、「あぁそれそれ!」とかいっぱいありました。で、なんとなく「数学でよかったなぁ」と思いました。
2次会にあまり参加しないのも数学の感じかなぁ。でも、「カラオケに行こう」という人もいるわけで、つきあうことにしました。ひたすら「洋モン」ばかり歌う人とか、ひたすら「ハングルモン」を歌う人*1とかに囲まれて、わたしもつい70年代から80年代の歌*2にどっぷりとはまってしまいました。
あぁ、それでも気持ちのいい夜でした。

*1:この人、ハングルの歌詞をそのまま歌える人なんです

*2:「世情」とか「青春の影」とか(笑)

ある!ある!ある!

今日は、放課後保健部の研修会で精神科の医者が講師で来られました。主として「AD/HD」「自閉症「うつ」あたりについて話をされました。途中、ふと意識が切れることもないわけではなかったのですが、それでも全体的にはおもしろい話でした。
これはやはり、一般論として聞くというより、生徒たちや自分の子どもたちそして自分自身にあてはめて聞いてしまうからでしょうね。とくに、自閉症とかAD/HDについては、診断基準を出してこられたので、非常にわかりやすい。で、たとえば自分についてを考えた時、診断基準のうち数個は大なり小なりあてはまるところがあるわけで、「自閉症的な部分」とか「AD/HD的な部分」というのはあってあたりまえなんだろうなぁと思いました。

教員の仕事・まだまだ続く(笑)

ともくりさん、ども。mixiの方に「こっちでいろいろ書いています」と書くべきだと思ったまま、家に帰ると爆睡する毎日が続いているので、書けていません。すみません。あと、mixiは限定された人しか読めないので、こちらのほうで紹介するのは適していないと判断したので、こちらのほうでは出典をはっきりさせませんでした。

で、本来はコメントで書いていく必要があるかと思うのですが、まぁ、日記の主の特権*1で、本文にします。てか、ネタがないので助かっていたりして(笑)。

ともくりさんの書かれた文章の中には「すべての教員は〜」という書き方はありませんでした。ただ、その後のコメントの中で、教員ではないのですが、「すべての〜」に近いニュアンス(あくまでも「近い」です)がありました。そのあたりが直接の引き金になったかと思います。
あと、前にも書いたように、「自嘲」によって批判をかわす手法もあるのですが、それは少なくともともくりさんの場所やこの場ではやめようと思ったのです。

わたしがなぜあのような文章を書き、その後これほどしつこく書き続けているか、自分でも不思議なのですが(笑)、書きながら整理をしていきますね。

現在、システムをいじることによって教育の内容を「充実」させようという動きがあるように、わたしは思います。その動きの原動力になっているもののひとつは、巷で言うところの「教員の指導力不足」というものかと思います。そのあたりから、巷での教員への批判がどんどん正当化されていったような気がします。
一方、教員からの他の教員への批判も多々あります。曰く「◯◯をやらない教員がたくさんいて…」。「どうも◯◯な教員が多くて…」。たしかにそれに同意するところもたくさんあるのですが、なんとなく自分の中ですっきりと落ちきらないところがあるんです。

教員に限らずですが、だれしも、たくさんの切り口を持っていると思うのです。ある人は、そのなかのある特定の切り口では批判されるべき内容を持っているかもしれないけど、他の切り口ではとてもすぐれている、そんな方も、たくさんおられます。にもかかわらず、巷の教員への批判も教員からの教員への批判も、ある特定の切り口からなされることが多く、その言及が「教員の資質全体」あるいは「教員の資格」にまで発展することが多いように思うのです。もちろん、「決定的な切り口」はあるのでしょうけど、それもまたひとつではないように思います。「決定的と思っている切り口」同志が、時として正面から対決してしまうことすらあるかと思います。
なので、「特定の切り口からの批判」を聞くにつけ、なんとも言えない居心地の悪い違和感を、いつも感じてしまいます。

ところで、先に書いた「システムをいじること」によって、学校教育の方向がはたしてどっちの方に行くのかということについて、わたしは漠然として危機感を持っています。というか、すでに変更ははじまっていて、そのことによって、教員の雑務の増加や学校と社会の関係の変化、子どもをとりまく社会のありようの変化など、さまざまな弊害が出はじめているように思えてなりません。
こうした状況を前にしたとき、「従来の批判のありよう(これをわたしはステレオタイプな批判と考えています)」ではないやり方から立て直していかないと、やばいんじゃないかというふうにいま感じています。

あと、「すべての大人がかつて〜」というところですが、わたしも同意できるところはあります。ただ、それが「感情的な批判が巻き起こる」につながっていくところに大きな問題があるように思います。
わたしはかつて小学校の頃教員からひどい仕打ちにあったこともまた、わたしにとっての「経験」であり「財産」であると最近思います。その経験があったからこそ、わたしは違う大人でありたいし、違う教員でありたいと思っています。ただ、それがはたして「いい方向」に向かっているかどうかは、やっぱりわかりません。
ちなみに、団塊の世代が、自分たちの子ども時代への反発からつくってきた社会のありよう、あるいは子育ての方法があるみたいですね。でも、「結局それは失敗したんじゃないか」みたいな話もあります。ひとつの時代から、次の時代へのバトンタッチって簡単には評価できないし、時間がかかることだなぁと思います。

おそらく、根本的にわたしは「楽観主義者」であり「性善説」なんだろうなぁと思います。前にも書いたかもしれませんが、「人はいつでも学びうる」「人はいつでも変わりうる」と思っているのです。「レッテル貼り」はそうしたわたしの価値観とはまったく逆行するものと思います。だからこそ、わたしもしたくはないし、わたしへのレッテル貼りも拒否をしたい。
このあたりの問題意識が根底にあって、ともくりさんのところの日記とコメントが引き金になって、いつのまにか、このあたりの話にしてしまいました。まぁ、冷静になると、日記とかコメントって「愚痴」の部分があるので、「ネタにマジレス」な気もしますので、迷惑かけたなぁとは思うのですが…。

あと、研修のことを樹村さんが書いておられますね。
現在、新規採用の人については、1年間指導教員がつきます。ただ、これ、双方にとってかなり過重なんですよね。研修ノートという交換日記をされるみたいですが、それを書くために、新採の人も指導教員も、たとえば教材研究をする時間がなくなったり、生徒と話をする時間がなくなったり。あと、その指導教員の教育観(笑)に指導内容が多分に左右されてしまうので、はたして現在のあり方がいいかどうかについては、評価がわかれるかなぁと思います。
教育委員会も、別に管理することだけを目的としているわけじゃなくて、それなりに研究はしているんですよね*2。でも、おそらく、「これ」という絶対的にいい方法が見つかっていないんじゃないかと思うんですよね。

*1:m(__)m

*2:このあたりが、15年くらい前のわたしとの最大の違いだったりします(笑)

帰りは久しぶりに「まつい」へ

ちょっと時間があったので、久しぶりに京橋に出て「まつい」に行ってきました。いつものおじちゃんと目で挨拶。「久しぶりやな」と声をかけてもらいました。すんません。
で、日本酒をグイッと2杯ばっかやって帰ろうかなと思ったら、隣のおじさんが「ねぇちゃん、ええ飲みっぷりやな」と声をかけてこられました。「これから仕事か?」「いえ、昼の仕事ですねん」「そうか、ほな仕事帰りか」「ちょっと大阪に用事があって、まぁあしたの仕事への活力をもらうためですわ」みたいな話をしているうちに、なんだかもりあがってきました。ちょうど、そのおじさんも「お祝い事」があって、ひとり祝杯をあげに来られたみたいでした。
で、「ねぇちゃん、おっちゃんがおごってやるから、もう一杯飲み」「え〜、そんな〜、ごちそうさまです」。あとはなんだかいろいろ話をして意気投合。と言っても、立ち飲みですし、3杯も飲んだらもう限界なので、20分ほど話をして「どうもごちそうさまでした」と言うと、「よっしゃ、こんな日や。おごらいでか」と結局わたしの分のお金を出してもらうことに…。

なんか…。まぁ、そういうこともありますか…。バッタモンですんませんでした。

でも、楽しい時間でした。ごちそうさまでした。

で、行ってきました

朝、パートナーはハンコを押してくれました(笑)。

で、授業が終わったら病院へ。お医者さんに「ブツです」と言って渡すと、「あ〜、ハンコが足りないんですよね〜」とのこと_| ̄|○。さらに、「あれ?セカンドの先生の予約、前回とりましたっけ」。
まぁ、前回は年末で、そのあと忘年会も控えてたし、なんだんかんだで作戦会議もしていたからなぁ。てことで、急遽もうひとりの精神科医に連絡をしてもらいました。「ブツ」は郵送ということで…。

で、しばしもうひとりのお医者さんと話。

  • いますぐ手術を希望されるのですか?それとも手術が可能な状態をつくりたいのですか?

「手術が可能な状態をつくりたいんです。「禁止をされた状態」は、かえって的確な判断がしにくいかもしれないと思うのです」

  • 合併症のことは考えておられますか。あるいは、体力面で負担がかかることは覚悟されていますか

「合併症については、すべての説明を聞いたわけではありませんが、しかたがないときはしかたがないと思っています。また、体力面の問題については、自分の体と対話をしながら、できる範囲のトレーニングをしていくつもりです」

  • 費用や入院期間・リハビリ期間については大丈夫ですか?

「まぁ公務員をしているので、首にならない限りは大丈夫でしょう(笑)」

  • 家族の同意についてはどうですか?

「パートナーはとりあえずハンコを押してくれました。子どもたちについては上の子どもは「うちの父ちゃんは男でも女でもない」と言っています。下の子どもは「お父さんは中身は女なのに、なぜおひげがあるの」と言っています。そんなふうに子どもたちを育ったのは、まぎれもなくパートナーの存在があったからです。これからも家族とは話しあっていきます。ただ、おそらく子どもに限らず生徒たちもそうでしょうが、「男・女」以前に「わたし」としてどう関係をつくっていくのかということが、最も大切かなぁと思います」

という感じで終了。

夜中の会話

明日は関西医科大学の精神神経科の日です。前回行ったのが12月だったのでかなり日がつまっているのですが、何をしに行くかというと、「同意書*1」を出しにいくんです。
で、その「同意書」にはパートナーのはんこが必要なんです*2。なので、パートナーと文面をながめながら、話をしました。
前から「さっさとやったらええやん」とパートナーは言っていたのですが、やはりいざ「同意書」という形ではんこを押すとなるとそうはいかないみたいです。あたりまえですよね。「合併症」のことや「手術したあとの身体の使い方(笑)」とか「その後のライフスタイル」のこととか、いろいろ話をしました。
実は、「同意書」を出したからといって、実際にやるかどうかはわからないんです。わたしとしては、あくまでも「できる状態」をつくることが大切で*3、「やる」こととは切り離して考えたいと思っています。あと、なんだかんだと言っても「まな板」の上に乗らないと声が届かないところがあることをこの間感じてきたので、「いっちょまな板の上で踊ってみようか(笑)」と思ったというのもあります。
ライフスタイルについても、たとえばわたしが現在SRSを受けているかどうかなんて、まわりの人はだれも知りません。知っているのは家族+αくらいでしょうか。また、もしも受けたとしても、そのことも言わない限り、誰もわかりません。では、なんのためのSRSか。結局は、自分と肉体との折りあいのありようが一番大切だということです。わたしにとってのSRSはその程度のものですし、それでもやりたいということになったらそういうことなんだということです。なので、たとえSRSを受けたとしても、おそらく今と変わらないライフスタイルをとり続けるだろうと思います。

たぶん、わたしという人間のありように一番大きな変化をもたらしたのは、「トランスジェンダー」という言葉であり、「トランスジェンダーとして生きていこう」と思った時に、いまの自分のライフスタイルへの道筋がついたんだと思います。あとは、ホルモンとかSRSというのは、自分の肉体との折りあいの結果として、あとからついてくるものかなぁ。とりあえず、そのなかで、今の自分の状態がある。そんなふうに感じます。

あ、パートナーは最終的には「明日の朝押すわ」と言って、いまごろ(笑)『性同一性障害の基礎と臨床』を読んでいました*4

*1:これ、10月にもらってたんですけど、判定委員会にかけるために必要だという認識がなくって、放ったらかしにしていたんです

*2:厳密には連帯保証人ですけどね

*3:実際、「やる」となったときに動きはじめたのではどれだけあとになるかわかりません

*4:何年か前に「読んでね」って言ってたんだけどなぁ。まぁ、必要にせまられないと読まないのはお互いさまですか…

教員の仕事・補足

この間「教員の仕事」というのを書きましたけど、その後のコメントに触発されたので、補足をば…。
わたしがなぜあんな文章を書いたかというと、「辞めたい」という教員とちょこちょこ会うからです。「なぜ?」と聞き返すと「しんどい」とか「やってられない」とかいう答えが返ってきます。それも、「いい人やなぁ」「力があるなぁ」と思う人に限って、そういう答えを返してこられます。一方、新規採用の方々を見ていたら「体が持たんぜ」というくらいの研修漬け。まじめにやればやるほどその重圧は重くなってきます。
なのに、巷では「教員なんて」という批判がまかり通ります。
このギャップってどうしたらいいんだろうということなんです。
そこへのひとつの切り口が「教員をステレオタイプで見ない」ということかなぁと思ったわけです。「教員なんてみんなこれこれだ」「こんな教員しか見たことない」という言葉がよく出てきます。でも、違う教員もいます。大切なのは、「ほとんどの教員はこれこれだ」「わたしはこんな教員しか見たことがない」というふうに、断定をするときに「それ以外」の余地をどれだけ残しておくかということだと思います。
この間の文章の発端になった友だちの日記は、とても大切なことを示唆していました。それは、さまざまな子どもたちの姿や言葉に触れたとき、単に「子どもの感受性は豊か」という一言で終わらせてしまう教員がいるのではないかという指摘でした。たとえば、引っ込み思案な子どもがいるとき、「引っ込み思案だから」というレッテル貼りをするのではなく、「自分がその子どもに引っ込み思案にならざるを得ない場所しかつくれていないのではないか」ということを振り返らなくちゃならないという指摘でした。
ただ、そこからやりとりがエスカレートしていきます。そして、先にも書いた「教員批判」「指導者批判」へとつながっていきます。そこで書かれている内容を見たら、「レッテル貼りを否定しながら、でも、教員に対してレッテル貼りをしているんじゃない?」と感じたのです。
「教員」への世間の山のようなレッテル貼りの中、教員は心を閉ざしてしまうか、あるいは疲れを感じるか、あるいは「自分は違う」と心の中で叫ぶか。そして、「辞めたい」と言い、実際に辞めていく教員がいるわけです。
Oさんのコメントがありました。あのようなステレオタイプな返しは、実は、わたしはあまり好きではありません*1。でも、わたしも使うことがあります。どういうときか。それは「語りたくない相手」に対して、あるいは「いってもわからないであろう相手」に対して返すときです。ステレオタイプなもの言いや、ステレオタイプな返しは対話を切ってしまうんじゃないかと思います。そうではない対話をどう紡いでいくかということが、大切なんじゃないかと言うことを思うわけです。

*1:Oさん、ごめんね