アフターイベント

まずは、Divaさん登場。さっきのリハでは「まだ声が寝てる」って言っておられましたけど、なるほど納得。すごいパワーです。シリコンブギが炸裂してます。さすがプロです。
続いて、鈴木重子さんバディタイムのセッションです。やっぱ、生はいい。でもそれだけじゃないですね。なんだろ。歌詞がいいんですよ。心の中の少し疲れた部分が、道端の石ころに座って休憩する感じ?
で、楽しみにしていた重子さんの「アメイジング・グレイス」。ア・カペラはいい!
てなことしてると出番です。さて、どうしたものか^^;;。やっぱり、なーんも考えてません。ま、しゃーないので、いつもの通りの出たとこしょーぶです。
それでも、野口さんやDivaさん、重子さんが話を振ってくださったおかげで、なんとか話をすることができました。
てことで、30分ばっかのトーク終了。
あとはロビーでお友だちたちや、聞いてくださった方がたとしばし話。
さて、東九条に向かわなきゃ!

BENT

で、芝居の開始。
わたし、けっして芝居が嫌いなわけではありません。いや、どちらかというと好きな方じゃないかとすら思っています。かつて労演に入っていたこともあったし、近鉄劇場に行ったこともあるし、アートスペース無門館。に行ったこともあるし。でも、最近なかなか見に行かないのは、もちろん時間の問題と、もうひとつは体力の問題かなと思います。ドラマにしても、映画にしても、芝居にしても、それなりの時間、ある世界に入り込むってすごく体力がいるように思います。
でも、今回はそういうわけにはいきません。気合を入れて座席に座って…。

はじまりました。
やはり芝居はいいですね。特に素舞台はいいです。蓮池さん、普段の顔と全然違います。当たり前なんだけど、それが役者ってもんなんでしょうね。
うーん。
わたしはゲイの人たちのライフスタイルは、実はよくわかりません。ま、当たり前なんですけどね。でも、話には聞くところはあるわけで、なんとなく「フムフム」という感じで見続けていました。
しかし、そういう感じが、ナチスが入ってくるあたりでガラリと変わっていきます。
やがて第一幕が終了。言葉が出ません。出そうと思っても出ないんです。とりあえず
「泣いちゃいました」
のひとことでごまかしながら、お腹が減ったので、楽屋に行ってドーナツなんぞぱくついて、第二幕。
もう、のっけからキツイ話なんですけど、けっして「暗い」わけではありません。でも、重さはズシンズシンとボディブローのように効いてくるわけで。
で、エンディング。てか、それがエンディング?ダメですよ。なんなんですか、この涙は。まったくとまりません。困ったものです^^;;。
てことで、BENT終了。

で、とうとう来たこの日・はじまり

この一年半、ずっとわたしを迷わせていた日がやってきました。
思い起こせば一年半くらい前に一本のメールが来たのが発端です。
「京都でBENTっていう芝居をしたい。協力してほしい」
はぁ?
「な、なにを協力すれば…。観客動員ですか?」
「まぁそうです」
「あー、それは無理です。わたしがからむと、かえって人が減りますよ(笑)」
「いいです」
「いや、それ、本末転倒でしょう^^;;」
というやりとりからはじまりました。
で、半年くらい前に、またまたメール。
「アフターイベントに出てください」
はぁ?
「他に、シンガーの方とかも出られます」
いや、歌を歌える人はそれでいいじゃないですか。
「あの、芸、ないですよ。漫談でもしろと?」
「はい」
って、それならそういうプロがいるでしょーに、よりによってわたしかよ_| ̄|○
で、2ヶ月くらい前に玖伊屋に来られて
「ここで打ち上げさせてください」
あ、これならわかります。了解了解(笑)。
ってことで、今日を迎えたと。

集合時間は午前10時。「服なんかの一部にピンクをつけてこい」という支持があったのでピンクの服を着ようと思ったら、シミがついてます。ダメじゃん(T_T)。てことで、代わりの服を探していたら大幅に時間をとってしまって、出町柳から走るハメになってしまいました。やれやれ…。

会場に着くと、みなさん温かい笑顔で迎えてくださいました。が、わたしとしては、いまだ何をすればいいかがわかりません。わかっているのは、マダンセンターに集合して準備をはじめてくれている「愉快な仲間たち」の進捗状況をチェックすることぐらいです。

にしても、出演者っていいです。
リハをすべて見ることができます。鈴木重子さん&バディタイムのセッション、スゲー!Divaさんのオーラ、ハンパねー!そんなこんなで、リハをたっぷり楽しませてもらって、いよいよ打ち合わせです。
楽屋に行ってみんなで話はじめたのですが…。濃いぃよ。みなさん、濃いぃよ。言葉がスルスルと出てきます。わたしは…。いつもの通り
「うーん、なんだろ…。えーと、こんな感じで…。」
みたいな。で、オチがない(T_T)。
完全に「プロの中に放り込まれた一般ピーポー」です(笑)。ま、いいや。本番になったら、どこかからコロボックルさんが来てくれるでしょう。

打ち合わせ

明日明後日と、ちょいと大きなイベントがあります。これ、こなせたら大きな自信になりますが、逆に失敗は許されません。プレッシャーです。
にもかかわらず、準備はほとんどなにもしてません(笑)。ま、いつもの「出たとこしょーぶ」ってヤツです。

でも、さすがに前日になって、なんぼなんでもな状態になってきたので、地元で会えるK淵さんと打ち合わせです。
家の近くの居酒屋で合流して、メニューの一覧やレシピを渡して、買い物リストや動きを入念に確認。
なんてのは、まぁ一時間も要りません。にもかかわらず、なぜに打ち合わせ終了が12時過ぎ?
うーん…。
あした、大丈夫かなぁ^^;;。

誰が困るのか

まぁ、いつでも↑のようにいくわけじゃなくて、やはり子どもが寝てしまったり、おしゃべりしたり、遠い世界に行ってしまうこともあるわけです。
で、やっぱりおしゃべりは困るわけです。なので怒る。すると、子どもたちの中には逆に、授業への不服従という形で、より行動がエスカレートしていく場合があります。そうするとやっかいです。教員は困ってしまう。まぁそういう時に教員は子どもたちを何とかしようと思うのですが…。
そんなことを同僚と話をしていたのですが、わたし、なんとなく
「でも、教員ってほんとは困ってないんじゃないんですかねぇ」
って問いかけてみました。するとその教員、
「うん、ほんとに困ってるのは生徒だよね」
って返してきました。
そうなんですよね…。困ってるのは生徒なんです。
てことがわかるには、それなりの場数が必要かなぁ…。

うれしいなぁo(^^)o

二次方程式にからまる内容でなにがおもしろいかって、個人的には「解と係数の関係」っていうところです。まぁ、人によっては
「結局何が言いたいねん!」
ってところなんですが、わたしは二次方程式をいろんな角度からついてる気がして楽しいんです。
さらに、対称式のあたりは、まぁ知ってるか知らないかみたいなところも若干ないわけではないのですが、なんしか美しい。やはりこれです(^^)
ところで、今回の試験範囲に「解と係数の関係」を入れるかどうかで少し論議があったのですが、ここをやらないでどうすんねんというところがあるので
「入れましょう」
と、断固として主張しちゃいました。が、全部は無理なので、結局、単純に
「和と積がわかんねん」
ってあたりで終えたのですが、せっかくなので
「足してもかけても1になる2つの数字、求められる?」
って聞いてみました。
まぁ、結論的には「ax^2-x+1=0」を解けばいいだけのことです。で、
「こうなるね」
って言いながら「(1+sqrt(3)i)/2と(1-sqrt(3)i)/2」って書いたわけで。でも、とてもシンプルな問題が、意外と複雑な結論になるという意味では、なんとなく「深いぃ」ものを感じるので
「おもしろいね」
って言ってみたわけです。
ところが一番前でいつも一生懸命勉強してる子が
「すごいなぁ。不思議だなぁ。だから数学、好きなんだ」
って、ずっとつぶやいていました。
「なっ(^^)」「なっ(^^)」
って、二人で顔を見合わせてニッコリ。
なーんとなく幸せな気持ちになりました。

守る・破る・崩す

通勤途中、マナーとかルールとかについていろいろ考えていたんですが…。

例えば、ここにルールがある。
これを守るのは、それなりに意思の力が必要なんだと思うのです。もちろん「体制に従うのだから意志は必要ない」という考えもあるでしょうが、ルールを守り続けようとすると、そのことに敏感でなくちゃならないし、習慣化する意志が必要な気がします。
で、これに従わない、守らない、破るってのは、もっと意思の力が必要な気がします。まぁ、「出る杭は打たれない」で、一定のところを越すと楽になるという話もないわけではないですが、あくまでも抗い続けるのは、やはりとてもしんどい。
でも、ルールを守らないって、それだけなのかなと、ふと思ったのです。すると
「あ!めんどくさいってのがある…」
と思いました。

この「めんどくさい」ってなんだろう…。これ、「なし崩し」ってことですか。
「なし崩し」には、意思の力は必要ない。楽なんですね。
「ま、これくらい、いいか」
みたいな。そして、意思の力を使わずに、どんどんルールを崩していく。
ところが、そうやって崩されたルールやマナーを「立て直す」のはとてもたいへんです。なぜなら、「守る」ためにはパワーが必要だからです。では逆に、ルールやマナーを「変えていく」のは?これもまたたいへんです。なぜなら、現行のルールやマナーを「破る」のもパワーが必要となるからです。

別に何がどうという話ではないです^^;;。
でも、例えば、生徒に
「なぜ校則を守らないのか?」
と聞いた時、わたしたちは
「なぜ破るのか?」
と聞いているわけです。つまり、意志の力を聞いている。ところが、生徒は「なし崩し」にしている。意思の力はない。
このすれ違いを意識化することって、あんがい突破口にならないかなと、ふと思っただけです。

ちなみに、同僚にこのことを話したら
「そもそも、いつきさんはルールやマナーを知らないでしょ」
って笑われましたけどね^^;;。

頭の中の音

今日は午後から出張。で、おべんきょもなく。時間があるな…。なんとなくスタンドでビールをいっぱいひっかけたい欲望にかられながらも、横目で見ながら家に帰りました。
で、ふと思いたって、レコードラックの前へ。うーん…。これとこれと…。

実はこの間から頭の中にはモーツァルトのレクイエム、ラクリモーザが鳴り響いています。あ、ブルックナーの七番も聴きたい。もちろん指揮は朝比奈です(^^)。あぁ、ポリーニペトルーシュカも聴きたい。ブーレーズ春の祭典〜。グールドのモーツァルト
もうダメです。
てことで、ステレオとパソコンの接続を確認。で、録音開始です。

データのやりとりと違って、等速ダビングの所要時間は演奏時間そのままかかります。でもいいんです。食後のウィスキーを呑みながら、新聞を読んだり、時として友だちとメールしたり、ついったのTLを追いかけたり。でも、その後ろにはお気に入りの音楽がある。
こんな時間、いつ以来だろう…。

完成までにはちょっと時間はかかるけど、通勤途中が豊かな時間になればいいな。

もうね!

なんか、某市の市長が

銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要なのは誰だってわかる。

って言ったそうな。
「誰だって」?
わたしはわかんないです。
そういう「誰だって」とか「みんな」って、生徒が言い訳をする時に使う言葉ですよ。

意に反して慰安婦になったのは戦争の悲劇の結果。戦争の責任は日本国にもある。慰安婦の方には優しい言葉をしっかりかけなければいけないし、優しい気持ちで接しなければいけない。

どんだけ上から目線やねん!
心は身体による実践によって鍛えられていく、逆に身体の実践抜きの「自律した心」は疑うべきものである。そう益軒は言っている(気がする^^;;)わけですよ。つまり、「優しい気持ち」ではなく、実践で示さんかい!って、する気もするはずもないんでしょうけどね!

身体と心の関係

今日のおべんきょタイムはコメンテーターとやらをしなくちゃなりません。発表者じゃないのでレジュメを切る必要はないのですが、ペーパーを読み込んで斜め30度くらいから切れ込まなくちゃなりません。まぁ、そういうの得意っちゃぁ得意なんですけどね。

ここにソロバンがあるじゃろ?

( ^ω^) ⊃ソロバン⊂

これを電卓と合わせて…

( ^ω^) ≡⊃⊂≡

( ^ω^) ⊃ソロカル⊂

出来上がりじゃ

1979年にな…
pic.twitter.com/XgHGC57QkH

みたいなことやるのが得意技ですから^^;;。
で、幾多の苦難を乗り越えて、なんとかペーパーを読み切って…。ネタもいくつか仕込んで…。でも、まとまってません。なんか、「曖昧模糊」という言葉がぴったりな感じです。

そのままおべんきょタイムに突入です。
発表者の方、メッチャ頭いいです。ペーパーの内容をスカスカと説明していかれます。メッチャわかりやすい!
内容は、「貝原益軒に見る身体と心の問題」みたいな内容です。
まぁ、センセのもともとの問題意識は、例えば「なぜ学校教育の中に掃除があるのか」とか、「知識と行動が結びつくとはどういうことか」とか、そのあたりみたいで、それを遡ると近世まで行くってことで、益軒についての文章を読んでいるわけです。

読みながら「おもしろいなぁ」と思いました。
朱子学って、幕藩体制の維持のために江戸幕府がすすめたとされているみたいです。で、益軒は朱子学に基づいているとされているわけですが、「理気二元論」を否定して「理気一体論」を唱えていると。で、その根底には「自律された心」への不信感があると。なので、「心」のコントロールに「身体」を使うと。
なんか、このあたりを読んでると、「益軒って、朱子学の体をとりながら、やってることは真逆じゃん」と感じるわけです。
さらに、おそらくは朱子学をすすめる江戸幕府は「心」が「身体」をコントロールするということを、秩序の維持のために利用している。で「理」の優位性を言うことによって、それを絶対的なものとしようとしている。まぁ、「理気二元論」ですから。
で、益軒が言ってることって、そういう「絶対的なもの」への反逆とも言えるのかもしれないなと。ってことは…。「教育を民衆の手にとりもどせ!」ってことか?

まぁ、元禄の頃なんで、たぶん身分制度とか緩みはじめていて、幕府的には倹約令とか出している頃だと思うのです。そういう「上からのおしつけ」に対して「民衆の側から」みたいなものがあったのかなとか。

他にもいろんなことを考えましたね。
箸の上げ下ろしにもうるさい文章を書いているんですが「それって三角食べじゃん(笑)」とか、武士道との関係がどうなっているのかとか。そうそう、「理気一体論」って、「三位一体」みたいだなとか。

妄想はどこまでも広がるわけです。てな、楽しい一時間半を過ごさせてもらいました。
にしても、心精神喜んでるけど、頭の身体は疲れましたo(^^)o