タイプ

なんでも若い衆が悩んでいる、というか、悩まされているみたいです。なーんから話を聞けば聞くほど、「ボタンのかけ違い」っぽいんですよね。で、せっかくなんで、「決戦の場」におじゃますることにしました。
なるほど、後ろ向いてしゃべってます。しゃべってる子、わたしがうしろの扉からのぞいているのを見て「こっちこっち」とか、手招きしています。いらんことを^^;;。
まぁ、ヒマなんで、中に入ってみました。
若い衆、一生懸命前でしゃべっておられます。後ろ向いてたヤツに、
「前、見てみ。ほれ、問題解けよ」
とヒソヒソ話。すると、あんがい素直に問題をときはじめます。で、お定まりの
「わからん…」
です。いくつかヒントを渡すと、だんだんときはじめます。
まぁそんなこんなでつつがなく「決戦」も終わりまして(笑)。
夕方、若い衆がやってきました。
「ごめんね、中に入るとやり難かったやろ」
「いえいえ」
みたいな会話のあと、いよいよ本論です。
なんでもその若い衆、若手の先輩から
「あいつら、最初にガツンとやらんとあかんで」
とか言われたらしいです。で、ガツンとやったけど、中途半端だったとか。
「それかぁ」
ですね。
その若い衆、タイプが違うんです。もっと、たぶん優しい子なんですね。そんな子が、ガラにもなくガツンとやったら、生徒たちは
「あ、無理してんな」「あ、これが精一杯やな」
って見抜きます。すると、「これ以上はない」ってわかるので、抑えが効かなくなる。で、若い衆としては、最初にガツンでやったもんだから、そこで押すしかなくなる。でも…。
まぁ、個人的には、若手教員同士のやりとりが悪いと思うのです。経験の少ないもの同士で、ある人がうまくいったケースを全体に拡大するからダメなんです*1。で、なぜそんなふうになるかというと、経験の継承を軽視しているからです。全体としても、ふた言目には「若い人の考え方で」となる。
ガッコって、いろんなタイプの教員がいて、いろんなやりかたでかかわる。ガツンな人もいれば、優しい人もいれば、情けない人もダメな人もいる(笑)。そんないろんな人が、それぞれのやり方で子どもたちとかかわる。その重層性みたいなものが大切なんだと思います。
「あの子らね、数学、わかりたいねん。でも、粘りがないから、すぐに「わからん」ってなるねん。で、しゃべってしまう。だからね、わかりたいっていう気持ちを大切にしたってほしいねん。そしたら、きっと前を向いてくれるよ」
情けなくてダメな人からのアドバイスです(笑)。

*1:もちろん、更に大きな問題点はジェンダーなんですけど、それは話がズレるので、またの機会に…。