今年から全体的に特殊業務の内容が変わって、本格的な特殊業務が例年は一回だったのが二回に変更になりました。それがはたしていいことか悪いことか。「機会が増えた」と言えばいいことなんだろうけど、「挫折の回数が増えた」と言えば…。ま、それも考えようによってはいいことかもしれないけど、「不要な夢への挫折」はイマイチかなぁという気もしないでもないです。
ま、それはおいといて。
そんなこんなで、今年も特殊業務の日がやってきたわけですが、今年もわたしは放送担当。
これ、事務仕事しなくていいとか、黒子だからラフな格好でいいとか、いろいろ楽なところはあるのですが、なんだかんだいってタイムキーパーですから、それなりの緊張感はやはりあるし、基本的には「孤独な仕事」なわけです。まぁ、性にはあってますか。
てことで、今年も淡々粛々と事を進めて、ノーミスで終了。いや、ミスしたら、下手したら新聞載るし(;_;)。
よかったよかった。
月: 2014年3月
積み上げからの転換点
今日の午前は人権の観点から学力を考える会議でした。
課題はてんこ盛りなんですが…。
学力の定着をはかるって話があって、そのために、日単位、週単位、月単位、学期単位、年単位でていねいに振り返りながら積み上げていくということが提案されていました。
まぁ、それはそれですごい労力もかかるし、すごいことだなぁとは思うのですが…。でも、なにかひとつ釈然としないものが残りました。
それは、「貯め方」だけでなく「使い方」のスキルをつけないといけないんじゃないかなぁってことでした。もう少し言うなら「使い方」を教えることで「貯める必然性」みたいなものが内発的に出てくるんじゃないかみたいなことなんです。
「問題」を解くって、ひとつのスキルだけでできるものもありますけど、それは、たとえば試験だったら「1番」だけで、「2番」以降は複数のスキルを組み合わせなくちゃならない。その時に、既存のスキルを組み合わせて解いていくわけです。で、それらはひとつひとつは小さなスキルで、たぶん既習のものなんだけど、逆にその小さなスキルを使うことに気づかなければ解けない。と思ったときに、「貯める」ことに軸足を置きすぎるとまずいんじゃないかなぁとふと思ったのです。でも、もちろん「なにもない」のはまずいわけで、「貯める」こともまた必要かなと。
と考えたときに、それぞれの発達段階で、「貯める」と「使う」をどうバランスよく配置するかってことを考えるのも大切かなぁと思ったという…。
なんかよくわからんな^^;;
「ェ」の使い方を知る
昨日突然思い出した仕事がありまして。でも、昨日は時間切れ。なので、今日はそいつを最優先でやろうかと。まぁ、例年通りにやればいいので、すぐ終わるかなと思ったのですが…。
書類を見たら、いままでと書式がまったく違います。どころか、いままで一枚ですんでいた書類が、それだけでは終わらない。なんか、いっぱいつけろと。はぁ?
そうか…。
そう言えば、友だちも言ってたなぁ。「書式が変わってたいへん」って。このことか…。てことは…。その瞬間、思わず口について出てきました。
「○○○ェ」
そうか。こう使うのか。なんか、気に入った(笑)。
てのはおいといて、「いっぱいつける書類」手元にないっす。どうする?とりあえず泡食ってあちこちに連絡。でも、ぜんぜん連絡がつきません。どうしたものかと思いながらメールもしまくり。
と、
「ほしい書類はこれですか?」
というメールがきました。助かったo(^^)o
のんびりできると思いきや
朝、職場に向かいながら、今日一日の仕事の段取りを考えていました。で、いろいろ考えて
「ま、今日はあまりバタバタしなくてすむな」
と
「そろそろwin7へのアップデートしなくちゃな」
と。
ま、そんなのんびりした感じだったんですが…。
仕事はじめてしばらくしたら、いきなり仕事が舞い込んできました(笑)。さらにしばらくしたら別の仕事も。そうそう、資料の整理もしよう。書類の整理もしよう。
あ!2ヶ月前の仕事、ひとつ忘れてた!ヤバい!時間がない(;_;)。
でも、医者の時間が迫っています。泣く泣く職場を後にして…。帰りの電車の中で、メッチャ大事な仕事を忘れてることに気がついて…。
あきませんな…。
でもま、採血すませて、ついでに花粉の薬ももらって、さらに飛び込みで髪の毛カットできたから、よしとしましょうか。
それにしても、Google日本語入力、アップデートしてから、エンターキーで全確定するようになって、えらい使いにくくなりました。しゃーないのでATOKに変えたんですけど、キーの大きさがビミョーで、これまた使いにくい。これは慣れの問題なのかなぁ…。
92年目の日に寄せて
3月3日と言えば、やはり「全国水平社創立大会」の日ですよね。ま、もともとひなまつりにぶつける気はなかったみたいですが、紆余曲折の末3日になったとか。
まぁそれはいいとして。
「あの時代」に
「此際吾等の中より人間を尊敬することによつて自らを解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である」
と宣言したってすげえなと思います。
でも一方、ちと待てよと…。あの頃って、いわゆる「大正デモクラシー」の時代です。「差別があたりまえ」の時代から「差別はアカンやろ」という時代へと転換していく時代のうねりの中に水平社もあったと、わたしは考えています。
で…。
それから92年たった今、「あの時代」と今と、どちらがどうだろう。
水平社博物館を襲撃する人もいます。大阪人権博物館(リバティおおさか)の展示に知事が介入し、さらに補助金を切って廃館に追い込もうとしています。大阪国際平和センター(ピース大阪)の展示に政府が介入する時代です。ヘイトスピーチや差別落書きがそこここにあります。それどころか、総理大臣は「緊急事態で人権停止」と言う時代です。
たぶん、水平社ができたあの時代よりも、今のほうがダメな気がします。
でも、ひとつだけいいことがある。それは、水平社があったあの時代を知ってるっていうことです。「差別はアカンやろ」という時代をつくってきた人たちがいたということを知ってるってことです。
だから、いま「差別はアカンやろ」という声をあげる人がいて、それをあたりまえと思える人がいる。
歴史を学ぶ意味はそこにあるのかなと思います。
まぁだから、そういう歴史を学べないように、歴史を修正しようとする人がいるわけで、国が決めた歴史を教科書に載せようとする人がいるわけだけどね。
徴
夜、最寄りの駅で降りて歩いていると腕をつつかれました。振り返ると、そこには知らない人。
「カウンターされてるんですか?」
「え?あー、これ(笑)」
リュックには缶バッチと藍染めのバンダナ。首にはマフラー。だれでもわかりますよね。
「Yさんから「地元にもカウンターやってる人いるよ」って聞いてたんです」
「あー、たぶん、それ。わたしのことです」
「じゃまた、カウンターの現場で」
みたいな会話。
「思い」や「行動」を日常に持ち込み形にした時、人と人とが出会うのかなぁ…。
たぶん、根本的に冷たいんだ
今日は卒業式。ま、いつものように淡々と仕事をこなすわけですが…。
わたしがいる校内セクションは、まぁヤンチャな子らを相手にするわけです。で、そんな子らこそがかわいいっちゃかわいいんです。
ま、それはそうなんですけど…。
明るい大きな声で
「ありがとうございましたー!」
とか
「お世話になりましたー!」
とかやっていて、同じセクションの人も
「おう!がんばれよ!」
とかやっているのを遠くで見たりしているのです。
まぁうちのセクションの人はとても分厚いかかわりをする人たちで、そらだけに子どもたちもなつくんですね。
ま、そんな風景を横目で見ながらおべんと食べて、いろんな用事をして…。
まぁ、わたしのかかわりの薄さというか冷たさというか。どこかで距離をおいてるんですね。
なぜだろう…。
まぁ、めんどくさいとかいう話もあるわけですが、たぶん「自分の人生を生きるのは自分」みたいなことをどこかで考えているのかなぁ。その子の中にあるわたしの存在を極力消して、でも「言葉」だけは残る。そんなことをしたいのかなぁ…。