性別違和が具体化する場所

2000年からトランスをはじめて、いろんなことを試してきました。その中で、かなり初期からこだわってきたのは「望みの性別の身体の形状を獲得したい」でした。自分でも驚いたのは、2003年段階でそんなことを言っていたってことです。
ただ、実生活においてベルリンの壁のように(笑)たちはだかっていたのは、やはりトイレでした。
2000年代のわたしはランナーでしたから、毎日着替えをしてました。当時のわたしは男性ローカースペースに自分のロッカーがありましたが、外との間の仕切りはカーテン一枚、とてもではないけど使えない状態だったので、やむを得ず放送室で着替えてました。でも、これはなんとかなった。やはり一番きつかったのはトイレでした。
別に来客があるからどうとか、見た目とトイレが食い違って他の人が混乱するからどうとかいう話ではないです。単純に「ダメ」なんです。
わたしは「男性ではない」自分に気づいて、その気持ちを実践しようとしていたわけです。そんなわたしが「男性トイレ」に入るってどういうことかというと、とにかく一番拒否していることを自分に強いないといけない。例えば…。例えがわたしには見つけることができません。とにかく、トイレの前で足がすくんでしまうんです。身体が拒否をしてしまう。
同じようなことが、ある集まりのワークショップで起こりました。混声合唱をやるということになって「男声の人はあちら」と言われてそっちに行った時でした。後悔しました。涙が出るほどしんどかった。アンサンブルになった時にホッとしたことを今でも覚えています。
自分が「違う」と気づき実践している時に、「それ」を強いられることがいかにきついことかということを身にしみて感じました。
「自認する性別と反対の性別のトイレに入る」ということは、わたしにとっては性別違和を顕在化させ、具体化させる行為でした。

そうそう。かつて友だちが「○○切るくらいの気合を見せろ」って言ってたことがありますが、「あー、この人、先住民なんだな」と思いました。先に居座り、自分のテリトリーを守る。ジャッジするのはその人自身。きついなと思いました。でも、まぁそんなもんだと思いました。○○切ったらなくなる程度の根拠は、実は「○○切ること」が大切なのではなく、そういうことを言う人自身のフォビアの問題なんだろな。だって、○○を切ろうが切るまいが、わたしがわたしであることに変化はないからです。わたしにとっては「その程度のこと」なんですが、なぜか過剰な意味づけがされるのが、よくわからないです。

てことで、わたしは2007年に女性教職員に「トイレとロッカールームの使用」をお願いして、ふたりの反対で断念したものの、翌年他の人たちが「毎日のことだもん。使えばいいよ」と言ってくれたことに後押しされて、まずはロッカールームを使うようになり、その2年後くらいからはトイレも使えるようになりました。
一度実現しても、もちろん転勤で人が変わります。なので、使い続けることはできるのかなと思っていたのですが、なんか「あー、女性トイレを使ってるんだ」って思ったら、それはそれでそのままになるみたいです。
いろんな意味でラッキーだったなとは思いますが、もうひとつ大切だったのは「管理職」ではなく「女性教職員」に言ったことかなと思っています。そして、一度は断念したことも大切だったかな。断念することで「使えばいい」と言ってくれる人が顕在化した。
たぶん、その経験が、わたしの「やり方」の原点だし、そういう「やり方」の原点にあるのが担任時代の生徒たちの「やり方」からの学びかなと思います。まぁ、そういうやり方ではなかなか社会全体を変えられないっていうのはありますが^^;;。

罠に陥らないために

twitterのTL見ても、facebookのウォール見ても、はたまた報道ステーション見ても、ひたすらイヤになることばかりです。
この国から差別がなくならないこと、この国からイジメがなくならないこと、この国に公共心が育たないこと。それらは教育のせいではない。差別心とイジメ心を持つ非公共的な人々が、自分好みの国をつくろうとしているからだ。

歯向かう人間は徹底的に叩きつぶす。でも、そうではない人間にはほんの少しのエサを出す。そのエサに群がる人々。局地的に見ると、そのエサは「反差別」「反イジメ」「公共心」に見える。でも、大きく見た時、そのエサに群がることで「差別」や「イジメ」や「非公共」を維持し推進することに加担している。

その罠に陥らないためには、「エサのない時代」に「差別」と闘い、「イジメ」と闘い、「公共心」を育もうとした人々の歴史を知ること。そこから学ぶこと。

なんかおかしい

こないだの健康診断の日のことです。
最近の「紙」にはあらかじめ名前とかの個人情報が印刷してあるんですよね。
でも、たいていの人は名前くらいしか見てません。そんな中、心電図の人の様子がおかしい。どうやら「わたし」を見ずに「性別欄」を見たようです。終わったあと、他の人に性別欄を指差して指摘してます。
で、考えた。
その人、ある意味正しいです。だって、「見た目」と「性別欄」の食い違いに気づいたからね。でも、ある意味「間違って」います。だって、わたしの身体の状態はすでに「男性ではない(≠女性である)」からです。更に言うなら、「性別欄」は変更可能で、わたしがそれをやるためには「時間」と「社会的関係」しか必要がない、つまり「健康診断に必要な情報」とは無関係だからです。
身体の状態と社会的な状態が一致する圧倒的多数の人にはこういうめんどくさいことは起こらない。でも、それが一致していないごく少数の人にはこういうことが起こる。
さて、「だから一致させろ」というのか「一致しないことはあり」という社会をつくるのか。
いづれにしても、こういうことがあるから性別を変える気が起こらなくなるんですよね(笑)。

こんな日が来るとはなぁ…

わたしはかつて大学卒業してすぐの頃『現代思想』の定期購買者でした。まぁ、一定の収入が確保できたのでかねてからのあこがれみたいなもので、結局読みもしないのにって感じで買っていたんですね。だから「定期購読」ではなく「定期購買」。でも、いつの間にか「買ってもしゃーないな」って思って、定期購買やめました。
ただ、本棚を探すと「特集 レズビアン/ゲイスタディーズ」とか『ユリイカ』の「特集 ポリセクシュアル」なんかが出てくるので、今となっては便利なんですけどね。

でも、ここしばらく、連続して『現代思想』を買ってる自分に驚いたりして。
で、昨日「inputしよう」と思って読んだのが当然のことながら「特集 LGBT」なわけです。

ちなみにこの間、ゲンコに埋もれててinputしてなかったというのと、考えていたのがトランス限定で、「にじいろがどーの」とか「ダイバシティがこーの」とか、ほとんど考えていなかったので、完全に世間の動きから遅れていました(;_;)。てか、そのあたりのキラキラ感についていけないんですよね。
ま、そんなわたしが読みはじめたのですが…。いやぁ、はまりました。ここしばらくわたしが感じていた、何とも言えない「違う感」をみなさんの論考を読むなかで「あー、そーゆーことかぁ」と解きほぐしてもらった気がしました。
ちなみに、わたしは自分のことを「アクティビスト」とは定義してないです。自己規定は「学校教育労働者」です。つまり「学校」という、あまたあるうちのひとつである「教育機関」で「労働」をしている「者」。単にそれだけです。交流会はそこから派生したものであって、初めにそれがあるわけではない。逆に言うなら、交流会はわたしの日常と地続きにある。それはわたしにとっての「活動」ではなく「学校教育労働」の延長にあるという、単にそれだけのことです。で、玖伊屋や「まんまるの会」もその延長である。
まぁ、そういうわたしからすると、「アクティビスト」のみなさんはキラキラして見えるんですよね。だって、「脱日常的」に見えるからです。現実は知りませんけどね。
で、そーゆーのと、LGBTってのを結びつけると。
ちなみに、「生産」「消費」って感覚でそれを捉えなおすと、まぁ「日常」は「生産」に近く、「脱日常」は「消費」に近いのかな。となると、わたしにとって、「アクティビスト」って「消費者」的に見えるのかな。
「ディズニーリゾートのレズビアン結婚式」に「いいなぁ」とか「きれいだなぁ」とか思いながらも、どこか「うーん」と思っていたのは、たぶんそこだったのかなと。端的に言うなら「で、お値段はおいくら?」ってことです。あの「キラキラ感」は消費することが可能な人の持つ感じだった。で、まさにそういう「消費者としてのLGBT」と「企業」の結合がある。
あ、ちなみに…。
かつてよく言っていたのが、「仮に男性の稼ぎを100,女性の稼ぎを50とすると、ゲイカップルは200で、レズビアンカップルは100」って話です。これ、レズビアンとゲイはひとくくりにできないって文脈で使ってました。でも、さらに言うなら「共働き夫婦で子ども二人の場合世帯収入は150で、ひとりあたり37くらいで、一馬力夫婦で子ども二人の場合世帯収入は100で、ひとりあたり25」ってことにかります。
まぁ、昨今こんな悠長な話ではないのでアレですが…。でも、「可処分時間」まで考慮すると、LGはうちみたいな最後のパターン(最近はパートナーも働いてるので、少しマシ)の家族に比べて消費傾向は強いんじゃないかと。
そういう「すべてではない/代表をしていないLG(T)」(Bの姿が可視化されないのも問題)と企業の親和性はやはり高いんだろうな。そして、その「消費性」を担保したうえでの「アクティブ」だとしたら…。

そんなことをグルグル考えさせてくれる、とてもいい特集でした。ま、中身はいろいろありますが…。

ま、わたしはあくまでも「トランスジェンダー」に特化して、しかも「消費を極力抑える」=「自炊」≒「日常」でやっているので、まぁ、多々自戒の念は込めながら*1ではありますが、違うなと。

*1:やはり搾取してますからねぇ…。だからこそ、再分配はしなきゃと思うってのはRちゃんに指摘され教えてもらったことではあります

inputが必要なんだ

とりあえず、書かなきゃならなかったゲンコ4本は仕上げて、次のゲンコ2本に向かっているわけですが、あいも変わらずお題に悩んでいます。まぁ、昨日ダメダメ先輩から教えを請うて「悩んでるところまでゲンコにしちゃえ(笑)!」って方針は出ましたが、もうひと押し、なにかが足りません。
仕方ないので、昼ビールのあと、未開封だった現代思想2015年10月号なんぞ引っ張り出して読みはじめたのですが、すぐ寝ちゃいました(笑)。
でも、ウトウトしながら感じたのは、「これ読んだら、少し浮かぶかも」ってことでした。
ここ一ヶ月、ひたすらoutputばかりしてきた。そろそろ枯渇してるみたいです。outputするためにはinputが必要という、当たり前の、それも何回も経験してきたことなのに、そのことを忘れてしまう。たぶん、焦りですね。「早く終えなきゃ」っていう焦り。「次のことをしなくちゃ」「本来やらなきゃならないことを早くしたい」という焦り。
ダメだダメだ。ゆっくりと確実に。そしたらやっつけじゃないのができるし、それは「次」や「本来」にも必ずつながるはずです。

お題に悩む

とある原稿について考えていますが…。
あまりにもテーマがピンポイントで、しかもシチュエーションがわからない。
例えて言えば…。
「いますぐにバイクを買いたい。何を買えばいいか?」という相談があったとします。で、当然のことながら、そのバイクを何に使うのか(通勤なのかツーリングなのか)とか、どういう乗り方をするのか(山道クネクネなのか高速道路バビューンなのか)、どういうところを走りたいのか(オンなのかオフなのか)とか、そもそも持っている免許(原付なのか普通二輪なのか)とか、いろんなシチュエーションがあって、そのあたりを知らないことには相談に乗りようがない。てか、そもそも「荷物運びたい」みたいな話だと「それはバイクじゃなく車なのでは?」みたいなこともあるわけです。ところが、そういう前提となる情報を抜きにして「バイク、何を買えばいいか相談に乗ってほしい」みたいな感じなんですね。
でも、はじめは「そっかぁ、バイクなのか。そしたら、まぁ簡単じゃん」と思うわけです。ところが、考えれば考えるほど難しくなる。で、とうとう「シチュエーションがわかんねーよ!」ってことに気づいたのが今日だったと。
ほんと、どーすりゃいいんだろ…。

仕切り直し

半年やってきたp4cの授業は、先週でひと区切りでした。今日からメンバーが変わります。さてと、後期のメンバーとはどんな関係がつくれて、どんな授業になるかな?
前期は、とにかくはじめてのことだったので、ほんとに手探りの状態からのスタートでした。とにかく「なにがはじまるのかな?」という「ワクワク感」を大切にしたいと思って、なにも説明せずにスタートしました。が、それがうまくいったのはせいぜいが1ヶ月でした。そのあとは「いったい自分たちはなにをさせられているのか」という疑問があったんでしょうね。そこではじめて「意図」を説明したけど、遅かった。あとは試行錯誤しながらの、とてもハードな授業が続きました。
もちろん、だからと言って、ダメだったとひとことでいうような話ではありませんでした。よかったことも多々ありました。だから、それはそれでいいのです。
で、今回は、あらかじめ「意図」を説明しました。そして、その意図を実現するために「考える」ということをしたいということも話しました。そしてそれが「役に立つ」とも話しました。きっとここからは、どちらかというと「考えるためのスキル」を身につける「ワークショップ」的な授業が展開されていくだろうと思います。
じゃ、それはp4cなのか?
「自分自身で、ともに」考えるためには、モチベーションや必然性がない時には、スキルが必要なんだと思います。「問について考える」「他の人の考えと自分の考えを比較する」「「なぜ?」と問い返す」などなど。
わたしは研究したわけでもなんでもないです。が、そのスキルを身につける過程で、きっと「sense of wonder」が、滲み出てくるんじゃないかって思います。
さてと。どうなるかな…。

毎日

今日も終業30分後にさっくりと職場を出ました。で、昨日と同じように京都市役所前へ。昨日は雨だったけど、今日は晴れてるから楽ですね。
で、家に帰って、某プロジェクトのためのスカイプ会議。
終わったら、ビール&晩ごはん。
食器を洗って、テレビです。もちろん報ステ探偵ナイトスクープ(笑)。でも、探偵ナイトスクープは途中で寝てしまいました。起きたのは0時10分。ん?0時10分?参議院の再開の時間じゃん。とりあえず、ふとんにもぐりこんでネットで中継を見て。そのまま2時18分を迎えました。
ま、しかたない。

さてと。寝る。そして明日起きる。そして、いつものように闘う(^^)

幾度も繰り返す

こんな風景は今にはじまったことではありません。ここを見ると、これまでに何度も何度も繰り返してきました。
例えば、すでに2005年、第一次安倍内閣が発足した時に、すでにもしかしたら来てしまうかもしれない「今日」あるいは「明日」を予想をしていたみたいです。そしてその1年半後、教育基本法改悪の日を迎えました。
あの時、わたしの仲間たちがたくさん国会前で抗議活動をしていました。わたし自身も京都市内でビラまきをしました。街の人たちの反応はとても薄かった。マスコミはほとんど報道しなかった。そこへの怒りを直接飲み会の席でぶつけたことは、今も忘れていません。あの時のわたしの怒りを、ぶつけられた人は覚えているだろうか…。
いまさら「ニーメラーの教訓」を持ち出すことにほとんど意味は感じません。
わたしはあれから10年間、たったひとりでもかまわないと思いながら、自分の日常の中で声を上げ続けてきました。
でも、社会は変わってきました。それは、2013年の特定秘密保護法反対のあたりです。もちろんあの時も反対集会へのまわりの反応は鈍かった。でも、少なくとも「教育関係者だけ」という状況ではなかった。というか、あの時SEALDsの原型ができていました。たくさんの学生たちが集会に参加し、わたしが知ってるシュプレヒコールとは違う「いまどき」のコールをしていて、笑いながらも新鮮さと頼もしさを感じていました。
そして今回の解釈改憲閣議決定への反対運動を経て、ほんとうに戦争法案が目の前に迫った時、ほんとうに多くの人が反対の声を上げています。
今日も雨の中、全国各地で抗議行動が行われています。京都では1200人のデモがありました。もちろん参加してきました。デモに意味がない?意味などどうでもいいです。怒りを表現すること、それを伝えることが大切です。それは、いつか生きてくる。
ヤツらはあきらめなかった。だから、こんな今になった。そのことを10年前に知ったわたしは、あの時決めた。
ぜったいにあきらめない。

そうそう、うれしかったこと!
一番前の子が、机の上に「京都高校生デモ」のビラを置いていたこと。
図書室で「デモの話、ツイッターでまわってきたわ」と言ってくれた子がいたこと。

孤独に、ともに

安保法制、いよいよ大詰めです。昨日、奥田愛基さんが参議院の中央公聴会に呼ばれて意見を述べたその内容がネットにあがっていて、それを読みました。で、これはみんなに読んでほしい。伝えたいって思いました。
なので、今日は伝えよう。
てことで、今日の衣装はこれです(笑)。

こないだの日曜日、靭公園で買いました。
読んだ瞬間、涙で言葉が詰まった箇所がふたつありました。ひとつは

2015年9月現在、今やデモなんてものは珍しいものではありません。路上に出た人々のがこの社会の空気を変えていったのです。

もうひとつは

新しい時代はもう始まっています。もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっているのです。私たちは学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げます。できる範囲で、できることを、日常の中で。

でした。なぜだろう。おそらくそれはこういうことです。
わたしは、35年前からたいしたことはしてないけど、それでも路上で声を上げてきました。一時中断しました。でも、「教育基本法改悪」という敗北を経験して、「あきらめる」ことをやめました。「絶対にあきらめない」と決めて、自分の日常の場で、ひとりでも声を上げることにしました。そうやって10年たった時に、カウンターと出会いました。そして再び路上で声を上げはじめました。それが仲パレや東京大行進につながり、そして先日の日曜日の「大行動」へとつながっています。
でも、わたしの「持ち場」は、日常です。そこでひとりでも声を上げ続けること。「できる範囲で、できることを、日常の中で」と思いながら、自分の日常でやってきました。
そんなわたしに「それでええやん」と言ってくれた気がしたのです。だから「これからもやろう」と思わせてくれたのです。だから、声がつまったんだと思います。
奥田さんの発言には

自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください。

という一文があります。言うまでもなく、党議拘束を指しています。が、わたし(たち)がこれまでやってきたことです。ほんとうに孤独の中で考え、孤独に行動してきました。そんな人々がとうとう集まって動きはじめた。そこにわたしもいる。
そんな気がしました。

自分自身で、共に

とは「べてるの家」の「当事者研究」です。が、まさにその実践のもうひとつの場とも言える気がします。

さあ、伝えよう。そして、自分で(は)行動しよう。
ぜったいにあきらめない。もしも強行採決されたら、それはより激しい「次の闘い」の幕開けでしかありません。