大阪府立大学社会福祉学会公開シンポジウム

しかし、大阪府立大学って遠いです。交通費をケチるため(笑)、地下鉄→阪急→地下鉄と乗り継ぎ、最後はリハビリ*1も兼ねて歩いたのですが、2時間ほどかかりました。でも、キャンパスにはいると、落ちついた感じで「いいなぁ」と。
打ちあわせの場所に着いてしばらくすると、続々とシンポジストの方が来られました。で、打ちああわせ。実は、今までは好き放題させていただいていて、「打ちあわせ」っていうのをしたのははじめてなんです。打ちあわせのなかでわかったことは「時間がタイト」ということでした。かなり緊張感が走りますね。
打ち合わせが終わってしばらく雑談していると、あっという間にシンポジウムのスタート。
まずは、山中さん・東さんの「セクシュアリティの基礎知識」みたいな話です。わたしは実は又聞き程度の勉強しかしていないので、結構勉強になりました。
で、シンポジウム第1部。トップバッターが、尾辻さん。自分史も交えながら、コンパクトに話をされました。あれだけの内容を30分で、すげー!という感じでした。てか、実は25分なんです。「わたしと同じくカムアウトをされ議員になられた方が…」ということで登場されたのが、上川あや*2さん。話を聞いていると、「おいおい、かぶってもたやんか」みたいなところが多々あって、困ったなぁと。ただ、お二人の話を聞いていると、「『制度を変える』と『社会を変える』の両輪があって、自分(たち)は『制度を変える』ことを政治家としてやるんだ」というニュアンスがあったので、じゃぁ、わたしは「社会を変える」という観点で話をすればいいんだと、一安心。
で、わたしの話。しょっぱなからマニアックでしょうもないネタ*3を振ってしまって、あたるかどうか不安だったんですが、数人が大爆笑をしてくれて、なんとか軌道に乗りました。あとは、「「隠す」社会から「語れる」社会へ」ということで、どこかに書いたネタをたどってみました。しかし、途中に友だちが入ってきたのが見えて、思わず「あ、RZつぶれたねん」とか、わけのわからんことを口走ったりしてしまい、冷や汗をかきました。それでも、なんとか31分で終了。
質疑応答では、「病院などのように、必要な性別記載欄もあるのでは」というのが出てきました。尾辻さんからは、「公的書類の不必要な性別記載欄削除は、不必要なプライバシーを行政に渡さないという意味づけがある」という説明があり、なるほどな、と。で、わたしからは「病院などでは、自分の身体のケアのために必要な情報を提示する。それは、かならずしも性別だけで語れるものではないはず。しかし、性別だけで語ろうとするあり方や、それすら語れない社会のありようが問題」と、自分なりの意見を述べました。
第2部のトップバッターは、こちゅかるさん。介護する側される側を問わず、「女性」のおかれたセクシュアリティにかかわる状況について説明をされ、さらに「障害者のジェンダーを問う前に、介護する側のジェンダーを問うことが大切」という話をされました*4。とてもわかりやすく、かつ切れ味の鋭い話でした。
続いて、横須賀さんの話。SV(セックス・ボランティア)にかかわる話だったんですけど、会場からはすごいきつい話が返されました。わたしは「性的に抑圧された「障害者」がそこから解放されていく途中経過の話かなぁ」とボンヤリ思っていたのですが、あるフェミニストの方からは「まずは権力構造そのものを問う必要がある」と厳しい意見が続出しました。
で、第3部。もちろん打ちあげです。20人くらいの人たちが参加。わたしと上川さんが隣同士。上川さん、熱かったです(笑)。やがて、上川さんは東京へ。そこへ、先ほどのフェミニストの方とか尾辻さんとか東さんが来られて、「いま、なにをアジェンダとするかなのよね〜」と語りあわれます。わたし、ふんふんと聞きながら「むずかしくて、よくわかんね〜!」と心の奥底で叫んでいました。
充分飲み食いして、9時半。そろそろ帰らないとヤバイということで、お開き。みんなで地下鉄に乗って、打ちあげの勢いそのままに話。でも、いい大人が床の上に座って話し込むのはやめた方がいいと思う。けど、かっこよかったよ…。

*1:右膝がいまいち曲がらない

*2:なぜかフルネーム・笑

*3:トランス業界は、刺すか刺されるかの吉野家みたいなところで…

*4:と思う

ばれた〜(涙)

いつもの通り、接骨院に行ってダラダラと話をしていました。すると、接骨医の方が「そうそう、いま、性別はどうなってんの?」と質問をされました。で「別に、そのままですよ」と答えると、「そうやろなぁ」。まぁそれはその通りですわ。で、「実は、整形外科から連絡があったんやけど、「女性」って言ってはったし、訂正しておいた」と言われました_| ̄|○。まぁ、それはそれでええんやけどね…。
で、そのあと整形外科へ。カルテを見ると、「女性」に◯をした上を斜線で訂正して、「男性」に◯をされていました_| ̄|○。ま、書類上は正しいんやけどね。
でも、考えてみると、自賠責なんかの請求をしなくちゃならないわけで、その時に「女性」では通らない。なので、書類上は男性にしておかないとダメはダメなんですよね。なので、お医者さんに「あの、書類上はこれでいいんですけど、病院内での扱いはこっちにしておいてくださいね」と一応お願いをしておきました。もっとも、「扱いって、なんやねん」という気がしますね。せいぜい、レントゲンの時に「ブラジャーははずしてください」の声かけくらいじゃないかという気もしますが(笑)。
ケガの方は、ほぼ順調なようです。結局9針縫ったみたいで、そのうち5針分の抜糸がすみました。でも、一部壊死をしているみたいで、膝下に傷が残りそうやなぁ。まぁ、スカートはロングの方が好きやし、さらに言うとジーンズが一番好きやから、どうでもいいっちゃどうでもいいんですけどね。

へっへ〜!

で、看護士さんが持っているレントゲンの受付票をひょいと見ると、性別欄が「女」に◯されてます。で、技師さん曰く「シャツ一枚になって下さいね。ブラジャーはとって下さい」。\(^o^)/。でも、首の骨を撮る時「はい、あごをあげて」と言われたのにはまいりました。ばれるじゃん(笑)。やっぱり「のど仏削ろうかなぁ」と思いましたね。
で、病室にもどってカルテを見ると、予診表の性別欄*1、「女」に◯がしてあります。う〜ん、保険証出したのに見てないな(笑)。その後もらった診察券を見ると、性別記載欄はないし、年齢欄は空白だし。気に入りましたね、この病院!
ということで、とりあえず、女で通院することになりそうです(笑)。

*1:わたしは空白にしておいた

集まり

7月から、病院近くの「まんまる」という授産施設で、「ジェンダークリニック受診者の会(もうちょっとかわいい名前にしたいなぁ)」をやりはじめました。今日は2回目。支払いを終わって、ヤクゲトしたら、すでに皆さん集まってよもやま話をしておられました。
まずは、ひとりひとり自己紹介。それぞれに自分の思いを語られました。わたしの番がまわってきたので、「待合室での時間が、少しでも退屈しないようにと思っています」と、自分の思いを語りました。だって、みんな牽制しあっているんだもん。さらに「きのうのど仏を切るはずだったんですけど、怖くなってビビッたので、やめました」というと、爆笑されてしまいました。
その後、改名のことをめぐって名前を変える意味*1とかいろいろな話が出ました。なかなかいい感じです。
たぶん、次回は12月かな?てことは、忘年会か…。車を置いて行かなくちゃ…。

*1:「名前を変えることで、昔の名前を肯定的にとらえられるようになった」「名前を変えたら体調がよくなった。すごくストレスがあったんだと思う」「呼ばれたい名前が名前。だから自分で決めたらいい」など

午後はヤクゲト

まずは、婦人科へ。今回は血液検査の結果を持って行きました。
Iちゃん「ふぅん、肝臓の数値が上がってますねぇ」
わたし「ええ」
Iちゃん「お酒の飲み過ぎですか?」
それ、ちゃうやろ!と心の中で叫びながら
わたし「いえ、最近本当に弱くなってきたのであまり飲んでないんです」
Iちゃん「それ、薬のせいと違って…」
わたし「年のせいかい!」
Iちゃん「ええ」
あなたね、人のこと言えるの(笑)?そこでにっこり笑うのやめていただけません(笑)。
続いて、精神科の待合室。ふと通りかかったYさん。
Yさん「けがの具合はどうですか?」
わたし「へ?なんで知ってますの?」
Yさん「日記、読んでますもん(笑)たいへんでしたね〜」
そう来たか〜…。
で、精神科へ。のど仏のことの顛末なんかを話したあと、今後の作戦会議です。
その後、支払い。ちょうど病院から出ようとしたところに、向こうから知りあいが歩いてきました。反射的に、杖を脇に抱えて「ドタタタタタタタ!」と発射してしまいました。しもた、新患受付の前やった。深く反省しました。
で、薬屋に行ってヤクゲト。薬ができるのを待っていたら、「あの〜」と呼ばれます。なにかな〜と思っていったら、「すみません、前回自費診療なのに3割しかもらっていなかったので…」2ヶ月遅れの請求が来ました。なので、今日はなんと17割りもお金を払うことに。財布は空になりました。おまけしといてぇな…。

くそ〜…

今日夕方、いつもの通り渋滞をしている道の左をすり抜けをしていました。と、いきなり車と車の間から車が…。
てなことで、つっこんで、一回転してしまいました。飛びながら考えていたことは、「こりゃぁ長引くぞ…」。落ちてから、身体を確認。「ふむ、左足OK。腕、OK。右足、痛いけど動く。首、ついてる。頭、いつものとーり」。どうやら生きていました。たぶん、ボンネットの上を滑るか飛ぶかして、向こう側にヘルメットから落ちて、受け身の状態になったので助かったようです。とりあえず、道ばたで寝ころびながらパートナーをはじめ、必要なところに電話。携帯って便利だわぁ。
あとはもう、まわりにいた人たちが迅速な措置をして下さったので、ぜんぜん楽チン。あっというまに救急車の車上の人になりました。
救急隊員に名前とか住所とか電話番号とか年齢とか聞かれたので、いつもの調子でヘラヘラと答えていたのですが、病院に搬送する問い合わせをしているのを聞いてorz。
「43歳男性、◯◯」
おいおい、性別を言ったおぼえはないぞ。ふーんだ。いいよいいよ。どーせあたしゃパスしてませんよ。結局、病院内でも、わたしは「43歳男性」と呼ばれ続けました。
結局バイクは大破したものの、身体は右膝の下を縫っただけでおしまい。松葉杖すら貸してもらえないという状況でした。そうそう、リュックに入れていたパソコンも無事でした。kりゃ、奇跡だわ。
で、病院にはパートナーが駆けつけてくれました。いや、助かりました*1
と、そこへ、車の運転手の方が来られました。で、パートナーに向かって「お母さんですか?」。パートナー、「いえ、身内のものです」と笑顔で答えながら、裏側で怒ってました。運転手の方といろいろ話をしていたのですが、こちらのほうは「はじめ男の人やと思っていたけど、女の人だったんですね」とのこと。まぁ、ちょっとお年を召した方で、気が少々動転しておられたのかな。
いろんな処理がすんで、帰り道。パートナーとふたりでマクド*2のドライブスルーに入りながら「こんな時しかふたりでゆっくりできないね」と話しあいました。でも、あまりこういうのはイヤだなぁ。
家に帰って、子どもたちと再会。つっても、帰った時間、いつもよりちょっと遅いぐらいですけどね。下の子どもは宿題をしていたみたいで、上の子どももきちんと子守をしてくれたみたいで、どうやらわたしが事故にあった時の方が子どもたちは「えらい」ようです。下の子どもが扇風機の風をこっちに向けてくれたので、「冷やしてくれてるの?」と聞くと、「うん、早くよくなってね」だって。なんとゆーか。
で、パートナーとビールで乾杯。生きていること、家に帰ってこれたことを実感しました。

それにしても、縫った場所、ひざの少し下だし、ミニスカはたぶんはかないからいいけど、傷跡が残ると困るなぁ。単純に男と思われたら困るので*3、ていねいにやってもらうようにお願いはしたんだけど。まぁ、あとはわたしの驚異的な自然治癒能力に頼るとするかな。

しかし、あしたも出勤かぁ…。いてて、麻酔が切れてきた(笑)。

*1:今日だけじゃないです。はい。まぁ今日は特にということで…

*2:関西では「マクド」と略します

*3:多少傷跡が残ってもいいだろうという価値観でやられると困りますわな

突如電話

家に帰って、ダラダラしていると、突然友だちから電話です。この人たち、適当に酔うと、人の携帯に電話をして、順番にまわしていくというクセがある人たちで、かける側にまわると結構おもしろいです。で、今日はかかってくる側だった、と。
で、「今日はどないしましたん?」と聞くと「アサヤンの飲み会や」へ?思わず「浅草橋ヤング用品店」の飲み会かと思ったわたしは、アホでした。プロレス好きの某博物館の関係者の方を囲む会だったようです。
で、いきなり「で、お前手術すんのか?」「いや、見あわせましたけど」「なんでや」「いや、まぁいろいろ考えて」「そうか、ほな次にまわすぞ」「へ?」みたいな、会話かどうかわからないような話がしばらく続きます。で、「まぁ、明日になったら多分忘れてるけど」とか言いながら「ほな、じゃましたな」でおしまい。
愉快な人たちです。
ところが、しばらくして再び携帯が鳴りました。普通、2回目はないんだけどなぁと思いながら出てみました。すると、アサヤンさんが、妙にまじめな声でこう言われました。「手術やけどなぁ、おれはやらんでもええと思う。そのままでええと思う」。
なんだか、すごく「わたし」を肯定してくれる言葉だなぁと思い、思わず、「ありがとうございます」と答えました。
倫理観とか、そういうのじゃないんだと思うんですよね。この人たち、「やる」となったらとことんやる人たちだし、「やったらええやん」と平気で言う人たちです。でも、そういう人(たち)が
「やらんでええやん」ということの重みって、なんか感じることがあったんですよね…。

その後、お客さん

みんなで「なぜ在日外国人教育にかかわったか」というあたりの深い話をしていたのですが、わたしは東京からのお客さんが来る時間になってしまい、またまた途中で失礼。京都駅に向かいました。お客さんは3人。えらい荷物です。で、わたしの家までタクシーで行くことになったのですが*1、あまりの荷物だったので、大型に乗ることになりました。初体験です。どんな車かな〜と思っていたら、なんと、ベンツ!初体験でした。もう、ベンツの力がいかにすごいか、よくわかりました。なにせ、道が割れていきますから(笑)。なので、結構混んでいるはずなのに、意外と早く家に着きました。ちなみに、家までの料金は普通の3倍くらいかな。すげ〜。
で、昼からはお客さんと一緒にいろいろ用事。詳細はめんどくさいのでパス。

*1:つーか、途中で失礼したのは、タクシーに便乗するため

女人禁制のシンポ

詳細はあまりよくおぼえていないのでパス(笑)。
途中、すごく事細かな質問があって、これへの回答として、コーディネーターの方から「ケガレ意識」あたりの話が出てきて、なかなか興味深い展開になりました。
ここで話された「ケガレ意識」って、たぶん「延喜式」あたりから出てくる話なんでしょうけど、この価値観のおよぶ範囲って、しょせんは京都を中心とした当時の都近辺だけですよね。となると、その勢力の外側にある地域では「女人禁制」ってあったのかなかったのか。あったとしても、「延喜式」を元にした「ケガレ意識」というわけにはいかないだろうと思うのですよね。にもかかわらずあったとしたら、もう少し普遍的に「女性を排除する」という文化があったというふうに考えなくちゃならないだろうし、それってどうとらえたらいいんだろう…。
それ以外にも、いろいろ話がありましたが、まぁ、これもここではパス。というか、「祭」のために帰らなくちゃならないので、途中で失礼したという…。

在日外国人の卒業生のうちにお呼ばれ

で、たまたま1年生の時に知りあって、そのまま4年越しのつきあいをしている在日外国人の元生徒の家にお呼ばれで行ってきました。
家に着くと、お母さんが満面の笑みで迎えて下さります。テーブルの上には山のような料理。お母さんのふるさと*1の料理である「エンパナーダ」とか、日本の食材が使えるようにアレンジした魚料理や豆料理など、すごいごちそうです。お母さんがお気に入りのスパークリングワインを飲みながら、話がどんどんはずみます。と、そこへ、南の島で大学教員をしておられる方とそのお弟子さん(?)も到着。いよいよ話はダブルの子どものアイデンティティの持ちようとかの核心をつく話に移行していきました。そんなところに、さらに在日コリアンの高校生やアメラジアンの高校生もやってきて、いきなりえらい感じになってしまいました。話は佳境にいきそうだったのですが、帰りの時間もあるのでお開き。
いや、けっこう身体は疲れていたけど、来てよかったなぁと。