「抗議」という行動をめぐって

序章・stnというグループについて

この間、stn21の抗議がいろいろと物議を醸している*1ようです。
まぁいちおうわたしはstn21の副代表らしいです。てか、「事務作業を手伝ってもいいから、事務局にはいるね」と言ったのが発端で、「じゃ、あんた副代表ね」と言われ「なんでやねん!」というと、「会則を読め!」と代表に怒られてしまいました。どうやら、事務局メンバーは自動的に副代表になるという会則を読み落としていたという…。
で、stn21っていうのは、「自立した個のゆるやかなネットワーク」というのがそもそもの成り立ちでして、まぁ、簡単に言えば自助グループではないという。じゃ、「なんやねん」ということですが、まぁ、なかなか顔出しができない「当事者」が集まることで、stnというネットワークを通じて、「当事者」と「社会」をつなぐという役割をできたらいいかという感じでつくられたグループ*2なんですね。で、基本的には「あの〜、stnの名前でこんなことしたいんですけど」と声をあげたら、たいてい「ええんちゃう。でも、言い出しっぺがやるんよ」みたいな感じで話が進んでいくわけです。

「抗議」という行動について

で、今回、件の抗議の動きがあったと。
わたしって、たぶんすごく鈍感というか無関心というか。「ふ〜ん」という感じでした。でも、別に反対ではなかったので、「まぁええか」という感じでした。てか、やるときは個人でやるタイプ*3ですんで…。ただ、個人でやっていると、まったく相手にされないことが多いので、団体の名前を使うと便利は便利というのはよくわかります。まぁそんなところでした。
ただね、ひとつだけ大切なことがあると思っています。
誰がやろうと、どういう形でやろうと、何についてやろうと、そんなさまざまなことは越えて、「不快と思ったら、声をあげる」ということは間違ってへんということです。これだけは、はずしたらあかんやろうと思います。だからこそ、たぶん「ええやんか」と思ったんだろうなぁと思います。

「抗議という行動」への行動について

さて、火蓋が切られて、まぁいろいろありました。特に、抗議に対する反対意見の表明方法。これらが3つの類型にわかれているような気がしました。
ちなみに、以下の話は若干今回のstnの抗議行動にリンクしている部分はあるにしろ、どちらかというともう少し一般的な話として考えたいと思っているので、そのあたりの意図はくんでいただきたいと思います。

  • 抗議した内容そのものへの反対意見

 あって当然です。傾聴すべき意見が多々あります。

  • 抗議の方法についての反対意見

 あって当然です。これまた傾聴すべき意見が多々あります。

  • 「抗議」ということへの反対意見

これは、おかしいやろうと思います。「抗議をするな」ということですからね。
てか、最近思うのは「たたく対象」というやつが、「なにものか」によって承認されているように思えてならないんです。そこへのたたきは公認。「死ね」まで言ってもかまわない。でも、承認されていない対象へのたたきをすると、今度はたたいたものが「死ね」と言われる。なんだか、たたく側がマジョリティになっているように思えてしかたがない。「不快という声をあげる人」への言論封殺が行われているように思えてしかたがない。

3つのパターン以外のパターン

最悪なのが、単なる嫌がらせ。これについては、反対意見のレベルに達していないです。stnのアドレスを勝手にどこかのMLとかメールマガジンに登録した人がいる。これって、単にネットのトラフィックを増大させるだけ。サーバーの負荷を増やすだけ。ネットの作法にもとづいていないやりかただと思います。あかんでしょう。これは。おかげで、メールの整理がたいへんで、もう…。

終章・さて、落としどころにつまった(笑)

「オチがないなら書くな」と言われそうやなぁ^^;;
最近、あまりにも日記の内容が、日常ズブズブになっているので、たまには興奮するのもいいかなぁと思いました。まぁ、個人的には先輩からもらった言葉

孤立を求めて連帯を恐れず

を心に刻んで生きていきますけどね。

てことで、結論

結局、いつきは「竜頭蛇尾」というヤツだなぁ、と(笑)。もうちょっと「展開」せんかいと言われそうですが、んな難しいことできません。いや、本は読みますけどね(ry

*1:昔、「物議を醸し出している」と言ったら笑われました

*2:≠組織

*3:いままでの抗議行動の前科は、奈良ドリームランドに1回とニュースステーション1回、報道ステーション1回。すべて個人名

「抗議」という行動をめぐって” に9件のコメントがあります

  1.  私は同意見とちゃいますからね、等と「切り離し」をはかったり
    しないところがいつきさんらしい。確かに、「やり方がまずい」、
    「かえって誤解を招く」などという言われ方がなされがちだけど、
    (私も一部同意するけど)、そこから「こんな抗議をする奴はやっ
    ぱり××や」みたいなかたちでマジョリティが「安心」しているよ
    うなのがなんとも嫌っす。

  2. > 「不快と思ったら、声をあげる」ということは間違ってへん

    うーん(@_@;)。そういう面もあるけれど、戦略的な視点とか、相手の意図や後先、効果その他を考える態度が欲しかったような気がします。先日のお山の件でも感じたんですけど、どうも「運動ネタを見つけたので、とりあえず声をあげたろ」という”だけ”に感じられて、悲しいです。ネタを見つけるたび、一々声を挙げていたら、かえって拡散してしまって効果が損なわれるような気がするし。

  3. じつは、抗議文とかきちんと読んでいなかったりするんですが^^;;。
    たぶん「運動ネタを見つけたので…」ではなかったと思います。だって、いちいち声をあげていたら、たぶんネタがありすぎると思いますもん(笑)。
    ただ、たしかに樹村さんのおっしゃるとおり、もう少し長期的な展望を考えないといけないというのはあるだろうなぁ。でも、とりあえず「声をあげる」というのは、やっぱり大切なことだと思うのです。だって、声をあげなきゃ「不快と思っている人がいる」ということに気づかないと思うんですよね。

  4. > 抗議文とかきちんと読んでいなかったり

    (^_^;)読みませう。

    > たぶん「運動ネタを見つけたので…」ではなかったと思います。
    > だって、いちいち声をあげていたら、たぶんネタがありすぎる

     いえ、言い換えれば「閾値を越える運動ネタを見つけたので」でしょう?
     何というか、”考える”とは何かということと、”行動への閾値”が、もっと言うなら”何が問題の下部構造だと考えるか”が、私とは少し違うような気がします。

    > とりあえず「声をあげる」というのは、やっぱり大切なこと

     当事者が声をあげるのは、おっしゃる通り大切です。例えば従軍慰安婦問題なんか、マスコミ報道なんか80年頃にはもうあったけど、社会が相手にしだしたのは、当事者が声をあげ始めた90年代になってからですよね。
     ただ、「とりあえず」じゃイケナイと思うだす。

  5. > (^_^;)読みませう。
    あいm(__)m
    「何が問題の下部構造だと考えるか」。なるほどなぁ。
    たぶんわたしが「ふ〜ん」と思ったこととか、この件に限らず、みずからが「当事者」としての「いわゆる抗議行動」と微妙な距離をおくスタンスと同じところがあるんだろうなぁ。たぶん、本当に動く時って「ネタ」じゃないときなのかなぁ。
    <追加>でも、stnの中のゲイの人たちの動きを見ていると、「ネタ」じゃないという感じがひしひしと伝わってきます。「抗議行動」をする中で、「意味」を再確認していったんじゃないかなぁという気がします。</追加>

    > ただ、「とりあえず」じゃ
    あ、これは「」の位置が違います。「とりえあず声をあげる」じゃなくて、とりあえず「声をあげる」です。
    「それでもやっぱり「声をあげる」ということは、やっぱり大切なこと」
    と書くべきだったですね。すんません。

  6. あまりシツコク書いても何ですが…

    > 「ネタ」じゃないという感じがひしひしと伝わってきます

     でも、LG内でも温度差がありますね。STNではHG氏自身は問題視してないようですが、オモチャよりHG氏自身に不快感を表明しておられる方もいるし。話はずれるけど、映画メゾン〜に抗議したい人もいればその映画を監修したゲイの方もいる。
     今回の件の問題点はいくつかある(他の方が他のweb等で沢山書いておられるので省略)けど、団体名を使っての抗議は、例えばそういう多様性が見えなくなってしまう点もイクナイよーな。
     どうも、その行動が”周囲からどう見えるか””どういう効果・利害があるか””他のセクマイたちはどう考えるか、その影響は”等への配慮が手薄な気がしました。
     社会問題を考えるやり方にはいくつかあるけど、今回のSTNさんのはいわば”分業型”なのかな?と。例えば昔の労働運動のような。自らを弱者・被抑圧者と捉え、そのニーズも単純化し、社会・強者達に訴えよう、という。で私は、今は”分業型”が適しているステージではないような気がするので、今回の件に強い違和感を感じるんだと思います。

  7. ↑を書いてから、しつこかったと後悔しました。出来たら消して下さい。
    <m(__)m>すみません。

  8. 大切な提起だと思うし、さほどしつこいとは思わないし、消すのはもったいないので残したいんですけど…。やっぱ消さなきゃならないですかぁ?
    とくに「うんうん」と思わされたのは、「自らを弱者・被差別者ととらえ、そのニーズを単純化し、社会・強者たちに訴える」というスタイルへの話。なるほどなぁ…。

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