キムチを食べながらいろんなよもやま話をして、それが何より大切な「次へのステップ」であることは言うまでもありません。
学力の面でいうと、これがラグビーでいう「ポイントになる」ということ。ラックやモールがあるからこそ、次のプレーがある。そうした「ポイント」をいかにうまくつくりだしてそこから「生きた球を出す」かが、次の学期をうまくつくっていくためのひとつの方法だと思うんです。
それだけじゃないです。実際に店に行ってくれた生徒がいたら、京都の駅裏の話ができます。京都タワーのある側とはまったく違う、もうひとつの京都。そこから、東九条の話、ウトロの話、さらには玖伊屋の話いくらでも展開できます。これが、もうひとつのポイント。
さて、3学期が楽しみです。
日: 2005年12月21日
なので…
今日の4時間目は、習熟度授業の基礎講座でした。ここ、えらい勉強する雰囲気があるんです。なので、ふだんからものすごく楽。しかも、話がしみ通るように入っていくのがわかります。なにより、生徒のモチベーションが高い。そのため、クラスの平均点学年でトップだったりします。でも、それなりに無理をしているところもあるんですよね。
てことで、前々から約束だった、「いつき的国際理解講座」をやることになってしまいました。12時頃からみんなでお弁当を広げて、わたしが買ってきたキムチを食べるという(笑)。この話、どこから来たかというと、11月にやった人権学習で呼んだ講師の方が在日の方。で、そこから翌日の授業で在日の話になって、しらないうちに「おいしいキムチがある」なんていう話になったわけで、「それなら食べさせろ」みたいな当然の帰結になってしまったわけです。
もちろん、わたしが気に入った店=玖伊屋のみなさんが気に入った店=たまたま東九条マダンの実行委員も気に入っている店だったので、めちゃくちゃおいしいです。「どこにあんの?」「京都駅の南側の、MKのカラオケの信号を入ってな、ちょっといったところにある東寺道を右に曲がったら、すぐ左側にあるわ」みたいな会話になります。たぶん、だれか買いに行くだろうな…。
なんで今頃
数年前なら、今日から冬休みだったはずです。なのに、最近では今日は授業の最終日。期末テストが終わってからのこの時期、うちのような学校では一部のクラスを除いて授業が成立するはずがありません*1。なんでこんなことになっているのか…。
もう、「授業時数確保」というやつです。その根底にあるのが「学校5日制」による「樹御字数減」とそのころ同時に騒がれはじめた「学力低下」です。
でも、「学校5日制・授業時数減」が「学力低下」を生んだかどうかについては、はなはだ眉唾だったりします。てか、その相関関係はきちんと分析がされていないはずです。それよりも、そのころに「学力観」「教育観」そして、なにより「社会の構造」が大きく変化をしました。「学校5日制」はそのうちのひとつでしかなかった。問題は、その大きな変化だったはずなんです。
授業の現場=教室にいると、そのことが身にしみてきます。まぁ、一言で言うと、「高校では手遅れ」って感じですか。何をやってもムダという気すらしてしまいます。
でも、授業の現場にいない人たちは、「大きな変化」は自分の力ではどうしようもないことなので、とりあえずできること=「授業時数確保」に走ってしまった。そのために、休みをへつったり、行事をへつったり、帳尻あわせのような「年間授業時数」ができあがってきました。
さらに問題なのは、一定以上の学力を持っている生徒の通う学校よりも、底辺校といわれる学校の方が、より学力の地盤沈下が激しいということです。そこでは、「本当に」誰も望んでいない「授業時数確保」が声高に叫ばれてしまう*2。
もちろん、教員の側にも問題はあります。テストと成績提出の間が短くなると文句を言い*3、その間が長くなると文句を言い*4、その間をウロウロしてきたのはたしかです。しかし、根本的なところに届く論議を、少なくても学校内ではやれなかった。
てなことで、今日なんかにもダラダラと授業をしなくちゃならないハメになってしまっているという…。まぁ、グチを正当化しているだけか…(笑)。