再現性のないトラブルはわけわからん

うちの母親が
「なんかわからんけど、いろいろやっていたら青い画面になる」
とパソコンについてのヘルプを出してきていました。んなもん、時間がたっぷりないと対応できるわけがありません。
てことで、今日、やっと時間ができまして。
ところが、まったくブルースクリーンが出てきません。あちらをちょこっとさわって再起動。こちらをちょこっとさわって再起動。ウィルスチェックをしてもまったく大丈夫。chkdsk/fをしても大丈夫。う〜ん。きっと大丈夫なんだと思う。
てか、ひとつだけ「ビミョーやなぁ」と思ったのが、BIOSなんですけどね。とりあえず「安全第一」をロードしておきました。
まぁまたトラブルが出たら連絡をもらいましょう。

やっとペースがわかってきたか

1時間目は離任式→学年集会。2時間目からはさっそく授業。といっても、ぜんぜんやる気が起こりません(笑)。
にしても、会議とか打ち合わせとかが続いていると、ひたすら仕事をしている気がするけど、授業がはじまるとメリハリが出てきますね。つくづく教員生活が長いんだなぁと思ってしまいます。
昼休みにはクラブ部長会議もやってもらったし、まぁなんとかなるんじゃないかなぁという気がしてきました。うん。

で、恒例の…

滝井参り&まんまるの会です。
今日のまんまるの会は、4月恒例の花見です。花見といっても、お弁当の持ち寄りなんていうおとなしいものではありません。当然のことながら、炭火の焼肉です。もちろんビールもたっぷりあります。
いつもの公園に行くと、ちょうど炭もいこってきて、盛りあがりはじめています。わたしも後れをとらないようにがんばりますか。
それにしても、病院を受診しているというだけの共通項で、20数人の花見をするわ、医療関係者も来るわというのは、やっぱりかなり変ですね。でも、この緩さこそが大切なんだと思います。あちこちで真剣な話、アホな話をしています。やっぱりこういうところに来ると、「大切にしたい」という気がします。
でも、これで1週間連続の呑み会です。そろそろ限界が近づいています。今日は飲む量を減らして、安全に家に帰りますか。てか、風呂にも入りたいし(笑)。

で、始業式〜入学式

毎年書いてますが、かつては8日始業式・9日入学式という余裕のある日程でした。ところが、ここ10年ほど8日の午前と午後にやっちゃうようになりました。もう、せわしないせわしない。
こんなことをやりながら授業時数を確保して、それで学力があがるのかなぁ…。
てなことを考えながらも、とりあえず仕事仕事。
いつもの放送業務をつつがなく?こなしていきました。

で、当然呑み会

終わってからは、Mなもとさんをはじめ、留学生の方が2人。あと日本語教師の方と、突然呼び出しを受けてしまわれたKちゅかるさん。
日本語教師の方は話を聞いておられなかったので、ふたたび線引きの話。けっこうウケていました。
たぶん、みなさん、けっこうそういうところに直面をすることがあって、なんかわけのわからないもやもやがあるんじゃないかと思います。それを「思いつき」ではあっても、ひとつの観点を出されると、ちょっともやもやが晴れるというだけじゃなく、自分自身で答えを見つけるきっかけになるみたいです。
「線引き」の話から発展していく話を、すごく興味深く聞かせていただきました。
やがて、Mなもとさんと日本語教師の方は退出。かわって院生のK淵さんが参戦。なんか、フラフラになりながら呑み続けて、気がついたら11時です。
これはヤバイ。さぁ、帰りましょう。

あと1日だな。

「身の程知らず」と言わせてもらう

いや、身の程知らずなのはわたしのことなんですが…。
今日は夕方からアメリカからの留学生を対象に「日本におけるセクシュアルマイノリティの状況」という話。んな大きなテーマが語れるわけがありません。なので、タイトルの後ろに「いつきの私論」とつけ加えておきました(笑)。
にしても、みなさん真剣に聞かれます。留学生ですから、当然日本語はネーチブではありません。にもかかわらず、わたしのコテコテの関西弁と、思いつくままの文法無茶苦茶な話をきちんと聞いてくださいます。さすがです。
で、内容の方はというと「線引き」の話です。
過去、人権をめぐる運動の中で、数々の線引きをしてきました。それがある局面については「光」となり、ある局面については「影」となります。あと、自らを線引きの中に置く方法もあれば、自らを線引きの外において、枠組みをずらすという方法もあります。なんのことかわからないですよね。でもまぁ、それを自分自身の経験とあわせながら話をするという手法です。
わたしとしては、「口から出任せ、思いつくままに」だったのですが、その割に好評だったみたいです。まぁ、しゃべくりでだますのが仕事ですからねぇ(笑)。

そりゃしんどいよ

もちろんお座敷の後は呑み。京橋の高架下でふたりで乾杯です。疲れ切った身体にビールが染み渡ります。
K村さんは、ひたすら
「しんどいのよね」
と語られます。なにがしんどいかというと、当事者の気持ちを代弁することへの限界みたいなものを感じておられるんです。ほんとうに謙虚な方だと思います。それは、わたし自身の過去を振り返った時に思います。と同時に、そのしんどさを、自分自身も感じてきたなぁと思います。
でもね。
どこかでそういう「期待される語り」から脱却して、「誰にでもできる語り」へと普遍化できないかなぁと思います。そのためには、当事者自身が当事者語りからどう自分自身を客観化するのかというあたりが、ひとつのポイントになるんじゃないかなぁと。ちょっと沈黙の多い二人呑みだったけど、その沈黙の中で考えたことはすごく豊かだった気がします。
ふたりとも身体がフラフラだったので、7時に解散。駅で
「じゃあ」
と言った時は、ふたりともけっこう元気だった気がします。大切なのは、明日へ向けての元気を得るための毒吐きなのかな。
わたしもけっこう毒を吐いたり考えたりして、こんな呑みもいいのかなと思いました。

さて、宴会はあとまだ2日続くぞ(笑)

こんな人たちだといいよね

今日は大阪市南部の某高校で、お友だちのK村さんと2人会です。
わたしはざっくりとした話、K村さんは具体的な話。それぞれが自分の分担の中で話をします。
でも、当然わたしの持ち時間は1時間ちょい。はたしてそんな短い時間でウケがとれるのか?でもまぁ、とても積極的なみなさんの空気の中で、和やかに話ができました。よかったよかった。