今日の授業のはじめ、宿題をあてました。すると
「わからない」
と。いや、わからないのはまったくokです。それをわかるようにするのが仕事ですから…。なので、
「昨日言ったように、○○しようか」
というと
「へ?」
という顔。なので
「「テキストの余白に○○って書いてね」って言ったけど、書いてある?」
というと
「書いてない」
と。
「じゃぁ、きのう「○○だよ」って言ったけど、覚えてる?」
「覚えてない」
書くこともせず、覚えることもしない。あぁ、わたしはこの一年間、この子たちになにを伝えてきたのかなと思いました。
わたしは基本的に事細かにメモの指示をします。なべなら、わたしの勤務校の子どもたちはなにをメモすべきで、なにはメモしなくていいということを身に着けずに、いままでの学校時代を過ごしてきたからです。
それをしなかったということは…。てことで、お説教(笑)です。
君たちは、結局わたしのことを無視し続けてきたということなんだ。
無視するとはどういうことか。
例えば、駅で寝ているホームレスの人を見た時、君たちは無視をするのか。
わたしはなにもできないけど、せめてその人が生きているかどうかだけは気にする。ケガをしているかどうかだけは気にする。もしも大丈夫であれば、なにもできない自分を情けなく思いながらそこを立ち去る。でも、もしもケガをしていたら、きっと声をかける。
無視をするということは、その人の存在を自分の中で抹殺することなんだ。そして、わたしはどうしてもそれはできない。でも、君たちはそれをしてきた。そしてそういう行為は、実はとても人を傷つけることなんだ。
わたしは、君たちがわたしのことを無視していたということに気づいて、とても傷ついた。
続けて…。
君たちが無視をする時、きっとその前に「わからない」と思って、あきらめるんだと思う。でも、わからないからといってあきらめるのはやめよう。わからないことを手から離すことはやめよう。
残念ながら、君たちの「わからない」と、わたしの「わからない」には違いがある。わたしの「わからない」には引っかかりがある。もしも引っかかりがなくても、必死で爪を立ててひっかかりをつくる。
でも、君たちはその引っかかりをつくる力が弱い。引っかかりがない状態では、「わからない」ことをいくら考えてもわかるはずがない。それはわからないんだ。引っかかりがあるから、「わかる」へと変わっていく。その引っかかりをつくる手助けをするのが私たち教員なんだ。でも、「わからない」を手放した瞬間、その引っかかりはなくなる。
だから、絶対に手放さないこと。
おそらく、これがこの子どもたちに伝える、わたしの最後のメッセージになるのかな。
まぁ、来年また教えるかもしれませんけどね^^;;。
いつきさん、かっこいいですねぇ。
私はいつきさんのような先生に教えてもらいたかったです。
それよ分かれよ。生徒諸君!と思います。
でも、いつかはいつきさんのこといい先生だったって彼らも気づくときがあるはずです。
ちなみに私は高校時代、まったく数学が分かりませんでした。今でも分かりませんが…。生徒さんたちの気持ちも分かるような気がします。できないのですよね、ほんとに。
んー
たぶん、はったりです^^;;。
だまされてくれる子どもたちがえらいです^^;;。
数学はねぇ。ほんとはテストのためにやるんじゃなくて、純粋に「なぜ?」と思いながらやると、あんがい楽しいものなんです。わたし、「数学って悪くないやん」と思ったの、教員になって3年目くらいです
『絶対に手放さないこと』
数学って、「出来ない・分からないのが、むしろ人として正しい」「手放すのが、当然だ」「分かるヤツは異常」と思いこんでいる生徒がとても多いですからねぇ。親までそう信じ込んでいて、その影響だったりする。
酷い場合は、小学校の教員まで、近いことを考えている(流石に、中高の数学教員でそう思っている人はいないと思いますけど、、、、いないと良いなぁ)。
他に勉強法の誤りなどもあると思うけど、根っこの思い込みからなんとかしないと、どうにもならない面がありそうに思います。
「わかるやつが異常」いますねぇ^^;;。
もっとも、真の数学者はかなりそれっぽいとは思いますが^^;;。
というのはおいといて。
「わからない」という言葉で思考停止をごまかすんですよね。それがなぁ…。