障碍とともに生きる 心の病とともに、あるがままの自分を生きる

夜は京都府北部のF市でおこなわれた人権研修会を聞きに行きました。
タイトルは「障碍とともに生きる 心の病とともに、あるがままの自分を生きる」。講師は統合失調症の当事者と、精神障害の人たちの支援をしているNPO法人おりーぶひらのの理事長のおふたりです。
ちなみに、なぜこの研修会に行く羽目になったかというと、紹介したのがわたしだったという(笑)。
話の内容がおもしろそうだったので、せっかくだからここにアップすることを決意しちゃいました。
以下、ちょっとツダり風。

座っている位置がね。
男性が前、女性が後ろ。なんでだろう…。

オリーブひらの理事長 森本克子さん
オリーブの活動紹介と障碍の基礎知識
平野区大阪市の南東。精神障害者の人たちの生活支援、就労支援。
平野は150年前の建物が焼け残っている。建物の保存もしている。
オリーブのパンフレット。
地域で暮らす、働くために。
年齢層は20〜67歳。男女同じくらいの割合。共通点は精神科に通院している。

病名が増えている。うつは理解が進んできた。でも、統合失調症の人が増えてきた。
社会に出るための準備期間としておりーぶで過ごしている。手持ちぶさたなのでいろいろなことをやっている(軽作業)。フルタイム(9時〜3時)で3000円〜5000円。

一般で就労したい人。去年と今年6人ずつ成功。見守りさえあればぜんぜん大丈夫。
芸術家が多い。給食サービスをやっている(ボランティア、ヘルパー、利用者)。などなど

統合失調症について
どこに心?どこに精神?実は脳の不具合。オーバーヒート状態。
陽性症状、陰性症状、認知の障碍、   。
三障碍の人口比(挙手)
200人にひとり
よくまわりを見ると「親戚にいたわ」みたいな。

でも、平野区にはセンター2つ、クリニック4つ。精神のケアには不足。
1000人中身体が28人、精神が21人、知的が4人
22万39000が精神の在宅、32万9000が知的の在宅(施設をやめようという方向)
国民の5%が障害者。
いまからどんどんそうなっていく。だから、ひとりひとりが支援者に。

統合失調症の人は100人にひとり。ありふれた病気。慢性肝疾患とよく似ている。なのにあまり知られていない。それは不幸な歴史。座敷牢。「精神病」「狐憑き」など。
うつは1999年には440000人。2008年には104万人。9年間で2.4倍。対策を練らないといけない。自殺者も30000人をキープ。わかるようになっている。早期治療を。

統合失調症について
オーバーヒート。治療は活発になりすぎた状態を沈めるために薬。地域差はない。治る。薬は飲み続けないと行けないけど、治る。
前兆期…ここで気づいたら、言葉をかけてほしい。急性期にならずにすむことがある。
急性期…不安になりやすい、眠れない、幻聴、妄想。うしろふたつが誤解。でも、本人が一番つらい。
休息期…治療によって静まる。眠気が出たりだるかったり。これもつらい。数ヶ月単位の休息が必要。
回復期…必要なことはたくさんある。自信を持つことが大切。急性期の記憶が自分を責めることがある。まわりが「病気やったからしかたないね」と言ってあげること。
「路上生活をせなあかんと思ってた」とか。回復期の人に声かけを。

「幻聴なんて効いたことない」「これからも聞くことがない」と思う人がいる?
この先聞くことがあるかも。雪山登山なんかでは遭難したら正体不明の声を聞いたという証言。不安・孤立・過労・不眠が幻聴。白血病なんかで無菌室に入ると聞こえることがある。
受験に失敗した、引っ越して誰もいない。こんな時に聞くかもしれない。別世界の話ではない。たいてい幻聴はいいことではなく、悪口、おどし、命令、行動の先取りが聞こえる。不快、誤解(好きな人が悪口)→妄想。「自分のことを知っている」「町の人が悪口」「盗聴されている」「嫌がらせをされている」。幻聴は苦しめる。
どの状態かを把握することでアドバイスできる。(図参照)。

治療の基本
受診・服薬・休養・楽しむこと・仲間をつくること
幻聴はおつきあいできる程度。実際の声じゃないということがわかると楽になる。気分転換のマニュアル(音楽とか)。薬だけでは不十分。日々の暮らし

子どもの頃から発病した人の事例。20越えておりーぶにきた。どんどんよくなった。いま就労の道を歩んでいる。恋いもした。家族ばかりはよくない。移動支援をピアヘルパー(石谷さん)と一緒に。
石谷さんは3年前にヘルパーの資格。

石谷さん登場

統合失調症という病にかかっている。
わかったきっかけは、10年前に東京で飛び降り自殺。「なんでこんな無茶なことをしてしまったんだろう」と思った時に、「精神科を読んでくれ」と病院で言った。それで統合失調症という病名をつけられて自覚した。今年で10年目に突入した。

飛び降りた影響で顔にプレート。歯も抜けた。滑舌が悪い。でもよろしく。
精神障害もあるけど、肉体的にも後遺症。正座ができない。助かってからの人生を考えていなかった。

東京の病院に1年間入院。24歳〜25歳。不安と孤独。過労や不眠は薬でカバーできていたけど。「これからどうするんだろう」。築いてきた人間関係。友だちにどうやって打ち明けよう。ふさぎこんでいた。

身体が治って「退院してくれ」と言われた。病室にいられなくなった。実家の和歌山に帰った。28歳までなにもできないまま。

都会に出ないとなかまに巡り会えない。田舎は不利。精神障害ということを家族は近所に知られたらまずい。外出は車に乗って買い物ぐらい。閉じこもりがちに。

26〜28。実家。30前に家にいると。父親が切れた。「30前にゴロゴロして。怠けているだけ」。毎晩、晩ご飯の時とかに言われて。いられなくなって、7万円もって家出。

福祉マンションを見つけて奇跡的に入居できた。それが平野区。そのうちアルバイトも見つかった。工場のアルバイト。身体障害で身体に力が入らない。運動もしていなかった。通いづらくなってやめた。でも、給料は12万ほどもらえた。

その時におりーぶに出会えた。「うちに来て」。精神の人たちの就労支援。
「ワンクッション置いてリハビリしない?」

最終的にホームヘルパー2級の資格を取れた。大阪に来たら友だちもできた。
携帯は上野駅のコインロッカーに放り込んで飛び降りた。
大阪の専門学校に通っていた。
同窓会を開いてくれた。友だちが復活。大阪に来てよかった。

福知山と聞いて思い出した。綾部に期間工派遣社員)として働いていた。その時23歳。幻聴。自分を励ます声じゃなく、自分を卑下する声。妄想。人間関係がうまくいかなくて3ヶ月でクビ。今は懐かしい。

お金を持って東京に行った。精神状態がボロボロ。携帯なんかのちょっとした仕草が、じぶんのことを監視している気持ち。つらくなる。どこに行っても、電車に乗っても街を歩いても公園に行っても、四六時中見張られている気持ち。それで飛び降りてしまった。信じられないかもしれないけど、おこってしまった。

健康な状態で働いている友だちもいるけど、会社を首になりかけている、ストレスが来ている友だち。「大丈夫か」「間違えたらオレみたいになってまうぞ」「無理するな」という一声をかけてあげてほしい。僕みたいに飛び降りたりしないですむような気がする。

シナリオ、まとまってないので、べらべらしゃべっている(笑)。

いま薬を飲んでいる。
バレンタインデーに精神病院の通院やった。薬の説明書。
効果
寝付きをよくする。不安やいらだちを押さえる。熟睡するようにできる薬。気分を落ち着かせる薬。精神安定剤。の5錠。10年間呑んでいる。この先も。寝る前に呑んでいる。毎食後の人もいる。違う悩み。薬を飲む時まわりの目が気になる。「咳止めや」とか、ウソをついたりする。

障害者デビューが10年。今後の10年どうしようか。

薬を飲むのも大切だけど、精神科の医者とのかかわり方も大事。自分は主治医と10年変わらなかった。医者がチェンジした時、あうのかどうか。不安もある。
薬さえ飲んでいたら働ける人もいる。これから先も無理をせずにがんばっていきたい。

ピアヘルパー。
ピアは仲間。障害を持っている人をピアヘルパー。
精神障害を持っている人に付き添って外出をしたり、案内役をしている。女の人も高齢の人も若い男の子も対応したことがある。

こだわりが強い人が多い。ひとりだったら行きにくいけど、一緒ならいける。利用者の方が道を知っているけど。気をつけていることは健康状態とか、薬を飲んでいるか、水分とっているか。

自分が東京の病院でお世話になった看護師・理学療法士が参考。これをやっておいたらよくなるためのステップ。方向は一緒。方向を、その人たちに習ったように、その人のよりよい生活の質をあげられるように手助けをしている。

看護師さんの話。
東京の文京区の病院。飛び降りたのは文京区。搬送された病院が救命救急病棟がある病院。出会った看護婦さんによくしてもらえた。

「自殺する時に自分の荷物コインロッカーにぶちこんだまま。心配なんやけど」「わたし、上野駅行って、駅員さんに聞いてくるわ」

両手両足ギブス。でも、あちこち行くのが好きやった。
車いすに乗せてもらって外出させてもらった。根津神社に連れて行ってもらった。ほんとうにお世話になった。

東京に行くとその病院に行った。2年ほど前に行ったらシステムがかわって病棟がなくなった。看護婦さんもいなくなっていた。新潟出身。新潟に帰ったのか?別の仕事をしているのか?そういう出会いもあって、介護という仕事を目指す気持ちになった。

森本さん
H11年にボランティア講座で話をしてくれる当事者を探していた。彼女は50台。チャーミング。苦しいのに人生を楽しむことを忘れない。

急性期。「生まれ変われ」という声。大阪城のお堀の上へ。はだかにならなあかん。叫んでた。警察が来て、やっと病気ってわかった。
「でも、若い頃でよかった。今の身体やったらみせられへん」。笑いを忘れない。
ほんとうに優しくしてもらえた。骨折した時もご飯を持ってきてくれた。誤解を受けているのが悲しい。

ボランティア講座に30人ぐらい募集。半分くらい残った。
「旦那さんの介護が終わって、自分の人生を生きてこなかった。この電話をかけたら自分の生き方が変わるかも。勇気を持って電話をかけた」。
南部さん(さっきの50台の彼女)も勇気を持って話をした。

石谷さんみたいに講演してくれる。貴重なお話を聞いていただいた。

口コミが大切。ボランティアがどんな活動をしているか。

本人が病院に行きたくない。お母さんがまず行くのもあり。
専門家じゃなくても、みなさんひとりひとりが。

漫画の紹介。

治療が必要ということ、啓発が進んでいなかったために、治療へのアプローチが遅れた。

病気のことよりも家族のことを知りたいのでは?漫画がいい。

通院にどう導いたらいいだろう。
声をかけるのは、「病気ちゃう?」ではなくて「眠れてないんと違う?いい薬あるよ」孤独である気持ちにより添う。

でも、急性期が激しい時は傷つけるため、保護もある。

ヘルパーさんに向かって灰皿を投げた人もいる。ステーションとしては派遣できない。でも、ほんとうはヘルパサーさんの向こうに見えている怪物からヘルパーさんを守るため。
テレビを壊した。アナウンサーがこわいから。
知れば知るほど、支援があれば、家族も本人も困らない。

冊子の朗読。

今日は石谷さんの34歳の誕生日。

パチパチ

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