こんなもん、見なきゃならんのか(;_;)

夕方、それなりに疲れて家に帰るわけです*1。で、お風呂に入って、ビール呑みながら晩ごはん食べて、家族でしゃべる。で、食べ終わったらテレビを見るわけです。
時は21時。NHKなんぞを見るとニュースなわけです。あのソーリが得意げにしゃべってる。うしろに援軍の人を小馬鹿にした笑顔。
そりゃね。ニュースは見たいです。それも「どこそこで事故があった」とかじゃなくて、今の日本が、今の世界がどこへ向かおうとしているのかという情報の「ある部分」を知るためにね。
でもね。報道のしかたも報道の中身も、あまりにも醜悪です。
「総理は演説をして、自分に酔ってますね」
とは、まぁその通りだなと。
別に政治屋の演説や自己陶酔の姿を見たいわけじゃない。

*1:「夕方か?」とか「帰ってるのか?」とかいうツッコミはなし(笑)。

コミュニケーション力

とあるところで「コミュニケーション力」についての興味深い話が書いてありました。ちなみに書いたのは20歳くらいのIさん。けっこう興味深い話を出してくる人です。
別に「若い視点で」みたいなことではないんですよね。てか、そーゆーのは大嫌いなわたしです。じゃ、なにがいいかというと、このIさん、自分が考えて迷って考えて迷ってってことをストレートに出してくれるんです。で、その迷って考えている過程を追うのがおもしろい。そのおもしろさの中で、自分も迷い考えることができる。
で、コミュニケーション力にまつわる話を読んでいて、ふと考えました。
「コミュニケーション」って聞いた時、ついオフェンシブなコミュニケーション=「話す」方について考えてしまうんですけど、ディフェンシブなコミュニケーション=「聴く」って必要なんじゃないかなって思ったんですね。
なぜこんなことを考えたかというと。
「話す」側って、まぁすごく大雑把に言うなら「その場における決定権」を持っているわけです。問題は、その「権」は、はたして「権利」なのか「権力」なのかってことです。
例えば…。
とてもその場をうまく盛り上げる人(Aさん)がいるとします。みんな楽しそうに笑いながら話をしている。たぶん、その盛り上げることができる人はコミュニケーション力の高い人なのかな。まぁ、そう仮定しましょう。でもねぇ。誰か(Bさん)が話題を出した時、その場においてその話題を採択するかどうかはAさんだったりするんですよね。で、「採択しない」となると流したり、あるいはその話題を笑うことでその場を盛り上げる。
まぁ…。明石家さんまみたいな?
で、わたしはこういうのはコミュニケーション力とはあまり思えないんですよね。というか、権力の行使であるとすら思ってしまう。
じゃあ、どういうあたりの力がコミュニケーションのために必要かと考えた時、ディフェンシブなコミュニケーション=「聴く」。もう一歩すすめるなら「聴きあう」ことかなぁと。これはどういう感じかというと、自分が権力を持ちそうになった時、その場の中心からずれて、権力から逃げるという感じ。あるいは「発話権」をどうスムーズに移行させるかみたいなところに神経を注ぐ感じ。
たぶんこれが、「とあるところ」の「続く」につながるんじゃないかなって思ったりするわけです。

んー。なんだか、とりとめがないというか、まとまりがないというか、説得力がないというか…。
ま、簡単に言うと、コミュニケーション力の高いおじさまは苦手ってことなんですけどね(笑)。

わやでんねん

なんか、やりたいことや、発信したいことが、きっとたくさんあるし、それをしなきゃならない、まさにその「時」なはずなのに、やらなきゃならないことがあまりにもリソースをつかうもんだから、そちらにすべてとられてる気がします。
もう少しリソースの割り振りをうまくしたいけど、そんなことやったら、たぶんアカンのやろなぁ…。

先達から学ぶ

で、今日、昼食を約束している「先達」のおうちへ。
なんか、Macだらけの部屋で、世界と日本のトランス業界の話とか、それぞれの生き方とか、考えとかを交流。とても刺激的な時間を過ごさせていただいたのですが、5時をまわったあたりでそろそろパワー切れです。
あかん。もう帰ろう。
家に帰ったら、お風呂入って、倒れてしまいました。ま、そりゃそうだわな^^;;。

何度も片づけ

はっきり言って、合宿なんていうのは、片づけをするためにあるようなもんでして(笑)。
とりあえず、朦朧としながら起きあがって、朝ごはん。食欲ないっす(;_;)。ま、とりあえずコーヒーを飲みますか。
で、子どもたちが食べ終わった食器を洗いまくります。
子どもたちは話しあい。まぁ、お茶なとなんなと必要なわけで、コップを出します。で、帰ってきたコップを洗いまくりです。
そうこうするうちに話しあいも終了。よし。部屋を片づけて掃除機です。忘れちゃいけない忘れ物チェック。忘れまくりやん(笑)。先に帰った教員のものみたいなんで、生徒にことづけます。
「荷物が重いー(;_;)」
「まぁそう言わんと、頼むわ」
みたいな。
そんなこんなで、無事、事前合宿終了です。

長い夜

朝、目を覚ましたら、たしかにホテルです。
うーん。イマイチ、身体の疲れがとれていません。とりあえずお風呂ですね。
で、電車に乗って京都にもどります。今日〜明日、東九条で「全国在日外国人生徒交流会事前合宿」です。ぐわー、しんどい(;_;)。
なんしか集合場所へ。神奈川どころか、遠く熊本からも参加者があるわけで、その本気度がわかります。
で、わたしの役割は…。
台所ですな(笑)。
とりあえず、参加者のエスニシティをチェック。なになに。フィリピン・中国・タイ・アメリカ・コリア・ヴィエトナム・パキスタン・インド…。どうせぇちゅうねん!
ま、アドボ・水餃子・焼きビーフン・ナムル・生春巻き・マサラでいきましょう。アメリカの民族料理は、わたしにはわからん(;_;)。と、アメリカルーツの子がマムの味、マッシュポテトをつくってくれるとのこと。えらい!
で、みんなで大ごはんづくり大会。
あちらでもこちらでも、切ったはったです。
なんか、お母さんに電話でレシピを聞いている生徒もいます。こちらの無茶振りに答えてくれる親御さんに感謝です。できあがったら、みんな味見してます。
「うん。こんな感じ」
どうやら家の味に近づいたみたいです。
「わたしも味見」
「どうですか?」
「うん!おいしい!」
ホッとした笑顔がかわいいです。
で、晩ごはん大会。
夜の10時くらいから「深ーい自己紹介タイム」がはじまります。ここからが本番ですが、わたしは限界が近づいてます。と、そこに暴走機関車が登場。えらいこっちゃ^^;;。台所でK淵さんと3人で、ダラダラ話。話しあいに疲れた教員がたまにやってきて、ダラダラ話。なんだか、暴走機関車からわたしの悪行を指摘されて、これはえらいこっちゃと。
ま、そんなことをやっているうちに、夜の1時をまわったあたりで、子どもたちの話しあい終了です。一度深い話をともにくぐった子どもたちのつながりはハンパないです。そのあとも延々と話をしているのですが、そろそろ3時ですよ。寝ましょうか。

お好み焼き屋で頼むもの

で、お友だちのS見さんと、担当してくださったK見さんと3人でお好み焼き屋さんへ。
「なに食べましょう」
「えーも、はちく煮とあら煮と…」
お好み焼き屋さんでお好み焼き頼まないのは恒例です。てか、なんでも、K見さんのお父さん、晩ごはんのあとはお好み焼き屋さんに行って一杯やるのが日課だとか。近所のお父さんも、みんなやってたとか。で、やはりみんなお好み焼きは頼まない(笑)。
まぁ、お好み焼き屋さんって、そういうものなんですよね。
この店、ビールがスー○ー○ライしかないのはいただけないのですが、焼酎のお湯割りの濃さは自由にして下さるのはうれしいです。
なんか、サイドメニューと焼酎お湯割りですっかりできあがってしまいました^^;;。
あ、お好み焼きはベタ焼でした。めずらしいな…。

久しぶりのお座敷

こないだの講演で、「京都府北部の人は結婚にかかわる忌避いしきが低い」というデータが示された意識調査結果ですが、個人的には
「そりゃそうだろう」
と思うわけです。だって、社会教育での人権啓発、ハンパないですから。で、その「ハンパない街」から「来て」って言われたので行ってきました。
駅に着いたら、出迎えてくださった方が
「これが新しい図書館で」
と教えてくださいました。あー、お友だちのS見さんの…。すんごいきれいです。ここでS見さん、「攻めの図書館」をやるつもりなんですね!
もっとも、話を伺ったら、全員腰をいわしてるとか。そりゃそうです。グランドオープン前なんで、みなさん書架にひたすら本入れをてて、えらいことになってるみたいです。
で、会場の公民館へ。出迎えてくださった方館長さん、明らかにわたしを警戒しています。そりゃそうでしょうね。あまりにもいろんなものが「不詳」ですから(笑)。
にしても、ずいぶん久しぶりのお座敷です。2月以来か…。「ちゃんとしゃべれるだろうか」と思ったら、メッチャ不安になってきました(;_;)。こんな時は呪文です。
「小さな大切」
大きなことを伝えるんじゃなくて、それぞれの人の心の中にある小さな大切に気づいてもらうんでした。
ふぅ。
てことで、お座敷開始。
けっこうたくさんの方が聞いてくださっています。てか、見たことある顔がチラホラ。思わず
「一度聞かれた方、お願いですから、ネタはばらさんといてください」
とお願いしてしまいました。
にしても、早口だし滑舌悪いし、ダメダメです。それでも、局所的に大ウケしてるのが救いです。自分を励ましながら、なんとか終了^^;;。
お座敷が終わったら、館長さんの警戒心が解けてました(笑)。
にしても、年度最初のお座敷は予習復習は大切なのかなぁ。

我を忘れる

この間、おべんきょのためにこんな本とかこんな本とかこんな本とかこんな本(笑)とか読んでいます。最初の本の参考図書に最後の本が出ていたのはおどろきと笑いと納得と、微妙に入り混じった気持ちがしたりするわけです。
でも、ダメですね。なんか、引きずられてしまう。
おべんきょはあくまでおべんきょなんです。上にあげた本とは根本的にテイストが違う。主張を胸のうちに秘めて、淡々と書かなきゃならないのに、なんか、その主張を書きたくなってしまうんですね。
なので、いったん休憩です。
こんな本も読みたいけど、もう少し先。でも、とりあえずこの本くらいはかばんの中に入れておきましょう(^^)。

局所的満員電車

出勤途中の電車にて。
わたしはいつもベンチシートの端の席に座るのですが、隣に座る人によって、その快適さはおそろしく左右されます。
今日の人は、異様に接近してる。とにかく肩がぶつかるすれすれです。しかも、横に立ってる人はベンチシートの横にあるバーにもたれかかる…というよりも、軽く腰掛けてる状態です。なので、徐々にわたしの上空に上半身がはみ出てきます。これはきつい。ものすごい圧迫感です。局所的満員電車です。
念のために、車内の他の「端席」を見てみると、そんな思いをしてそうな人は誰もいません。
これはなぜなんだろう…。

てなことを二時間目の授業の雑談でしたりするわけで(笑)。
「あるある!」
とかいう声とか、メッチャ「わかるー」という笑顔とか、いろんなエールをもらいました。
そうそう。
女性専用車両とか、メッチャ等間隔やんなぁ」
というある子どものツッコミには笑いました。
ええなぁ(笑)。