今日は職場の寄りあいです。議題は、わたしの処遇問題。早い話が、わたしのロッカーの設置場所なんかにかかわる女性教職員の寄りあいです。
いや、緊張しました。おそらく、わたしのここ20年ぐらいの間で最も緊張した1時間だったんじゃないかなぁ。
別にケーキをつくれるわけでもないし(笑)、さしたる取り柄もないわたしですから、「使わせて」という他できることもないし。なので、そのまんま「着替える場所がないし、ロッカーをおかせて」みたいな話。我ながら芸がないです。
あとは、いろいろ各種質問。
質問「書類上は男性として登録されているけど、女性として扱ってほしいと言うこと?」答え「う〜ん、むずかしいですねぇ。一番ピッタリ来るのは「だいたい女性として扱ってほしい」という感じでしょうか」
質問「生徒から「男なん?女なん?」って聞かれたらどうしたらいいの?いままでは「本人に聞いて」って、とりあえず言ってたけど」
答え「う〜ん、一番ピッタリ来るのは「だいたい女」か「男ではない」かなぁ。もちろん「本人に聞いて」って言ってもらってもいいし、「だいたい女とか、男ではないって言ってたよ」って言ってもらってもいいですよ」
質問「わたしらはまぁいいとして、来年転勤してきた人にはどうするの?」
答え「まぁこうやって立場を明らかにしたんだから、今後は自分できちんと説明していかなきゃならんかなぁと思っています」
で、最終的な反応はというと、おおむねOKです。「おおむね」というところがミソですね。そりゃそうだと思います。ヒゲのアンチャンの時からのつきあいの人もいますから、その「記憶」はありますわな。そこの無理は言いたくもないし、したくもないです。
最後に、「これからいろんなことがあったら率直に言ってほしいし、助けてほしい時にはお願いするのでよろしく」ということでおしまい。
そのあとは、ふつうの寄りあい。
てことで、いままでのうやむや状態から、はっきりさせていく方向に一歩足を踏み出してしまいました。
ひとまず、おめでとー。お疲れさま。
でも、初めてなの?
これはすごいことだと思う!一番身近で匿名が許されないところで一歩踏み出したんですね。でも着替えが一緒っていうのはどちらにとっても勇気が要ると思う・・。まあ、あせらずに、だね。
別に「一緒に着替えたい」というわけではもちろんないのですよ。というよりも、着替えているところに不意に入ってくる・来られるという話。で、これは別にトランス云々に限らないとは思います。
もっとも、着替えが集中するのは、入学式・卒業式・体育祭の年3回しかないんだけどね。
そう、「着替えの場所が一緒」ってことです。カーテンの更衣スペースがあるといいね。男女とも「戸を開けたら廊下から丸見え」なときがあって、最低でもそれは直して欲しいと思うけど、個室的な着替え場所があるといいよね。高校生なんかは着替えながらおしゃべりしたりしてオープンな感じがあったね、それはそれで懐かしいけど、嫌だった人もいただろうし。選べるといいなと思う。私の職場はロッカーの列の隙間が45㎝くらいだから、はなから着替えはムリ(笑)!
普通の女性が、MtFの方をMtFとして受け入れる場合の条件は、そのMtFのことを性別以前に、一人の人として認めているか否かによるところが大きいと思います。そこを超えれば、徐々にではありますがMtFではなく女性としての印象も濃くなっていくこともあるようです。
それから、「ヒゲのアンチャンの記憶」は今ではもう関係ないと思われます。例えていうなら、ヒゲの有る無しに拘らず、ご本人さんに対する個人的な印象や関係の方が、はるかに長く影響するように感じるのです。他人には、性別がどうのこうのではなく、その人との関係性がどうかが大切なのです。性別を挟んで気まずくなるのもいやですし、性別を持ち込まれるのも困った面があります(避けられない場合には、間に在る信頼感次第のような気もします)。
更衣室の件も、「MtFの方に着替えの様子をみられる..」ことに抵抗のない女性まずいないと思われます。その人の性別を、意識しない段階までいくと抵抗は薄れると思いますが、「みられたくないしみせたくない、そしてみたくない」という本能的な感情は、なかなか失せてくれません(すみません)。
余計な書き込みかもしれませんが、身近にMtFさんの存在もあり、つい本音を連ねてしまいました。お許し下さい。
一女性さん、ありがとうございます。
確かにそうですね。
日記に書いた内容って、「全員の意見」ではもちろんありません。人によっては「別に一緒に着替えてもかまへん」という人もいれば、そうじゃない人もいます。その差は、どれくらいの年数つきあいがあったかというよりも、その年数の中でどの程度の密度で話をしたかという方がより大きな影響力を持っているように思いました。
ただ「記憶」っていうのも、やはり大なり小なり影響はあるかなぁと思います。ただ大切なのは、その記憶と現在の差を埋めるような関係がつくれているかどうかという意味で、やはり、現在の関係性がもっとも大きいのだろうなというふうに感じました。