在日外国人教育セミナー

最近、いわゆる「新渡日」の人たちの状況や話を聞く機会が増えつつあるのですが、今日のセミナーは在日朝鮮人の人の話。
やっぱり、自分の出発点はここにあったよなぁと思うと同時に、20年前にはじめたころと何もかわっていない状況をあらためて感じさせられました。
話そのものは、まぁ「何度も聞いた」と言えば言える*1わけです。でも、帰り道に友だちと話をしていたのですが、「何度も聞くことが大切なんだよね」ということなんだと思います。それは、聞くわたし(たち)の態度の問題なんだと思います。「もう聞き飽きた」と受けとめるのか、「やっぱりそうなんだ」と受けとめるのか。日々の生活の中で、ともすれば薄れてしまいがちな思いを新たにしてくれる*2という意味で、「聞き続ける」ということが大切なんだろうな。
てことは、同時に、「語り続ける」こともまた、大切なんだろうな。

*1:もちろん、新しい話もいっぱいあるし「へ〜」と思うこともいっぱいあるのですが

*2:まぁ、そんなふうに搾取しちゃいけないんですけどね

「授業の達人」?

なんか、他の学校の授業を見に行ってもいいというプリントがまわってきて、ひょいと見ると「授業の達人」とか書いてあります。なんじゃこりゃ?で、ググって見ると、こんな記事がひっかかってきました。
そういえば、こんなの聞いたことがあるなぁ…。
で、「達人」の方々の所属校を見ると…。
「あ、こりゃ授業を見に行ってもしょーがないな」と直感。なにせ、すばらしい学校ばかりです(笑)。
でも、授業を見に行くのもひとつの手かもしれません。授業の後の授業研で「あの〜、どうやったらみんな座っているんですか?」とか「どうやったら教科書を机の上に出してくれるんですか?」とか、わたしの勤務校ならではの悩みを「達人」たちに聞いてみるのもいいかも(笑)*1
って、こういうの、人間としてダメだな。>自分

*1:あ、もちろん圧倒的多数の子どもたちは一生懸命勉強してくれていますよ。一部です、ここに書いているのは。いや、ほんとうですよ^^;;

いまの気持ちはどっち?

わたしは職務上、他の教員よりも担当している授業時間数は少ないです。でも、その分、さまざまな雑務をしなくちゃなりません。で、どっちが楽かというと、これがなかなか微妙なんです。なにしろ、数学の授業なんていうのは、慣れてくると「なにを教えるか」で苦労するというよりも「どう教えるか」というところがミソなんですよね。となると、その場その場での瞬時の判断力と、そこにいる子どもたちの小さな声を聞き逃さない集中力が必要になるんです。そんなものは、研修とか事前の準備とかでトレーニングできるものじゃなくて*1、「場数」の勝負なわけです。で、ハプニングを楽しむことができる精神状態だと、授業はすごく楽しい。それに対して、「雑務」っていうのは、基本的には消耗戦です。ところが、ハプニングを楽しめない状態とかものを考えたくない時とかは、「雑務」が非常にありがたい。
で、最近はというと…。
ローテンションなんですよね。やっぱり。なので、気分は「雑務」モード。数学の試験問題づくりからもひたすら逃げながら、雑務雑務雑務で1日を過ごしました。
でも、あとがこわいんだな^^;;

*1:ある程度はできるでしょうがね

流れといえば…

この間は、国民投票法が、さしたる論議もなくあっという間に通ってしまいました。
そして今日、教育関連3法が衆議院特別委員会で通りました。
今の政府・与党が、教員に対する露骨な嫌悪感と不信感を持っていることがよくわかります。そして、それが世間の学校への不信や風あたりの強さをあおってもいます。
自分たちは「教育を再生する」と言っているんだけど、いままでさんざん「制度」をいじくってきた。でも、1学級の人数は、基本的には40人のまま*1。一番投入しなくちゃならないところには金を出さずに、人を働かすための制度しかいじくってこなかった。なんとも安あがりなことです。で、そうした制度のいじりをしてきた張本人たちが、その総括もなしに、また同じこと、というより、より強烈な「いじり」をまたしてもしている。そして、その「いじり」の原因を他者*2に押しつけて。
今回の制度改悪は、さらに世間の不信感を学校に押しつけることにしかならないと思う。そして、その不信感の原因もまた、学校に押しつけることになるだろうと思う。学校は、無限に起こる責任をすべて背負っていくという、きわめて悲しい場所になる。
今、生徒たちに「先生になりたい?」と聞くと、だれも「やりたい」とは言わない。なぜなら「しんどそうだから」。これからも、生徒たちは教員になりたいとは思わないだろうな。なぜなら、もっとしんどい職場になるから。
自分たちがやっている「再生」が、実は「破壊」なんだということを、井戸端会議をしている人たちはわかっているんだろうか。あるいは、その「再生」を支持している世間はわかっているんだろうか。
そうそう。今日も新聞やニュースのトップは、「立てこもり」とか「会津若松の…」とか、世間をにぎわすセンセーションな「事件」ばかりです。そして、たぶんしたり顔で「教育が」と解説をする「有識者」が出てくるんだろうな。そうやって、学校は無限の責任をすべて負わされます。

それでも、教員は仕事してるんだけどな…。

*1:弾力性は持たせているけど、「金はそれぞれで持て」ということ

*2:親と教員と、自分たちがつくってきた教育委員会

あのね…

最近は、「学校評価」とかいうのがありまして、わたしも他者から「評価」をされる身です。まぁいいですけどね。で、そのスタート地点として、校長の面談があります。なんか、仕事が増えてかわいそうだなとは思うのですが…。でも、ひとりひとりと話す時間があるというのは、ある意味いいのかもしれませんがね。まぁ、そういう時間をどう使うのかが大切なんだとは思います。
で、校長から…。
「今年、特に大切に思っていることは?」「やっぱり授業でしょう*1」「そうやなぁ、で、なにか心がけていることは」
とか、まぁそういう話をしていたのですが、最後にわたしのほうから
「そうそう、なんか生徒を相手に話をするとかいう話がでていまして…」
と言うと、校長は一言
「やったぁ!」
って、どういうことよ(笑)。まぁ、「そろそろ生徒にもきちんと話をした方がいいんとちゃうか?」とか言ってたからなぁ。
なんか、ドンドンドンドン流れがどこかへと向かっていますわ。

*1:いや、かつては「授業なんてなぁ」とうそぶいていたのですが、最近はマジでこう思っているのですよ

へ?

朝、人権教育担当の担任さんが、「プリント学習の前に、体育館に生徒を集めて、少し話をしてほしいんですよ」と言ってこられました。内容は、ジェンダーにかかわる話。んなもん、男女共同参画社会についてわたしが話ができるわけないので、「じゃぁ、ビデオかなにか探しておきます」と逃げをうっておきました。
ところで、あとでよくよく聞いてみたら、「少しセクシュアリティの話をしてほしいんです」ということだったらしいです。てことは、自分のことを話せ、と。まぁ、そんなことでいいんなら話しますがねぇ。
しかし、30分以内とか。こりゃ、よほど厳選して話を考えないといけないなぁ。やれやれ…。

そこに山があるから…

今日こそ原稿を書くぞと思い、パソコンの前に座ったら、横から「これ」と仕事がやってきます。で、優先順位が入れ替わって、先にそっちをやる。で、それをこなしたら、次に「これ」と仕事がやってきます。てなことをしていると、だんだんと「仕事をこなす量<仕事が来る量」となっていきます。で、できるのが山(笑)。
山を崩すためには「仕事をこなす量>仕事が来る量」にすればいいだけなのですが、どこかで「原稿を書かなきゃ」という雑念が入っているので、スピードがあがりません。すると、山が高くなっていきます。
まぁ、そんなもんです。
で、一番原稿書きが進むのが、校門の立ち番だったりします。なにせ、山が高くなっていたとしても、校門にいたら関係なしです。
おかげさまで、原稿ができました(笑)。さて、あとは山を崩すだけ。

〆切

実は、10日ほど前に原稿を依頼されていて、その〆切が今日。ところが、ぜんぜん原稿ができていません。家に帰ってやろうとしたのですが、家ではまったく書けません。てことで、久しぶりに〆切を超過してしまいましたよ。あしたこそは書こう…。

DVかぁ…

今日は、人権教育関係の総会。昼からは記念講演。テーマはDVでした。
フェミニストカウンセリングにかかわる話からはじまって、DVの具体的な事例や、その結果としてのPTSDの話とか、子どもへの影響とか、なかなか深い話でした。
それにしても、「総会」なもんで(?)、聞いているのがほとんど男性。どういう思いで聞いていたんだろうなぁ。
あ、わたしは、自分の存在がDVかどうかを、かなり悩みながら聞いていましたよ。と同時に、「DVは女性→男性」という講師の話に対して「ん〜」となってもいたんですけどね。
資料の中の統計調査に「男性被害者」にかかわるデータがあって、警察等へのヘルプが少ないというデータが気になっていたので、終わってから講師の方に、「男性の被害者の中には、同性愛者が含まれているんじゃないですか?ゲイであることを知られるのを恐れるので、ヘルプが少ないんじゃないですか?」と質問をしてみました。すると、「そうなんですよ。ゲイだけじゃなくて、レズビアンのDVの問題もあるんですよ」という答でした。どうやら、今日の話は「女性→男性のDV」に特化した形で話されたようです。
まぁ、話が多岐に渡りすぎるからそうしたんだろうけど、単純な男性・女性間のパワーのアンバランスだけの問題ではないような気もするし、そういう意味で、少し触れてもいいんじゃないかなぁという気もしますが…。

スローライフ

といっても、いわゆる「スローライフ」じゃなくて、どちらかというと「ゆっくり走ろう」な話なんですが。
わたしの通勤距離は片道30kmほどです。車だと、1時間10分。バイクだとすり抜けができるので小一時間(笑)。
ところで気がついたことがあります。それは、バイクのスピード。「今日は急ぐぞ!」と頑張っても小一時間。「今日はのんびり行こう」と思っても小一時間。実は、スピードと時間ってあまり関係がない感じがします。逆に、アクセルをほんの少しもどすだけで、自分に余裕ができるし、まわりもよく見える。当然、白黒の車とか真っ白なバイクもよく見えます(笑)。
結局そういうことなんだな、と、ちょっと気づいたということで…。