てことで、Y田さんの車に乗せてもらってO屋教会へ。今日はY田さんのサシ呑み&教会泊です。
ふたりでビールを呑みながら、ワインを飲みながら、ひたすら話をします。
「語るということはどういうことなのか」
「そこで語られる物語はどのようにつくられるのか」
「物語は変わっていくのか」
「なぜその物語を選択するのか」
「なぜその語り方を選択するのか」
「なんのために語るのか」
「語ることが自分になにを生み出すのか」
「語ることを通してどういう関係が生まれるのか」
「語る」ということを通して、これほど広く深く考えたのは久しぶりです。
それは「叙述的自己表現」という、ひとつの「運動」をつくってきたY田さんだからこそ、そしてそこに疑問や不安や挫折を感じながらも、かつてそれを実践してきたY田さんだからこそ問える話なんだと思います。
そして、わたしもまた「Pラムの会」の影響を強く受けながら、おそらくはそこから新しい「語り」の方法を模索して今の「お座敷」があるわけで、やはりY田さんのひとつひとつの問いかけに真摯に向きあいたいと思います。
おそらく今は、「表現方法」はずいぶんと違うけど、でも、やはり考え方や「表現方法」へいたるルートは同じ/近いものを感じます。
なんだか時間は20年ほどタイムスリップをしながら、それでも「今」を見据えた、とてもディープなひとときでした*1。
*1:忘れないうちに書いておかないと、確実に忘れてしまいそうなほどね