とか言いながら(笑)

夜は八幡市で高座。
1時間半の予定が、いろいろあって1時間10分ほどしかありません。大いにあせりましたが、みなさんの反応がすごくいい!そのおかげで、つい延長してしまい、結局1時間半ほどしゃべれました。よかったよかった(笑)。
いや、基本的には「延長」はあかんと思っているのです。なので、途中でちゃんと仁義を切りました。
「あの、すみませんが延長します。用事がある人は帰って下さってけっこうです。みなさん全員が帰られても、わたし一人でしゃべってますし」
これがウケたみたいで、みなさん最後までおられました。すみませんすみません。
結局、話が終わって、その後会場におられた方々といろいろ話をして、最後は
「このあたりでおいしいお好み焼き屋はありますの?」
という定番の話をしたりして、そうとう楽しかったです。

波瀾万丈なぁ…

今日は、人権学習の日。
2・3年生は、担任が話をして、1年生は具志アンデルソン雄馬さんの講演というパターン。
はたしてわたしがつくった教材は使えるんだろうか。まぁ、そうとう気にはなっていましたが、そこはそれ、やっぱり担任さんなわけで、それぞれに持ち味を出してやっておられたようです。
で、1年生の講演ですが…。相も変わらず具志さんの浪花節のような講演はいいですね。子どもたちがほんとうに引き込まれて聞いています。
ただ、ふと気になることがある。
具志さんに限らずなんですが、当事者の講演って「その人にしか語れないすごさ」というのをしみじみと感じさせられることが、よくあるんですよね。それはそれでいいんだけど、聴く側はそういうのにだんだん慣れてくるなじゃないかという気がするんですよね。特に、子どもたち。
当事者の迫力に比較すると、わたしたち教員の話のなんと迫力のないことか(笑)。すると、当事者の「迫力」に慣れてしまった子どもたちは、わたしたちの話にどれほどの重きをおいてくれるのかなぁと思ったりもするのです。
でもねぇ。
波瀾万丈な人生を送る人なんて、そうそういるわけじゃないと思うんですよね。あるいは、波瀾万丈な人生を送ったからといって、そういう人がみんな、「語れる」わけじゃないと思うんですよね。大切なのは、波瀾万丈であろうがそうでなかろうが、どこかに自分の変わり目みたいなものを感じ、その変わり目から自分の人生をていねいに見つめ直し、そこからなにかを学び、そしてそれを言葉化して伝えることができるかどうかなんじゃないかという気がするんです。
まぁ「波瀾万丈」は、そういう意味では単なるカンフル剤でしかないんじゃないかとも思うんですよね。
とはいえ、「波瀾万丈」に勝つのはなかなかむずかしいわ(笑)。

やっと完成!

いよいよあしたが人権学習の日。あさってが「学校紹介ビデオ」の上映日。どっちをとるか…。
まずは、人権学習です。てか、こっちが本務だよ(笑)!
ひたすら印刷・印刷・印刷です。半日かかりましたorz
こちらが一段落したら、ビデオの編集開始です。でも、細かいところをチェックしている最中にも、担任さんから電話がかかります。勤務時間が終わる時間まで、あと30分。それまではみんながいてくれるけど、それを越すと「いる」という保証がなくなります。つまり、いろんな人といろんな話ができるのは、あと30分だけということです。とりあえず、編集をあきらめて、各種交渉に走ります。
でも、こんな時にも決して笑顔は忘れてはいけません(笑)。にっこりと余裕を見せながら、心の中は焦りまくる。なんか、自虐的に快感だったりします(笑)。

さて、人権学習の交渉がすべてすんだところで、ビデオの最終チェック。その後、管理職なんかに見せてOKが出ました。
あ〜、終わった!

ひととき

今日は放課後追認補充。
まぁ、科目を落とさない方がいいに決まっているのですが、こういうのもいいかもしれないと思います。だって、教科のことだけじゃなくて、いろんなことをゆっくりと話すことができるいい機会になりますから。
今日も補充が終わった後、しばし雑談。
「先生、化粧せぇへんの?」
「そやなぁ、めんどくさいやん」
「わたししたってもええけど、わたしがしたらパンダになるしなぁ」
「笑」
そら、高校生の化粧をわたしみたいな年齢の人間、できませんわ。
「そやけど、せっかくなんやから化粧せんといかんと思うわ」
ありがとうね…。なんか、「受け入れられている」という安心感が、心の奥底からわきあがってきます。
そんな話から、その子の知っているFTMの子らの話へ。
「若い時からモンモン入れて、あの子ら、どうすんのかなぁ」
といろいろ心配してくれる、とても優しい子です。
こういう子に支えられて、今の私がいるんだろうな。やっぱ、この学校、やめられへんなぁ…。って、こいつ、今年卒業やんか。もう一年おらへんか(笑)?

だれがそうさせた?

神奈川県の高校が服装を理由に不合格にしていた件です。
まぁ、「叩く」人たちの気持ちもわからないわけじゃないけど、こういうことをやった学校の気持ちもよくわかります。
この高校、けっこうしんどい学校なわけですよ。で、昨今の情勢っていうのは、しんどい学校にはしんどい子が地域ごと、あるいは県によっては全県レベルで集まってくる。すると、その学校の風評は悪くなって、さらにしんどい子が集まってくるという、スパイラルになっています。
その時問題になるのは「風評」なんですよね。「あそこの学校は」と、世間から叩かれるわけです。地域や保護者*1の支援も得られない状況の中で、その学校は孤立無援の状況で闘わなくちゃならない。
さらに、教育委員会も「おたくの学校は成果があがっていない」と予算や人間などのリソースを引きあげてしまう可能性があるわけで。
きっとその学校の教職員は一生懸命「なんとかしよう」とがんばっている。でも、がんばってもがんばっても、入学してくる子は「しんどい子」なんですよね。すると、「成果をあげる」ことはすごくしんどくなってきます。ここに、スパイラルを加速する要因が出てきます。
まぁ、すごく雑感的なんですけどね。
で、こうやって、学校の「順位」は、そこにいる教員の頑張りとは関係なく、固定化されていきます。では、その固定化に抗おうとした時、どうすればいいか。非常に簡単でして、「いい子を入れる」あるいは「普通の子を入れる」方向へ走っていくわけです。で、それはとりもなおさずそこからはみ出る子を「入れない」ことにつながっていきます。だって、それぞれの学校には定員があり、入学予定者総数というパイには限りがあるからです。で、成功すれば「しんどい学校」から脱出できるかもしれないけど、新たな「しんどい学校」をつくっていくことになるわけです。で、失敗すると、「何をやってもダメな学校」というレッテルを、いろんなところからはられてしまい、これまたスパイラルを加速する要因になったりするわけで…。

なんだかなぁ…。

*1:「しんどい子」の保護者はたいてい忙しいので、なかなか教育に自分のリソースをまわすヒマがないっす。

さて、いよいよ逃げられないorz

先週から今週にかけて、ほんとうに仕事がテンパっています。
まずは、今週末と来週末にある人権学習の詰め。
いちおう教案・教材は各担任さんに提示してあるものの、まだどなたからも「意見」が出ていません。いつなんどき、何を言われても大丈夫なように、それなりに態勢を整えておく必要があります。
で、来週頭というか日曜日には東九条マダン。まぁ仕事じゃないけど、やっぱり大きな行事です。きのう仕込みはしたけど、まだ準備が終わったわけではありません。いろんなものの買い出しや、細かいことがまだまだ残っています。例えば、できあがったタレが冷めたところで、ペットボトルに移し替えなくちゃなりません。たいしたことじゃないんだけど、学校の帰りに東九条に寄って、これをしなくちゃならない。めんどくさいと言えばめんどくさいことなんですよね。さらに、キムチも適当に漬かったところで、ビニール袋にでも入れて冷蔵庫に入れた方がいいと思いますし…。
さらに、今週末土曜日にある学校公開用の学校紹介ビデオ。これが一番の難関です。ソースがあると言えばあるし、ないと言えばない。たしかにいろいろあるんだけど、それらが「学校紹介ビデオ用」に撮影されたものじゃないので、結局使えないものもたくさんあるわけで。まぁだいたいのプロットができあがっているんだけど、まだまだ暗中模索の状態です。
さすがに同時に3つ案件があると、マジでやばいです。どうしよう。でも、日は迫ってきています。逃げられませんorz

キムチとタレの日

今日は、11月2日にある東九条マダンの準備の日です。
11時開始ですが、わたしは一足お先に会場へ。下準備です。
キムチとタレをつくるには、ニンニクが全部で12〜13房必要です。これらをすべて皮むきしなくちゃなりません。「どうしようかなぁ」と思ったのですが、房の根元のところを包丁でバッサリとやって、水の中に放り込むことにしました。試しにむいてみたのですが、これがむきやすい!
そうこうするうちに、鳥取のお客さん達が大阪から到着。ニンニクむきに参加してくださいます。「なかなか生徒が来ないなぁ」と思っていたら、中学生の子がやってきました。この子、小学校・中学校といろんなしんどい経験をしている子で、それだけにちょっとしっかりしているというか、やんちゃというか、そういうところを持っています。でも、この子がいる限り、京都の交流会はあと6年は安泰だな、と。てか、こういう考えをしているから交流会が広がらないのか…。
やがて、世話人の教員や第1世代の参加者も来てくれて、ボチボチと佳境に入っていきます。会場の台所は、タレとキムチの臭いでいっぱいです。あぁしあわせ(笑)。
やがて、去年のタレ*1を使った焼肉と、チヂミ・ワカメスープで、みんなでダラダラとおしゃべりをしながらの昼ご飯。
食後は、今回のメインイベント、ヤンニンのすり込みタイムです。けっこう地道でたいへんな作業なんですが、みんなでしゃべりながらやれば、それなりに楽しめます。在日のハルモニ達が、おしゃべりしながらのんびり作業をしておられるのがなぜなのか、すごくよくわかります。
てなことをやっているうちに、そろそろおひらきの時間。後かたづけをやって、今年の仕込みも無事完了。あとは、当日を待つばかりです。

*1:常温保存でも1年間充分に持ちます

3連発

  • 朝の出来事

先日、ウトロの町内会長さんから「音響、頼むわ」という電話がありました。
ふだん役立たずのわたしが、お世話になったウトロの方々に恩返しできる数少ないチャンスですから、これは万難を排して行かなくちゃなりません。
てことで、卒業生数人に声をかけてウトロへ。
なにやら今日は、韓国本国から踊りと合唱の「激励」に来られる日とか。音響をやるのに何も知らないわたしもたいがいですが(笑)。まぁそんなシチュエーション&午前なので、もちろんアルコールは×。なんとなく手持ち無沙汰なところへ、ビニール袋を下げたハラボジが一人。なにやら、銀色に光る缶をそれとなく配っておられます。と、わたしのところへも。「ほれ」。思わず建物の影に移動して「プシッ」「ングングング」。やっぱりモーニングはやめられません(笑)。
と、「今日はバイキング形式で」とか言って、広場に並べられた韓国料理の数々。チヂミ・チャプチェ・キムチ・ムなどなど。これがまたおいしい。キムチとモーニングはこれまたあいます。なんかホワワンといい気持ちになったので、会長さんに
「よぅまわりますわ」
と言うと、
「あたりまえや。アルコールと唐辛子は相性がええねん。昔、労働者はな、焼酎に唐辛子入れて呑んでたんや」
との貴重なお話を聞かせていただきました。今度からそうやったら安くあがるんや(笑)。

  • 昼の出来事

先日、前に住んでいた「ムラ」の方から「芋掘り、手伝ってな」という電話がありました。
ふだん役立たずのわたしが、お世話になった「ムラ」の方々に恩返しできる数少ないチャンスですから、これは万難を排して行かなくちゃなりません。
午前に手伝ってくれた卒業生&ウトロで合流した鳥取からのお客さんと一緒に、芋掘りの後の昼食交流会*1。の会場に乱入。すでに手伝わなくちゃならないところはほぼ終わり。にもかかわらず、わたしたちが到着したら
「昼ご飯、食うたか。まずは食べ」
のひとこと。海鮮丼&きつねうどんの昼食からスタートです。その後、
「せっかく来たんやから、みなさんに楽しんでもらえること、なんかせえや」
というお言葉をいただいたので、思わず大学時代のリーダーにもどってハンドリングゲームをひとつ披露。それなりに楽しんでいただけたかな。
やがて、3時頃から会場の撤収。とはいえ、大人数でやっているのであっという間に終了です。その後、主催者の方の家に行って、宴会。ここのムラの方々、おいしいものを食べるためには手間ひまを惜しまれません。工夫して、てをかけてつくられた食べ物は、ほんとうにおいしい!そして、これまたおいしいお酒。
なんだか今日は、食べて呑んでばかりな気がします。

  • 夜の出来事

名残は惜しいけど、5時半頃にムラを出て、京都市内へ。
今日は12月に某所でやる高座の打ちあわせです。
打ちあわせの相手は、これまたムラの人。打ちあわせそのものは瞬間で終わって、そこからは延々とムラを取り巻くさまざまな話。なんだか時間はあっという間に過ぎていきます。気がつくと、11時前。兵庫県から来られているので、そろそろ帰らないといけません。
ということで、夜の部も終了。

なんしか、1日食べて呑んでいた日でしたよ。

*1:ムラの人と作業所の人の年2回やっている交流会

なにを語り、なにを伝えるか

いままで人権にかかわるいろんな講演を聞いてきました。「おもしろい!」と思ったものもあれば、「ん〜…」と思ったものもあります。
もちろん、わたしは基本的には楽観主義者ですから*1、「どんな話の中にも学ぶところがある」という前提で聞くことにしています。で、実際そうだったりします。一番もったいないのは「どうせ」というバイアスをかけて聞くことだと思っています。まぁそれはどうでもいいのですが。
人権にかかわる講演の場合、大きく「当事者の話」と「非当事者の話」のふたつにわけられる気がします。で、それぞれに「おもしろいもの」と「おもしろくないもの」がある。つまり、合計4パターンがあるということにしておきます。
それぞれについてのコメント。

  • 非当事者の話でおもしろくないもの

まぁ、一番ありがちと思われるものですね。でも、これってさいわいにしてわたしが今まで聞いた中にはほとんどないんです。おそらくは、それはわたしに聞く機会をつくってくれている人(たち)が、そういうものをあらかじめ除外してくれているからなんだと思います。ほんとうにラッキーです。
で、このパターンの特徴は、具体性に欠けることかな。「べき」で片づけられると、「いや、ええし…」となってしまいます。それでも、どこかに学ぶべきことは探しますけどね(笑)。それすらもなかったのは、1回か2回くらいかなぁ。

  • 非当事者の話でおもしろいもの

これ、意外と多いです。例えば、「知識」なんかに関しては、往々にして当事者の非研究者よりも非当事者の研究者の方がはるかに豊かです。しかも、「人権」なんかに足をつっこんでいる人は、なんらかの「現場」を持っている/持っていた人がほとんどです。そういうところに立脚した話は、そうとうに刺激的です。
と同時に、非当事者の聴く側からすると、「同じ地平」に立っている人ですから、変な垣根を感じずにすみます。いわゆる「資格の絶対性」みたいなものがないので、例えば「あぁわたしにもできるんだ」という安心感・親近感を感じさせるものもありますね。

  • 当事者の話でおもしろくないもの

実は、これも意外と多いんですよね。いや、感動はしますよ。でも、それだけです。「たいへんなんだなぁ」「差別の実態ってすごいなぁ」とは思うけど、「じゃぁ、わたしはなにをすればいいの?」となります。でも、具体的に「これこれをしてください」とは講師の方は言わないし、もしも言われたとしても「でも、わたしのまわりにはいないし」みたいな感じになってしまいます。
と同時に、非当事者の聴く側からすると、ともすれば「資格の絶対性」みたいなものを感じさせてしまいがちです。そうなると、完全に「タニンゴト」。
このパターンの人がなぜこうなるのか考えてみると、「伝えたいこと」があふれているんじゃないかなぁと思うのです。でも、「伝えたいこと」と「聞きたいこと」の間には、往々にしてギャップがあります。そのギャップを話す側が感じた時、その責任を話す側に持ってくるのか聴く側に持っていくのか。もちろん、後者は論外なんですが、前者にもいろいろとあると思います。「伝えたいこと」があふれている人は、もしかしたら「あぁ、自分はまだまだ話術が足りないなぁ」というところにいくのかもしれない。でも、これってどうかなぁと思うのですが。

  • 当事者の話でおもしろいもの

基本的には、当事者が語ろうが非当事者が語ろうが、そんなものは、実は関係ないんですよね。聴く側としては「おもしろい」か「おもしろくないか」。ただそれだけなんだと思います。
ということは、「当事者」であることによりかからず、聴く側が「聞きたい」と思っていることや、「あ、そんなことがあるんや!もっと聞かせて」って思ってもらえるようなことを、こういう人は話しているんじゃないかなぁと思うのです。もしも「おもしろい」と感じてもらえない時は、「この人たちが聞きたいと思える話をできなかった」という評価を自分にくだすわけです。
例えば、牧口一二さんの話はそうでした。例えば、K口くん*2の話もそうでした。
みなさん、当事者であることに寄りかからず*3、実践者の立場で、あたかも「非当事者であるか」のように語ります。そこにたくさんの「気づき」を与えられるんですね。
自ら気づいたことは、自分自身の手中にあります。だからそこに、「なにをすればいいの?」という問いはありません。気づいた時点で、その答えは同時に手にしているからです。

まぁこんなことをつらつら考えながら、さて、わたしはどこにいるのかなと振り返ります。願わくば、「単純におもしろいもの」を語れる人間でありたいなと思う今日この頃ですよ。

*1:なんか最近つくづくそう思います

*2:いきなり仮名(笑)

*3:もちろん、当事者だからできていることはたくさんなるんですけど、そこに「資格の絶対性」を感じさせません

煮豚のお味は?

上の子どものひとこと「やばっ!うめぇ〜!」

赤身のところもパサパサにならずに、けっこう味がしみていました。
パートナーに「脂身食べる?」と聞くと「血液をサラサラにする薬、のんでいるんだけどなぁ」などと言いながらパクついていました。もちろん食感はトロトロ。
下の子は、八角が苦手なので食べませんでした_| ̄|◯
でも、八角なしの煮豚は考えられない…。

さて、上で固まった脂(ラード)でチャーハンをつくろうかな。って、ヒマないよ(;_;)