22年間ウチの学校にいるうち、卒業式の放送担当をしたのは19回。で、残りの3回は何をしていたかというと、担任だったので前に並んでいた、と。つっても、担任席から「ボリュームちょっとage」とか「ハウってる」とか適当に指示を飛ばしていましたけどね。いや、何かおこると、つい腰が浮いてしまうのがクセでして、この間もS賀県で話をした時、前に座っていりゃいいのに、ハウリングが出た瞬間アンプのところに走っていっていました。まぁ、ベストなのは、そんなコトしなくていいように事前にきっちり詰めておくということなんですけどね。
で、ウチの学校の行事の放送関係は、すべて生徒がやっています。わたしは横につくだけ。横についてボーっとしながら、要所要所で指示を飛ばす。これでいいんだと思うのです。何かあった時の責任は、横についているわたしがとるわけで、そのために横にいるわけです。こんなふうにボーっとしていると、生徒たちが勝手にいろいろ気をまわして、勝手にいろいろな行事の放送をやるようになりますから。
ま、そんなこんなでつつがなく卒業式も終わり。
担任をやっていないし、3年生の授業も担当していないしという教員にとっては、卒業式の日はヒマです。誰かがお別れのあいさつをしにくるわけでもないし*1、放送部の卒業生なんざ、これからもしょっちゅう会うだろうし。
なので、午後はのんびりと雑事をこなしました。
*1:来たけどね(笑)
スラングで「あそこのおしゃぶり」を意味するらしいです>Brain Salad Surgery
なるほど〜。そういうことだったんだぁ…。
訳語として、「恐怖の頭脳調教」ってぇのはどうですかねぇ。
ギーガーですな。
というわけで産む機械まで話がつながりましたね。笑
当時の洋楽のタイトル訳って本家に何の相談もなく、日本の担当者が勝手に決めてたような。
そうそう、あのジャケット(笑)
洋画のタイトルもそうだったような気がしますね。