LD・ADHD等のある生徒の理解と特別支援教育

今日の午後は、タイトルのタイトルの講演を聞いてきました。実は、このタイトルでこの講師さんの話を聞くのは2回目なんですよね。なので、あまり新鮮みがないのが残念というか…。あ、これ、そのまんま自分に跳ね返ってくるな^^;;
でも、あらためて聞くと、やっぱりすごくおもしろい=興味深い話でした。
基本的には、LDやADHD、あるいは高機能自閉症の定義と診断基準を示しながら、具体的にその子どもたちが見える(であろう)風景について、過去かかわってこられた子どもたちを例にとりながら話をされました。
なんというか…。きっと、わたし(たち*1)が見える風景とはずいぶんと違うんだろうなぁと思いました。というか、わたし「たち」という時、実際には一人ひとりの見えている風景は、実はぜんぜん違うんだけど、それを「同じ」とみなして話が進んでいる。でも、LDやADHD高機能自閉症の人たちって、それを正直に「違う」と言っているのかなぁという気がしました。
ただ、「同じとみなす」社会の中では、そりゃぁ、ものすごく生きにくいだろうなぁと思います。
そんなことを考えながら、一方で、トランスのことをやっぱり考えている自分がいました。
おそらく、トランスの見る風景って、やっぱり独特なんだと思います。別にそれはそれでいいんだけど、もしもその独特の風景を伝えなくちゃならないことが起こったら、どうすればいいんだろう…。自己言及をせずに、しかし「あなたにはわからない」と相手を切り捨てるのでもなく、「あぁ…」と心にストンと落ちる伝え方…。宿題だな…。

*1:というくくりがはたしてできるのかというのは、かなり疑問なんですが…

LD・ADHD等のある生徒の理解と特別支援教育” に2件のコメントがあります

  1. > 自己言及をせずに、しかし「あなたにはわからない」と相手を切り捨てるのでもなく、「あぁ…」と心にストンと落ちる伝え方…。

    これは難しいですねぇ。
    前に別件で書いたことがあるんですけど、「この感覚」を無理にマジョリティの人らに伝えようとするといきおいステレオタイプなジェンダーを例に出さざるを得なくなるため、そういうものにこだわった表現ばかりが無駄に誇張され、どんどん正直で素直な感想からかけ離れたものになっていくというジレンマがあるんですよね。
    もちろんあくまで個々の感覚なんで、取って付けたような「模範解答」が良いわけではないんですけど、なんかしらもうちょっと上手い伝え方がないもんかといつも思いますね。

  2. やっぱ、ステレオタイプなジェンダーは、おそらくは「ストン」とは落ちないと思うのです。
    かつてわたしが「お前にはわからない」と切り捨てられていた頃から考えていたことは「心の相似形」なんです。それを追及してみたいな、と。

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