スキースクールのあんちゃん・続き

昨日の生徒さんは2人。今日は一人帰って、残るはひとりだけ。しかも、うまい方の生徒さんが残ったということで、さてどうするか…。基本的に「なにか技術を教える」というよりも「斜面によって技術を使いわける」というレベルになるので、けっこう担当するのは難しいんですよね。
で、決定。
午前は、シュビンゲン全種類の総復習。シュテム・パラレル・シェーレそれぞれの山開きと谷開きでまずは6種類。それ以外に心身・ジャンプ・屈脚で合計9種類。なので、9本連続の急斜面は必至です(笑)。それ以外に足慣らしとか移動とかでとにかく滑りまくりました。
午後は、コブと38゜くらいの凍った急斜面*1の攻略法。状態の安定とバランス、そしてエッジングの練習ですね。
なんでも生徒さんが言うには、「ギンギンに滑り込んだら、リフトがとまる前に「帰ろう」という気になるかもしれないので、よろしく」とのことですので、まぁその期待に応えるべくこちらも最善を尽くすということで…。でも、3時頃にはたいがい滑るのがイヤになっていました(笑)。
レッスンが終わったら、スタッフトレーニング。イヤになったはずが、フカーツするのが悲しい性です。ふたたびコブ斜面にいって、若手をちょこっといじめて、あとはロングクルージングをしながらエッジの使い方の説明。てなことをやっていると、あっという間に4時半。
ということで、ものすごく濃密な2日間が終わりました。
そうそう、若手スタッフに「立っている姿は女性に見えへんか?」と聞くと、「微妙ですが、まぁ見えないことはないですね」とのお言葉。「滑っているときは女性には見えへんやろ?」というと、「まぁ、斜面をしゃぶり尽くすようなことをしていたら見えませんよ」とこれまたありがたいお言葉。まぁええねん。どう見えても…。

*1:ただし、短いです

スキースクールのあんちゃん(笑)

早朝、お友だちの家をおいとまして、山にこもりに行きました。
山に行くと、たしかに白銀は白銀ですが、おととい雨が降ったらしくて、道とか駐車場とか、あちこちに氷が張っています。てことは、当然ゲレンデもアイスバーンですね(笑)。
でもまぁ、担当した生徒さんが1級*1持ちとかゴールド*2ねらいみたいな人たちなので、まぁいいかと。
午前は、せっかくですからアイスバーン。圧雪してあるところは、まぁそれでも「ガリガリガリ」程度ですむのですが、わたしの行っているスキー場は圧雪していないところが多いのがいいところで、そういうところにいくと、「あ〜」と声を出すと「アワワワワ」となりそうなぐらい荒れてます。ここをまずは一滑り。さすがにみなさん「きつい〜」と叫んでおられました。それでもなんとかこなしてくるところは、さすがですね。
午後からはコブ斜面。どうやらみなさん、コブが苦手なようです。フラットなバーンではエレガントに力強く滑ってこられるのですが、コブになるとガタガタ。まぁ、アイスバーンかコブか新雪か湿雪あたりで「差」を見せておくのが、わたしの常套手段なんですけど。コブはコブの滑り方があるので、そのあたりのコツを伝授。あとは自分で練習しておいて下さいね。
しかし、おかげさまで丸一日楽しませていただきました。生徒さんはどうかわからないけど、でもまぁ、ふだんプライベートで来ていたら絶対に入らない斜面だからこそ、そういうところに行くのがいいんです*3
ということで、スキーそのものは楽しいのですが、とにかくここでは兄ちゃんなんですよね。もちろん同僚のスタッフには話がしてあるので、それはそれでかなり楽なんですが…。でも、夜に仕事をしながらちょこちょこ話をしていると、どうもオーナーのパートナーさんはうすうす感づいているみたいだなぁ…。まぁそらわかるわな…。

*1:SAJのバッチテストです

*2:SIAのインターナショナルテストです

*3:と自己弁護

で、職場から直行

夕方仕事が終わったら、そのまま車に乗って、どういうわけか長野県まで走りました。今日の夜は、長野県のお友だちの家にお世話になりました。で、メールチェックしようと思ったら、H”圏外。あしたはもちろん移動しますが、そこはますます圏外。てことで、日曜日の夜まで圏外みたいです。

会議→飲み

会議ってヤツに少々嫌気がさしていますが、今日も在日外国人教育関係の会議。行ってきました。
1時からはじまって、4時ぐらいまで。
いや、それぞれの人たちはほんとうにすごいです。いろんな実践もし、いろんな情報も持ち、いろんな人脈もあり、本当に尊敬できる人たちです。会議にいるだけで、ずいぶんと勉強になります。
で、会議が終わったら、飲み。
飲み会は…。しんどいなぁ。
なんていうか…。ちがうんですよ。ものすごく…。なんていうか…。
実は、久しぶりだったんですよ。この会の飲み会は。

最近、そういえば、先週20人ぐらいの飲み会があったけど、よかったなぁ。なんでだろう。主たるメンバーの年齢層なんかはあまりかわらないんだけど、ジェンダーバランスがとてもよかった。それだけじゃなくて、若い人もたくさんいた。
逆に言うと、若い人がいることができる・女性がいることができる飲み会の雰囲気が、先週の飲み会だったんだろうなぁ…。

しかし、今日の飲み会、参加している人たち、ほんとうに楽しんでいるんだろうか。それとも、「つきあい」だから参加しているんだろうか。

会議の続き

朝、ノロノロと起き出して、朝ご飯の準備。とりあえず、オムレツを卵10個分つくりました。まぁまぁふんわりできあがったかな。でも、10人ぐらいの人数で食べる朝ご飯って、なんとなく楽しいものです。
9時から2日目の会議の開始。なんか、よくわからない話もたくさんあったのですが、12時頃に無事終了。その後、七条方面をちょっと散歩して、「山本マンボ」へ。いきなり15人で行って、えらい迷惑をかけてしまいました。でも、おかあちゃん、いやな顔ひとつせずにこにこ笑って受け入れてくださいました。そうそう、商売も上手ですわ。前回行ったときに、とうとうウラメを教えてもらってしまったのですが、んなもん教えられたら注文せなしゃーないです。今回も注文してしまいました。まぁ、大人数で行ったので、いろいろ食べられてちょうどよかったんですけどね。
で、2時頃ようやく解散。長い長い2日間がだいたい(笑)終わりました。

会議とか

今日は、ここの全国運営委員会です。しかし、よくもまぁあっちこっちに首をつっこんでいると、自分でも不思議に思うのですが…。ただ、ここのセミナーには10年以上前から参加しているし、初めて自分のことを公にしたのも1999ねんに大阪で開催されたここのセミナーの時だったし、「いつき」という人格の形成にすごく大きな位置を占めている団体なんです。で、今回はここの全国運営委員会が東九条の文庫センターで開催される*1ということになったということで…。
3時からスタートですが、その前に買い出し。てことで、1時集合、「あいちゃん」でお好みを食べてから準備をすることに。
で、3時から会議。まぁなんだかんだと話をしていました。この団体の最大の特徴は、ジェンダーバランスがいいこと。そして、年配の男性がとてもみずみずしい感性を持っておられること。なので、会議はとてもざっくばらんにすすんでいきます。にしても、7時半までやるのもなぁ…。
8時からお食事会。「チヂミの王様」を予約しておきました。いやもう、たらふく食べてたらふく飲んで、ひとり3000円ぽっきり。マジでありがとうございました。
その後、文庫センターでお泊まり。シュラフにもぐってうだうだしゃべっていたのですが、2時頃に落ちました。

*1:正確には誘致をした

結局似ているらしい…

その後、日本橋の「オタロード」へ。
いや、あるわあるわ。もう、目移りします。わたしも子どももきょろきょろ。といっても、関心を持つ店は違いますが…。子どもは、フィギュアがどったらこったら言っています。で、店に入ってすばやくあたりを見渡して、望みのものを見つけたらスパッととっていって、レジに持っていきます。こいつ、オタなようです。
わたしはというと、「マキタ電動工具」とか書いてある店の前を通過するたびに「萌え〜」とか叫んでいました。だって…。
とりあえず、3時間ほどふたりでうろついて、堪能しました。

続いてプクの練習

町内会の副会長さんのパートナーさんは、韓国古典舞踊のスタジオを主宰しておられます。で、たまに国際理解講座の講師として学校とか地域から要請を受けておられるのですが、どういうわけかわたしもそこの「なんちゃってメンバー」なんです。今回は、でられる人がとても少ないとかで、踊り+わたしのチャンゴでやることになってしまいました。で、チャンゴの練習を始めたのですが…。むずかしいっす。チャンダンが複雑に変わっていくのでついていけません。しばらくあわせていたのですが、音を上げてしまい、結局プクでやることにしました。助かった…。プクでも難しいのですが、最近はプクの方が楽しいし慣れているので、ええ感じで叩けました。でも、久しぶりに真剣に叩けて楽しかった。

まずは、フィールドワークから

韓国から教職員組合の人たちが日本に旅行に来られていて、「ウトロに行きたい」というリクエストがあったそうな。で、それがめぐりめぐってわたしのところに「コーディネートしてくれ」というふうにまわってきて、結局今日は半日みなさんにつきあうハメになってしまいました。
合流場所は清水寺。3年坂とか歩いたのはいつ以来でしょうね。20年では効かないなぁなどと思いながら、バスターミナルまでぶらぶらと歩いていきました。で、出発時間になってもぜんぜん人が集まってこない。まぁ、教員が時間にルーズなのは、日本も韓国も変わりませんわ。マジで、教員の旅行の引率だけは、ぜったいにイヤです(笑)。
途中、ちょうど9条の高橋*1を通るので、「左手に見えるのが、在日大韓基督教会で、その向こうの堤防の上にかつてはたくさんの在日の人たちが住んでいました」などとガイドをしながら行くことにしました。といっても、もちろん通訳してもらいましたけどね。
ウトロでは、町内会の副会長さんに案内をしてもらいました。実は「あんたにふろうと思ったんやけどな」と笑っておられたのですが、そんなんムリに決まってますやん。で、一緒に回らしてもらったのですが、いつになく力が入っていましたね。やはり、この間韓国の人たちのウトロへの支援がすごいし、そのあたりもあったのかなぁ。ふだんは「ここまでは行かないよ」という奥の奥まで案内されていました。いや、勉強になりました。

*1:どうぞ、「たかばし」と読んで下さい

午後はフィールドワークと講演

午後は、奈良県のある部落のフィールドワークと部落史にかかわる講演でした。
いま、フィールドワークをして「被差別の実態」を直接的に感じることとができる部落は、ほとんどないかと思います。この町も、そんな部落です。でも、昔と今を比較することや、「いま」をほんの少し深く掘り下げることで、部落の中に凝縮された「現代社会」の諸矛盾や、部落を社会が必要としている現実を感じることができます。また、「より昔」を知ることで、部落差別の本質に迫る糸口を見いだすことすらできます。たった1時間だったけど、とても有意義なフィールドワークでした。
そして、部落史の講演。「部落の人たちは異能者集団だった」という話はとても刺激的でした。また、文書の中から、近世以前においては、部落の人たちは必ずしも貧困ではなく、また、周辺の人たちとも頻繁に交流をしていたこともわかることが、指摘されました。そのあたりを、講演のレジュメのまとめから引っ張り出すことにしましょうか*1

S地域とT神社の神事について

  • 呪術的(神話や陰陽道を駆使した神事)な猿田彦、皮引ねり、皮的張りなどは、素人に命じられるものではなく、それなりの伝統に裏づけられたもの(異能者)であり、近世に担任させられたものではないと考えられる。
  • 近世には氏子から排除されていたが、神社祭祀には異能者として参加していた。
  • 社会の常態を維持するための異能者の存在は、社会的に認知される存在であった。
  • 近世後期には畏怖されながらも、異なった集団として観念的に異端視されるようになった。
  • 近代以降も、神事執行の呪術性に対する畏怖は立ちがたく、1915年(大正15年)まで続けられていた(地区内では、異能者としての自負と、異なったことはやめようという意識が相克していた。一方、周辺地区では部落民を神事祭祀から排除したいという思いと、神事の伝統的な呪術性から異能者を畏怖する意識が葛藤していた)。

S地区の経済力について

  • 近世には、農業や草場所有による権益、皮革産業などのいわゆる部落産業の他、周辺地区住民を顧客に質屋や万屋など積極的な経済活動を営んでいた。
  • 周辺地区住民に金を貸したり田畑を売買するなど、その経済力は周辺地区をしのぐものがあった。
  • その経済力は近代初期まで続き、積極的なムラづくりが行われた。
  • 松方デフレ以降窮乏化が進む中、S地区では親方層は皮鼻緒で潤うが、一方、県内部落から職を求めて入り、人が増え、低所得者層が増加し、二極化が進んだ。

結局、問題になるのは、近代以降だし、「異能者に対するまわりの人たちのまなざしの変化」を読み解いていく必要があるのかなと思いました。ただ、地区内・周辺地区ともに、「葛藤」があったことはすごく興味深く聞きました。
で、しめくくりに「意識面の差別をなくすためには、いままでのやり方をすべてチャラにして、一からつくりなおしていく必要がある」ということを力説されていました。その通りやなぁ。

*1:講師の方、すんません。わたしの力量ではまとめきれないんです。って、ここは読んでおられないでしょうけど…。