穏やかな1日

朝、いつものように出勤。職長のあと支店長に呼ばれました。内示です(笑)。まぁ、いつものとおりですね。
今日の午後は進級判定会議ですが、午前は合格発表です。なので、午前は入試担当教員は忙しいだろうけど、関係ない人はそんなに忙しくはありません。みんな、来年へ向けたよもやま話をしています。わたしもゲンコのことをしたり、よもやま話に加わったり。
おべんとを食べたら会議です。1年間、いろいろあったなぁと振り返るひとときです。担任時代はいろいろあったけど、教科担当だとそこまできつくないです。
しかし眠い(笑)。
会議のあとは、中学校訪問のアポとりです。が、相方の教員が帰ってこないので、相談できません。中学校側はいろんな高校が来るので、日程は早いもの勝ちになります。
ちなみに、中学校訪問の日程はタイトです。明日は終業式&新入生説明会。木曜日は新入生学力診断テスト&制服採寸。金曜日は終日芸術祭。翌週の月曜日は報告しなきゃ、火曜日の会議に間にあいません。
えーと、ここに芸術祭なんていうものを入れたやつは誰だ?
幸いわたしはそんなに役が入ってない&訪問校のひとつは別件の出張があるのでなんとかなりますが、そうじゃない人は完全に詰んでる日程です。芸術祭、やめたらええねん。
とにかく相方が帰ってこないので、勝手に入れてしまいました。アカンかったらひとりで行くしかないですね。ここでなにをやってるか、どんなふうにやってるかってのも、また勉強なんだけどね。
で、研修権を行使して、研修場所へ。
2時間ばっか、来年度の共同おべんきょ成果のことについて話しあいます。わたしたちがやってる日常を振り返るという意味では、ほんとに当事者研究です。ただ、ネタを考えるのはいつもたいへんです。それでも、ブレーンストーミングですね。いろんなことを出しあっているうちに、なんとなくキーになる言葉が出てきました。
今年度はややこしい時に〆切だったけど、来年度は1ヶ月先になるんだとか。少し助かります。てか、誰が今年度は8月末にしたんだ(笑)?
そんなこんなで、昨日とは打って変わった穏やかな1日が終わりました。

なぜにわたしが・GID学会最終日

朝、めっちゃ眠いです。が、今日は9時からはじまるので急がなきゃなりません。とりま、8時にごはんを食べて、片づけはなぜか他の人に任せて、とりまシャワーを浴びて。そうこうするうちに、みなさんはスタート。わたしも遅れてスタート。

昨日一度走ってるので、コースはわかっています。なので、迷いはしません。が、あののぼりも覚えています。しかも寝不足と飲み過ぎです。完全に登り道はダウン。結果、4.9kmを33分33秒で、アベレージは6分45秒でした。スプリットは5分53秒→6分21秒→6分38秒→7分34秒→7分19秒でした。完全にやる気を失ってますね。

会場に着いたら、しばし外で寝てました。水分補給したいけど、リュックがどこにあるかわからないので、お金がない。まぁしゃーないか。
どこかのセッションに入る元気もないし、しばしうろうろ。とりあえず、針間さんの「特定の芸能人が性別違和感を抱く契機となった症候群」を聞きましょうか。症候群の名前は「ストプリ症候群」でした。それにしても、しんどそうな子らみたいです。その逃げ場が「トランス」であるとしたら、それくらいに性別って「根源的」なんだなと思ったり。
で、立石結夏さんによる講演「トランスジェンダーバッシングから見える法と社会」です。まずは経産省の裁判の事例から。いやぁひどいな。そして最高裁まで争わなきゃトイレも使えないって、どういうことなんだと思いますね。そしてその背後にあるのは「ルッキズム」であるという分析は、なるほどなと。で、ルッキズムのさらに背後にあるのは「女性を劣位におく」ということ。そして「トランス女性は女性の劣位性を濃縮した形で存在している」という指摘は、そりゃそうだよなと。にしても、それを突きつけられると、あらためてうーんってなりますね。そこから「特例法」の今後についての私見を述べられました。「特例法」は、あくまでも法的な性別の取り扱いを定めているだけなのに、そこに医療が介入している。言い方を変えると、医療に依存することで特例法を成立させてきた。でも、パラダイムは変わっている。なので、医療分野と法律分野を分け、さらに法律分野についても「性別の規定」と「性別による処遇」を分けるべきみたいな話で、かなりクリアな話でした。まぁでも、ここまで力強い話を聞くのは久しぶりです。ちょっと泣けました。
で、あいさつをしに行ったら、前の人がディスカッションをはじめたので、「ごめんなさい」と割って入ってお礼だけ言って、理事会へ。が、場所がわからない。大幅に遅刻して理事会の部屋の扉を開けると、完全に「間違って扉を開けた人」の扱いを受けて、そりゃそうだよなと。なにせ、上はジャージで下はジーンズですからね。それでも、議案書とおべんとをいただいて、理事会に参加。

おべんと、おいしい。
そして、総会です。名称については「GI(性別不合)学会」になったという「報告」がなされて、その後、わたしにマイクがまわってきました。なんでわたしやねんとは思うけど、まぁわたしがいいんでしょう。

今回、もっとも争点になったのは、病名を学会名にすることの是非でした。国際的な潮流を言いますと、例えば「ハリーベンジャミン国際性別違和協会」というように「性別違和」を用いていた組織が、「世界トランスジェンダー健康専門協会」というように「トランスジェンダー」を組織名に用いるようになり、さらにSOC8では「transgender and gender diverse」というように、さらに包括的な名前を用いるようになっています。
さらに「健康」という言葉にも意味があります。「健康」は、単に病気ではないという意味にとどまらない、より広範な概念、ちょうど「well being」といった意味になるかと思います。
病名を組織名に使うことはふたつの排除を招きます。
ひとつは当事者です。やはり、性別違和や性別移行は「病理」であるということになります。
もうひとつは「かかわる人」です。午前に立石さんが講演されたように、トランスジェンダーの健康のためには法律も必要です。あるいは、座長の山本さんが言われたように「医療モデルから社会モデルへ」という変化の中があります。したがって、さまざまな分野の人がかかわらなければなりません。にもかかわらず、病名を学会名にすることは、やはり医療を全面に押し出してしまうことになってしまいます。
このような意見がありました。
もうひとつ、名称の決定方法についても論議がありました。多数決という声もありましたが、わたしは拒否しました。なぜなら、多数決は常にマイノリティが負けるからです。したがって、多数決をせずに論議をし、結局「GI(性別不合)学会」という名称になりました。
ただし、今後、インクルーシブな方向に向かうという方向性については、理事の中で一致しています。したがって、今回の名称は、その途中経過であると考えていただければと思います。

こんなんでいいのかなぁ。石丸さんは「よかった」と言ってくださいました。佐々木さんは「優しいね」って言ってくださいました。
で、最後のセッションは三橋姐さんの講演「琉球弧における性別越境文化と、その普遍性」です。基本的には「双性原理」です。それを歴史的広がりと地理的広がりを加味しながら話をされました。何より「病理」ではなく「職能」として捉えられてきたことのポジティブさを主張され、そこから「脱病理」へと話をつないでいかれたのは「なるほどな」と。
最後、ごあいさつをしたいと思ったけど、まわりに人がいっぱいいるので断念。M木ちゃんの車に乗せてもらってKうさんと一緒に空港へ。ふたりで小さな宴会です。

飛行機の中ではうとうと。帰りのバスの中でもうとうと。疲れたけど楽しかった。楽しかったけど緊張した。緊張したけど、まぁよかったかなぁ。
そして今日が「GID学会」の最終日。

アムステルダムを思い出す・GID学会1日目

朝、1階からおいしそうな匂いがしてきます。どう考えてもポークを焼く匂いです。強烈ですね。しかし、眠い。けど、起きなきゃなりません。1階に降りると、すでに朝ごはんができていました。

すばらしい。
朝ごはんを食べたら、しばしのんびり。当事者交流会が11時30分からで、ということは10時半ぐらいに出れば充分です。で、頃合いもよしと言うことで、スタート。

せっかく学会で沖縄に来ているので、宿泊所から会場まで走ることにしました。距離はだいたい5kmちょいのはずです。距離的には楽勝です。問題はアップダウンです。とにかく沖縄の道がアップダウンが激しい。はじめは楽勝でしたが、3kmあたりから急坂がはじまりました。延々と登ります。「あの角を曲がれば下るはず」と思ってそこまで行ったら「あり?平坦?いや、まだ登ってる」みたいな感じでした。結果、5.7 kmを34分56秒で、アベレージは6分09秒でした。スプリットは6分02秒→5分46秒→5分46秒→6分19秒→6分24秒でした。4kmはかなりきつい登りで、そのダメージが5km目にいった感じでしょうか。まぁでもいいペースでした。
ちなみに、スマホに転送されたコースと高度は以下の通りです。

到着したら、しばし涼みます。てか、暑い。
その後、当事者交流会。地元の20歳以下の子が3人、所在なさげにしていたので、積極的に声をかけてみました。そのうちYーきが来たので任せました。それにしても、その3人、ちょっと懐かしい感じです。
で、昼ごはん。

ピクニック風です。と、車の中から手を振る人が…。M木ちゃんでした。
ということで、いよいよGID学会スタートです。
まずは看護領域のシンポジウム。H上さんとりくさんが登場。「語れない想いのBar3丁目」の実践の発表です。またやってほしいなぁ。ほんとうはそのままシンポにいなくちゃならないけど、興味があるのが「労働・福祉・社会・歴史」なので、そちらに移動。前のセッションが長引いていて、会場の前に人がいっぱいいます。何気なく隣にいる人の名札を見ると「沖縄大学・吉川麻衣子」とあります。
え?まさか?あの吉川さん
「あの、いつもあの論文使わせていただいています。ありがとうございます」
とあいさつすると、なぜか吉川さんはわたしのことをご存知でした。ちょっと楽しそうな話もしてくださったので、実現できたらうれしいなぁ。
で、セッション開始。去年一番おもしろかった演題の人が、今年も出して下さっています。まずは「トイレのオールジェンダー利用に関する研究」。うーん、よくわかりませんでした(笑)。続いて「「男女別スペース」のあり方を考える――トランス女性による外見の管理から」。さすがは石井さんの研究室の方です。ガッツリ社会学系で、これはおもしろかった。ガーフィンケルのあとを行く感じですね。もちろん鶴田さんも引用されていました。まぁわたしと隣接してる感じです。そして「トランスの人びとをめぐる社会的状況と医療従事者の判断:「社会」についての語りから」。医療従事者が「社会」という言葉をどのように用いているかということを、医療従事者へのインタビューを用いて分析したものでした。まぁ、当事者は社会に翻弄されているなという感想。で、「非シスジェンダーのアロマンティック/アセクシュアル・スペクトラムにおけるアイデンティティの形成過程」。シスジェンダー男性のARO/ACEのパーセンテージがメッチャ低い。一方、シスジェンダー女性はそれなりの人数なんですね。これ、おもしろいな。で、そういう性的指向とジェンダアイデンティティがどういう関係があるのかですね。こういうの、大切だよなぁ。ただ、座長の山本さんが、「シスジェンダー男性のARO/ACEのパーセンテージが低いのはテストステロンの影響なんじゃないか」という話をしたので、ひっくり返りました。てか、なんでこのセッションの座長が医者なんだ?もちろん演者の方は社会学的な返しをしていました。そして最後が「トランスジェンダー男性の子を持つ母親/父親における「子の理解」の比較」です。去年は父親だけだったけど、今年は母親の語りも分析して下さいました。父親は去年の話だったんだけど、母親がトランス男性に対して「女性のバリエーション」ととらえる傾向があると。それは「ジェンダー規範の縛りが緩いがゆえの傾向である」という結論です。「ジェンダー規範」というバクッとした言い方に対する指摘はありましたが、それはそれとして、とてもおもしろい。要は、これまでのように「ジェンダーセンシティブな人が受容的である」という一面的な考え方に対して、「もっと多様だよ」という指摘なわけです。うん、おもしろかった。
お次は講演です。講師は岩室さん。うまいなぁ。おもしろいなぁ。「学校現場に土足ではいるな」と言われたと。だからメッチャ勉強されています。それが説得力を生むんだなぁ。勉強しなきゃ。最後はシンポジウム「性別不合と発達障害の併存」です。とにかく、病理です。話を聞いていると、どんどん自分が「病気」であり「障害」である気持ちになってきます。だからあかんねん。と思ったけど、最後の質疑応答で、「結局、精神科医は困ってるんだなぁ」というのが感想になりました。
で、1日目は終了。懇親会です。久しぶりです。いろんな人とごあいさつ。
そして2次会。今回は宿舎で持ち寄りパーリーです。何人来るかわからない。何人収容できるかもわからない。まぁなんとかなるでしょう。
てことで、呑んでしゃべって、勝又さんと屋上でのんびりしゃべって。なんとなくアムステルダムを思い出しましたね。
そんな感じで、いつ寝たのかわからない。

出発・GID学会0日目

今日は1日労働者の権利を行使しています。なので、朝はゆっくり。したいけど、免許の更新です。幸い、今回はゴールド免許なので、京都駅前で更新できます。ただ、深視力検査があるので、少し緊張です。ちなみに、コンタクトを新しくしたのは、このためでした。
ということで、免許センターに行って、あれやこれやと書類を書きます。性別欄に⚪︎をしなくちゃならないけど、空欄で出しました。すると
「これ、こちらでは⚪︎できないので、⚪︎をしてください」
と言われたので、「女」に⚪︎しておきました。どうせ関係ないでしょうからね。
その後、30分のビデオを見ておしまい。しかし、事故の映像はマジでイヤですね。
で、新しい免許を手に入れて、いったん帰宅。昼ごはんを食べて、再びスタートです。明日と明後日、沖縄でGID学会があります。今回は友だちと一棟借りをして、ご飯は基本自炊にしました。ただし、シェフはわたしではなくここのお医者さんである藤田さんです。
とりま、関空までバスで移動して、jetstarでひとっ飛び。
途中、煙が出てる山が。

桜島ですね。さらにお次は「開聞岳」です。

そして、那覇に到着。久しぶりです。
ゆいレールまで走ったら、ちょうど発車するところでした。そいつに飛び乗って、県庁前へ。ワインとビールを買い込んで、「家」を探します。が、ない。どうやら、google mapとは違うところにあるようです。絶対にわからない細道を入ったところに「家」がありました。
「こんばんわー」
と声をかけながら入ると、すでに晩ごはんづくりの最終盤でした。せっかくなので、わたしも少し参加。そして晩ごはん。

おいしい!ワンプレートなのが、なんとなく、沖縄の「Cランチ」っぽいです。お腹が減っていたので、あっという間に食べてしまい、あとはアテをつまみながら、ワインを飲んだり泡盛を飲んだり。そんな感じで話していたら、あっという間に2時になりました。あかんあかん。寝なくちゃ。明日からが本番です。

久しぶりに見たなぁ

今日は生徒は「自宅学習日」です。でも、いつもの通り出勤です。わたしのセクションの職員室は一番乗りです。まぁ別に朝の立番があるわけでもないし、勤務時間に間に合えばいい日ですからね。
職員朝礼の時に、M田さんに昨日書いてもらった生徒のコメントを読んでもらいました。3学期、M田さんが来てくれたおかげで空気が締まりましたからね。そのお礼です。あとは人権の総括会議の日程調整とか。と、ある教員が
「話を聞いてもらえますか」
と。瞬間ビビります。なんでビビるのかなぁ。で、話を聞くと…。
「来年度、授業の一環でBafa-bafaをしたいんです」
とのこと。めっちゃええやん。
「こんなの、人権と関係ありますかねぇ」
とか言われるので
「めっちゃ関係ありますよ!」
と。うちの学校、こんな感じで「やりたいこと」をされる雰囲気になってきたのかな。大歓迎ですね。
頃合いもよしということで、職場をスタート。向かうは先月もおじゃました中学校です。先月は教職員のみなさん対象のお座敷でしたが、今日は2年生対象のお座敷です。行きの車で「元気な子がいる」と聞いたけど、どうかな。
入ってきた子どもたちをみると、いますね。「元気な子」が。お座敷がはじまったら、速攻ツッコミを入れてきたり。ただ、しばらく元気にしていたけど、だんだん飽きてきたみたいです。でも、けっこうガッツリ聞いてくれている子もいたりして、まぁ120人もいたら、いろんな子がいて当然だよなぁと。確かに45分×2コマは長いんでしょうね。
でも、最後の拍手はしっかりしてくれたから、きっと伝わったんじゃないかな。
お座敷が終わったあと「元気な子ら」が会場に残っていたので、しばし話。なんでも「おイタ」をしたそうな。しっかり怒られてくれたまえ。
ということで、中学校を後にしながら、送りの教員の方といろいろ話。「元気な子ら」のしっかりと面倒を見たいそうで、このあたり中学校教員ですね。
ということで、電車に乗って京都へ。と、京都駅近辺で、新羅のオモニとバッタリ。久しぶりなのでハグをしたり。
その後、「集団」を探しましたが、いましたいました。多文化共生ネットワークサロンの駐車場で、フィールドワークの締めをしておられました。メンバーは、ウトロのボランティアのみなさんです。
「なんでここに?」
「いや、お酒と肉の匂いがしたもので」
ということで、そのまま合流して水月亭へ。

久しぶりやなぁ。しかし、豚足を焼いたら、きっとリンダさんに怒られるな。
水月亭は2時間縛りがあるので、6時半に終了。このまま帰れるはずもなく、Sファンさんたちと一緒に2次会へ。さらに「カラオケ」とか言いはじめて、うどん屋さんへ。
そんなこんなで、帰ったのは11時過ぎでした。明日、やばいぞ。

最終日

今日は担当しているふたクラスの試験返しの日です。ということは、とりもなおさず今年度の最終授業ということです。
まずはひとクラス目。いつものように度数分布の発表です。まぁみんなホッとしたかな。でも、年間トータルだし、なにより素点の合計と実際に評価に用いる数字は違います。なので、単純に「○点だから赤点じゃない」とは言えません。なんでこんなややこしくなったかというと、観点別評価になったからです。
てことで
「文科省が悪い」
とだけ言っておきました(笑)。
試験返しのあとは1年間の振り返り。みんなに振り返りを書いてもらったあと、わたしからのコメントです。
もうひとクラスは悲喜こもごも(笑)。まぁいいでしょう。結果はあとからついてくる。そしてこちらと振り返りとわたしからのコメントです。
今年もコメントは
「まずはありがとう。たのしかったです」
からスタートです。ただ、ほんとうにみんなに任せてよかったのかどうか、迷ったこともつけくわえなきゃね。それでもわたしにとって、数学の授業は団体戦であることは伝えましょう。そしてそれは、ほんとうは他教科もそうなんですよね。そうやってともに単位を勝ち取る集団のことを「クラス」と言うんだと思います。そしてそれは、もしかしたら自己開示へとつながるかもしれません。なかなかそうはならないけどね。
まぁそんなこんなで、今年度の授業は終了。子どもたちのコメントを見ると、個人のことを書いてる子もいるけど、やはり「クラス」や「友だち」について書いてる子もいます。よしよし。授業担当者の仕事は、そのコーディネートなんです。
点数が確定したところで、最終の成績処理です。とは言え、10点単位の変更があっても、ほとんど成績は変わりません。まぁ年間の成績とはそういうものです。
で、教科会議。ここで論議が起こったら、それはよほどのことです。まぁ少し混乱を持ち込んだけど、担当者の意思は尊重します。てことで、成績の提出をしたら、今年度の教科担当の仕事はおしまいです。
と、ブログを見ると、「92年度卒業生さん」とは別の92年度卒業生のWさんからコメントが!いきなり脳裏の中で顔がどアップになります。懐かしいなぁ。そうかぁ。いろいろあるみたいだけど、元気でやってくれてるんだ。そして、ここをたまにのぞいてくれてるんだ。うれしいなぁ。
かつては「振り返らない」ことが大切だと思ってました。だから、みんながわたしに連絡しないのは、それぞれがそれぞれの場所で充実してるからだと思ってきました。ただ、おそらくその時期ではなくなってきたのかな。自分の転機みたいなところを振り返ったとき、もちろんそれはたくさんあるだろうけど、もしかしたら「あのクラス」がその転機のうちのひとつであったなら、それを振り返ることは悪いことではない気もします。少なくとも、わたしにとって、あのクラスは教員としての原点です。
なんか、ほんとうにいろんな思いが押し寄せてきました。なので、コメント返し。
そして、久しぶりに走ろうかな(笑)。

今日はキャンパス内をいろいろ走りましょう。はじめは7kmにしようと思っていたけど、なんとなく目標を8kmに伸ばしてみました。8km走ると、案外キリが悪かったので、ついでということで9kmばっか走りました。
最終的に9.1kmを57分02秒でした。アベレージは6分16秒です。スプリットは6分29秒→6分29秒→6分12秒→6分12秒→6分20秒→6分13秒→6分09秒→6分25秒→5分58秒でした。最後の1kmがベストだったのはいいけど、その前の1kmがめげてるのがわかって、興味深いですね。

走り終えて職員室にもどって、少し雑談。でも、定時が来たから帰りますか。きっと今日のビールはおいしいはずです。

すでにインクルーシブな状態なのに…→新エントリ

今日の午前は第2のふるさとで会議です。ただ、雨です。めんどくさい。なにせ、会議の場所は山の上です。なんでこんなところに役場をつくるんだろ。
とりま、最寄り駅に着いたら、いつもの郵便局へ。
「まだ飲み会の投稿、してへんねん」
へい。よろしくお願いします。
で、会議です。
途中から脱線していくのはいつものことです。今日は気がつくと「インクルーシブ教育」の話になっていました。
主義主張がインクルーシブ教育であっても、実際に子どもに障害があると、分離教育の「よさ」がわかってくるとのことです。ただそれは、きっと分離教育が前提となっている今の教育制度だからなんじゃないかな。そういう意味では、インクルーシブ教育は教育のあり方のつくりかえです。そしてそれは、経済界がやりたいこととは真反対の方向です。だから、なかなかできない。そうそう。予算もあるか。なにせ教育に投資しないこの国ですからね。
ただ、話をしているうちに、今の高校ってすでにインクルーシブな状況になってるんじゃないかと。特に定員割れする学校は、基本全入なので、当然そうなります。が、それを前提としない学校体制が、特に京都の場合はありますね。そりゃ、生徒もだけど、教員も、お互いにキツイわ。
しかし、たぶんみなさん、わたしがこんな本書いてるってことは知らないだろうなぁ(笑)。てか、この場でそんな話をするのはマウントとることになるし、他の人の発言を封殺することになるから、言いません。
そんなこんなで2時間ほどの会議は終了。今日持ってきた資料については来年度まわしとのことです(笑)。
で、職場に帰って、まずは昨日セッティングしたスタジオの崩しです。おべんとはその後ですね。
午後のタスクは成績処理です。まぁ少しミスはあったけど、リカバリーは簡単です。しかし、毎年薄氷を踏む思いです。このヒヤヒヤ、なんとかしたいよなぁ。
会議から帰ってきたら、着信履歴がありました。ブツが届いたのね。
てことで、帰りにコンタクト屋さんに寄って、再オーダーしたコンタクトを受けとりました。こないだ新しくしたコンタクト、左右のバランスが悪くて、右目ばかり使うことになって、逆にしんどかったんですよね。なので、左右をあわせると同時に、度もあげました。とにかく遠くがクリアにならないと気持ち悪いんです。そのために手元は捨てることにしました。
てことで、さらに百均に寄って「reading glasses」(笑)を購入。日本語の名前が悪いよな。まぁただ、この日本語の名前が悪いというのもエイジズムかもね。
さてと。帰りましょう。今日は久しぶりに筋トレだ。
筋トレが終わったらビール→日本酒です。
あ、そうそう。新しいエントリをつくろうかな。「日本酒」エントリです。飲み終えたのがこれ。

「壽」かな。おいしかったです。そして今日、封を開けたのがこれ。

「天寶一」です。開封一番はシュワシュワしました。おいしい。
そういや、少し前にK口さんからご恵投いただいたのがこれ。

「東洋美人」です。これは、マジでうまい。K口さん、ありがと!

もう春だなぁ

朝、絶不調です。なので、1時間労働者の権利を行使してしまいました。久しぶりやなぁ。
9時半に出勤したら、支店長と教務部長と放送部の部長が探してるとのこと。まぁええやろ。とりま、朝ごはんかな。
と、教務部長から電話です。なんでも、明日のためのスタジオづくりをしてほしいとのことです。てことで、配信準備開始です。とは言え、いつもの通り、カメラ2台とPCをスイッチャーに接続するだけですけどね。
しかし、脳みそがボーとしてます。そして眠い。なので、時間がかかります。まいったな。それでもなんとか終了して、使い方を説明して、職員室へ。おべんと食べて、ひと息ついたら出張です。
職場を出るとき、ひょいと「3本旗」を見ると、半旗になってます。そうか、3.11か。
出張先は広大な田んぼに囲まれた高校です。ここに行くためには、いつもの駅ではなく、少し離れた駅まで行かなきゃなりません。なので、テクテク歩きましょう。出張先の最寄りの駅で降りて、田んぼと川にはさまれた道を歩きながら、つい道端に注意力がいきます。
と、あったo(^^)o
つくしがありました。会議の時間まで少しあるのでつくし摘み。こんなことするの、久しぶりですねぇ。出張先に到着したところで、みんなに「ほれ」と見せびらかしてしまいました。いや、みんな車で移動するから、こういうことができないんですよね。電車移動するものの特権です。
会議は就職関係の話です。それにしても、労働局は性的指向や性自認による就職差別をするなってことを、かなり徹底して指導しておられるんですね。「ここまで来たんやなぁ」と感慨深かったりします。
会議が終わって、帰り道でもう少しつくしを摘んで、京都駅へ。今日はK藤くんと少し話をしようかと。と言っても、そんなにたいした話をするわけでもなく、2時間ほどヘラヘラと話をしてバイバイ。
さてと。帰りますか。今日はつくしの掃除をしなきゃなりません。
てことで、はかまをとって、洗ってあげて、つくだ煮です。

おいしそう。明日の楽しみですね。そのためにも今日は早く寝なきゃ。明日に影響します。

やっと一員になれた

朝、9時過ぎの電車に乗って第2のふるさとへ。今日は「解放文化祭」があって、それにウトロ農楽隊が呼ばれています。ちなみに
「何を着る?」
と言われてたので、せっかくだから
「第一候補はチョゴリで」
と答えておきました。まぁ第2のふるさとですからね。
隣保館に到着したら、知り合いがいっぱいです。うれしいなぁ。あちこちにあいさつして、ウトロの人たちと合流しました。で、さっそくお着替えです。チョゴリで登場したら、みなさん[1]含む、全国の委員長(笑)。、びっくりしておられました。そりゃそうだ。
しばし待機をして、農楽隊の出番です。まずはソルチャンゴから。そしてわたしのトークです。

みなさん、ご無沙汰しています。ウトロ農楽隊です。
前回解放文化祭で農楽をさせていただいたのは、かれこれ30年近く前のことです。当時、チャキチャキだったみなさんも…。今もチャキチャキですね。今、ソルチャンゴという曲を演奏をされましたが、最高齢の方は84歳です。見えないと思いますけど。
今、ウトロの皆さんは、ようやく安心して住める場所を手に入れました。いつ追い出されるのかと心配する必要はなくなりました。雨が降ったら水に浸かる生活もなくなりました。でも、その生活を手に入れるためには長い闘いがありました。
日本が戦争に負け、アメリカ軍に占領された時は、アメリカ軍から出て行けと言われました。それでもウトロに住み続け、ようやく安定した生活を手に入れると、今度は地上げにあいました。そんな中でも、みなさんはウトロに住み続けました。前回、ここで農楽を演奏させていただいたのは、ちょうどその頃です。その後、いろいろな人々の協力のもと、ようやく自分たちで土地を買い、これで一段落と思ったら、放火に会いました。そんな中で、それでもようやく手に入れられた生活です。
ウトロ農楽隊のみなさんは、そんな闘いの先頭に立って太鼓を叩き続けて来られました。ただ、忙しい日常の中で、だんだんと農楽隊の活動が減っていって、いつの間にか活動しなくなりました。そんなウトロ農楽隊ですが、2年前、ウトロ平和祈念館のオープニングイベントで再び活動を始めました。その時「これからは楽しむために叩く」と笑顔で語られた顔が忘れられません。
でも、やはり今も農楽隊のみなさんは闘っておられます。ウトロの街並みは変わりました。人もどんどん変わっています。そんな中で残るのは「文化」です。みなさんはその文化を守る闘いを、今も続けておられます。
では、どうぞ、農楽隊の演奏をお聞きください。

ちなみに、こんな格好でした。

その後、農楽です。しかし、チョゴリの裾を踏んでしまって、あぶないのなんのって。まぁそれでもなんとか無事叩き終えました。
服を着替えたところで、午後の悠以さんさんのリハも終わったみたいなのでごあいさつ。
「あの、いつきといいます」
と言いかけたら
「えっ!」
とびっくりされてしまいました。わたしのこと、知ってるのかいな^^;。なので、
2015年はお世話になりました」とお礼を言うなど。ブログには書いてないけど、交流会で歌っていただいたのでした。
おべんとを食べたら、悠以さんのトーク&ライブです。
まずはトークですね。プレゼンテーションソフトを使わずにトークをするの、今となってはけっこうむずかしいけど、それをされるのがすごいですね。基本はご自分のライフストーリーです。しかし、若いなぁ。てか、インタビューした人たちと同じくらいかな。
そしてライブ。ひとりデュエットはトランス定番のネタです。が、声がきれい。そして、声量が豊かです。聞き惚れてしまいました。
せっかくなのでCDを買ってサインしてもらいました。ちなみに
「トランスで教員やってる人がいることに励まされました」
って言ってもらえたので、恐縮するやらうれしく思うやら。最後に握手して、第2のふるさとをあとにしました。
で、ウトロに帰って、ホッとひと息。とりま、夕方から飲むビールとワインを調達して、いつもの支部へ。夕方から焼肉です。なんでも屋内でカンテキ使ってやるんだとか。マジっすか。
とりま、近くの撤去された家のあたりからブロックを拾ってきて、コンパネを敷いて、その上にカンテキを載せて、準備完了。まだみんな揃ってないけど
「試し焼き!」
とか言って、焼き肉開始です。

やがてみんな集まってきて、本格的な焼肉です。

ちなみに、支部は放火があったところの向かい側です。
「また放火かって消防車来るで」
とか不謹慎なことを言いながら爆笑するのもウトロです。
そんな中、こんなことを言われました。
「いつも思ってるんやけど、MCするとき、なんで「ウトロのみなさん」とか「農楽隊のみなさん」って言うんや?いつき、農楽隊のメンバーやろ」
「そやそや!」
「「わたしたち」って言えばええねん」
「そやそや!」
ずっと、日本人でウトロに住んでないわたしは、たしかに農楽隊のメンバーではあるけど、でも、メンバーと言ったらダメだと思ってきたんですよね。だから、MCの時は、そういう言い方をしてきたんです。でも、ウトロの人たちはそうは思っていなかった。だから、たぶん今日もわたしに似合うチョゴリを、みんなで選んでくれた。
ウトロに来るようになって、そして一緒に太鼓を叩くようになって、かれこれ30年です。そう言えば、第2のふるさとからウトロに「帰ってきた」という感覚がありました。やっと農楽隊のメンバーと言えるようになったのかな。ほんとのほんとにうれしいな。
あまりにうれしかったので、T橋さんと京都駅までもどる途中、S煥さんに、ひとことライン。
「で?」
速攻
「行きましょう!」
との返事。てことで、Tじさんにライン
「りょあん集合!」
いろいろおかしな4人が集まって、〆の飲みです。明日、どうなるんだ?

footnotes

footnotes
1 含む、全国の委員長(笑)。

今年もきた

朝起きて、だからといって、とくになにもないです。とりま、猫の額です。

寒いので、すぐに部屋の中へ。
あとはずっとおべんきょです。
なんで今さら教社のを修正しなきゃならんのだろうとは思います。が、修正というか、加筆しなきゃならないんですね。単独ならあのままでよかったんだけど、流れのひとつに位置づけるなら不足してるってことです。でも、そのことは、「とったどー!」と思ったときはわからなかった。何回も書いてるけど、あれから3年たってようやくわかってきたということです。3年前に「達成感が1ミリもなかった」のは、改めて当然だなと。
そんなこんなでおべんきょしてたら暗くなってきました。さてと、ビールだな。
そうそう。この間「林住期」というのを知ったんですが、ほんとにそのとおりかもです。なにせ、前のおべんきょ場所に入ったのが50歳のときです。そこから12年、ほんとうに好きなことをやってきました。そんなことを感じる62回めの誕生日でした。