子どもの質問

下の子どもは、熱がある時は「しんどい〜、う〜ん」とうなりっぱなしで、実にうるさいです(笑)。で、熱が下がるとそれはそれでうるさいです。とにかくテレビを見ていてもひっきりなしにしゃべり続けています。さらに、漫画を読んでいても、わからない言葉が出てきたら、すぐに質問をしてきます。そんななかで、今日、質問を受けてしまいました。
おとうさん、「権利」ってなに?*1
この質問、ドキッとしました。ふだんから「権利」については考えているはずなんですけど、小学校2年生の子どもに伝えられる言葉が、とっさに出てきませんでした。ついでに言うと、たぶん高校生に伝えられる言葉も出てこなかったような気がしますけど。で、しばし考えたあとでこんな話をしました。

君がね、「やりたいな〜」とか「やりたくないな〜」と思うことがある。そんなとき、君は「これは自分の権利なんだ」と言ってみる。でもね、「やっちゃいけないよ」とか「やらなくちゃならないよ」とか言う人がいることもある。そこでいろいろやりとりがでてくる。そんなところから、「権利」っていうのがでてくるんだ。

たぶん答になっていないですね。でも、権利っていうのは、天から与えられるものではなくて、人と人とのやりとりの中から*2つくりだしていくものなんだということを、伝えたいなぁと思ったんです。
まぁ、たぶん子どもとは長いつきあいがこれからもあるから、ゆっくりとふたりで言葉を練っていこうかな。

*1:え〜、え〜、わたしは家ではお父さんです(笑)。もっとも、下の子どもは「お父さんは中身は女で外は男」って言っています。気をつかってくれているんだろうなぁ。

*2:もちろん、時としてというか、そのやりとりの多くは「闘い」だったりします

教員の仕事

友だちのブログを見ていて、ふと思ったことがありました。
その友だちは、NHKの「課外授業 ようこそ先輩」を見ていていろいろと考えたそうです。いや、あれ、たまに見た時釘付けになります。てか、「ようこそ先輩」じゃないけど、インゲマル・ステンマルクが「スウェーデン版ようこそ先輩」をやった時も、「すんげぇ〜」と、ただただ感動するだけでした。
友だちが見たのは、劇団四季の矢崎滋の回のようです。テーマは「自己紹介」。どうやら、長所・短所を書き並べるところからスタートするみたいなんですけど、みんな短所しか思いつかないみたいなんですね。これはよくわかります。で、宿題は、「自分を見つめて前向きに苦しむ」。 そして、作文に書いてみる。ということらしいです。
まぁそこから、すごく触発されることがあったらしいんです。それはそうだろうと思うわけです。で、ブログですから、いろいろコメントが入ると。で、それらを読んでいて、だんだん「う〜ん」となってきたんです。というのは、だんだんと「教員批判」「指導者批判」になってきたからなんです。で、思わずコメントを書いてしまった。

ごめんやけど…。

「ようこそ先輩」にしろ朝日新聞の「プロ」が行く授業にしろ、そりゃ感動的です。それなりの「もの」を持っている人が教えるわけですから。
でもね、全国すべての教員がそれだけのものを持っていたら、誰も教員をやっていないと思う。つまり、教員はそういう「プロ」じゃないんです。
いや、わたしのようなものですら、日常の学校ではない場所では「ようこそ先輩」のまねごと程度だったらやるけど、自分の学校ではとてもじゃないけどできないです。つまり、一発芸でしかないということです。
で、巷の人々は教員に対してあまりにもたくさんのものを求めすぎだと思います。進路指導も出来て、生徒指導も出来て、人権教育も出来て、もちろん教科指導も出来て、クラブ指導も出来て、生徒の心の襞も理解して…。そして、地域に帰ると「先生だから」と子ども会をやり、子どもの学校に行くと「先生だから」とPTAもやる。あえて、家庭については言いませんけどね。「家族を顧みない」というのが時として美談になったりしますから。
そんな教員はどこにもいないし、そんな人ならば教員はしないと思います。つまり、あたりまえのことだけど、教員は万能な人間がやっているのではないということ。
でも、世の中の人々は、教員の至らない部分を指摘して「だから」と教員全体を非難する。これはしんどいっす。
「できたことをほめる」というのは、なにも子どもに対してばかりじゃなくて、大人に対しても必要だと思います。そういう社会に育てられた大人が、子どもに対して「できたことをほめる」ことをできるようになるんじゃないかと思うのです。
子どもたちへの安易なレッテル貼りを生み出す要因のひとつに、教員への安易なレッテル貼りもあるんじゃないかと思うのです。そこをどう変えていくかということが、子どもたちへの安易なレッテル貼りからの解放のひとつの方策ではないかと思うのですが…。

でも、教員に一番欠けているのは、こういう開き直りと、それ以前に「自分は至らない人間である」という自覚を持つことかなぁとは思います(笑)。

う〜ん、長々と書いてごめんなさい。でもこれ、今日のブログに書いておこう…。

まぁ、それだけのことなんですけどね…。