生録

この間の土曜日に、サッカー部の全国行きが決まったわけですが、それに伴っていろいろなことがおこります。たとえば、「祝勝会(宴会)」。まぁ、わたしは病院があるので遠慮させていただきますが…。たとえば、寄付。これはえらいこってす。それ以外にも細々したことがあるのですが、わたしに直接関係あるのは「校歌のCDの準備」だったりします(笑)。
実は、去年も言われたのですが、去年は「今日の今日」だったりしたもので、とりあえず図書室から校歌のカセットを持ち出して、wavに落としてCDを焼くというところはやりました。でも、さすがに30年近く前のものなので音質がイマイチなんですよね。なので、急遽放課後にそのあたりにいた生徒を集めて録音したのですが、これがまぁたいしたことがないんです。なので、とりあえずつくったけどボツ。
で、今年はリベンジを果たそうと…。月曜日のうちに、吹奏楽の顧問と音楽科の教員に話をしておいて、作戦決行は今日の放課後でした。
音楽室にマイクを4本立てて準備。2本は合唱と吹奏楽用。あとの2本は合唱専用。なかなかよく音をひろってくれます。あとはミキシングの腕次第です。つっても、生徒にやらせたんですけど。
結局40分ほど、5〜6回やったところでとりあえずOK*1。再生してみると、けっこういい感じでした。
さて、あとはあしたエフェクトをかけてごまかしてCDに焼くだけです。

*1:てか、これ以上やると疲れたが出てきて、どんどん声が出なくなる

ちょっとジマソプレイ

今日、5時間目は数人の人権教育関係の人たちが授業見学に来られました。この人たち、忌憚のない意見を互いに言える人たちなので、事後研の時にどんな話が出るかなぁと楽しみにしながら、いつものとおりまた〜りと授業をしました。
そうそう、一般的に言って「研究授業」ってのはしょーもないことが多いんですよ。まず、教案を出さないといけない。まぁあんまりおもしろくないですわな。授業なんて、ハプニングから思わぬ展開があって、それが授業を豊かにするんです。あらかじめ決められたコースをたどれるかどうかなんて、そんなん一番おもしろくないことです。で、事後研究の時は「◯◯センセイの授業は素晴らしかったです*1」か「この教材の教授法は、こうあるべきじゃないかと思います*2」とか、まぁ、しょーもない話しか出ない。だから、「時間の無駄」ということでやりたがらない人がほとんどなんです。
でも、わたしは基本的には「授業は公開しよう。みんなで互いの授業をみながら互いに研鑽しよう」とは思っているんです。で、あとでみんなで感想を言いあう。必要なことは、数学の話じゃないんです。わたしの場合は「数学をネタ」とするのですが、大切なことは「子どもたちが学びに向かったか」「学びの空間を、どうつくったか」ということなんです。それだったら、数学以外の人たちも話しあいに参加できるんですよね。
で、事後研。「いつきさん、ずっと笑っていたよね。すごく楽しそうだった」「黒板をすぐに消さなかったよね。写すのが遅い子がいるのを確認して、ちょっと待ったよね。子どもがやる気を失なわかったよね」「宿題がわからなかった子どもに『あの子がわかっているから、あの子*3に教えてもらえ』って言ったら行ったよね。そういう関係ができているんだね」。
うれしかったです。ふだん気をつけていることをわかってくれて、キチンと評価してくれて、逆にそのことでわたしがさらに意識化できる。自分は間違っていなかったんだろうなぁという確信がもてる。だから、明日からの授業も自信をもってやることができる。エンパワーメントの授業研でした。
でもね、そういう授業ができるのは、生徒のおかげなんですよね。数学は苦手だけど、もともと「学びたい」「やらなくちゃ」という思いは持っている子どもたち。その子どもたちからどうやる気を失わないようにするかということが、この半年間の留意点でした。そのことを、子どもたち自身がきちんと受けとめてくれているからこそ、そういう授業が成り立つ。受けとる子どもたちが、実はすごいんです。だから、ジマソできるのは、「そういう子ども達といっしょに毎日遊んでいるんだぞ〜、いいだろ〜」ってことです。

*1:単なる常套句

*2:えらいセソセイが言うんだけど、「それ、教育実習か新採研の話やんけ」みたいな話。だいたいそんなもん、教科が違ごたら話に入れへんやんけ!

*3:この子、クラスで一番数学が苦手な子

やっぱり怒濤の11月・学校公開らしい

東九条マダンのあと、メチャクチャ体調が悪いです。いえ、チェで頭を打っただけではありません(笑)。もちろん、飲み過ぎただけでもないです。なんしか、身体が疲れている。なのに、今日は学校公開。なにが悲しゅうて休みの朝1時間以上書けて学校まで行かにゃならんのでしょうか。でも、放送担当。行かなきゃならんのです。
疲れているのはわたしだけじゃないです。パートナーも疲れています。なので、朝、パートナーはぴくりとも動きません。6時半に目が覚めたのはわたしだけ。とりあえず、コーヒーを入れて、朝ご飯をつくって、家のカギを閉めて出発です。学校に着いて放送セット。生徒が来ているのが救いですね。途中、あんまりにも身体がゴキゴキなので、中抜けをして接骨医へ。肩と首を押してもらって、ちょっとマシになりました。学校に帰ったら、説明会は終了。生徒がほぼ機材の撤収もしていたので、一安心。で、家に帰還です。

人権学習2週目

今日は、2学期の人権学習2週目です。1年生は在日朝鮮人の方の講演、2年生は部落の青年(K口くん)の講演、3年生は先週の講演を受けた事後学習です。
ところで、講演が2つあるということは、講演会場が2ヶ所あるということです。講演会場が2ヶ所あるということは、放送機器を2ヶ所用意しなくちゃならないということです。ところが、講演会は3・4時間目。しゃーないので、放送部員に頼んで1・2時間目の間の休み時間に機材を運んでもらってセッティング。ケガが治りきっていないので、走れないのが痛いです。でもまぁ、なんとか1時間でセッティング終了。
話の方は…。話の内容はいいのですが、う〜ん^^;;。まぁ、講演というのは、話す側と聞く側のコラボレーションということがよくわかりました。

なので、生徒に宣言

生徒には「わたしは毎年10月の終わりから11月ごろに一年間の疲れが出てくるしな。疲れがたまるということは、怒りっぽくなるということや。まぁ、今年はまだ笑っているけど、去年なんかひどかった」ととりあえず宣言しました。11月のわたしの体調については、去年の11月の日記を読んでいただければわかります。月末には生徒の前で泣いちゃったからなぁ。今年は、どこまで持つかな…。

よ〜くわかったよ!

今日は、人権学習の第1週目。1年生は、プリントで日朝関係史…のはずだったけど、体育館でビデオ+教室で講話。2年生は、教室でビデオ。3年生は、講演。で、放送担当としては、1年生のビデオ上映につかなきゃならないので、集合からずっといました。
しかし、集合が遅いのはまぁいいとして、そのあとがイ(・∀・д・)クナイ!
まず、ビデオがはじまる前に教員から話。この話が「子どもの権利条約」とか、まぁ堅いこと堅いこと。のっけからビデオへ向けたテンションが下がります。これじゃなんぼなんでもと思ったので、途中マイクを奪って話しました。「まず、みんなにあやまらなくちゃならないことがあります。みんな、床の上に直接座らせてゴメンね。ほんとうは、イスを用意したかったんだけど、力不足でした」という話から「次に上映するビデオなんだけど、問題が3つあります。問題1、わたしの友だちがでてきますが、誰でしょう*1?問題2、わたしがみるたびに必ず泣くところがありますが、どこでしょう?問題3、みんなの心の中にひとつ残ったものがあったとしたら、それはどこのシーンでしょう?これらを考えながら見て下さい」ととりあえずごまかしておきました。
で、ビデオ上映。まぁまた泣くのはわかっているので、あえて見ないことにしました。
で、ビデオ終了。そのまま教室に入れて話をするのかと思ったら、また前で教員が話しはじめました。「いいか〜、お前ら、人権は大切だ〜。人間はみんな平等なんだ〜。先生もなぁ云々」ずっこけましたね。言葉が届いてこない。しかも、「人権・平等」と同時に「先生」という言葉を吐いてしまうセンスのなさ。

放課後、用事があって教えているクラスの教室に行ったら、生徒たちが何人か溜まっていたので、さっそく質問しました。「問題1と問題2、わかった?」「わかったで〜。問題1は、途中に出てくる高校の先生やろ?問題2は、在日の生徒が友だちの言葉にうれし泣きするところやろ」「その通りやわ。あ、あかん、あのシーン思い出すだけでまた泣けてきた」てな会話。「今度な、キムチつくるし、金曜日の授業の時持ってくるわ」「オッケ〜」てな会話。
人権って、日常会話でやっていかないといけないと思うんですよね。ましてや、怒りながらしたらダメ。そしたら、生徒も普通に聞くはずやのに…。おもしろいことがいっぱいあるはずやのに…。

なんしか、よ〜くわかりました。人権学習の時間をつまらなくしているのは、教員の話なんだって。

*1:「んなもん、わかるか〜」とか「オレ?」とか声あり

まつ〜りの予感

明日は、2学期の人権学習の日です。1・2年生は来週の人権学習のための事前学習、3年生は結婚時の差別を乗り越えていまを生きている人の講演です。
で、講演はまぁいいのですが、事前学習や事後学習の準備がたいへんです。いや、もしも自分が担任ならば、なんなと言いたいこと・伝えたいことをひねり出して口先三寸でやりきれるのですが、現在は「準備する側」の身。「てきとーにやってください」と言うわけにはいかないんです。なので、いろいろと工夫をしてプリントを作成して「これを使ってやって下さい」となるわけです。ところが、そうやって準備をすればするほど、担任さんは「やるだけ」になってしまい、ますます「ていねいなプリント」をつくらなくちゃならないハメになってしまいます。で、最近では部落史とか日朝関係史の穴埋めプリントをつくるハメになってしまっています。まぁ、たしかに担任さんを相手に3〜4時間レクチャーをするよりは楽なんですけどね。自分にとって勉強にもなるし。
ところが、今年のクラス、どうも「かたより」があるようで、しんどいクラスはかなりしんどいみたいです。なので、最新版のお手製の穴埋めプリントでも40分ほどのレクチャーが持たない可能性があるようです。きのうの夕方、接骨医から出た時、「ビデオありませんか?」という話が入ってきました。「でぇ〜」という感じでしたね。下手したら、ビデオの編集が必要になります。となると、タダではすみません。かな〜りあせったけど、まぁ、すでに学校を出ているので、編集するためのソースを考える手がかりすらありません。なので、「あしたはあしたの風が吹く」という感じでした。だってしゃーないもん。

今年のテンション

毎年11月になると、4月からの疲れがどっと出てきます。すると、例えば授業中の生徒のほんのすこしの私語が気になったり、なにかと余裕がなくなってきます。昨年度もそうでした。そのうち生徒に当たり散らしてしまうなんていう、情けないことにもなったりするんです。
今年度は、どういうわけか、10月も中ごろにさしかかっているのに、まだ大丈夫です。とはいえ、これからが進級かどうかがわかれる2学期中間試験。そして、鬼のように忙しくなる11月です。かな〜りアブナイかもしれない…。

攻撃が最大の防御

最近ちょっと学校に寄りついていない生徒がいるので、ひそかに担任と一緒に家庭訪問をする戦略を練っていました。ところが、担任さん、「あの子、最近来てへんし、またみんな気ぃつけたってな」とポロリと漏らしたそうな。そこからクラスの子どもたちは察知します。「さては、家庭訪問…」。で、当然その子に「先生、家庭訪問行くかもしれへんで」。で、その子から学校に電話。「夕方行くし…」。
てことで、家庭訪問はキャンセル。子どもと面談。
そら、子どもと話する方がおもしろいし、今回は特におもしろいことがいっぱいあったけど、親と話をする機会を見事につぶされました。やるなぁ。