一番しんどかった時期

わたしがトランスジェンダーという言葉と出会い、自分がそうであることを確信したのが1997年頃です。でも、そこから3年間が、わたしにとって一番しんどい時期だったかもしれません。
それまでは、自分が何ものかわからない状態ではありながらも、イマジネーションの中の自分とリアルな自分を切りわけることで、現実の生活は営めたわけです。でも、「トランスである」ということを知ってから、その切りわけができなくなりはじめました。
「トランスである」ことと「トランスとして生きる」ことは、実はぜんぜん違うと思います。
自分がトランスであることを知り、「トランスとして生きよう」と決めたのですが、具体的に、「なにをしたいのか」が自分の中でイメージできません。なので、「どうすればいいのか」も当然わからないわけです。何をしたいのか、何をしなくちゃならないのか、自分を実現するためには何をすればいいのか。ぜんぜんわからないままに、それでも「トランスとして生きたい!」と思い続けた3年間でした。
そんなわたしの転機のうちのひとつが、中島豊爾さんとの出会いでした。別になにかを教えてもらったわけじゃない。ただ単に、中島さんの「仕事をしており家族がいるいつきさんが、SRSまでやるとしたら、何が障碍になるのかなぁ」という独り言を聞いた時、「自分がやりたいことをやればいい。それをするのは自分自身なんだ」と気づかされたのです。と同時に、「誰かが邪魔をするわけじゃない。邪魔をしているのは、自分自身なんだ」ということにも気づきました。
そこから、自分の意志で少しずつ少しずつ「扉」を開いていくことにしました。「扉の向こう」に何があるのかは、実は今でもわかりません。でも、開け続けるという生き方を続けていくことに意味があるのかなぁと思ったりして…。

ぁゃιぃ会合

今日は午前いっぱいで職場をサイナラ!一路、東の方にある大都市を目指します。
到着したのが5時半頃。ホテルにチェックインをして、しばし休憩。その後、ホテルの近くに設定して下さった居酒屋へ。
店にはいると、すでにMさんとKさんがおられます。
なんか相変わらずのKさんと、ふだんとはぜんぜん違うラフなかっこうのMさん。「めずらしいなぁ」と思ったら、施術をしてもらってこられたそうです。普段から肉体的にも精神的にも走りまわっておられるから、きっと体を酷使しておられるんだろうなぁ…。ちょうどみなさんが集まってこられる前なので、Mさんにかねてからお願いしていた、ちょっとややこしい話についてしばし相談。諸事情により固辞されたのですが、やはりどうしてもお願いしたいので、「そこをなんとか」と再度のお願い。検討してみるとのことで、その話は一件落着。
そうこうするうちに、Sさんが来られて、まずは乾杯。ここで、ちゃんとクーポン券をプリントアウトしておいたのは、まぁ当然のことですわ。そうこうするうちに、Aさんも来られて全員集合。このぁゃιぃメンバーで会うのは、かれこれ2年ぶりぐらいです。
飲み始めると、いきなりパワー全開です。なんか、極めて専門的*1&マニアックな話*2からしょうもないネタまで縦横無尽に話は飛び交います。さらに、思わぬタイミングでKさんに火の粉が飛んでいきます。どぎまぎしながらもなんとか応戦しようとするKさんは、ちょっとかわいいかも(笑)。
そんなこんなで、気がつくとあっという間に終電の時間です。
楽しい宴も終了。次にこのメンバーで飲めるのはいつだろう。でも、その時を楽しみに、あしたからも生きていこう(あれ?)

*1:「パス」は「場」に関係があるとか

*2:診察券の番号争いとか