総括

講演会終了後、F市の友だちを交えて4人で軽く呑み。石谷さんは「ちょっとやったら呑んでいい」らしいです(笑)。
飲み屋では、お互いの「病気」についての報告をしたり、なんじゃかんじゃといろいろ話。それにしても、F市の友だち、おもしろいというかすごいというか。フットワークの軽さとネットワークのつなげ方の軽さがいい感じです。
でも、講演が終わったのが9時前。店の閉店が11時ごろ。
あっという間に終了です。
で、店から出るとこんな景色。

おいおい、さっきまで雪のかけらもなかったやん。
あした、朝が早いのにどうしよう…。

障碍とともに生きる 心の病とともに、あるがままの自分を生きる

夜は京都府北部のF市でおこなわれた人権研修会を聞きに行きました。
タイトルは「障碍とともに生きる 心の病とともに、あるがままの自分を生きる」。講師は統合失調症の当事者と、精神障害の人たちの支援をしているNPO法人おりーぶひらのの理事長のおふたりです。
ちなみに、なぜこの研修会に行く羽目になったかというと、紹介したのがわたしだったという(笑)。
話の内容がおもしろそうだったので、せっかくだからここにアップすることを決意しちゃいました。
以下、ちょっとツダり風。

座っている位置がね。
男性が前、女性が後ろ。なんでだろう…。

オリーブひらの理事長 森本克子さん
オリーブの活動紹介と障碍の基礎知識
平野区大阪市の南東。精神障害者の人たちの生活支援、就労支援。
平野は150年前の建物が焼け残っている。建物の保存もしている。
オリーブのパンフレット。
地域で暮らす、働くために。
年齢層は20〜67歳。男女同じくらいの割合。共通点は精神科に通院している。

病名が増えている。うつは理解が進んできた。でも、統合失調症の人が増えてきた。
社会に出るための準備期間としておりーぶで過ごしている。手持ちぶさたなのでいろいろなことをやっている(軽作業)。フルタイム(9時〜3時)で3000円〜5000円。

一般で就労したい人。去年と今年6人ずつ成功。見守りさえあればぜんぜん大丈夫。
芸術家が多い。給食サービスをやっている(ボランティア、ヘルパー、利用者)。などなど

統合失調症について
どこに心?どこに精神?実は脳の不具合。オーバーヒート状態。
陽性症状、陰性症状、認知の障碍、   。
三障碍の人口比(挙手)
200人にひとり
よくまわりを見ると「親戚にいたわ」みたいな。

でも、平野区にはセンター2つ、クリニック4つ。精神のケアには不足。
1000人中身体が28人、精神が21人、知的が4人
22万39000が精神の在宅、32万9000が知的の在宅(施設をやめようという方向)
国民の5%が障害者。
いまからどんどんそうなっていく。だから、ひとりひとりが支援者に。

統合失調症の人は100人にひとり。ありふれた病気。慢性肝疾患とよく似ている。なのにあまり知られていない。それは不幸な歴史。座敷牢。「精神病」「狐憑き」など。
うつは1999年には440000人。2008年には104万人。9年間で2.4倍。対策を練らないといけない。自殺者も30000人をキープ。わかるようになっている。早期治療を。

統合失調症について
オーバーヒート。治療は活発になりすぎた状態を沈めるために薬。地域差はない。治る。薬は飲み続けないと行けないけど、治る。
前兆期…ここで気づいたら、言葉をかけてほしい。急性期にならずにすむことがある。
急性期…不安になりやすい、眠れない、幻聴、妄想。うしろふたつが誤解。でも、本人が一番つらい。
休息期…治療によって静まる。眠気が出たりだるかったり。これもつらい。数ヶ月単位の休息が必要。
回復期…必要なことはたくさんある。自信を持つことが大切。急性期の記憶が自分を責めることがある。まわりが「病気やったからしかたないね」と言ってあげること。
「路上生活をせなあかんと思ってた」とか。回復期の人に声かけを。

「幻聴なんて効いたことない」「これからも聞くことがない」と思う人がいる?
この先聞くことがあるかも。雪山登山なんかでは遭難したら正体不明の声を聞いたという証言。不安・孤立・過労・不眠が幻聴。白血病なんかで無菌室に入ると聞こえることがある。
受験に失敗した、引っ越して誰もいない。こんな時に聞くかもしれない。別世界の話ではない。たいてい幻聴はいいことではなく、悪口、おどし、命令、行動の先取りが聞こえる。不快、誤解(好きな人が悪口)→妄想。「自分のことを知っている」「町の人が悪口」「盗聴されている」「嫌がらせをされている」。幻聴は苦しめる。
どの状態かを把握することでアドバイスできる。(図参照)。

治療の基本
受診・服薬・休養・楽しむこと・仲間をつくること
幻聴はおつきあいできる程度。実際の声じゃないということがわかると楽になる。気分転換のマニュアル(音楽とか)。薬だけでは不十分。日々の暮らし

子どもの頃から発病した人の事例。20越えておりーぶにきた。どんどんよくなった。いま就労の道を歩んでいる。恋いもした。家族ばかりはよくない。移動支援をピアヘルパー(石谷さん)と一緒に。
石谷さんは3年前にヘルパーの資格。

石谷さん登場

統合失調症という病にかかっている。
わかったきっかけは、10年前に東京で飛び降り自殺。「なんでこんな無茶なことをしてしまったんだろう」と思った時に、「精神科を読んでくれ」と病院で言った。それで統合失調症という病名をつけられて自覚した。今年で10年目に突入した。

飛び降りた影響で顔にプレート。歯も抜けた。滑舌が悪い。でもよろしく。
精神障害もあるけど、肉体的にも後遺症。正座ができない。助かってからの人生を考えていなかった。

東京の病院に1年間入院。24歳〜25歳。不安と孤独。過労や不眠は薬でカバーできていたけど。「これからどうするんだろう」。築いてきた人間関係。友だちにどうやって打ち明けよう。ふさぎこんでいた。

身体が治って「退院してくれ」と言われた。病室にいられなくなった。実家の和歌山に帰った。28歳までなにもできないまま。

都会に出ないとなかまに巡り会えない。田舎は不利。精神障害ということを家族は近所に知られたらまずい。外出は車に乗って買い物ぐらい。閉じこもりがちに。

26〜28。実家。30前に家にいると。父親が切れた。「30前にゴロゴロして。怠けているだけ」。毎晩、晩ご飯の時とかに言われて。いられなくなって、7万円もって家出。

福祉マンションを見つけて奇跡的に入居できた。それが平野区。そのうちアルバイトも見つかった。工場のアルバイト。身体障害で身体に力が入らない。運動もしていなかった。通いづらくなってやめた。でも、給料は12万ほどもらえた。

その時におりーぶに出会えた。「うちに来て」。精神の人たちの就労支援。
「ワンクッション置いてリハビリしない?」

最終的にホームヘルパー2級の資格を取れた。大阪に来たら友だちもできた。
携帯は上野駅のコインロッカーに放り込んで飛び降りた。
大阪の専門学校に通っていた。
同窓会を開いてくれた。友だちが復活。大阪に来てよかった。

福知山と聞いて思い出した。綾部に期間工派遣社員)として働いていた。その時23歳。幻聴。自分を励ます声じゃなく、自分を卑下する声。妄想。人間関係がうまくいかなくて3ヶ月でクビ。今は懐かしい。

お金を持って東京に行った。精神状態がボロボロ。携帯なんかのちょっとした仕草が、じぶんのことを監視している気持ち。つらくなる。どこに行っても、電車に乗っても街を歩いても公園に行っても、四六時中見張られている気持ち。それで飛び降りてしまった。信じられないかもしれないけど、おこってしまった。

健康な状態で働いている友だちもいるけど、会社を首になりかけている、ストレスが来ている友だち。「大丈夫か」「間違えたらオレみたいになってまうぞ」「無理するな」という一声をかけてあげてほしい。僕みたいに飛び降りたりしないですむような気がする。

シナリオ、まとまってないので、べらべらしゃべっている(笑)。

いま薬を飲んでいる。
バレンタインデーに精神病院の通院やった。薬の説明書。
効果
寝付きをよくする。不安やいらだちを押さえる。熟睡するようにできる薬。気分を落ち着かせる薬。精神安定剤。の5錠。10年間呑んでいる。この先も。寝る前に呑んでいる。毎食後の人もいる。違う悩み。薬を飲む時まわりの目が気になる。「咳止めや」とか、ウソをついたりする。

障害者デビューが10年。今後の10年どうしようか。

薬を飲むのも大切だけど、精神科の医者とのかかわり方も大事。自分は主治医と10年変わらなかった。医者がチェンジした時、あうのかどうか。不安もある。
薬さえ飲んでいたら働ける人もいる。これから先も無理をせずにがんばっていきたい。

ピアヘルパー。
ピアは仲間。障害を持っている人をピアヘルパー。
精神障害を持っている人に付き添って外出をしたり、案内役をしている。女の人も高齢の人も若い男の子も対応したことがある。

こだわりが強い人が多い。ひとりだったら行きにくいけど、一緒ならいける。利用者の方が道を知っているけど。気をつけていることは健康状態とか、薬を飲んでいるか、水分とっているか。

自分が東京の病院でお世話になった看護師・理学療法士が参考。これをやっておいたらよくなるためのステップ。方向は一緒。方向を、その人たちに習ったように、その人のよりよい生活の質をあげられるように手助けをしている。

看護師さんの話。
東京の文京区の病院。飛び降りたのは文京区。搬送された病院が救命救急病棟がある病院。出会った看護婦さんによくしてもらえた。

「自殺する時に自分の荷物コインロッカーにぶちこんだまま。心配なんやけど」「わたし、上野駅行って、駅員さんに聞いてくるわ」

両手両足ギブス。でも、あちこち行くのが好きやった。
車いすに乗せてもらって外出させてもらった。根津神社に連れて行ってもらった。ほんとうにお世話になった。

東京に行くとその病院に行った。2年ほど前に行ったらシステムがかわって病棟がなくなった。看護婦さんもいなくなっていた。新潟出身。新潟に帰ったのか?別の仕事をしているのか?そういう出会いもあって、介護という仕事を目指す気持ちになった。

森本さん
H11年にボランティア講座で話をしてくれる当事者を探していた。彼女は50台。チャーミング。苦しいのに人生を楽しむことを忘れない。

急性期。「生まれ変われ」という声。大阪城のお堀の上へ。はだかにならなあかん。叫んでた。警察が来て、やっと病気ってわかった。
「でも、若い頃でよかった。今の身体やったらみせられへん」。笑いを忘れない。
ほんとうに優しくしてもらえた。骨折した時もご飯を持ってきてくれた。誤解を受けているのが悲しい。

ボランティア講座に30人ぐらい募集。半分くらい残った。
「旦那さんの介護が終わって、自分の人生を生きてこなかった。この電話をかけたら自分の生き方が変わるかも。勇気を持って電話をかけた」。
南部さん(さっきの50台の彼女)も勇気を持って話をした。

石谷さんみたいに講演してくれる。貴重なお話を聞いていただいた。

口コミが大切。ボランティアがどんな活動をしているか。

本人が病院に行きたくない。お母さんがまず行くのもあり。
専門家じゃなくても、みなさんひとりひとりが。

漫画の紹介。

治療が必要ということ、啓発が進んでいなかったために、治療へのアプローチが遅れた。

病気のことよりも家族のことを知りたいのでは?漫画がいい。

通院にどう導いたらいいだろう。
声をかけるのは、「病気ちゃう?」ではなくて「眠れてないんと違う?いい薬あるよ」孤独である気持ちにより添う。

でも、急性期が激しい時は傷つけるため、保護もある。

ヘルパーさんに向かって灰皿を投げた人もいる。ステーションとしては派遣できない。でも、ほんとうはヘルパサーさんの向こうに見えている怪物からヘルパーさんを守るため。
テレビを壊した。アナウンサーがこわいから。
知れば知るほど、支援があれば、家族も本人も困らない。

冊子の朗読。

今日は石谷さんの34歳の誕生日。

パチパチ

和解

朝、
「ヤツらと関係をつくりなおそう」
と決意しました。
で、教室に行って、
「きのうは冷たいこと言ってごめん」
とひとこと。そうしたら
「なんのこと?」
とキョトン。どんだけ忘れるの早いねん。でも、そこはもう少していねいに話。そしたら
「大丈夫やで」
とにっこり。
別の子からは
「わたしが悪かったんや。ごめん」
と謝られました。
マジ、こいつらいい子らです。たぶん、瞬間お互いに「おとな」じゃなかっただけで、お互いに「おとな」であることを思い出したら、そこはなんとかなるんだな。
これでようやく2日間にわたる「落ち」から脱出できました。
ちなみに午後はそのクラスのロングホームルームの代講。一通り話が終わって、だらだらと雑談をしているうちに、気がついたら次の授業の教員が来ていました。
やっぱりわたしは休み時間の教室が好きなんやとあらためて認識しましたよ。