パートナーと、「今年はがんばるのはやめようね」という合意がありました。なにせ、例年の大晦日は、「掃除掃除掃除→おせちおせちおせち」です。んなことでは身体が持ちません。なので、今年は「掃除→おせち」程度にしてのんびりしようというもくろみです。
まずは、午前中、車の掃除…をしてもらいにガソリンスタンドへ。この1年、荷車として働いてきた車の掃除、とうとう人に頼みました。楽でした。きれいになりました。
昼から。パートナーは家の片づけ。わたしは買い出し。近場をまわればいいので、楽勝です。それにしても、京都府南部より物価が高いのにはまいりました。
そうそう、年明けに行く恒例の場所のためにおみやげを買おうと思ったのですが、今年はいつも持って行ってる豆腐*1が遠くなってしまっていけないので、漬け物にすることにしました。この季節、京都で漬け物といえば、すぐきですね。で、ふと思い出したのが「あさだ」という漬物屋さん。小さい頃の記憶で、ここの前を通るといつも漬け物の臭いがプーンとしていたのを思い出していったのですが…。店の間に行くとなすびを仕込んでおられます。「それ、麻利漬のなすですね」と思わず声が出てきました。いや、子どもの頃、好物だったんです。先代が亡くなられて長い間つくっておられなかったようなのですが、復活したみたいです。お店の中にはいると、おばあさんが「お越しやす」とごあいさつ。「洛外やのに、京言葉やぁ」となにげに違和感を感じながら、ふと横を見ると値段書き。「すぐき、100g200円」「麻利漬120g500円」。高け〜。でも、まじで漬けておられる感じです。すぐきは、直接樽から出てきました。さらに、ふと横を見ると、ホワイトボードに「順正」とか「たん熊」とか書いてあります。えらい有名な割烹です。んなところに卸してるんや…。とりあえず、おみやげ用にすぐき、家用に麻利漬を買ってみました。子どもの好物になったらどうしよう…。
家に帰ったら晩ご飯づくり。コンロが足りなくて困りました。五口くらいあっても全部使ってしまいそうです。
夜は、男祭りなんかを見てすごしていたのですが、だんだん疲れてきてやめ。
その後はおせちづくりに参戦。結局寝たのは2時半頃ですか…。
そうそう、夜中に上の子どもが起き出してきて、「鐘突きに行かへんの?」と言っていました。去年までは京都府南部の町の「みんなのお寺*2」に行っていたのですが、今年はそんなお寺もないし…。隣が寺なんですけど、やっている気配なかったし…。「また来年ね」と言ったら納得して二階に上がりました。でも、ちょっと寂しかったかなぁ…。
日: 2005年12月31日
つーか、単なるコピペかな
今日の日付の朝日新聞天声人語。なんとなくよかったので、コピペ。ごめんなさいm(_ _)m
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トリを焼く煙がもうもうとあがり、勢いよく通りに出てゆく。東京・吉祥寺の駅前で、井の頭公園に近い場所だ。この春に逝った歌手、高田渡さんの行きつけだった店の止まり木で、しばししのんだ。
「鉄砲や戦車や飛行機に/興味をもっている方は/いつでも自衛隊におこし下さい/手とり足とり教えます」。「自衛隊に入ろう」は1967年、高田さんが都立高の定時制に通う頃に作られた。このデビュー曲が放送禁止になった。
主義主張を正面からぶつける作風ではない。「あたりさわりのないことを歌いながら、皮肉や批判や揶揄(やゆ)などの香辛料をパラパラとふりかけるやり方が好きだった」と自著『バーボン・ストリート・ブルース』(山と渓谷社)に書いている。
何度聴いてもしんみりするのが「すかんぽ」だ。「土堤の上で すかんぽは/レールの間に 生きていた/急行ごとに気を付けをし/人の旅するのを眺めていた」。酒場や小劇場で自作詩の朗読を続けたドイツの詩人、ヨアヒム・リンゲルナッツの「哀れな草」に緩やかな曲を付けた。弱い草だが「目もあり 心もあり 耳もある」と、語るように歌う。
高田さんがドイツを訪ねるNHKのテレビ番組で、原詩に軽快な曲を付けて歌う現地の青年たちが出てきた。気を付けする草にはこっけい味があるから、明るく歌うのも分かるが、高田さんはその姿に、生きるものの愁いと根強さも見ていたのではないか。
1月1日生まれで、存命なら明日が57歳の誕生日だった。その歌は、人々の心の中に流れ続けてゆくだろう。
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金敬得さんが亡くなられたのかぁ。まだ若いのになぁ…。