サムル

10月23日に奈良の東大寺で「ならサンウリム」というお祭が開催されます。で、わたしも一緒にサムルノリを叩かせてもらっている人たちに「叩いて」というオファーが来て、行ってくることになりました。で、今日はその練習。
今回は、いつものメンバーのうちの1人が都合がつかず、そのかわりに別の人が参加することになりました。おもしろいもので、メンバーが替わると、雰囲気が変わります。いつもは、みんなが好きずきに叩いているのですが、今回は「調和」という感じです。実は、こうなるとわたしとしては、叩きやすいんです。このあたり、やっぱりクラシック好きの血が出てくるのかなぁ。
で、「チン、ちょっとうるさすぎるし、ない方がいいんちゃう?」という話がでて、わたしの担当はプク→チン→プク→チンという、持ち替えまくりになりました。でも、おいしいところを渡り歩けるので、メッチャ楽しいかなぁと。
練習していると、2台のチャンゴと2台のプク、計4台の音がひとつになるのがよくわかります。思わず鳥肌が立ちそう。
う〜ん、23日が楽しみ…。

で、総括合宿の続き

朝、朦朧とした頭の中に「ピピピ」という音が響きます。今日もいらない目覚ましのおかげで6時に起きてしまいました。くそ〜。でも、根性で、布団の中でしばらく寝返りをうっていました。そうこうするうちに、だんだんと起き出してきて、やがて朝食*1。8時半から総括会議の続きです。
よもやま話をしている時は、「高校生やなぁ〜」と思うのですが、会議の時はぴしっとしている姿に「すんげぇ〜」と思ったのは、わたしばっかりじゃなかったと思います。いや、ほんとうにみんな今年の交流会の総括を真剣にし、来年の交流会へ向けて、成果と課題をきちんとまとめていました。約3時間の白熱した会議。ウチの学校の職員会議よりよっぽど中身がありました(笑)。
お昼に解散ですが、急がない人たち相手に、軽〜く東九条フィールドワーク。今回は、「パッチギ!」の撮影後なんかも案内したりして、1時間ほどの散歩でした。

*1:おにぎりを1人2個

寄り道

で、みんなで帰ったのですが、わたしだけ東九条で寄り道。今日から明日にかけて、夏にやった全国在日外国人生徒交流会の生徒実行委員会の総括合宿をやっています。で、わたしも夜から参加。といっても、着いたらすでに今日の論議は終わっていて、生徒はお風呂へ。教員はビールという状態でした。なんとなくぐだぐだしゃべっているうちに、昨日からの疲れがでてきておねむ。おとなしく2段ベッドの下段にもぐりこんで、おやすみなさい…。

スピーカーまわりのこと

この日記を見ていただいている方、けっこう放送担当(放送部顧問)をしておられる方、多いんですね。他にも、オーディオマニアの方もおられるみたいですし。
いや、スピーカーの数を増やしたいというのは、前々から事務長に言っているのですが、なかなか予算がつかないみたいで、実現できません。
ウチの学校、創立当初は古墳の上にできた学校で、まわりに人なんて住んでいませんでした。私が赴任した頃も、学校の前に数軒あったくらいでした。ところが、ここ数年ものすごい勢いで宅地造成がされて、学校のまわりにどんどん家ができはじめました。すると、「こっち方向には家がないな」ということで設置されていたスピーカーの方向に、どんどん家が建ってくるわけです。すると、「放送、五月蠅い」「チャイム、五月蠅い」ということになるわけですね。そんなん、学校のまわりに住んだらうるさいのなんてわかりきった話なのに。しかも、あとから学校ができたんじゃなくて、先にあったんだからねぇ。でも、まぁ「住民感情」というのは、そうゆうもんなんでしょうね。

強制執行阻止緊急集会

京都府宇治市にウトロという在日朝鮮人集住地域があります。もともとは、戦時中の京都南飛行場の建設のために集められた朝鮮人飯場でした。日本の敗戦(朝鮮の解放)のあと、ここで飛行場建設をしていた日本人達*1はそこからとっとと逃げていったのですが、さまざまな事情で本国に帰らなかった朝鮮人達は、そこで生活を続けました。
ところが、ウトロの土地は、その上にすむ人たちの意志とは関係なく、日産車体に譲り渡されていました。ここが、おそらくウトロ土地問題の原点となるところです。
その後、ウトロに人たちは、まわりの日本人からの差別とそれによる貧困の中で、それでもたくましくしたたかに生活をしてこられました*2
ウトロの問題が「日本人の問題」として認識されるようになった最初の出来事は、おそらく「水道問題」だったのではないかと思います。1980年代後半、周囲では上水道がひかれるのが当たり前のご時世に、ウトロには水道管が入っていませんでした。そのため、宇治・久御山という工業地帯であるにもかかわらず、ウトロの人たちは井戸水で生活をしていました。もちろん、水質調査をしたら「飲料に適さない」と出てきます。「ウトロに水道を!」というウトロに人たちの声に呼応する形で、「ウトロ地区に水道敷設を要望する市民の会」というのができました。

と、ここまで書いて、こりゃぁ、長くなるなということで、あとは詳しくは、ウトロのサイトをご覧下さい。ウトロって何?とか年表なんかもあります。

で、わたしとウトロとのつきあいはかれこれ13年になりますか。チャンゴを教えてくれたのもウトロ、焼肉の楽しさを教えてくれたのもウトロ、朝鮮人の多様さを教えてくれたのもウトロ。まぁ、いろんなことを教えてもらってきました。
で、いまそのウトロがたいへんなことになっているわけです。
で、集会に行ってきた*3わけですが、いや、したたかですわ。「強制執行は中止になったけど、うれしい反面、実はちょっと残念」「強制執行になったらニュースになる」などという発言が町内会の実質トップからでてくるという…。まぁ、かつて300人の焼肉をする時に、まわりは「雨が降るか、かろうじて持つか」という天気にビビっていたにもかかわらず、この人「土方は天気には勝てん」と、一人悠然とタバコを吸っていたという人ですから。
しかし、転売につぐ転売。しかも、あとになればなるほど状況が悪化していくという…。
なんとも言えない、口惜しさというか無念さというか…、そういう思いがこみあげてきました。それでも、オモニやハルモニ達は元気だったし、日本全国どころか、韓国からも駆けつけてきた支援の輪の広がりが救いだったかなぁ。
決戦は11月に持ち越しということです。

ウトロお礼と報告
昨日25日は「強制執行阻止緊急集会」に多くのみなさまが
お集まりいただきありがとうございました。
今回の強制執行が中止となったことで、ウトロのハルモニに
少しではありますが、安堵の表情が見えたことがなによりでした。
とはいえ、11月以降はシビアな状況が続きます。
昨日にも増して多くのみなさまがウトロに注目し、ことあれば
ウトロに駆けつけていただける体制をとっていただきますよう
重ねてお願いいたします。
本日も早朝より町内会会長、副会長とKINの蠔芝遠さんが
東京の韓国大使館に出向きました。守る会とKINの2人の
メンバーは宇治市役所に現地調査を要求する韓国国会議員の
要望書を届ける予定です。
強制執行を避けるための最大限の努力を続けています。
今後とも支援の輪を一層広げていただきますようお願いいたし
ます。
最後に昨日の新聞報道記事NET版京都新聞のアドレスを
貼り付けます。(携帯の方はPCで見てください)
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005092600029&genre=C4&area=K20

*1:いまで言う「ゼネコン」です。

*2:こういう書き方って、紋切り型でイヤなんですけど、ほんとうにそうだったりするんですよね。

*3:というか、放送担当として実行側にいたりして…

今日も今日とて、会議

なんでかわからないけど、「古いつきあい」が切れないのがわたしの性格です。それでもずいぶんと切ってきたのですが、やっぱり切れないと言うか、切りたくないつきあいもあるわけです。そういうところに限って、けっこう暖かく中途半端なつきあいを許してくれるので、それに甘えていたりもします。
今日はそんなグループの最たる「つきあい」の会議。ここ、人権教育関係で最初にわたしを「いつき」として受けいれてくれたところです。そら、切れるわけがないわね。
何が他と違うかというと、なんと言ってもジェンダーバランスがとてもいいです。運営委員を構成している人たちのジェンダーバランスがとてもいいことが原因かもしれませんが、「長」の名の着くことや、責任の多い仕事の多く(てか、ほとんど)を女性がやっておられます。で、そのせいかどうかわかりませんが、とてもアサーティブネス。なので、逆にわたしのような「アサーティブネスではない」人の存在も必要になってくるのではないかと、ちょっと思ったりして。
昼頃から、いつもの通り、先をあまり急ぐことなくダラダラと会議を続けて、5時頃に終了。でも、みんなが語ったんじゃないかという感じです。とても充実した気分で、軽く飲み。ここで、わたしなりに「障碍」を持つ人に対して「自分を語ろうよ!」とプチ爆発。でも、そんなわたしの爆発も、まわりの人たちはとても柔軟に受けとめながら、きちんと対話を紡ぎながら、フォローをして下さいます。ほんとうに楽。
なんだか、とてもたくさんしゃべったし、とてもたくさん話を聞いたし、すごく充実した思いで帰途につきました。でも、帰った時間が早いのね。不思議…。

サムル

で、夕方からウトロのオモニ達と、ウトロの近所の祭りでサムルノリ。やっぱり気のあった人たちとたたくサムルは最高です。思わず顔がにやついてしまいますね。今回はプクからチンへの持ち替えでしたが、堪能しました。みんな同じ思いだったみたいで、「またやろうね!」と息を弾ませていました。しあわせ!

全国在日外国人生徒交流会・2日目

朝起きたけど…。時計を見ると7時半。身体が…、動かない…。でも…。
エイヤッとやるととりあえず身体が動きはじめました。
しかし、朝の女性の部屋は…。おもしろい。そうかぁ。20人を越すとこうやってプライベートな空間を確保するのかぁ。勉強になりました(笑)。
とりあえず、朝は座禅から。いや、宿泊場所が禅寺で、「ダメ」という人はもちろんダメでいいのですが、一応ということで。ちなみに、わたしは「クリスチャン」という名目で座禅はしませんでした。てか、しんどいもん(笑)。
あとは朝ご飯の配布とか、昼ご飯の買い出しとかやっているうちに、昼前。昼ご飯を食べたら後かたづけ。生徒たちが別の会場に移動したら、最終チェック。みたいなことをしていると、あっという間に3時過ぎです。
3時半頃から、教員達へ向けた生徒たちのアピールの時間。というのは、教員達は別のところで外国人教育の研究会をしていて、3時半頃から閉会集会があるんですよね。
いつものことながら、生徒たちのアピールの中にこそ、現実があります。でも、その中で仲間と出会えたうれしさとか、話しあったあとの充実感とか、いろんなものが混じっています。本当に生徒たちのアピールを聞くと、いままで10年以上交流会をやってきてよかったなと思うし、これからもやらなくちゃなと思います。
てなことで、怒濤の2日間は終了。
家に帰ってやらなくちゃならないことはいっぱいあったんですけど、とりあえず爆睡。

全国在日外国人生徒交流会・1日目

今日から外国人生徒の全国交流会で滋賀行きです。もうむちゃくちゃ…。
会場の近江八幡に着いて、まずは受付。引率教員も移動のためのバスの号車とか宿泊の部屋とかいろいろ確認しなくちゃならないものがあります。ただ、わたしは途中で職場にもどらなくちゃならないのでバイクでの参加でしたけど。
で、宿泊の部屋を見たら女性部屋(笑)。まぁ、ここ数年みなさんの理解のもと女性の部屋に泊めてもらっていたし、滋賀県の担当の方々はみなさんとても理解してくださっている人々なので、「さもありなん」という感じではあるのですが、具体的に一緒になる人たちはどうだろうなぁ。なにせ、女性の引率全員が同室という環境だし、宿泊時は生徒も含めて全館女性という状況になるしなぁ。ま、数人の友だちには「よろしく」と挨拶だけしておきました。みなさん「なにをいまさら」状態でしたけど。
で、昼過ぎにいきなり買い出し。でも、ないものがあるのよね。アヒ・アマリーヨなんてスパイス、どこに売ってんねん(笑)。手分けしてかなり探しましたが、結局あることがわかったのは、あるブラジル人の方の家だったという。ま、そんなもんです。
途中、わたしは用事で職場に行ったりとバタバタしていたのですが、なんとか滞りなく食事づくりは終わったみたいです。
夕方からは生徒たちはひたすらアイスブレーキングと話しあい。まぁ教員は見ているだけです。てか、下手な介入はかえって邪魔。それにしても、みんなけっこう真剣に話しあっていました。そりゃ、年に一回思いの丈を語りあえる大切な機会ですから。
10時頃からお風呂タイム。主力部隊は近所のスーパー銭湯へ。でも、文化の違いとか、時期の問題とかでシャワーじゃないとダメな人もいます。そういう人たちへのフォローとかが残った教員の仕事です。まぁ、わたしとあと数人ですが。で、そんなことをやっていると、そのうち消灯時間。で、お風呂には入れない、と(笑)。まぁ、こういうときはどっちみち入りにくいんですけどね。
で、11時半頃からようやく引率教員の交流会。てか、軽く一杯のみ。でも、先に飲んでいる人がいて、会場に行ったら真露しかなかったりしていました。まぁ、いいけど。どうせクズになれない夜だから。
1時頃にとりあえず解散。男性教員は別棟へ。あとは女性ばかり(笑)でしばし歓談。2時頃に消灯。あとは生徒(女性)を寝かしつけるための巡回です。3時頃には落ちそうになったので、「頼むし、もう寝たいから寝て」と頼んで、そのまま自分の布団に直行→落ちました。

趣味かなぁ…女装

そういえば、この夏なんとなく女装にはまっています。といっても、人前で話をする時だけですけど。まぁせっかくなんでスカートはくのもいいかということで一応はいているのですが、結局我ながら「ネタ」とか「パフォーマンス」でしかないという感じです。それでも、地下鉄に乗ろうとした時にスカートがまくれあがりかけたのを押さえたなんてぇこともありまして、それはそれで「らしい」感じだったかなぁ。でも、車に乗ったりする時不便。ひざの上に荷物をおく時不便。ご飯をいっぱい食べようと思うと不便。そんな感じですわ。