引っ越し本番

今日は終業式。長い長い1年も、今日でおしまい。
なんだけど、「保留つき」の進級の子どもたちがいます。ホームルームとか行事を過剰に休んだ子らです。なので、午後からはその補習。内容は、掃除だのなんだのと、まぁ1年をしめくくるに必要なお仕事の手伝いです。その一環で、うちの「部屋」の引っ越しも子どもたちがやることになりました。のはいいんだけど、たいへんだわ。たくさん休んだこの補習の時間は長い。なので、つきあわなくちゃなりません。結局4時間ぶっ通しで引っ越しをするハメになりました。もうやだ…。

守山の〆はこれかなぁ

その後、隣の駅に移動。駅前のお店で呑み。ここ、この間も来た気がします。
今日はなぜかA久◯さんも呼び出してしまいました。ええんかなぁ…。
けっこう早くから呑んでいたので、けっこう早い時間にええ感じになりました。さて、お店を出て駅に行くルート上にあるんですわ、天一が。
この間はここに寄ったために終電を逃したんですが、今日は時間も早いから安心です。
てことで、天一のラーメンで〆。ふぅ(笑)。

ちょいと照れるけど

今日は午後からお隣の県にある某球技で有名な高校でお座敷です。
ここに勤務している人を2人ばっか知っています。おふたりとも、ずっと昔からのつきあいです。そういう人がいるところで話をするのは、やっぱりちょっと照れます。
といっても、「この人たち」だからこそ「照れる」だけですむんですけどね。まぁいいや。
話し終えてから別室に移動して、あーだこーだとしょーもない話。そんな話ができるのも、これまた昔からのお友だちであればこそだよなぁ…。

マイノリティは大都市にしかいないのか?

メールチェックをしていたら、こんなニュースが飛び込んできました。

来年度、国による公設民営方式で、全国6カ所に同性愛者のコミュニティセンターが開設に。
東京都・大阪府・福岡県・愛知県・宮城県沖縄県にそれぞれ開設されます。
すでに現在コミュニティセンターがある東京・大阪・名古屋・福岡だけではなく、宮城県(仙台)と沖縄県(那覇)にも新設されることになる。

あぁ、またかと思いました。
それぞれの地域にひとつずつということなんでしょうね。てことは、関西の人間は大阪に行けということなんでしょうね。こうやって大阪にLGBTは集中していく。集中するから、「そこにはいる」と思われ、「そこでない」ところには、いないことにされていく。大阪に行けない/行かないものはますます少ない中でやっていかなきゃならない。
すでに現在コミュニティーのあるところでなぜやるのか。わたしにはわからない。公設だからこそ、「ないところ」につくらなきゃならないんじゃないかと思います。
支援をしなくちゃならないのは、一定程度運動があるところじゃなくて、運動すら起こらないところなんだと思うのは、一地方都市に住む人間のひがみですかねぇ…。

とかいいながら、「トランスジェンダー生徒交流会」は大阪でやってるんですけどね…。

めまぐるしい…

職場の引っ越しも佳境に入ってきました。
自分の荷物の整理と、全体の荷物の移動。そこへ授業(テスト返却)と成績処理と会議。さらに新年度へ向けた教科の仕事。
全部あわせると、一番後回しになるのは、結局自分の荷物の整理になります。だって、これは個人でできることですから。となると、自分の荷物の整理はぜんぜん進まない。
まいったなぁ…。

「思い」は100の言葉の中にひっそりと入っているんじゃないかなぁ

結局合宿は今日の昼までのんびりとやっていました。
忙しく、しかも疲れているなか手伝ってくれたYちゃんに感謝!大阪から来てくれたKぽんに感謝!K大から来てくれたKヮンスに感謝!
合宿って、やっぱりはじめて参加するにはハードルが高いです。そういう意味では「新規参加者」を拒否するような集まりだったかもしれません。
でも、と思います。
やっぱり合宿って必要なんじゃないかなぁ。長い時間を同じ部屋で過ごす、ただそれだけのことなんだけど。何をしゃべるわけでもなく、単にワイワイと遊ぶ、ただそれだけなんだけど。そういう「ムダ」をすることによってできる関係ってあるんじゃないだろうか。そんなムダな時間を延々と続ける中に、「思い」はひっそりと出てくる。
「固い」交流会は、もしかしたら促成栽培?確かに「成果」は出てくるけど、案外弱いかもしれない。「緩い」交流会は、雑草のようなもの?1回では成果は出ないし、とても長時間かかる。でも、その長い時間の間にかわされる100のつまらない話の中に、ふと出てくるかもしれない一言を期待しながら、交流会ってやるものなのかもしれない…。

場の持つ力

午後からは京都・在日外国人生徒交流会。
普段は日曜日の午後にやるんですけど、今回は合宿形式でやってみようと。さらに、卒業生にも呼びかけてみようと。さらに、京都に限定せずに呼びかけてみようと。等々、ちょっと趣を変えてみることにしました。
さすがに長丁場ですから、集まりもダラダラ。それぞれがそれぞれの用事を済ませてからやってきます。でも、それはそれでいいんです。「◯時集合!」で集まってパシッと交流会をするのも、それはそれで集中していいんですが、緩く集まるのもいいのかもしれない。
ダラダラと買い物を済ませ、ダラダラと段取りをし、ダラダラとつくりはじめ、結局最初の集合から5時間後に晩ご飯。このころには兵庫からもずいぶんと遊びに来てくれていました。
しばらくみんなでごはんを食べたあと、自己紹介。基本的には「全国」に参加したことがある人たちなので、ほんとうにしっかりと話をされます。
そんななか、やっぱり「あぁ」と思ったのが子連れで参加してくれていた京都の第1期メンバーの自己紹介です。
結婚をきっかけに日本国籍をとらざるを得なかったその人に、子どもがある時聞いたそうな。「お母さんはなにじん?」。突然のその問いに、一度は話を流してしまったそうな。子どもには伝えなくちゃならないと思っていたけど、それなりの「シチュエーション」で伝えたいと思っていた。だから、逆に「準備」ができていなかったみたいです。ところが、それからしばらくして、再び子どもから同じ問いが出てきた。その時覚悟を決めて、自分のことを小学生の子どもに向かって話をしたとのことです。
その話を聞いて、ふとその第1期メンバーの変化に気づきました。在日の若いオモニになっている*1。おそらく楽になったんやろなぁ。おそらく隠さなくてもよくなったんやろなぁ。
そう思った時に、この交流会を16年続けてきてよかったと思いました。
交流会があろうとなかろうと、その第1期メンバーが在日であることに変わりはない。でも、もしかしたら「隠さない生き方」があることを知ったのは、その子が交流会に参加したこともひとつの契機になっている可能性がある。「隠さずに生きる方法がある」ことを知って隠して生きることと、「隠すしかない」と思って隠して生きることの間には、表面は同じかもしれないけど、大きな差があると思います。
さぁ、そのメンバーの子どもは現在小学生。最低限この子が高校を卒業するまでは、やっぱり続けなくちゃならないよなぁ。メンバーに力を与え、メンバーから力を与えられ。

*1:ってどんなんやねんと聞かれても、よくわからないのですが(笑)

卒業論文発表会

先日、「卒業論文の発表会をやるから来ませんか?」というお誘いのメールが来ました。
「だれの卒業論文やねん」と思っていたら、かつて刺激的な呑み会を演出して下さった、山崎一樹さんの卒業論文でした。
なんの卒業かというと、史上最速の卒業らしいです。
「京都の過去・現在・未来」と題する卒業論文

落ち込んでいる時に「あなたの責任じゃない」と言われるとホッとするが、そのことによって再生のパワーを失う。

人は見ようとする現実しか見ない。

(内容はうろ覚え)
という、きわめて含蓄の深い話からはじまります。で、まさにこれが京都人の現在であると。
元来、財政面での自治というのは「歳出の自治*1」と「歳入の自治」がひつようである。にもかかわらず、京都市は両方ともダメ。
曰く「京都人は他者に依存し、責任を他に押しつける」「その根底にあるのは、京都は特別という考えだが、実は特別ではない」「1200年の中で培われてきたものは枯渇している」。言いたい放題です。でもまぁ、その通りですが(笑)。
で、結論としては「10年前の時点で、まちづくりに失敗した」と。
ここからは「未来」ということで、「環境」「文化」「多様性」をキーワードに京都の新しいまちづくりを考えていこうという話になります。
環境の中のひとつのネタがめまぐるしい午後に行った自転車街角セッションだったみたいです。で、これはより大きくは、京都の街全体を3層にわけて考える。いわゆる「田の字地区」とその周辺の「住宅地区」、さらにその外周の「自然の地区」。ところが、「自然の地区」が荒れ放題。その原因は保全をしていないから。というところから、「環境税の導入」というところに行くのですが、ここで「歳入の自治」の問題がひっかかってくるということになるわけで。
文化については「天皇還幸論」をぶちかましてはりました(笑)。これについては、あとで、コリアNGOセンターの宋さんから「多文化と天皇の取り合わせはグロテスク」という意見が出されていました。
ただ、それだけじゃなくて、環境とのからみで「京町屋」をとりあげておられました。
で、「天皇」が出てきた背景には、「天皇は実は多文化」というのがあって、で、最後の「多様性」に行くわけで。
多様性にも「三題噺」というのがあって、これがおもしろかったのですが、このあたりになるとよくおぼえていない。
ただ、「よー見てはるなぁ」と思ったが、「南北問題」です。これを「ガメラがこわした町並み亜京都駅の南か北か」という問いからはじめるあたりがいいですね。なんでも、国際女子マラソンを誘致して、南北をつなぐルートで開催しようとしたらしいですが、挫折したとか。
で、とどめが、キーを崇仁と東九条に持っていって、「京町屋を崇仁に、東九条を多文化の拠点に」という構想をブチあげておられました。まぁ、向島が抜けているという意味では少々「ん〜」と思ったのですが、このあたりはあとで多文化共生センターきょうとの重野さんが指摘しておられました。
で、そういう「多文化」というか「多様性」というか「モザイク」というか、そういうのをつくりだすためには「5つのT」が必要で、その最後が「寛容性(tolerance)」だったんですね。他の4つは忘れてしまった。だれか補足してください。って、誰も見てないよな(笑)。
てな感じで、相も変わらず刺激的な論文だったんですが、いかんせん、まったくメモをとっていなかったので全部書けないのが残念ですわ。あのプレゼンのファイル、ほしいなぁ…。

で、意見や質疑の時間。
いろんな人がいろんなことを言っておられたんですが、だんだんイライラしてきました。
で、つい意見。

京都のもうひとつの側面を指摘しておきます。京都は「宴会都市京都」です!

あまりウケませんでした(笑)。
でもまぁ、玖伊屋の成立過程を述べたあと、最後に受けいれてくれているのは東九条であるということ。まさに「多文化」を実現する「寛容性」を東九条がもっているということ。逆に言うならば、K区やD大やK大には、いろいろな事情はあったにせよ、それがなかったわけです。まぁそんな話をしたあとで、ぶちかましてしまいました。

歳入の自治を考えるということは、税収のアップを考えるということですよね。
だったら、ゲイです!多文化の中に「ゲイ」と書いてあったのに、その話をされませんでしたよね。
ゲイを誘致するんです。そのために、ゲイの人たちが必要とする施策のうち、自治体単位で実現可能なものを条例で認め、京都を「ゲイ特区」にするんです!

ウケました。ここであえて「ゲイ」と言わなきゃならない悲しいところはあるわけです。ビアンもトランスも、誘致しても税収アップにはほとんどつながらない。この悲しさはおいといて、とりあえずネタを振ってみました。
でも、何人かの人は反応されていました。やっぱり、サンフランシスコを経験されていた方々なんですね。
で、逆に他の人から質問。
「あなたは自分のことを「京都人」と言っておられましたが、京都人の定義は?」
瞬間ひるみそうになりましたが、答はこれ。
「京都を現場にして、京都で何かを「しでかし」てやろうと思う人が京都人だと思います」
続いて質問。
「生まれは関係ないですね」
「関係ありません」
てところで、わたしに関連する話は終わって、やがて宴会に突入。

にしても、おもしろい人なのになぁ。残念だなぁ。寂しいなぁ。
他の人は任期満了でも再任。山崎さんは任期途中で退任。いろいろあるんだろうな。こんだけ尖っていたら。

*1:これがいわゆる行政改革