こんな日が来るとはなぁ…

わたしはかつて大学卒業してすぐの頃『現代思想』の定期購買者でした。まぁ、一定の収入が確保できたのでかねてからのあこがれみたいなもので、結局読みもしないのにって感じで買っていたんですね。だから「定期購読」ではなく「定期購買」。でも、いつの間にか「買ってもしゃーないな」って思って、定期購買やめました。
ただ、本棚を探すと「特集 レズビアン/ゲイスタディーズ」とか『ユリイカ』の「特集 ポリセクシュアル」なんかが出てくるので、今となっては便利なんですけどね。

でも、ここしばらく、連続して『現代思想』を買ってる自分に驚いたりして。
で、昨日「inputしよう」と思って読んだのが当然のことながら「特集 LGBT」なわけです。

ちなみにこの間、ゲンコに埋もれててinputしてなかったというのと、考えていたのがトランス限定で、「にじいろがどーの」とか「ダイバシティがこーの」とか、ほとんど考えていなかったので、完全に世間の動きから遅れていました(;_;)。てか、そのあたりのキラキラ感についていけないんですよね。
ま、そんなわたしが読みはじめたのですが…。いやぁ、はまりました。ここしばらくわたしが感じていた、何とも言えない「違う感」をみなさんの論考を読むなかで「あー、そーゆーことかぁ」と解きほぐしてもらった気がしました。
ちなみに、わたしは自分のことを「アクティビスト」とは定義してないです。自己規定は「学校教育労働者」です。つまり「学校」という、あまたあるうちのひとつである「教育機関」で「労働」をしている「者」。単にそれだけです。交流会はそこから派生したものであって、初めにそれがあるわけではない。逆に言うなら、交流会はわたしの日常と地続きにある。それはわたしにとっての「活動」ではなく「学校教育労働」の延長にあるという、単にそれだけのことです。で、玖伊屋や「まんまるの会」もその延長である。
まぁ、そういうわたしからすると、「アクティビスト」のみなさんはキラキラして見えるんですよね。だって、「脱日常的」に見えるからです。現実は知りませんけどね。
で、そーゆーのと、LGBTってのを結びつけると。
ちなみに、「生産」「消費」って感覚でそれを捉えなおすと、まぁ「日常」は「生産」に近く、「脱日常」は「消費」に近いのかな。となると、わたしにとって、「アクティビスト」って「消費者」的に見えるのかな。
「ディズニーリゾートのレズビアン結婚式」に「いいなぁ」とか「きれいだなぁ」とか思いながらも、どこか「うーん」と思っていたのは、たぶんそこだったのかなと。端的に言うなら「で、お値段はおいくら?」ってことです。あの「キラキラ感」は消費することが可能な人の持つ感じだった。で、まさにそういう「消費者としてのLGBT」と「企業」の結合がある。
あ、ちなみに…。
かつてよく言っていたのが、「仮に男性の稼ぎを100,女性の稼ぎを50とすると、ゲイカップルは200で、レズビアンカップルは100」って話です。これ、レズビアンとゲイはひとくくりにできないって文脈で使ってました。でも、さらに言うなら「共働き夫婦で子ども二人の場合世帯収入は150で、ひとりあたり37くらいで、一馬力夫婦で子ども二人の場合世帯収入は100で、ひとりあたり25」ってことにかります。
まぁ、昨今こんな悠長な話ではないのでアレですが…。でも、「可処分時間」まで考慮すると、LGはうちみたいな最後のパターン(最近はパートナーも働いてるので、少しマシ)の家族に比べて消費傾向は強いんじゃないかと。
そういう「すべてではない/代表をしていないLG(T)」(Bの姿が可視化されないのも問題)と企業の親和性はやはり高いんだろうな。そして、その「消費性」を担保したうえでの「アクティブ」だとしたら…。

そんなことをグルグル考えさせてくれる、とてもいい特集でした。ま、中身はいろいろありますが…。

ま、わたしはあくまでも「トランスジェンダー」に特化して、しかも「消費を極力抑える」=「自炊」≒「日常」でやっているので、まぁ、多々自戒の念は込めながら*1ではありますが、違うなと。

*1:やはり搾取してますからねぇ…。だからこそ、再分配はしなきゃと思うってのはRちゃんに指摘され教えてもらったことではあります