研究会

午前は、奈良県立同和問題関係史料センターの吉田栄治郎さんの講演。
長い間「聞きたい」と思っていた人の講演だったので、すごく楽しみでした。で、結果。おもしろかったです。
これまでの解放運動や解放教育のあり方への率直な提言がいっぱい出てきました。でも、その背後に一貫してあるのは、「どうすれば部落解放が実現するのか」ということへの模索なんだと思います。
つい、表面上の事象をなぞりながら活動をしたり発言をしたりしがちです。これは自戒の念をこめて、そう思います。でも、根底に自分自身が何を持つのか。すべてをそこからスタートさせ、時としては時流に反することも自覚しながら「できること」を模索していくことが必要だなぁと感じさせられました。
それが、ある意味で新鮮だったのは、逆の意味でショックだったりしますけどね。

研究会” に2件のコメントがあります

  1. いつきさん、吉田栄治郎さんが心の根っこの部分から部落解放や差別をなくしたいと思っておられると感じましたか?新しい部落史観とやらで、今までの方法ではなく率直な提言は理解できるのですが、奈良県での講演では、あまりにも誤解を招く発言がでていました。具体的
    には書けませんが、根底にあるものが熱く伝わってこないから、解放教育をやってきた(?)人からは、うけいれられなかったり、逆に「同和教育に批判的」で何もしてこなかった人が、納得したり、そして、納得しても新しく進まないのですが、私も今までと違った「洞村移転」をさぐっているところです。具体的なお話を是非したいです。家族キャンプの日程、場所は決まりましたか?

  2. わたしが吉田さんというか、部落史の見直しから学んだことは「部落っていったいなんやねん」「部落差別の本質ってなんやねん」ということを考えようということなんです。そして、なぜ水平社からはじまる長い運動の歴史の中で「差別はあかん」という言説は一般的にはなったものの、部落差別そのものは隠蔽されただけで、なくなっていない(逆に強化されたところもある?)ということが腑に落ちたという思いがしました。
    「今」という時は、法切れという時期と、そうした価値観の転換期が重なった(たぶん偶然ではないと思いますが)ために、ひとつの言説への評価がものすごく多岐に渡ってしまう状況なのではないかと思うのです。
    わたしの基本的な姿勢は、ある言説に対して、否定からはじめるのではなく、そこからなにを学べるかを考えるというところにあります。もっとも、一歩間違うと簡単に迎合してしまうという危険性も孕んではいるのですが…。
    で、吉田さんの中に根本的に流れているのは、先日の講演を聞く限り「ファシズムの否定」というものだったように思います。わたしはそこに反差別の生き方の根っこを感じたのですが…。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です