子どもたちの力を引き出す

今日は午前に会議の出張があります。なので、朝は少しゆっくり。せっかくなのでテレビをつけてみると、やはり安倍元首相銃殺事件のことが話題になってます。が、昨日あったらしい統一教会のことが話題になってて、これは容疑者の意志とは別に、ピンポイントでえらいところを突いたなと。当然のことながら、政府もマスコミも他にいろいろ話題を出してきてもみ消しにかかるんだろうけど、もみ消しきれなくなったときは、意外な展開があるかもねと。

で、午前の会議。差別をなくすための教育をどうするかって話なんですが。
おもしろかったのは、先輩が
「みんな渋染一揆、好きやな。なんでやるの?」
と問いかけたこと。みんなそれを「やっちゃいけない」と誤解をしてるんだけど、そういうことじゃないです。その「なんでやるの?」の「なんで」に答えられなきゃならんよって話です。でないと、ただやってることになる。
わたしの部落差別の授業には、水平社宣言は出てきません。なぜなら不要だからです。わたしがやりたいのは社会構造の問題です。その社会構造は多くの人によってつくられてます。だから「人」は登場しない。ただ、その社会構造に異議申し立てした人もまた存在します。そのひとつのトピックとして、「抗う人がいた」とは出します。まぁもともとはなかったんですけどね。
で、渋染一揆とか水平社宣言とかの話に引っ掛けて、わたしからもひとこと。
「みなさん、ヒーローが好きですね」
と。なんか、差別と闘うのは特殊なすごい人ってイメージがつくられるのがイヤなんですよね。そうじゃなくて、差別との闘いは日々の実践によって達成されると考えています。だから、あまりヒーローをつくりたくない。結局タニンゴトになってしまいますからね。
まぁ、そんな話。
会議が終わったら職場へ。だけれども、メッチャ体調が悪いです。何をする気も起きない。なので、思い切って労働者の権利を行使。
家に帰って自作の割干しを炊いてみたり。
で、時間が来たので夜の仕事へ。

今日と次回はすぐれた実践の映像を見ます。ちなみに、生野南小学校や大空小学校の実践を見ましたが、あれはやはり生徒指導のまとめなんですね。今回と次回は高校の実践を見てもらおうと思ってますが、そのためには進路指導とかキャリア教育とかをやっておかないと理解できない。なので、前回キャリア教育について一席ぶったのでした。
今日、どの映像を見せようかと思ったけど、ここは松原高校の課題研究やなと。
まずは松原高校がどういう学校かってことを紹介せねばなりません。なので、この写真を見せてみたり。あとは地元集中受験のこととか準高生のこととか。自立支援コースの話も大切ですね。
いや、すごいわ。映像に引き込まれます。とにかく生徒が自分自身の過去と対峙します。教員はひたすら見守る。もちろん生徒はその過去から逃げたくなる時がある。そこで教員の出番です。
「逃げないでおこう。続けよう」
それだけです。でも、もともと逃げちゃダメだと生徒も思ってる。だから、そのひとことで充分なんですね。そしてなにより教員が見守ってるってことが大切です。そうやって子どもたちの力を引き出す。
課題研究って、そういうことをやるための「仕組み」なんですね。で、そこへ至るための「仕掛け」は入学直後からはじまります。「学級開き」「HR合宿」がそれです。サイトを見ると、トップページにフラフープをつかったワークの写真が出てきます。まぁそんなことを山のようにやってるからこそのあの実践なんですね。
そしてなにより「自己開示」です。それができるのは、さまざまな仕掛けや仕組みを経て得る「安心」なんですね。そうやって、自分の過去と対峙し、それを語り、今の自分を見つめる。未来はその結果として先にある。それがキャリア教育であると考えたとき、世に数多あるキャリア教育のなんと薄っぺらなことよ。もちろん自分のことを棚に上げての話ですけどね(笑)。
そうそう、映像の中で、ある生徒が
「松高生だからいじめをせえへんとか、絶対ない」
って言ってたけど、これもすごい話です。だって、「松高生ならいじめはしない」というふうに周囲から思われ、自らも思っていることが前提にあるからですよね。
知らず知らずに涙が出てしまう、ほんとうにすごい映像でした。終わったあとのディスカッションもおもしろかった。みなさんに「感想ではなく分析的に」と注文を出したら、ほんとうにそうやってくれました。すぐれた実践を知ることで、教員という仕事がどういうものであるかということへのヒントが得られたらいいな。
次回は西成高校ですよ。
さぁ、ようやく今日が終わった。帰ってビールだな。