夏休み・最後の直線

今日から明日にかけて、兵庫県で全国在日外国人生徒交流会です。
なんとか予定していた電車に間にあって集合場所へ。到着すると、すでに全国からいろんなルーツを持つ子どもたちが集まっています。中には去年の交流会に参加してくれた生徒もたくさんいます。そんな子どもたちと「久しぶり〜」とかあいさつを交わしているうちに出発の時間です。みんなはバスに乗って六甲の山の中へ。
例年、交流会は、全体会のあと料理づくり*1に突入するのですが、今年は「山の家」で自炊ができないためにゲーム大会なんかをしながらプログラムに入っていきました。もちろん、司会をするのも内容を考えるのも実行委員の生徒たちです。わたしたち引率は、そんな子どもたちをのんびりと見ているのが仕事です。
そうそう、交流会って、もちろん生徒たちのものではあるのですが、引率の大人達にとっても「交流会」なのかもしれません。久しぶりに会う人もいればしょっちゅう会っている人もいるのですが、なによりの大きな共通点は「生徒をつれてきている」ということです。つまり、そういう引率は、やっぱり生徒とかかわっているわけで、べつに直接交流会や在日外国人教育にかかわらない話であっても、「あぁ!それそれそれ!」みたいな共通の基盤があるんですね。これがすごくいいんです。子どもたちがワイワイ遊んでいる最中、わたしたちもそんな生徒たちの姿を見ながら、ダラダラとよもやま話を楽しんでいました。
そうそう、この交流会には「卒業生」の存在も大きいかな。ある卒業生は引率補助として、ある卒業生は「やっている」という情報を聞きつけて「見に行きたい」という思いで来てくれます。高校の時はできたけど、大学にいったらできなくなったことなんていうこともたくさんあります。まして、社会に出たら、ますます限定されてしまう。そういう日常の中で忘れてしまったものやあきらめてしまったものを、「交流会」の場にくることで思い出すこともできるみたいです。そんな「ヤツら」ともゆっくりしゃべれました。
この交流会には「日本人」の子どもたちも少数ではあれ来ます。今年は、そんな子どもたちの話しあいの場に、担当者として参加をしました。
交流会の場では、在日外国人の子どもたちは「多数者」であり「主役」です。そういう場に来た時、ともすれば日本人の子どもたちは「話を聞く」にとどまるような参加形態になりがちです。でも、そうはなってほしくない。というのは、日常の場に帰った時に、在日の子どもたちは再び少数者にもどるし、それがまさに「日常」なんですよね。その時に、その在日の子どもを取り巻く多数者としての「日本人」がどういう社会をつくっていくのかということこそが、実は必要とされていることのはずなんです。
実際に日本人の参加者の話を聞くと、いろんな思いを持ってきてくれていました。中にはほんとうにしっかりとした「関係」をつくりながら、だからこそこの交流会に参加してきた生徒もいて、かなりホッとしました。
やがて、ルーツをミックスにした「班別討論」の時間。2時間半の設定ですが、みんなものすごい勢いでしゃべっています。
で、1日目のプログラムが終了したのが11時。問題はここからです。この元気な連中が、夜寝るとは思えません。それをなんとか寝かさなくちゃなりません。そのためには、教員が寝られない(笑)。しかも、単に「寝ろ」ですまないのが、この交流会の参加者のおもしろいところです。論理と情をからめながら、本人がそれなりに納得できる対話をしていかないと、話はまったく通用しません。もちろん、このあたりの「駆け引き」がおもしろくもあるのですが、眠くなってくるとそれもきつくなってきます。
結局今年に関しては、わたしが寝たのは2時半。最終は5時だったとか…。

*1:実はアイスブレーキング

校内研修

今日は、校内の人権教育研修会です。てことは、主催者なわけで。
昨日部長と「ちょっと早めに来ようか」などと話していたのですが、「じゃぁ、8時頃」って、ふだんと一緒の時間です。
てことで、ようやく日常の生活リズムにもどりはじめました。てか、6時起きがデフォルトって、なんだか歳のせいかなぁという気が(;_;)
今日の講師は大阪の中学校の先生。「公立学校ができること、すべきこと」というタイトルで、「ちからのある学校」になるためのシステムづくりみたいな話でした。
語り口が少々押しが強い感じなので「ちょっと苦手だなぁ」と思っていたのですが、内容そのものはすごくよくわかる話でした。
簡単に言うならば、いま(も昔も)「個人の力量を高める」ことを要求されているんですが、それでは現在の格差社会の中で低位におかれている子どもたちに対応しきれないという問題点からスタートされています。しかも、団塊の世代が退職することで、経験が少ない教員が大量に採用されています。ますます「個人の力量」が期待できない状況が進んでいます。
じゃぁどうするかというと、個人の力量に頼らないシステムをつくっていく必要があるということです。具体的には、たくさんの教員がひとりの生徒にかかわれるシステムをつくっていく。そうすることにより、ひとりひとりの教員の負担は減るし、子どもにとっても「逃げ場」ができる。
そういう問題の立て方からスタートして、具体的な「システム」を見ていったのですが、まぁ言ってみれば、「個人としては/教科としてはそれやってるよ」的なことがたくさんあります。でも、それを学校全体のシステムとしてやっているところがすごいですね。たしかに自分が個人でやっていることは「個人/教科のウリ」としてはおいしいのですが、それでは状況の根本的な解決にはならないし、時としては時間的/人的/思想的に校内でバッティングしてしまうこともあり、すごくやりにくい局面も出てきてしまいます。そういう意味では、「システムをつくる」ということは友好だなぁと思いました。
まぁ、中学と高校の違い*1というのはあるのですが、「やってみたいなぁ」と思わせる話でした。

*1:最大の違いは「人数」と「チームワークの有無」だと思っているのですが(笑)

再びダブルヘッダー

金曜日の研修会は、地域の研修会だったのに対して、今日の研修会は京都府全体の研修会です。でも、各校から代表が出てくるので、まぁ70名あまりの参加者です。もちろんわたしは「聴く側」です。
今日の講師はイダヒロユキさん。「働けなくてもいいじゃないか 脱貧困の視点と、人権教育の課題」というタイトルの講演です。
結論から言うならば、「おもしろかった」です。
なんというか…。「元気がでた」。それだけで十分です。
もちろん、いろいろ勉強になることもいっぱいあったし、発想をころりと変えられたこともあった。あるいは「なにをいまさら」と思うことももちろんあった。
でも、それ以上に、いまわたしがやろうとしている/やっていることにたいして「それや!それやで!」と背中を押してもらった気がしました。だからこそ「元気がでた」んですよね。

午後からは、実践発表の分科会。
午前とうってかわって、静かなものです。なんか最近、一人の子どもにかかわった実践があまり出てこないんですよね。う〜ん。
分科会の最後に「最近の人権教育って、人間関係みたいなところばかりに注目しているけど、元来人権教育っていうのは、例えば日本国憲法にあるような人権をウンチャラカンチャラ」という人がいて、その人最後に「で、どうなんですか?」と質問形式で終わってしまった。ところが誰も何も返さない。やっぱりこれ、返さないといけないでしょう…。
てことで、「はい」と挙手。

まぁ、法律に定められた人権って、そこから漏れる人がいるんですよね。
で、人間関係への着目ですけど。
人と人との間には、どうしても権力関係が生じてしまうことが多い。でも、そのことに敏感になり、権力関係に依存しない関係をつくりだしていくスキルとかをどう身につけていくのかみたいなことが、ここ数年の人権教育で考えられていることで、そのからアサーショントレーニングなんかが人権教育の中に取り入れられているんだと思うんです。

などと、わかったふうな口をきいてしまいましたよ。あ〜あ。

で、夜はF市にふたたび行って、わたしの高座。です。

あけた朝・死のロード(笑)休肝日?

目が覚めると、午前5時。
帰らなくちゃならない人もいれば、公園から帰ってくるヤツもいます(笑)。でも、全体的にはみんな寝ています。
「焼肉+風呂なし+爆睡=ドロドロ」
です。でも、子どもたちは元気にまだ話をしています。そうそう、頼まれていた「アンケート」をやってもらいましょう。熱心に鉛筆を動かしている子どもたちの姿を見ていると、なぜか「夏休みやなぁ」という気がするから不思議です(笑)。
そんなことをしながら、昨日の夜どんな話をしていたのかとか、近況報告とかいろいろ聞かせてもらいました。
と、地元でわたしたちの受けいれをして下さっているS本さんが「差し入れ」と韓国風みそ汁をもってきて下さいました。熱いみそ汁が五臓六腑に染み渡ります。うまい!
あとは片づけをして、みんなで昼ご飯を食べていって解散。
長い長い2日間が終わりました。

家に帰って、ちょいと用事をして、風呂に入って晩ご飯。久しぶりに、500mlの缶ビールと少しの日本酒の晩ご飯です。あぁ、肝臓が休まる(笑)

初の合宿開催!・死のロード(笑)再開2日目・通算6日目

昼ご飯を食べて、さて、大阪へ向けて出発。今日から明日にかけて、大阪市内において、「トランスジェンダー生徒交流会」の合宿です。
3時に某所にて集合。その後会場に移動して、しばし休憩。買い物リストをつくって買い出し隊は出発です。で、わたしはしばしゴロゴロ。
買い出し隊が帰ってきたところで野菜切り開始。夕方になったところで、火おこし開始。
そうそう、ある引率の方から「プログラムは?」と聞かれたのですが、答えは単純でした。
「焼き肉を食べて、明日の朝まで遊びます」
交流会をやるたびに感じるんですが、子どもたちは「いつまでも話していたい」という思いをもっているみたいなんですね。やっぱり、日常の場では、子どもたちは「ひとり」なんでしょうね。だから「仲間と一緒に過ごすこの時間」がたまらなく大切みたいなんです。じゃぁ、一晩ゆっくり一緒に過ごす時間をつくればいいじゃないかと思ったわけで、そこになんらかのプログラムは必要ないかと思ったしだいです。
あとはひたすらみんなで肉を焼きます。食べます。大人は呑みます。
気がつくと、10時でした。
「さて、そろそろ片づけようか。わたしは集会所のカギを開けて待ってるからね」
と言って、そのまま集会所で倒れることにしました。
子どもたちは「いつきさん、片づけないしずるい〜」とか言っていますが、身体が動かないんだからしかたないっしょ(笑)。
しばらく倒れていると、Y子ちゃんが「ここで寝れ!」とシュラフを敷いてくれました。ありがとう。

普通救命救急講習

元キャンプ屋さんなので、もちろんある程度は知っているのは知っているのですが「資格*1」が必要な状態になりまして、受けに行くことにしました。
会場に行ってみると、どうやら某水泳教室のスタッフ向けのものを一般にも公開しておられるものみたいで、ほとんどが水泳教室の若いスタッフの人たちです。
講習の内容は、1時間半ほど話を聞いて、あとは実習です。
話の方は、まぁ、通り一遍と言えば通り一遍なんですが、わたしの場合、やっぱこの日のことがあるので、かなりリアリティがあります。あのときのひとつひとつの場面、今でも鮮明に覚えていますから、ついそこに照らしあわせながら聞いてしまいます。
で、問題は実習。
こいつはフラッシュバックがおこるんじゃないかと、そうとう不安でした。でも、そんな不安を抱えられるくらいなんで、フラッシュバックはおこりませんでした(笑)。でも、「呼吸の確認」とか「気道確保」とか、わずか4ヶ月ほど前に生身の人間でやったことをそのままやるわけですから、「あの時ああだったなぁ」などと、実習をしながらも感じていました。
全員が一通り実習をして、時計をみてみると、けっこうサクサク進んだみたいで、終了予定時刻の30分前。「早く終わった、ラッキー!」と思ったのですが、そうはいきませんでした。どうやらこの講習、2時間半かけなくちゃならないみたいなんですね。
で、講師の方が一言。「じゃぁ、心臓マッサージのリレーをしましょう」
「へ?」
「男性は2分間」
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
「2分はしんどいなぁ…」と思ったその時、こちらを向いて
「女性は1分間」
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
1分間で許してもらえました(笑)。

*1:てか、カード

自分が言った手前

職場の帰り、ウトロにカンパを持っていこう、と。
で、ウトロの広場を通りかかったら、朝鮮料理の移動販売の車がたまたま来ていました。
そういえば、この車、尼崎から来ておられるんですよね。10年以上前から変わらず毎週来られるし、ウトロの人たちもいつも買っておられる。つまり、味は折り紙つきです。
てことで、わたしも当然ちょこっと買うことにしました。間引き菜のムルキムチと菜っぱの浅漬けキムチです。受けとった瞬間からふんわりといいにおいがしています。
しばらく移動販売のおじさんとよもやま話。なんでも、昔はZ2に乗っていたとか。すごいなぁ…。
その後、会長さんのところにカンパを持っていって、お家へ。
晩ご飯には当然キムチがでました。めちゃうまい!

ヘルプ!

今日は朝からすごい雨。
それでも通勤手段はバイクです。まぁ、ブーツカバーとバイク用のレインコートとレイングローブをしていたら、自分が濡れることはまったく(!)ありません。それはそれでいいのですが…。
今日の雨はけた違いでした。道で足をつけないですね。なにせ、バイクは左の端を走らなくちゃならないのですが、そこは道路の水を排水するところでもあるわけで、場所によっては川になっています。しゃーないから、センターラインのあたりを走ることにしましたが、まぁムチャクチャです。
職場の近くに「池」があるのですが、見事にあふれていました(笑)。消防車も出動していました。やれやれ…。

で、帰り道。こちらも突然すごい雨です。もっとも夕方の雨はすぐに止みましたが…。
ところが、ふと朝からあった不安が首をもたげてきました。もしかしたら…。
と、近鉄伊勢田駅の近くを通過しようとしたその時、目の前を消防車が2台横切っていきました。しかも、1台の荷台には大きなゴムボート。このあたりでそんなものが必要なのは「あそこ」しかありません。やはり不安的中でした。
すぐに伊勢田の信号を西へ。やがて、消防車は見失ったのですが、行き先はわかっています。ウトロです。
ウトロの町内にはいると、やっぱり消防車がいました。あたりには、知っているオモニ・ハルモニたちが数人しゃべっています。奥の方には「守る会」の人もいます。
「さっきまでな、このあたり川やってんやで!」
「この間、ここの溝を掃除してよかったわ!」
口々にオモニ・ハルモニたちが話をしてます。わたしの姿を見て
「なんで急に来たん?」
「いや、すごい雨やし心配になって…」
「そうかぁ。ありがとうな」
いや、「ありがとう」って^^;;。顔出さなくてすんませんm(__)m
奥の方に行くと、床下浸水・床上浸水の家が多数あります。
6月の雨で床上浸水した家が、ようやくたたみも変えて一息ついたと思ったら、またまた洪水です。
なにしろ、ウトロのまわりには水路がたくさんあって、ウトロの中には水路がほとんどなくて、しかもウトロはまわりよりも一段低い土地にあります。さらに、梅雨時ですから、まわりの土地の保水力はほぼ限界。ですから、わずか30分の集中豪雨でも、すぐに水に浸かってしまいます。
そんなときでも、ウトロの人たちは
「いや、久しぶりやんか!」
「なにしてたん?」
「また落ち着いたら一回呑も!」
と暖かい声をかけてくださいます。
とりあえず、守る会の人たちと一緒に被害状況を確認して、撤収。

やがてメールが回ってきました。

昨日(7月8日)の雨で、またウトロ地区で浸水被害。床上浸水1戸、床下浸水数戸です。午後5時から6時のスコール(たった30分、40ミリ程度の雨)で、今回はウトロ地区の北側にある「伊勢田8号水路」(宇治市が管理)があふれ、集落の中央部付近で被害が出ました。(前回、6月20日の被害家屋は大丈夫でした。)宇治市からは消防ポンプ車2台がきました。町内会はすぐに消毒を宇治市に依頼します。まったく、もう・・・・・。

前回の被害で、被災した家の畳代の限定カンパを集めました。ほぼ目的を達したので一旦終了しましたが、これを再開します。カンパの振込先は、郵便振込01030−9−60413ウトロを守る会です。ウトロ町内会のお見舞いと一緒に、被災者に渡します。次回、ウトロ案内は7月12日(土)午前10時から12時、ウトロ広場(現地)集合です。ウトロ地区へは近鉄京都線伊勢田駅から西にまっすぐ徒歩8分。ウトロ入り口絵看板を南にすぐ。私(Sさん)がご案内します。

もしもよろしければ、カンパお願いします。

絵を描いたのは誰?

今日は校外で研修会。午前はウトロに関する話とフィールドワークです。
話をしてくれたのは、いつもとは違って若い人。この方、なかなかの切れ者です。
一貫して言っておられたのは、「ウトロ問題の本質は「地上げ」という「事件」ではない」ということでした。
ともすれば、
日産車体が勝手にHに売った→Hは西日本殖産に転売→地上げ裁判
というふうにとらえられがちです。あるいは、せいぜいが「戦後補償」の問題としてとりあげられるでしょうか。ところが、今回話をしてくれた方は、その背景に「宇治市京都府」もからめて話をしてくれました。
こういうことです。
「バブルがはじけて資金繰りがしんどくなった日産車体
「金儲けをしたいHたち」
そして、「朝鮮人を追い出したい宇治市京都府
この三者がそれぞれの思惑を実現しようとしたところに、ウトロ地上げ裁判の本質があるということなんです。なぜこんな話が出てくるかというと、土地を売るにあたって京都府が許可を出した、と。その許可申請書には、ウトロの土地は「休用地」と書かれていたそうな。京都府は、ウトロに住民がいることを知っていて、ウトロの土地を「空き地扱い」として売却することを許可した。これ、とんでもないことですね。
まぁ、他にもいろいろ話をされましたが、かなりインパクトがありました。
つまり、ウトロ土地問題は、戦後補償という「過去から連なる問題」ではなく、「いま・ここ」の問題としてとらえないといけないということだと、わたしは思いました。

話のあとはフィールドワークです。途中、知りあいと会って「チューハイ持ってへん?」「そんなんあるかいな!」みたいな冗談を話しあったり*1、「今度宴会しよう」みたいな話をしたり。やっぱ、わたしはウトロが好きだなぁ…。

*1:ほんとうに冗談ですってば!