カムアウトをめぐって

いや、結論が出ているわけじゃないんですが、ふと思ったことをメモ程度に。
イジメを受けている在日外国人の子どもに対して、まわりの子どもたちは「クラスできちんと自分の話をした方がいい」「学年で自分の話をした方がいい」というアドバイスを出します。
基本的にはきわめて正しいのですが、でも、どこか心の片隅にしこりが残ります。それは、「そのカムアウトは、はたしてつながるためのカムアウトなのか?」ということです。
外国人であるがゆえのイジメというシチュエーションでは、「わたしの存在を認めろ」という叫びは、生きるための叫びです。そこに暴力性があるように思われても、きっとそれは暴力ではないんだと思います。
そのことと、トランスの「学年カムアウト」「全校カムアウト」の、どこに差があり、どこに同質さがあるんだろう。

まだ整理ができていません。でも、もしかしたら、いずれのカムアウトも、実はスタートでしかなく、「その後」の関係を紡ぐ作業が必要なのかもしれません。そして、トランスのカムアウトの中に、「その後」の作業への比重の軽さ*1を見ているのかもしれません。

*1:早い話が「話をしたらみんな受けとめてくれる」という楽観主義?

カムアウト

今日は、あるトランスの子をめぐって、ここ半年ほどメールのやりとりをしている人と呑み会です。といっても、相手の方は呑まれないんですけどね。
まぁ、はじめのうちはあたりさわりのない話をしていたのですが、だんだん核心に触れていきます。相手の方、かなりいい感性をしておられますねぇ。途中からけっこう言いたい放題です。
「あいつ、脳みそが筋肉でできてるんとちゃう?」
みたいな話がガンガンでます。
まぁ、それはそれとして…。

一番おもしろかったのは、「あるトランスの子」にかかわる話。
どうやらカムアウトをしたかったみたい。でも、その子のカムアウトに対する姿勢が、どうもイマイチ。そのことを見事に突かれます。
「カムアウトしたらみんなが受けいれてくれると思ってるんですよ」
「そらちゃいますよねぇ」
「絶対金八の影響ですよ」
「わはは!」

カムアウトにもいろんなものがあると思います。自分のことを主張し、認めさせるためのカムアウト。自分が自分を認めるためのカムアウト。相手とつながり直すためのカムアウト。他にもいっぱいいっぱいあります。
でもねぇ。使い方を誤ると、カムアウトは相手にとって暴力になりかねない。そのことを自覚しなくちゃならないと思います。いや、それが自覚できていれば暴力にはなりませんね。もしかしたら、暴力的なカムアウトをしたとして、それに気づき、修復する作業をどうするか。そこなんだろうと思うんですよね。

「差別」の対になる言葉

最近、この人*1と、ポツリポツリとメールのやりとりがあります。
なんか、昔の自分が何を言ったかとか、ちょっと恥ずかしかったり、たまには「え〜、そんなこと言ったのかぁ」と過去の自分をひたすら反省したりするわけですが…。でも、かつての自分を振り返る上でも、現在の自分との「違い」を知る上でも、とてもいいやりとりだなぁと感謝しています。

かつて「この人」さん、「学校学ばなければ差別はなくなる。へたに学ぶからまた差別がうまれる」という作文を書いたそうな。それに対して、担任が「こう考えるのはアカン!」と授業で言ったそうな。で、「この人」さん、わたしのところに来て文句を言ったそうな。
そうやなぁ…。たしかに、かつてわたしも「これの作文が差別や!」みたいなこと言って、生徒の反発くらったことありましたよ。まぁその時はそれが正しいと思っていたんだけどね。でも、考える機会を奪っていたんだなぁ。
「この人」さん、わたしの小さなヒントをずっと考え続けて、今でも考え続けてくれているみたい。すごくうれしい。こういう人とのやりとりの中から、わたしも考え続ける機会をもらえます。

最近のやりとりの中で、「打ち明ける」ということ、「打ち明けられる」ということについて考える機会をもらいました。
たしかに「当事者」とされる人は「打ち明ける」側であり、「非当事者」とされる人は「打ち明けられる」側なんですね。そういう意味では、「能動」と「受動」がはっきりしています。で、「打ち明ける」側には、やはり「語り方」を模索しなくちゃならないし、「打ち明けられる」側には「引き受け方」を模索する必要があります。
ただ、ありとあらゆる局面において「当事者」であり続けることは、きっと不可能です。ある局面においては「当事者」であるかもしれないけど、別の局面においては「非当事者」になる。あるいは「被差別者」と「差別者」と言いかえてもいいかもしれません。そうなると、ある一人の人が、時としては「語り方」の模索を必要とし、時としては「引き受け方」の模索を必要とする。結局それは、「つながり方」を模索することに他ならないのかな、と。
でも、差別・被差別の関係に絡め取られてしまって、「語るだけ」「引き受けるだけ」に終始してしまって、「つながること」を放棄してしまうことがよくあるんじゃないだろうか。

まぁ、使い古された言葉ですけどね。

*1:以下、「この人」さん

今頃見た

今日は某研究会の会議で出張。
会議そのものは、それなりに終わって、と。最後に「視聴覚教材の研究」ということで、今回は「たかじんのそこまで言って委員会」を見ることにしました。
まずは、2008年11月16日放映分のもの。う〜ん、イマイチだなぁ。コメンテーターに「元ここの所長」が出てこられたんですが…。まぁ、いろいろ言いにくいんでしょうねぇ。すごくあいまいなビミョーな言い方に終始しておられたのがなんとも…。
にしても、スタジオの皆さん、ほとんどが「江戸幕府が」とか「士農工商」と「その下」とかいう話なんですね。というか、番組の最初にそういう話が出てきているし。あれ、なんとかしないといけない気がしますねぇ。
続いて見たのが、2008年12月28日放映分のもの。「年末SP“村崎太郎”部落差別」というやつですね。
前に読書感想文は書いたけど、実際本人の話を、テレビではあっても、聞くのははじめてです。
全体を通して感じたのは「村崎太郎さん、ええ感じやん!」ということ。やっぱり小説は小説なんですよね。だから、あれは「小説として読む」ことが大切なんですね。実際の村崎さんの話で、すごく「それ!」と思ったのが、「被差別者の心の中にある傷」のありようなんですね。「こんな傷があるんじゃい!」と出すんじゃなくて、これを淡々と語る。その内容に、すごく重なるものを感じたんです。
さらにこの回がよかったのが、朴一さんがいたことね。さすがです。随所に淡々としたネタをふりながらも、きちんとツボを押さえている。当たり前ですけどね。
で、「元所長」なんですけど、さりげなくカムアウトをされました。でも、なんというか、当事者性を極力排除した姿勢。これもまたおもしろいと言えばおもしろい。
で、スタジオの人たちの反応がまた…。
「元所長」に対しては研究者としての質問なんですね。で、これに対しては自分の経験でやりあおうとする。ところが、村崎さんに対しては、「やりあう」という態度はなく、ひたすら話を聞くだけです。これは、朴一三に対しても基本的に一緒。このあたりで「当事者」への態度と、そうではないスタンスの人への態度が見事に二分されるんだなぁと思いました。
で、もう一人の当事者「田嶋陽子さん」なんですが、これがまた当事者扱いされない(笑)。まぁ、田嶋さんの「キャラ」と言えばそれまでなんですが、ジェンダーというヤツがすごくやっかいもの扱いされているということをあらためて感じさせられましたね。
そうそう、カムアウトの話の中で「性同一性障害」という言葉が出てきた時は、ちょっとドキッとしました。なんちゅうか、「いきなりは心臓に悪い」みたいな(笑)。でも、田嶋さんが言っているのは「はるな愛」とか「椿姫彩菜」とかのことだろうなぁ(笑)。

「先のことを考えようよ」とは思うけど

朝、職員朝礼が終わったら、授業を担当している1年生が職員室の前にいました。
*1「先生、休校にならへんの?」
I「ならへん。そんなんなるかいな」
S「え〜、なんで〜」
I「あのな、インフルエンザのウィルスな、うちの学校の前で引き返しよんねん」
S「なんでやねん!」

兵庫→大阪ときて滋賀に飛んだ*2のは、どう考えてもおかしいなぁと思いながらも、ちょっとホッとしていたりします。やっぱり休校は困る。
なぜ休校をいやがるかというと、その分の授業を回復しなくちゃならなくなるからです。たいていは夏休みの開始日時を1日後ろへやる。
これがこれで終わればまだいいんですが、夏休みの初日から合宿を入れていたりするとことはややこしくなります。今頃日程変更をしようとしても、合宿崎のスケジュールは満タンだったりする。
あるいは、普段の平日はできないこと*3なんかを入れていたら、これまたたいへんなことになる。生徒もわたしたちも学校行事を基準に動いているので、それが変更になると、すべての予定が変更になります。そのことのリスクを考えると、「休校」の大小はあまりにも大きいわけです。
ただ、やむを得ない時は休校は避けられません。ところが、これが台風か何かで1日ぐらいならまだいいです。今回の兵庫・大阪のように1週間となると、おそらく行事予定は最初から組み直しになるんじゃないかと思います。
かつてのように7月20日あたりから夏休みがはじまって8月31日まであるなら*4、まぁそれでも夏休みでかなり回復できるでしょうが、今のように7月25日あたりまで授業をやって8月25日あたりから授業をスタートするような昨今の状況だとたいへんです。1学期の終了を1週間後ろにやると8月まで授業をしなくちゃなりません。2学期の開始を1週間前へやると、お盆から授業をすることになります。
ちなみに、最近は教室にクーラーがついていますが、あれ、学校としては使いたくないんです。なぜなら、電気代がかかる。当然予算の組み直しが起こります。あと、クーラーがついているのは普通教室だけで、特別教室にはない。となると、芸術なんかはクーラーがないところでやらないといけないわけです。さらに、絶対にクーラーがきかない「体育」なんかもあります。
机の上の計算であれば、「ここの一週間を、こことここへこうやって」ということは可能かもしれませんが、現場はそうはいかないことが多々あります。

てことで、そのあたりがわかって人は休校を避けたくなるんです。
今回に限らず、インフルエンザなんてものが出てきたら、ウィルスの温床の最大の場所はおそらく学校です。でも、休校は避けたい。結局感染予防のための休校はまずありません。ある程度感染が広まってからしか休校はできない。予防という意味では最悪だとは思いますがねぇ。その原因は、「回復措置が必要」ということなんだと、わたしは思っています。

あ、そうそう。休校になっても教員は当然休みじゃありません*5

*1:生徒ね

*2:20日時点

*3:含む「お座敷」

*4:高校の場合

*5:暴風雨警報&洪水警報が出ている台風の真ん真ん中でも、わたしはバイクで職場に向かうことのなる、と(笑)

朝から吹いた

平日は朝はバタバタしているし、夜はダラダラしています。休日は、朝から遊んでいるし、昼からは飲んだくれています。
なので、郵便物をのんびり読む時間がありません(←変)。
今日は朝から遊ぶわけにもいかない天気だし、昼から呑む予定だから朝は飲まないということで(笑)、たまった郵便物をチラチラと読んでいました。と、いきなり吹いた…。
読んでいたのは、京都部落問題研究資料センターセンター通信(pdfです)。2ページ目をペラリとめくると伊藤悦子さん@京都教育大学が『太郎が恋をするまでには』の書評を書いておられます。「これはおもしろい!」と興味津々で読みはじめました。
しばらく読んでいると「他者がどんな感想を持ったかが気になったので、事務局から紹介文もお借りした」とあります。どんな紹介文かなぁと思いながら読み進めていくと、

全国地域人権運動総連合の機関紙に掲載された、愛知人権連・甚目寺支部丹波真理さんの「歴史の歯車は止められない―『太郎』とかかわって―(上)・(下)」(「地域と人権」一〇七一号・一〇七二号、二〇〇八年一二月一五日・二〇〇九年一月一五日)の記事、土肥いつきさんのブログのコメント、それと「アエラ」(二〇〇八年一一月三日号)の記事「歴史とたたかう結婚」などである。

おーい^^;;

あ、伊藤さんの書評はおもしろい!「カミングアウト・アイデンティティ」という見出しのついた「肝」の部分は「あぁ、それそれそれ…」という感じ。さらにアイデンティティの問題から続く「当事者性」の話は、「うん!」という感じでしょうか。この部分の「オチ」も「それ!」という感じ。
伊藤さんならではの辛口な結論もいいですねぇ。

排除の言葉

やっぱり気になります。
この間、新型インフルエンザにかかわってさまざまなニュースが飛び交っています。その中にちりばめられる「国民のみなさん」という言葉。
「国民」という言葉が、同時に「外国人」を排除する言葉であるという意識が、今ほんとうに希薄なんだなぁと思います。そして、そのことに強い危機感を持っています。
ちなみに、パートナーから「どう言えばいいと思うの?」って聞かれたんで「「みなさん」だけでええやん」と答えたのですが…。

メーデーかぁ

うちのポータブルCDMDカセット、毎日スイッチを入れると「今日は◯◯の日」って出てきます。もちろん、今日は「メーデー*1
にしても、いま日本国内で5月1日にメーデーの集会をしているところって、どこにあるんだろう。というか、「万国の労働者、団結せよ」という言葉が空虚になるほどに分断されてしまっていますね。いや、分断「され」というよりも、労働者自らが分断「し」ているのか。
「結集軸」なんていう言葉も、すでにないですからねぇ。

でも、それはもしかしたらしかたがないことかもしれない。
というか、かつてとは違う形で、さまざまなコミュニティをつくろうという動きは確実にあります。それらは、今はさまざまに異なる「要求」の中で集まっていますから、相互のつながりは希薄です。
かつてならば、それらを「一本化」というかたちで結集させていたんだしょうね。でも、いまはありえない。とするならばどうするか。
たぶん「思いを重ねる」ところからスタートするんじゃないかなぁ。もうちょっと下手な言い方をするならば「お互いさま」の精神?
「あの時助けてもらったし、今度は助けるわ」
というのはもちろん、
「ごめん、どうしても今日あかんねん」
もまたありという、ゆるやかな「お互いさま」。無理をしない「お互いさま」。でも、そういう相互乗り入れが拡がっていけば、あるいは今までとは違うなにかがうまれるかもしれない。

などと思いながら、淡々と日常の授業をしているんですけどね(笑)。

*1:ちなみに、4月4日は「トランスジェンダーの日」ではなかったなぁ…

わたしは信じない、でも信じる

ここ数日髪の毛がうるさいので、右側でくくってます。
それを見た子どもたちの反応。

  • 3年生

S「先生!最近メガネかけてんの!」
い「うん、メガネッ子でいこうかなと思ってな」
S「へー、今日はドジッ子のイメージなんやな(笑)」

  • 2年生

S「今日はキュートやわぁ。めっちゃかわいい〜(笑)」
い「両方でくくったらこんなんやで、ほれ」
S「笑」

  • 1年生

S[クスクスクス」
S「ヒソヒソヒソ」

ふとある一節が頭をよぎります。

そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。

わたしは子どもたちの「差別なんてせーへんもん」という言葉は信じません。「人の世がどんなに冷たいものか」ということを、肌身にしみて感じますから。
でも、わたしは子どもたちが「変わる」ということは信じています。なぜなら2年生も3年生も、1年生の時は今の1年生と同じでしたから。その子どもたちが、いまわたしを支えてくれていることを知っていますから。
子どもたちが「変わる」ことを願い求めます。でも、それはわたしと子どもたちとの共同作業でしかあり得ない。だからこそ、変わった子どもたちをほめ讃える。そして、そういう関係をつくれた自分自身をほめ讃える。「変わりえた自分たち」に自信ができる。「必ず変わる」という自信ができる。
そこに「人生の熱と光」があるんだろうなぁ。

たまにはちょっと凹みそうになるけど、あしたからもがんばろう(笑)

境界はどこか?

昨日の夜、とても大切な友だちから、「自分はDVをしていたことに突然気がついた。恐怖で体が震える」というメールが入りました。
そういうことにとても敏感な人だからこそ、もしかしたら他の人なら気づかないような自分の内側のことに気づいてしまわれたのかなぁと思います。
なんと返したらいいんだろうと思いながら、簡単に返せるはずもなく、ダラダラと考えていました。

「愛」と「DV」の境界ってどこにあるんだろう。あるいは「愛」と「依存」の境界ってどこにあるんだろう。
「愛」が「DV」に変わる瞬間ってあるんだろうか。その逆はあるんだろうか?「愛」が「依存」に変わる瞬間ってあるんだろうか。その逆はあるんだろうか?
他者が見た時「愛」であっても、当事者にとっては「DV」なことってあるんだろうか。その逆は…。

考えれば考えるほど、どんどんわからなくなっていきます。
ただひとつ。わたしが考えたことは、「愛」「DV」「依存」にセンシティブになること。そのブラックホールから脱出し続けること。
「安定した「ない」状態」をつくることではなく、つねに「なくし続ける」姿勢を保ち続けることが大切なんじゃないかな。