青年の定義はいつまで?

夜は、組合の会議。といっても、別に役を持っているわけじゃありません。まぁ、ハシゴをかけて登らせてしまった関係上、ハシゴをはずすわけにはいかんわなぁ、という義理人情の世界なわけで…。でも、「若い人たち」と一緒にいろんなことをやるのは、それはそれで楽しいです。
ところで、組合の青年部って、たいていは30歳までだったりするんですけど、うちの組合って、いったい何人いるんだろう。てか、うちの組合的には「若い方から10番目以内」とかいう定義の可能性が大です。ということは、永遠に青年部かも(涙)。

全国在日外国人教育研究集会神奈川大会・第2日目

今日は一日分科会の日です。でも、わたしは本売り。てか、実は分科会に出るのが、年々めんどくさくなっているんですよね。
かつては、分科会に参加して「あーだ」「こーだ」と言って、帰りの電車でも「あーだ」「こーだ」と言っていたのですが、最近は、なぜか血が騒がないんですよね(笑)。で、本を売ったり、知りあいが通ったら話をしたり*1するほうが性にあっている気がします。
ところで、本を売っていると「土地柄」というのがよくわかります。
関西では、集会中、常に人の往来があるし、あちこちで話をしている姿が見られます。ところが、関西以外では、休憩時間しか人が通らない。それ以外の時はものすごくヒマです。これは、分科会だけじゃなくて、全体会でも同様です。
おそらく、一般的には、集会とは「集会に参加する」ために行くのですが、関西でやると「集会に集まっている人に会いに行く」という感覚を持つ人がたくさん参加するのではないかという気がします。そういえば、この3月のG研の時なんか、ロビーにほとんど人がいなくて、わたしを含め数人のみがダラダラとしゃべっていたっけ(笑)。
そんなこんなで、無事一日が終わり、本も片づけて、後は帰るだけ。もともとの計画では、本を積んで車で帰ることになっていたのですが、幸いお友だちが本を載せて帰ってくれるということで、新幹線で帰れることになりました。あ〜、助かった…。
とにかく、これで宿泊をともなう移動はようやくおしまいです。

*1:というか、知りあいを待ち伏せして本を押しつける(笑)。

実は、全国在日外国人教育研究集会・神奈川大会・第1日目

交流会の2日目は、今年は全国在日外国人教育研究集会の1日目、全体会と重なっています。お昼頃に話しあいとかを終了して、全体会の会場へ移動。その後、全体会で2日間の論議の発表を生徒たちが行いました。ステージの上に、約100人の在日外国人(含む、日本人)の生徒たちが、一晩語り尽くして本当に疲れながらも、充実した2日間を過ごしたことを感じさせる姿が並ぶ風景は、やはり感動的ですね。わたしたち教員も、この瞬間を見るために1年間かけて準備をしていると言っても過言じゃない気がします。
生徒たちのステージのあとは、地元報告です。チャンゴありブレイクダンスありラップありのパワフルなステージです*1が、疲れ切っているために、ロビーで交流会の参加者達とダラダラ冗談を言って過ごしました。地元のみなさん、ごめんなさい。って、誰も読んでないか…。

*1:たぶん、参加者はついていけてない気がする(笑)

全国在日外国人生徒交流会・第1日目

今年の交流会の開催地は神奈川です。でも、参加者はみんなプアです。関西では、できるだけ参加者の必要経費はなんとかして負担しようとしているのですが、交通費があまりにも多くて無理。ということで、この間盛りあがってきた交流会も今年はしぼみそうな雰囲気でした。でも、やっぱり生徒たちは「行きたい!」と言います。そこで最終的に考えた奥の手は、バスを仕立てるということでした。とにかく、できるだけ生徒の参加者を増やすために、引率教員は随行する車で行くというふうに設定をしました。で、わたしも車部隊。神奈川まで車か_| ̄|◯
ところが、集合場所まで行くと、生徒の欠席が若干名あったとのこと。ラッキー!てことで、バスに乗せてもらうことにしました。
神奈川の会場に着くと、ニンニクとかトマトとかのいりまじった、すごくいいにおいがしてきます。関東の参加者が、それぞれのルーツの料理をつくっています。もう、すごい熱気です。
最近は交流会は関西であったので、フルに働くことが多かったのですが、今年は関東に人たちが全部やってくれます。おかげさまで、ずいぶんと楽です。どっかでなにかの穴があった時、そこのサポートにまわる程度ですみます。あとは、他の引率と一緒にダラダラと話をしていました。

全国キリスト教学校人権教育セミナー・第3日目

セミナーも最終日。
午前中は、朝の祈りの時間と派遣礼拝。もう、両方とも涙涙でした。
それぞれまったく違う形式・内容・メッセージなんですけど、それぞれにメッセンジャーの生きざまが出てきます。さらに、そうした生きざまがわたしたち一人一人の心に届いてきて、心を揺さぶります。その揺さぶられた心が他の人たちの心と共振して、全体として大きなうねりとなります。そんなひとときを持たせてもらいました。
午後は、会議。まぁ、なんつーか、会議です(笑)。
そして、最後に待っているのは家までのツーリング。帰りは一部高速道路を使ったのですが、さすがにフルオーバーホールをしたエンジンです。6速3000回転で80km/hの巡行ができてしまうなんて、いままでは考えられませんでした。しかもそこからアクセルをあけるだけで100km/hを越していきます。さらに、6000〜7000、パワーバンドに入った瞬間に加速をはじめてあっという間に140km/hまで出ていました。その加速感。気持ちよかったです。でも、怖かったので(笑)すぐアクセルをもどしましたけどね。いったいいまなら何キロまで出るんだろう…。
それにしても、寒いです。名古屋は37℃くらいあったのですが、名神高速関ヶ原米原近辺は22℃くらいまで下がっています。さらに、途中峠では21℃まで下がります。実に気温差は16℃。家に帰ったら、すぐにお風呂でとりあえず暖まって、晩ご飯→爆睡でした。って、爆睡していいのかなぁ…。

全国キリスト教学校人権教育セミナー・第2日目

午前は、聖書研究と全体会。聖書研究なんていう時間があるのが、このセミナーのおもしろいところです。かなり関心のある内容だったのですが、ここ数日の疲れから体調が最悪だったので、すみませんが、聖書研究の時間はパス。ロビーでひっくり返っていました。全体会のころになってちょっと復活してきたので、ここからプログラムに参加。
全体会は、シンポジウムなんですけど、この中で一番印象に残ったのが「しんどい目にあった生徒(学生)に対して、教員ができることと生徒(学生)ができることがある」ということでした。でも、「生徒(学生)ができることがある」ことを実現させるためには、「出会いの場」をつくっていかないといけません。このことは、「仲間づくり」ということと直結をしているように思います。
でも、なかなかそういう「場」をつくることができないんですよね。ふぅむ、課題だ。いや、やってはいます。在日外国人の生徒たちやトランスジェンダーの生徒たちの場をつくるべくあがいてはいます。そして、少数ながら集まってくれる生徒がいることもまた、わかっています。でも、そこまでアクセスできる生徒たちって、ある意味、「そこ」まで来ているんです。そして、本当に出会いを求めている生徒たちは、アクセスする術すら持っていない。ジレンマだなぁと、いつも思います。結局できることは、常に自分からオーラを発信し続けることしかないんだろうなぁ。
てなことを考えていると、目の前に一人の女性が…。でも、「ん?」。最近金物系(笑)の見分けがだんだんとつくようになってきたわたしには、妙な親近感がありました。「いつきさんに会いに来たんです」というその女性は、トランスの教職者でした。それにしても、あまりにもきれいというかかわいいというか。あとは「ちくしょー」とか「きれいだなぁ」とか「どーせわたしは汚れキャラ」とか。きれいなトランスを見るときれいな女性以上にコンプレックスを感じてしまうのはなぜ…?
午後は、分科会。わたしは今回は分科会の発題者という役割でした。「「ありのままのわたしを生きる」ために」と題して発題を行ったのですが、さてさてうまくいったのかな。でも、最後の感想で「去年のセミナーでセクシュアリティについて勉強して少しわかったけど、今年のセミナーでまたわからなくなった。なによりわからなくなったのは、自分自身のセクシュアリティだ」というのが出てきました。かなりうれしかったです。
分科会のあとは交流会。ノンアルコールなんですが、こっそりビールを持ち込んだのは、ここだけの話です。
交流会のあとは宿舎に帰って再び交流会。数年ぶりに会った在日のお友だちと、久しぶりに熱く語りあったりして、充実した時間が過ごせました。でも、今日もやっぱりしばらくしたらお酒が飲めなくなって、早々に寝室に引き揚げてしまいました。まぁいいか…。

全国キリスト教学校人権教育セミナー・1日目

家に帰ったら、すでに夕方です。実は今日から名古屋で全国キリスト教学校人権教育セミナーが開催されています。今回は、久しぶりにここに参加をすることにしています。でも、もちろん出張旅費が出るわけでもないので、経費節減が至上命題です。で、考えた結論は「往復の旅費を安く上げる」ということで、バイクで行くことにしました。それも、下道経由。
とりあえず、家に帰ってバイクに乗り換えて1号線をめざしました。でも、あきませんわ。1号線は混み混み。すいていたのは鈴鹿近辺だけです。ここは気持ちよかったです。あとはひたすらすりぬけです。すり抜けによる事故経験者としては、もう、怖いのなんのって。それでも、4時間ほどひた走りに走ったら、名古屋に着いてしまいました。たいしたもんです。
到着したら、すでに今日のプログラムは終了。いい時間に着きました。だって、あとは懇親会だけですからね。適当にビールを飲んで、適当にご飯を食べて、幸せな時間を過ごして、ちょっと会議をして、あとはおねむの時間です。
ところで、このセミナーでは宿泊も同じホテルにします。少し経費を安くするために、ツインの部屋を取っていました。そのために、申し込み時に参加者に性別を聞いていました。ところが、数年前にわたしから「性別を書きようがない人間はどうするのか?」という提起をして、それ以来シングルの部屋を基本に考えるようになりました。
ところが、今回わたしは「みんなで大部屋で泊まって語り明かせるようなセミナーにしよう」という、いままでとは逆行した提起をしました。なんでだろう…。
おそらく、個人的にはセミナーとしてはわたしを「女性」にカテゴライズしてくれるようになったということ。そして、セミナー全体として、簡単に「女/男」に2分するのではなく、その人にとって一番居心地のいい宿泊のポジションをみんなで探そうというふうに成熟してきたこと。これらのことが、「安心感」としてあったんだと思うのです。だからこそ、「トランスを交えて大部屋宿泊」という提起をしようという気になった。
もちろん、これって、カムアウトの問題を含んでいるのでベストの解決法とは言えないとは思います。実際に、大部屋宿泊をあきらめたトランスの方もおられました。でも、ベストではないけど、ひとつの解決方法じゃないかなぁと思うのです。
てことで、気心の知れた女性たちが「いつきさんはこの部屋ね」といってくれた部屋に入れてもらってぐっすりと眠りました。それにしても、お酒飲めなくなった(涙)。

依存症かぁ…

午後は平野広朗さんの講演。
ちょっと難しめ&笑いが少ないけど、すごく刺激的な話でした。
たとえば、「オカマは差別か」をめぐる話。差別表現をめぐったやりとりは、ともすれば、「当事者の痛み」が「差別」ととらえられ、その「痛み」をめぐって是非を問うたり謝罪がなされたりという形に陥りがちです。でも、「当事者性」から離れて、その言葉が持つ意味について考察をし、その考察をめぐって是非を問う必要があるという提起です。つまり、「当事者」であるかないかではなく、ある考察が是であるか非であるかから判断をしようということです。
大切なことは、この提起は「当事者とは誰か」という問いも同時に持っているということです。
「当事者の痛み」というものは、基本的には「当事者」にしかわからないという資格の絶対性を併せ持つ可能性を大いに孕んでいます。これは、同時に「なにが差別化」という審判は当事者にしか負えないということにもつながります。
さらに、もうひとつ大切だったのは「抗議行動依存」というありようへの提起だと思いました。次々に「ネタ」を探して抗議行動をし続ける。そのことが、「当事者」としての存在証明になってしまっているのではないかという提起もとても大切だと思いました。平野さんには、こうした依存が「疲れ」を生み出した時、「自殺」へと走っていった友だちもたくさんおられたとか。そりゃそうだろうと思います。「当事者」を「常に差別される」存在としかとらえないところから、こうした「依存」が出現するのではないかと思います。
いま、自分がなにごとかの言葉を発する時に、こうしたブラックホールに陥っていないかどうかを常に点検する必要があるなぁと思いました。
もっとも、あたしゃ「運動」してないから、あんまりこういうのってないと思うけど(笑)。

セミナーの打ちあわせ

午後の用事っていうのは、8月中旬に名古屋で開かれる某セミナーの分科会についてのものです。別にメールか電話でもできそうなんだけど、司会の人と「せっかくだから会って打ち合わせをしようか」ということになりました。
で、向かったのは前にも行ったことがある「吉野」というお好み焼き屋さん。ここ、煮こごりもあるし、生レバーがおいしいんです。もちろん、カスのお好みもあります。ここで1時間ほど打ち合わせと近況報告。やっぱり、なにがメインかわからなくなりました。でも、そんな対話の中から「方向」は見えてくるものですね。やっぱり、なにがメインかわからなくなりました。でも、そんな対話の中から「方向」は見えてくるものですね。