刺激的な呑み会

昼、しばらく家でダラダラして、ふたたび出動。
今日は、新羅という焼肉屋さんに集う人々の会です。
この会、けっこうおもしろいんですよね。2部構成でして、第1部がミニ講演会。第2部が鍋を囲んでの宴会なんです。
前回は、第1部の講師として藤田敬一さん・仲尾宏さん・守山で医者をしておられる方の3人でした。で、今回は、テーマを「多文化共生」において、岡真理さん山崎一樹さん*1が講演をされました。
岡さんは、もちろんパレスチナ問題について、短い時間の中で熱く語られました。岡さんの話は、ひたすらショックを受けながら、「イスラエルと日本は一緒じゃん…」とつくづく思い知らされました。
で、山崎さんは総務省自治行政局国際室長時代に行った多文化共生についての話をされました。山崎さんって、なんともクレバーな感じなんですね。で、行政や政治家が「多文化共生」をどうとらえているかがよくわかりました。なんというか、「理想論」では語らないんですね。すごく現実的だし、分析的。そのあたり、ものすごく「靴の上から足を掻いている」感じはするのですが、「なるほどなぁ」なんですね。そういう意味では、岡さんと好対照だけど、おもしろいとりあわせでした。
で、「質問」と言われたので、思わず小さく「はい」と手をあげてしまいました。内容は「ところで、文化ってなんですか?」という、これまたまったくどうしようもない質問です。
でも、これ、切実なんですよね。
ともすれば「多文化共生」って、民族や国籍、地域なんかに位置づけられた「自文化」があって、「他文化」が来る。で、そこに摩擦が生じて、それを受け入れることによって共生していくみたいなイメージでとらえられがちなんだと思うんです。でも、「自文化」ってほんとうに存在するんだろうか。というか、「自文化」って、実は「他文化」によってつくられるんじゃないかなぁ、と。もっと言えば、「自文化」の枠組みの中に強制的に放り込まれていくという感じかなぁ。
でも、わたしはなんか「違う」という気がしています。
たぶん、前にも書いたと思うのですが、多文化(モザイク)は自分の中に存在している。そういう「多文化」なわたしと「多文化」な他者とが出会うことで、さらにモザイクが増えていくという感じ?
ちなみに、そのあたりにからまって、山崎さんは「多文化共生を推し進めていくと、それは究極的にはレイシズムにつながっていく」と表現されました。直感的にはわかりにくかったのですが、2次会・3次会と一緒に話をする中で、「なるほど、そういうことか」と思わされました。
てことで、2次会の鍋では中村一成さんなんかもいたりして、えらい盛りあがってしまいました。
3次会はスナック。いや、久しぶりですよ、スナックは。にしても、みなさんカラオケうまいなぁ。
で、帰りに天一本店に寄って、「こってり、ネギ大、ニンニク大」を注文。家に帰ったら、あたりにニンニクの臭いをまき散らしていたみたいです。
あしたが心配だ…。

*1:京都市の副市長ですわ

交流会の朝

朝早くに生徒が起きる音がしたので「なんだ?」と思ったのですが、どうやら顔をつくりに行ったみたいです(笑)。しばらく布団の中でゴソゴソしていたのですが、エイヤッと起きあがって、朝ご飯の仕込みです。といっても、きのうの扁炉をあっためて、あまったお米をおにぎりにして、卵焼きを焼いておしまいですけどね。
ひとつだけ工夫をしたのは、扁炉の味つけのバリエーションかな。塩・唐辛子だけじゃなくて、ミソをしょうゆを入れてお湯で溶いておいたのも出して、「みそ汁ふうにもできますよ」てことにしました。お椀におにぎりを入れて、ミソをちょいとたらして扁炉のスープをかけると、かなりおいしいです。
あとは、生徒たちの話を聞きながら、ネットサーフィンなんぞやって、合宿も終了→解散です。