とよなかへ…

合宿は、昼でおしまい。その後みんなでお好みをサクッと食べて、豊中へ。今日は、こんなんがあったので、漫談をしに行ってきました。
時間の読みをまちがえて、豊中の駅からセンターまで走るハメになったのはご愛敬です*1。到着すると、カウンターの奥の方で、今回の仕掛け人(?)のKさんが、やさしい笑顔*2を送ってこられます。その後、今回司会のYさんと打ち合わせ。つっても、なんにもないです(笑)。
で、話をはじめたのですが…。普段はロケットスタートでテンションをあげていくんですが、きのう〜今日の睡眠不足がたたってぜんぜんダメです。おかげで、もともとスリッピーなギャグがどんどんスベります。とうとうみなさんに協力要請をしてしまいました。情けねぇ〜。
それでも「人民の海*3」とか「萊萊」とかマイナーなネタで局所的に受けたりして、なんとか終了しました。
話が終わったら、交流会。
一人ひとりの方が感想とか意見とかを話して下さったので、それに対して「言いきれなかったこと」を返させていただきました。おかげさまで、2時間で話しきれなかったことがずいぶんと話せた気がします。でも、まだ足りないけど(笑)。
交流会のあとは2次会。このあたりになると、なにがなんだかわからなくなりはじめています。こっちの方では熱く語る人とか、あっちのほうではうぉ〜とか言ってる人とか(笑)。わたしはわたしで、ラグビーについて熱く語ってしまっていたようです。それにしても…。
2次会のあとは、3次会。EさんとかKさんとかとぜんぜんしゃべれなかったので、ちょっとだけ行くことにしました。すると、そこには司会をして下さったYさん。Kさんが「なんや、来てたんか」と声をかけると、Yさん「いや、なんとなく現実にもどりたくなくて」と高尚な返事。う〜む。なかなかたいへんなんだなぁという思いもあったのですが、それと同時にそういう「非現実的」な時間を一緒につくれたことがちょっとうれしかったです。
もっとも、このあたりになると、みんな自分勝手に好き放題を話しているので、ぜんぜんわけがわからなかったですけどね(笑)。
で、10時半頃に、突然お開き。そのまま駅まで送ってもらって電車に乗ると、地下鉄終電にピッタリ間にあいました。すご…。
てことで、ものすごく長い2日間がおわりました。すご…。
あ、借りてた傘、持って行くの忘れた。また持っていきます。勤務時間終了の頃を見計らって…。

*1:E井さん、階段の踊り場で待っててくださってありがとう〜!

*2:の奥に、もの言いたげな表情があるんですよ(笑)。それがたまりません。

*3:「「人民の海」って知ってますか?」って聞いたら「知りません」って答えられてしまったので、黒板に地図を書いて「このあたりに「人民」っていう海があるんです。ウソです」とかしょーもない話をしていました。すんませんm(_ _)m

「続く」の続き

朝方、えらい衝撃が何回もありました。そのたびに「なんや、ここ、いるんか」という声が聞こえます。あのね。電気がつけっぱなしで明るいから、ふとんの中にもぐっているのよ。ふとんの上を歩く時は、もう少し気をつけなさいってば。そんなこんなで、4時・5時・6時・7時と何回も起きたところで、これ以上寝られないところまで来てしまいました。
とりあえず、みんなの朝ご飯の買い出しをして、そのままいったんお家に荷物を置きに帰りました。ついでに、コーヒーを飲んでシャワーを浴びて、なんとか「ドロドロ状態」を脱出。
そして、ふたたび合宿所にもどって生徒たちの論議に参加です。
それにしても、みんなホンマによくしゃべります。たぶんみんな、ふだんは「日本人」に囲まれている中で言えない/言ってもわかってもらえないことがいっぱいあるんだろうなぁ。それを思う存分話をしているんだろうなぁ。それだけに「交流会」というものにかける熱いを感じます。やっぱ、ここから逃げるわけにはいかんなぁと、あらためて感じさせられました。

でも、まだ続く

マダンのあとは、全国在日外国人生徒交流会の生徒実行委員の合宿です。今回は、ふだんやっている場所とは少し違うので、勝手も違います。なにより、原則自炊できないのがきついです。それでも、なんとかチゲと水ぎょうざをつくって、晩ご飯も終了。その後、生徒たちは夏の交流会の総括をはじめました。
ところが、これが長い!というか、放っておいたらエンドレス。エンドレスだと次の日にみんなが倒れてしまうので、11時を目途に終わるように話をして、なんとか終了。ここでようやく引率教員は軽くクールダウン。自己紹介がてら、各地の報告をしていたのですが、わたしはそろそろ限界。ひょいと時計を見ると、12時40分。「もうダメポ…」ということで、布団にもぐり込みました。はぁ…。

東九条マダン

今日は第14回になる「東九条マダン」の日。「マダン」っていうのは、「広場」のことです。東九条というところは、在日と日本人が混住する街なんですが、だからこそその地において「ともに生きる」「広場を」つくっていこうということではじめられました。で、わたしもかかわっている在日外国人生徒交流会は、この祭りで焼肉屋を出しはじめて、今年で11回目になります。
わたしたちはなんのためにここで焼肉屋をしているかというと、一年間の活動資金をかせぐためなんです。なにせ、財政的な裏付けがいっさいない*1というとてもなさけないグループなので、とにかくここで稼いで、あとは、かかわっている教員のカンパでなんとか活動をしているんです*2
ということで、今日も6時起床。7時過ぎに家をスタート。途中、一緒にやる人をピックアップしたり、この間つくったキムチとかタレを車に積みながら、会場へ。8時過ぎには会場に到着。荷物をおろして開店準備です。
天気はまさに「マダン日和*3」。さて今日も一日忙しくなりそうだ、と。そうこうするうちに、生徒たちがどんどん集まってきます。ところが、客足がイマイチ。ひとつ波が来たあとはさっぱりです。はたして30kg(笑)の肉がさばききれるだろうかという不安が心をよぎります。どうも向かい側で売ってる焼き鳥とか、中の方で売ってるたこ焼き*4とかと競合しているみたいです。
こういう時はむずかしいです。下手に肉を焼くと、ぜんぶ固くなって内部消費用(笑)になります。でも、ぜんぜん焼かなかったら煙が出ないので、「あ、はやってないな」と見抜かれてこれまた売れません。そのギリギリのタイミングをはかりながら、みんな声をからして呼び込みをします。
で、わたしはというと、あちこちに知りあいがいるので、あいさつまわり。それでいいのか…?そんなことをやっていると、とつぜん「あの、テレビに出ておられませんでしたか?」という人がいました。あーびっくりした。はじめての経験でした。
昼頃になると、ようやく店も繁盛してきたみたいです。なので、わたしがいたらかえって邪魔だろうなということで、やっぱり放浪の旅に出ていました(笑)。
3時頃には、肉の売れ行きもだいたい止まったみたいです。結局、だいたい28kgの肉が売れたみたいです。すげぇ…。
そんなこんなで、今年の東九条マダンも終了。

*1:本来は、なんらかの形でこういう活動を金銭的に保障させていくことが必要なんですが、それをする力量がないんですよね。

*2:でも、「自分たちでつくったお金で自分たちの活動をしている」ということは、交流会に集う子どもたちのモチベーションにはとても大切だったりするのですよ。

*3:実行委員長の朴実さん談

*4:こっちはもしかしたらアマチュアのフリをしているプロじゃないかなぁ…

昼間のお家

明日は東九条マダン。なので、今日は準備をしなくちゃなりません。
とりあえず、年休を取ってちょっと早めに家に帰りました。
わずか2時間ほど早く家に帰ったんだけど、驚くほど風景が違います。なんと言っても、まだ明るい。おかげさまで、サクサクと準備も進み、それでもまだ明るい…。結局、それなりにゆったりとした時間が過ごせたのが不思議でした。ふぅむ…。

履修のことなぁ…

個人的には、しゃーないんとちゃうの、という感じ。たしかに、必修科目を履修していないのはルール違反だけど、実際問題として、今の学習指導要領はひどすぎ…。あちこちで取りざたされていますが、小・中でやることがメチャクチャ少なくなって、大学の要求水準が変わっていないから、歪みが全部高校に来ます。で、学校現場はというと、自由化の波が来て「いい」生徒*1を集めないと生き残れない*2ということで、入試にあわさざるを得ない。となると、一番歪みが来るのは、一番「めんどくさい」教科ですわ。その結果があれかな。
でもまぁ、今回の話の対象になっているところって、基本的に未来のプチエリートを育てる学校だから、結局同情とかも集まるし、なんとかなるんとちゃいますか(笑)。

*1:ってなんやねんと思うけどね

*2:と思ってるだけだけだと思う。あまりにもミクロな考え方をしていると思うけどなぁ…

光陰矢のごとし、か?

いや、そのまんまです。
今日から11月。もう年度の折り返し点を過ぎて、残すところ5ヶ月。でも、3月は実質ほとんど授業がないし冬休みも途中はさんだりすることを考えると、残りは4ヶ月ですか。
いろんなことがあったけど、もう少しだなぁという気が、なんとなくわいてきます。

なので、教材づくり

昨日の放課後、「明日には教材をお渡しします」と言ってしまいました。マジでできるかできないか、自信はないのですが、こうやって自分にプレッシャーをかけることで小人さんが発動してくれるかもしれないという、一縷の望みをかけるわけです。
で、今日も通勤途中いろいろ考えながらバイクを走らせ、1時間目の授業中も半分はそっちの方を考え…。
まずは困ったのが、生徒たちからの最も多い質問「なぜ部落ができたのか?」
いや、これ、マジで説明に時間がかかります。でも、これをコンパクトにまとめなくちゃなりません。困った…。それでも約2時間、なんとかできあがった、超コンパクト版の部落史プリント。

(1)平安時代(800年頃〜1200年頃)
「死」「病気」「火事」「犯罪」「天変地異」など、「秩序の乱れ」を「ケガレ」とする考え方がありました。そして、このような秩序の乱れた状態を回復することを「キヨメ」と呼んでいました。
 このキヨメに従事する人たちは、人々から「すごい力をもっている」という尊敬のまなざしと、「ケガレに触れている」という賤視するまなざしの入り交じった、複雑な思いで見られていました。

(2)鎌倉時代室町時代〜安土・桃山時代(1200年頃〜1600年頃)
このころになると、民衆の「キヨメ」に従事する人たちへのまなざしは、次第に尊敬の思いが薄れ、賤視し排除する意識が強くなってきました。
しかし一方で、庭づくりなど、日本の伝統文化を担っている人たちも「キヨメ」に従事する人たちでした。
また、「キヨメ」に従事する人たちの中でも、皮革産業に従事する人たち(かわた)は、実は武士・大名にはなくてはならない存在でした。なぜなら、皮革産業は同時に軍需産業でもあったからです。そのため、各地の大名は自分の藩にお抱えの「かわた」を住まわせました。

(3)江戸時代(1600年頃〜1870年頃)
江戸時代は、身分を強化する時代でした。そのため、武士身分・町民身分・百姓身分などがつくられました。また、被差別身分も身分としてハッキリとさせられる時代でした。
しかし、このような身分は突然できたのではなく、それまで民衆の中にあった差別意識を助長・固定化していったと考えられています。
ところで、被差別身分の人たちは、皮革産業をはじめさまざまな仕事をしていたので、けっしてみんなが貧しい暮らしをしていたわけではありませんでした。

(4)明治時代〜(1870年頃〜現在)
明治になって、法律上の「身分」はなくなりました。
しかし、人々の意識の中には、江戸時代までの被差別身分の人たちやその人達が住んでいる地域への差別意識は強く残っていました。
さらに、戦争や不況のため、決して貧しくなかった「地域」に住む人たちの暮らしは、一気にしんどくなりました。まわりの人たちは、そうした「地域」の姿を見て、厳しい差別のまなざしを持ちました。そして、その「地域」を「部落」と呼ぶようになりました。
現在、地区改善事業により、かつての「貧しい」部落の姿はほとんどなくなりました。しかし、いろいろな差別はまだまだ残っているし、なによりも人々の中にある差別意識がなくなったわけではありません。それが一番はっきりとあらわれるのが「結婚差別」なのです。

我ながら、よぅまとめたわ^^;;。
これができたら、あとはなんとか…。京都府のさまざまな意識調査なんかを織り交ぜながら、どうにかこうにか8割方は完成。
最後は、「映画を受けて」ということだったので、代表的なキャストの「心の動き」を追うことで「変わり目」を感じさせ、その後を予測させる、と。
できた!と思ったら、すでに4時。そこから「解説プリント」をつくって、最後のブラッシュアップ*1をして完成。と、5時10分。やべっ!なんとか「今日中」に間にあいました。ホッ…。
さて、ご意見を待ちますか…。

*1:一枚一枚のプリントを独立させて、順番や、やるかやらないかを自由に選択できるようにするとか…

教材づくり

来週の人権学習に向けた教材、ようやく先週末にできたんですが、どうも不満らしいです。なにが不満なのか、やっとわかりました。
実は、先週、生徒たちには映画を見せたんですが、わたしの教材にはそんなもの一切入っていません。どちらかというと、「それはそれとして…」という形で組んだんです。ところが、みなさんが持たれた不満は「映画を踏まえてほしい」ということだったんです。
そうか、ぜんぜん違うんだ…。
わたしにとっては、映画は「ネタ」なんですよね。あってもなくても関係ない。じゃぁ、「ネタ」だからそんなものはいらないかというと、それは違うんです。たくさんの「ネタ」を振ることで、中身が豊かになっていく。つまり、網の目をどれだけたくさんにしていくか。わたしはそう考えているんです。
ところが、不満を持たれた方は、すべてがひとつの「線」である必要があると考えられているようです。なので、その線の上に教材を準備していき、ひとつの結論を導き出していくことが「指導」であるということのようです。
根本的に、わたしの考え方と違うなぁ。
わたしのテーマは「気づき」。いつだってそうです。なにに気づくのかは、その子の関心によるし、でも、そういうものを喚起していくのがわたしの役目だと思っています。だから、すべては「ネタ」。
こういうのって、はやらないのかなぁ…。
でも、しゃーないです。そういう教材をつくろうか…。

ふたたびハードな1日・終焉〜打ち合わせ

夕方、タレを煮詰めるコンロの火をようやく切って、キムチも漬け終わって、交流会も終了。
ここでみんなと別れて、わたしは待ちあわせ場所へ。なんでも、わたしの話を聞かせたいという奇特な方がおられて、その方と打ち合わせ。
カウンターしかない飲み屋で話をしたいたんですが、となりのおじさまが目を点にしながらこっちを見っぱなしという、メチャクチャ濃いぃ話で盛りあがりました。かなり身体は疲れていて、行く前は「もぉええし…」と思っていたんですけど、行ってよかった。話せてよかった。人と「出会う」っていうのはそういうもんなんだなぁと、ベタな感じではありますが、つくづくそう思いました。
7時頃に打ち合わせも終了。それでも、約2時間、呑み・話をしていたんですけどね。あとは電車に乗ってお家へ。もう、倒れる…。