結局今日も

今日は3月におこなう「お座敷」の打ち合わせ。
「とりあえず一度直接会いたい」
ということで、京都駅集合。さて、どこに行くか…。いろいろな店を考えたけど、結局日曜日に行って、きのうも行った店に行くことに(笑)。
店にはいると、いきなり
「昨日も来られましたよね」
とニッコリされてしまいました。まぁええねん。
で、注文したのも「定番の料理」です。てことは、食べるものが日曜日と水曜日と一緒なんですよね。ふぅ…。

でも、話の内容は毎回違うわけで、それはそれでおもしろい。
今回は、昔、「意岐部東中学校」におられた方で、1980年代あたりの話とか、いまでも自主登校のとりくみをしている話とか、かなりすごい話を聞かせていただきました。もちろんそれ以外にも、東大阪は、ある意味大阪の在日外国人教育の拠点のうちのひとつで、そんなこんなな話とか、共通の知りあいの話で盛りあがりました。
まぁ結局そういうことなんですよね。

で、帰りはなぜか七条まで歩いていくことになって、途中プチフィールドワークなんかしてしまったりするわけです^^;;
まぁ今日は終電のはるか前なので、なんとかなるかな…。

打ち合わせ?

で、夜は京都駅近くで1月9日の打ち合わせ。
参加メンバーは、Tる田さんはもちろん、KしさんWた辺さんとわたし。
なんか、はじめはお互いの出方をうかがう感じではあったのですが、途中から熱く語りはじめて、さらにそこにお酒が入るわけで、もう、なにがなんだかわかりません。
もっとも、そういうKしさんとわたしの会話を、Tる田さんとWた辺さんは冷静に聞いておられます。てか、Wた辺さんはいちいちメモとってるし。さすがは社会学者です。
で、10時ぐらいにKしさんとWた辺さんは退出。さらにわたしとTる田さんは呑みながら話。気がつくと、時間は12時頃。
結局、このふたりで呑むと、終電には間にあわないんだよなぁ…。

  • 追伸

某所よりの引用。

これはひどい】RT @sociologbook: シンポの打ち合わせという名の飲み会。後半なに喋ってるかまったく理解不能であった。”

で、呑み

最後まで残っていた人たち、全員一緒に帰られるのかと思いきや、JaseのM橋さんが
「僕、いつきさんと一杯やってから帰ります」
って、ご指名ですがな^^;;
ふたりでさっくり呑みながら、今日の感想や、仕事の話とか、なんだかんだと、これまた楽しい時間が過ごせました。
そうそう、なにやら新展開がありそうな…(謎)

で、記念写真とか

講演のあとは、主催者の人たちといろいろ打ち合わせをしておられました。
その後、Hがしさんがわたしのことを紹介してくださいました。なんか、すごく持ち上げてくださっていた気がします。そんな中で、Hがしさんの通訳で、しばしダイヤモンドと話。
学校のことや家族のことなど、けっこうディープなあたりをいろいろ話しました。でも、きっとすんごいゆるやかな時間だったんだろうなぁ。

で、今日こそミルトン・ダイヤモンド

去年の8月に話が聞けると思ったミルトン・ダイヤモンドの講演会。ようやく1年半待って実現です。
今回は、女性研究者の会主催の、ほんとうに小さな講演会です。でも、集まってこられているのは、マジで筋金入りの女性研究者ばかり。かなりアカデミックな感じです。ドキドキ。
今日の講演会のタイトルは
「Psychosexual Development of Gender Identity
Nature and Nurture Cooperation and the Consequence」
すでになにがなにやらわかりません(笑)。

まずは開会の挨拶。いきなりみなさん英語でしゃべりはじめます。んなもん、わかるかい!

で、いよいよダイヤモンドの講演開始。
おどろきです!ダイヤモンドの英語は、なんとなく聞き取れます。ひとつには、非常にゆっくりとていねいに話をされます。だけじゃなくて、とてもわかりやすい言葉をていねいに選んでおられるみたいです。
「難しいことを難しく語るのは簡単、難しいことを簡単に語るのが難しい」
とは、教員たるもの心に刻まなければならない言葉と教わったわけですが、それを地でいっておられます。すごい!

話のほうは、まぁ、ある程度あちことで語られていたり、あちこちで読んだりした内容なので、あらためてどうということは、とりあえずはないのですが…。ひとつひとつの言葉に「優しさ」とか「美しさ」があふれている感じですねぇ。
一方、Hがしさん@O阪府立大学は、聞いている人たちの反応にかなり注目しておられます。
「The Primary Sex Organ lies not between the legs but Between the Ears.」
なんてフレーズが最後に出てくるわけで、これ、受けとられ方によっては
「ほれ出てきた、本質主義者!」
というレッテル貼りがされてしまう可能性があるわけで…。実際、そういう聞き方をしておられる方もおられたようです。このあたりは、ダイヤモンド自身も
「右からも左からも利用される」
みたいなことを言っておられました。
にしても、豊富なトランスジェンダーたちの写真。豊富なISの人々の写真。さらには動物たちの写真。かなり圧倒されました。

で、みんなでお弁当を食べる時間。
ここで、司会の方が
「じゃぁ、自己紹介。逐次通訳の方も食事をされているから、各自英語で自己紹介をしましょう」
とムチャ振りをされます。でも、さすがはみなさん研究者。流暢に自己紹介をされるわけで。で、わたし。
「え〜と、high school teacher.Mathmatics and humanlights.え〜と、トランスジェンダー生徒交流会をやってます」
と、結局日本語で自己紹介をするわけで^^;;。

その後質疑応答。
ちょっと迷ったけど、せっかくなんで質問してみました。

あの…。ジェンダーアイデンティティってなんですか?
ダイヤモンドさんは「内なる声」という、とても素敵な表現をされていましたが、そもそもわたしには、男とはなにか、女とはなにかということすらわかりません。にもかかわらず、シスジェンダーの人たちはそのことを疑うことすらしません。なぜみなさんが自分のことをわかっておられるのか、それがとても不思議なんです。
ジェンダーアイデンティティってなんですか?

で、ダイヤモンドの答え。

あなたはすでにその答を知っておられると思います。
みなさんが「男である/女である」という気持ちがどのように生まれてきたのでしょうか。子どもたちはみんな他の子どもと自分を比べています。他の子どもに洞察力が働きます。そして、同じ状態の人と一緒にいると楽なんです。
そして、一緒にいて楽な子どもたちが、「どうやら女と呼ばれているらしい」「どうやら男と呼ばれているらしい」と観察します。
また、ある子に対して、まわりの子どもたちは、残酷にも「違い」をわかるように言います。例えば「太っている」とか「やせている」とか、「あなたは男だ」とか「あなたは女だ」とか…。
そんな中で、トランスジェンダーの人たちは例えば「母親は「あなたは男だ」というけど、自分は女の気がする」と感じます。そして、それは性器の形とは無関係なのです。

「誰と一緒にいたいかは性別とは関係ないと思う」という、別の人の質問に対して。

その質問をされるあなたは、いま大人として質問をされています。3歳の子どもの時のことを考えてください。
子どもたちがしたいのは、このように討論をすることではなく、遊ぶことです。そして、どんなゲームをしたのか、どんな遊びをしたのか。人形で遊びましたか?それともボールで遊びましたか?そういう遊び方は、文化に関係なくどこにでもあります。
もちろん、誰といたいかということがそのまま実現するわけではありません。そこには親からの圧力があります。
その子がどう感じているかということと、社会のありかたの相互関係の中で、その子は生きているのです。

みたいな感じ。かなり間違っていると思うけど。
これだけをみたら、かなり本質主義的に思えるんですけど、おそらくは違います。「べき」で考えるならそりゃぁそう考えられるかもしれません。でも、おそらくダイヤモンドは「現実」からスタートしている。どの社会でも、人形遊びをするのは女の子が多く*1、ボール遊びをするのは男の子が多いということが、現実で、その現実に左右をされるということを言っているんだと思いました。
最後の方でこんなことを言っていました。

自分の問題を自分のやり方で解決すればいい。でも、心の中で考えることと社会が許してくれることのコンビネーションで、さまざまなことが起こります。

そうなんだよなぁ。
そうそう、いつものフレーズ、こんなんでした。

Nature Loves Variety
Society Hates It

そうか…。原文は「hates」だったんだ…。

*1:「野球をする子もいる」ということも同時に言っていた

あまり日常にはしたくない

朝。けっこう目覚めはいいかも。なにせ昨日は「呑み」がなかったからなぁ。
さて、お弁当をつくりましょう。階段をトントントンと下りていると、いきなり「ガクッ」
ドドドドドッ。
イタタ…。てか、息ができない。のたうち回っていると、パートナーが
「どうしたん?」
と聞きます。
いや、単に階段踏み外して落ちただけです。ただ、背中を強打してメチャクチャ痛い。
「見せてみ…。うわっ!」
どうやらえらいケガをしたみたい。
そうか、素面でもケガをするのか…。

余裕

仕事をさっくり切りあげて、雨の中なのにバイクで急いでお家へ。ババッとカッパを脱いで、ちょっと身支度を整えて。で、電車に飛び乗ってK大学に向かいます。今日は待ちに待ったミルトン・ダイヤモンドの京都で行われる講演会。
最寄りの駅から走りに走って、ようやく会場に到着。ふぅ、ギリギリ間にあった。さて、どの部屋かな…。チラシを見たら…

日時 12月14日(火)

へ?14日?火曜日?あした?
チッ!急ぎすぎて24時間も早く着いちまった。
まぁ、会場の下見ができたからよしとするか(笑)

で、当然のことながら…

で、みんなで打ちあげ。
今回は去年と違って京都駅近辺です。
わたしは幹事であるにもかかわらずちょっと遅れていったのですが、到着した時点で、すでに先着4人が大盛りあがりをしています。その盛りあがり方、異様です。なんか、引きつりながら笑っています。みんな疲れているのか、はたまた、たまたまテンションがあがったのか。
とりあえず、後から着いたわたしたちも、負けじとテンションをあげていきます。
それにしても、隣のテーブルに座ったお客さん達、めっちゃかわいそうです。ものすごく迷惑そうです。すみませんすみません。
で、隣のお客さんが帰って、わたしたちの貸し切り状態。あとはもう、なにがなにやら。いきなりムーンウォークの練習をはじめるヤツがいるわ、「ゲロッパ!」と叫びながら踊るヤツがいるわ、いきなり「非国民」を呼び出すヤツがいるわ、もう、やりたい放題です。
当然気がつくと12時をまわっています。って、終電終わってるやんか…。

まぁこれもよしとしよう・リビングライブラリー(2日目)

わたしは、基本的には、リビングライブラリーって、「未完成」な話があって、そこからいろいろ一緒に話をしていくのがいいんじゃないかと思っています。なので、できれば30分をすべてわたしがしゃべるんじゃなくて、まぁ20分ぐらいは話をするけど、あとはいろいろよもやま話ぐらいでちょうどいいんじゃないかと思っています。ところが、今回*1、30分全部しゃべってしまうんですよね。しかも、「まぁこんな感じで生きてます」ってところまでいってしまう。こうなってしまうと「オチ」がないわけです。これが困る。
実はこの悩み、昨日からずっとあったんです。
でも、今日、最後の2セッションを話しながら、
「もしかしたらこんなんでもいいのかもしれない」
という気がしてきました。
たしかに、トランスのこと「を」知りたい人もいるのかもしれません。でも、ことによったら、トランスの話、あるいはわたしの話を聞くことを通して、まったく別のことを考えてもらえるかもしれません。なんか
「今日、話を聞いて元気をもらえた」
と言ってくださった人がおられたんですよね。これって、わたしもまた元気をもらえるし。

*1:前回もか