朝2時起床。2時半をまわったあたりに家をスタート。目指すは年始恒例の「雪と氷の世界」です。
途中仮眠をとりながら、なんとか8時半頃に到着。で、9時からレッスンです。与えられた班は12人構成。もう、わけわかりません。なんしかザッとみなさんの滑りを見て、「このあたりが課題だな」ということをやります。でも、ひとりひとりにコメントしていたら、時間がどれだけあっても足りません。とにかくどんどん滑ってもらいながら、気がついたポイントだけをちょこっとアドバイスです。
で、午前の最後はとっておきのコースにみなさんを案内します。長年来られているお客さんでも、なかなかご存じないコースがあります。そういうところにつれていくのもスクールスタッフの仕事なんだと思います。まぁ、「山」というシチュエーションの中で、安全に楽しんでもらう。そこにいろんな要素をまぶしていくのが「技」というものかなぁと思います。
てなことをしていると、あっという間に午前のレッスン終了。
午後からは人数が半分に減ったおかげで、集中的にレッスンができます。
スキーって、やっぱり「姿勢」が大切だと思います。かつては「姿勢」はスピードの中で結果的にできるものだと思っていましたが、それはエキスパートの話でしかないと、最近では思います。やはり、基本になる姿勢があって、それをもとに発展させていくんじゃないかなと。ということで、パラレルができるお客さんであっても、練習課題にプルークボーゲンを入れることにしています。今日も、午後から超緩斜面を使ってみっちりとプルークボーゲンを使った姿勢のレッスンをしました。でも、こういうのをやっていると、だんだんみなさん煮つまってこられます。てことで、最後はちょいとエンジョイスキー。まぁこういうのも定番のメニューですか。
レッスン終了後は、自己練習。「遊び」とも言いますが(笑)。せっかくの新雪、それも深雪なので、それを楽しまない手はありません。ちょっと腰が心配だけど、定番の新雪コースとかコブ斜面を飛び回りました。明日が少し心配だな…。
てか、眠い…。
カテゴリー: 趣味
35周年記念集会
で、会場へ移動。
まずは、沖浦和光さんの講演「大阪の「悪所」について 〜色町・芝居町・被差別部落〜」です。
沖浦さんの話は前から聞きたいと思っていたのですが、やっと聞くことができました。しかも、「ディープサウス」についての話です。
お好み焼きを食べていた関係で、ちょっと遅れたのですが(笑)、無事会場に到着。友だちのI岡さんがとっておいてくれた席に落ち着いて、話に集中です。話自体は、あっちへ飛んだりこっちへ飛んだり、わけがわからないわけですが、でも、子ども心ながら「当時の空気」を吸ったことのある沖浦さんにしかできない話です。たしかに「名講義」でした。でも、最終的になんの話だったのかよくわからないわけですが(笑)。
講演のあと、質問に行きました。
「色町には男娼やMTFもいたと思うのですが…。そうした人々もおそらくは被差別民として存在していたのではないかと思うのですが、そのあたりについてはご存じですか?」
答えは「わからない」でした。やっぱりなぁ。なにせ文献がないらしいです。やはり、わたしたちの先輩についての思索は、順子姐さんが頼みの綱なんだなぁ。
分科会は「組織・社会変革につながる人権の学びを! アメリカ・ADL(反名誉毀損同盟)の多様性教育プログラムに学ぶ」というもの。
う〜ん。この手の「学び」って、参加体験型学習とかワークショップとか、そういうのが多いんですけど、わたし、基本的には苦手なんです。「精神」はわかるんですけど、それを具体化する時にどのような手法をとるかというのは別のことだと、渡しは思っているんですよね。
わたしは自分が話をする時に、基本的には「参加体験型」を意識しています。というか、そうならざるを得ない。「新しい知識を知る」という「だけ」なら、別に参加体験型を意識する必要はありません。ではそういう「講演」がつまらないかというと、わたしは自分の知的好奇心が刺激されるので、すごく好きなんです。まぁ沖浦さんの話がおもしろかったというのが、その象徴なわけで。でも、わたしの話は「知識をつける」という話ではありません。では、何を刺激するかというと、やはり参加意識を刺激したいわけです。じゃぁ、参加意識は「みんなで動いて」という手法だけかというと、それは違うと思っています。
「聞く」という行為には、受動的な「聞き」と能動的な「聞き」があるんだと思っています。「受動的な聞き」は、スピーカーと自分との関係を固定化して考えるものかなぁと思っています。そこではスピーカーは「他者」として存在します。それに対して、「能動的な聞き」は、スピーカーの語りは自分の語りとパラレルに存在します。スピーカーは「他者」ではあるのですが、それを触媒として「自分のストーリー」が自分の中で語られます。なので、スピーカーの語りは絶対化されない。「体」は動かないけど、「心」が動く。そういう語りをしたいと、常に思っています。きっとそこに「参加体験型」という「手法」は必要とされないんだと、わたしは考えています。
てことで、分科会の意図は充分に感じながらも、どこかに違和感を感じながらの分科会でした。てことで、あまのじゃくなわたしを許してくださいね>ファシリテーターのみなさんm(__)m
某シンポ
今日は午後から某在日外国人教育関係のシンポジウムです。わたしは主催の側なので、かなり早めに出動。ところが、相方がいない。しゃーないので、勝手を知らないまま右往左往しながら準備を進めました。ようやく一段落ついたところで、お昼ご飯を食べようと思い外出。さて、速攻食べられる店は…。結局天一をあきらめて、なか卯ですわ(;_;)。牛丼食べている最中も電話はかかってくるわ、メールは来るわ。もう、ワヤです。
それでもなんとか開会の時間にはすべてがすんでいました。
あいさつ・記念講演とすんで、朝鮮初級学校からの緊急アピールです。むちゃくちゃな映像(動画はこちら)です。器物破損とか脅迫とか侮辱とか、いろんなことがなされているのに、完全放置です。誰かの家の見学ツアーとはエライ違いです。映像を見ながらクラクラ来てしまいました。
その後、外国籍の公立学校教員の差別的処遇にかかわるシンポジウム。みなさんの話を聞いていると、制度的なものだけじゃなくて、なんとも言えない、真綿で首を絞めるような「空気」がただようところもあるんですね。もちろんぜんぜんない職場もありますが。なかでも、
「一生懸命やっている。それは、できて当たり前というプレッシャーがあるから。もしもダメだったら「やっぱり朝鮮人だから」と言われるのではないかとおそれている」
という言葉に、深くうなずいてしまいました。まさに、マイノリティの先駆者って、こういうプレッシャーの中で、日々淡々と暮らしているんだろうなぁ。
深くうなずくこともあり、笑いもあり、いろんな世代の、いろんな校種のパネラーの人たちからの話を、ほんとうに新鮮な気持ちで聞くことができました。
子どもの授業参観
なんでも「社会科における人権学習」とか。しかも内容は「部落問題」とか。これは行かねばなりません(笑)。
授業がはじまった直後に教室にはいると、黒板には荊冠旗が(笑)。そうか、今日は日本史の全国水平社創立のあたりの授業にひっかけての人権学習なんだ。
担任さんは全国水平社創立大会の雰囲気を子どもたちに伝えて「どんな感じだったと思う」とか、山田孝野次郎の演説から子どもたちに気持ちを考えさせたり、いかにも小学校の授業だなぁと。
で、最後は「水平社宣言」でしめくくりです。「へぇ〜、難しい文章を読ませるんやなぁ」と思って配布されたプリントを見てみると、現代語訳みたいです。よく読んでみると、ところどころに「中略」とあります。しかも、内容がかなり変わっている。なんだこれ?
あとで出典を聞くと、
「小同研がつくったものじゃないかと思います」
とのことです。なるほど…。どうやら「差別用語」とか「えげつない表現」とかをすっぽりと抜いた、わたしからすると骨抜きの文章なんですよ。なかでも、わたしが「水平社宣言」の中でもっとも大切だと思っている
我々がエタであることを誇りうる時が来たのだ。
というのが略されています。これはあかんやろう…。
まぁ、一生懸命されている学年の先生方の姿勢はよくわかりますが、やっぱなぁ…。
でも、終わった後の保護者懇談会はおもしろかった。それぞれが自分の出身の中でどういう経験をしてこられたかということを紹介しながら、人権学習をすることの是非も含めて話しあいがありました。こういうことを通して、親が子どもに話をすると、きっとおもしろいだろうなぁ…。
ムラ巡り
K中学で対応されていた方は仕事があるので、ここからはI岡さんにお世話になります。
まずは「宇奈月」というラーメン屋さんで軽く腹ごしらえ。その後、定番のムラ巡りです。
滋賀県の村の中にも、どうやら「街道筋系」と「荘園系」があるらしいです。「街道筋系」は、どちらかというと後発のムラで、やっぱり「荘園系」が老舗みたいです。
まずは、そんな「荘園系」のうちのひとつのムラに案内してもらいました。最初に見せてもらったのが川の堤防。一般地区には石垣があり、ムラの側にはありません。高さもぜんぜん違います。なんでも伊勢湾台風の時に、ムラの側は水に浸かりそうで避難しなくちゃならなかったとか。一方一般地区の方は誰も避難しなかったとか。で、ムラの人たちが避難した公民館は畳が全部あげてあって、土間で寝なくちゃならなかったとか。そんな話を聞きながら小さなムラを案内してもらいました。
続いていったのも「荘園系」のムラです。まずはムラ墓から。なんでもやっぱり伊勢湾台風の時にお墓が流されて、ようやく集めることができた遺体を埋葬した「新墓」です。となりには一般地区のお墓があって、場所が違う。そんな墓石の中に、「◯◯改△△」というものがありました。水平社ができる前から「改姓運動」をしていたひとつの証左とか。
で、つれていってもらったムラ。もともとあったところは、今は銀杏の大木が一本あるだけの河原になっています。ふたつの川の合流するところにあるその河原。よくよく見てみると、先ほどのムラと同様、堤防の高さが明らかに違います。目を閉じるとその河川敷に所狭しと並ぶムラの営みがなんとなく見えてきます。ここも洪水の危険性からやがて移転をしたということです。
最後につれていってもらったのは、「街道筋系」のムラ。ここはムラ全体で「地区指定」を返上したとのことです。そこから移転した人々が近くに新たにムラを形成しておられて、こちらの方は改善事業が行き届いています。どちらがいいのか、なんか複雑な思いでふたつのムラを車の中から見せてもらいました。
昼間の本番(全同教大会・2日目)
昨日の夜
「明日は起床7時ね」
と言われていたのですが、やっぱり無理でした。
「えらいこっちゃ!8時や!」
というI藤さんの声で目が覚めました。なんしか8時半に出れば間にあうとか。あわてて朝ご飯を食べて朝の支度です。さすがにみなさん大人です。メイクは早い!こんな時、中高校生だったらメイクを優先して遅刻をするんだろうな(笑)。
さて、今日の午前の一本目は、おそらくは全同教大会史上はじめて、レポート名に「トランスジェンダー」という言葉がつかわれた、大阪のレポートです。登場人物は、「トランスジェンダー生徒交流会」の第1期生です。
会場に到着すると、なんかもう、あちこちに見知った顔*1がいます。気がつくと、奈良の在日のお友だちも来ています。人数も昨日とは桁違い。もしかしたら、今回の大会レポートの中でも、最も注目されているレポートのうちのひとつ?
とりあえずレポーターと、本人にあいさつをして、K口くんと隣同士で座ります(笑)。
いよいよ発表開始です。レポーターのK村さんは、どうもかなり警戒をしながら話をされているみたいです。まぁ最大の懸念は「それって人権問題なの?」という、ごく初歩的なところで終始して、本当に大切なところまで論議が深まらないことですから。でも、Kさん、だんだん熱く語り出されます。いいなぁ…。この熱さがあるから、ここまで来られたんだよなぁ…。
続いて、当事者のAくん登場。ひとこと
「Aです」
と自己紹介。みんな爆笑です。いや、全同教大会では「本人を特定されない=プライバシーの尊重」ということで、イニシャルを使ってレポートをします。これ、おかしいと思うんですが…。例えば、本名を名のったレポートなんかでもイニシャルを使うんです。わたしにはさっぱりわからない。ちなみにわたしはレポート中では「Bさん」でした(笑)。
レポートへの質問も、Aくんへの質問も、おおむね「より深く理解したい」という思いが伝わってくるものでした。まぁその思いが強いあまり「ん?」と思ってしまうものもありましたが、まぁわたしら慣れてますからねぇ…。
とにかく、ものすごい量の質問が寄せられ、「討論」の時間はなしでした。てことは、わたしの出番はなしか(笑)。と思ったのですが、やっぱりAくんの「応答」の中で気になったことがあったのでそこを追及。
「イヤだったことは何?」
という質問に対して
「まわりから「レズ」とか言われたこと。でも、クラブの友だちなんかが味方をしてくれた」
という答えをしていたんです。これだけだったら「自分はレズではない、ちゃんとした異性愛者だ」ととらえられかねません。なので
「Bです(笑)」
という自己紹介だけしておいて
「なぜレズといわれたことがイヤだったのか?」
という質問を出してみました*2。すると、次のような答えが返ってきました。
「レズと言われることは、自分が「女性」として認識されていること。これがひとつ。もうひとつは、レズビアンの人の存在を知っているから、人を貶める時にそういう言葉を使うことに対してイヤだと思った」。
いい答えやなぁと思いました。
こんな感じでレポートの時間終了。参加者がドドドッと帰っていったのが印象的でした。
この後のレポート、実は集中力が切れてしまい、あまり頭に残っていません^^;;。
午後からは一本レポートがあって総括討論。
総括討論の前に司会者の方が来られて
「あの、どのタイミングで発言をされますか?」
とわざわざ聞いてくださいました。って、平場の人間になぜ聞きに来られるかなぁ。もう、恐縮しまくりです。でも、せっかくなので
「出会い、つながりと言うことを軸にして、最初に発言します」
と言ってしまいました。おそれを知らないわたし(笑)。
で、いきなり発言。
K村さんのレポートを聞きながら、涙があふれそうになりました。ようやくここまできたんだなぁと思いました。
1998年に某組合の全国教研*3でゲイの同僚との出会いについてレポートしたけど、参加者から「そんな欧米の問題なんか関係ない。日本には部落問題がある」と言われました。2002年には宮崎県同教から呼ばれて話をする機会をもらいました。県同教が県教委に後援要請をしたら「時期尚早」と言われました。あれから10年たって、この全同教の場でこういうレポートが出たこと。感無量です。
てな話からはじまって、
わたしのブログに「92年度卒業生」という名前でコメントを書いてくれた生徒がいます。こんなことを書いてくれました。
「先生は部落の子や在日の子ばかりかわいがっていた。部落や在日のことは違う悩みだけど、わたしにも悩みがあった。でも、先生は気にかけてくれなかった。わたしは嫌われていると思っていた」
本当に少数の人のことは、なかなかわからない。わからないからとりあげない。とりあげないから、少数のものはますます少数になる。でも、本当に出会いを求めているのは、最も少数の人間なんです。
てな話へつないで、トランスジェンダー生徒交流会の宣伝をしまくっておきました(笑)。
貴重な時間をいただけて、ほんとうにありがとうございました。>司会者の方*4。
その後も討論は続いています。さぁ、出発の時間まで後わずかです。まだ続いているけど帰ろうかなと思ったんですけど、やっぱりどうしても発言をしなくちゃならない気がしていました。
Aさんへの質疑応答で、「イヤだったことは何?」と聞いた人がその前置きで「いやなことを言われても笑って流すしかない状況だろうけど」と言われたことに違和感*5をもった人が、その思いをぶつけておられたことへのフォローです。
Aくんのところに行って
「笑うしかなかったよな」
と聞くと
「うん、笑うしかなかった」
という答えが返ってきました。年齢は30ぐらい違うのに、同じ思いをしていたんですよね。だからこそ、その事実をふまえてフォローをしなくちゃならないと思いました。で、またしても総括討論を締め切る間際に
何度もすみません。
先ほど「笑うしかなかった」という発言へのコメントがたくさん寄せられていますが、ほんとうにわたしたちは、笑ってやり過ごす以外の方法を持たなかったんです。そうだよね?>Aくん。
でも、今日のみなさんの発言は、「それではダメだよ。我慢しなくていいんだよ」という暖かいエールだったんだと思います。その暖かい気持ちを持って帰ろうな>Aくん
てな感じで発言。
我ながらなんとも玉虫色の発言でごまかしているよなぁとあきれましたよ…。でもまぁええか。
プロローグ(全同教大会・1日目)
昨日の夜
「いつきさん、7時に起きられますか?」
と言われたので、
「いつも6時に起きてます」
と答えたのですが、目が覚めると7時過ぎ。えらいこってす。一同あわてて身支度して、とりあえずモーニングを食べにコメダへ(笑)。朝はパンと卵がつくのがデフォとはなかなかです。
で、全体会会場へ。合宿をした人たちは地元の人たちなので、会場に到着すると知りあいばっかりみたいです。でも、会場の中にはいると、今度はわたしが知りあいばっかり(笑)。そうこうするうちに、知りあいのFTMが向こうに座っているとの情報をゲット。さっそく捕獲しに行きました。
てなことをやっていると、全体会開始。今回はどちらかというと地味な全体会かな。でも、単に「まつり」ではないということです。まぁ、こちらのギョーカイでは「3F*1」しかやらないことへの批判があるので*2、こういう地味なのはいいなぁと思います。最も欠点がありまして、眠くなるという^^;;。特別報告なんてすごくいい内容だったんですが、いかんせん昨日の泡盛&語り口の地味さで、ついつい眠気がきてしまいます。まぁ「寝る」というのは嫌いなので、寝はしなかったのですが、たまに集中力が切れてしまい、あわてて原稿を読んで追いつくという感じでした。ふぅ…。
午後からは分科会。
会場に到着すると、K口くんとかI同研の人たちとか、なにやら濃ゆそうな人たちがわんさかいます。これはおもしろくなりそうだ…。
分科会がはじまると、隣のK口くんとさっそく相談開始です。
い「これ、どういうこと?」
K「さぁわからへん」
い「質問して」
K「自分でやったら」
みたいな感じ。で、司会者が
「ご質問のある方は?」
と会場に振ってくると
K「ハイッ!」
い「ハイッ!」
みたいな。でも、その後からI同研のS口さんが
「ハイ…」
みたいな感じで挙手されます。S口さんの臓腑をえぐるような質問はえげつないです。K口くんもわたしも思わず
「えぐ〜」
と顔を見あわせます。
でも、こうやってレポートを発端として論議を深めていくのが、全同教の作風なんですよね。つまり、共同作業ということです。
やがて本日の総括討論の時間。
人権教育と道徳教育の関係とか、地域教材の話とか、いろんなことが出されていたのですが、わたしはどうしてももうひとつのテーマが気になっていました。
途中でムラのおっちゃんが
「昔ある高校の校長が「部落の人間は違うといわれたことがある」という発言をした。ここにいるみなさんはどう考えているのか?」
という発言をされました。まぁ、この校長の発言のややこしいところは「自分はどう考えているか」ということを言わなかったところにあるわけなんですが、おっちゃんはこの言葉に深く傷つかれたみたいで、ことあるごとに「どう考えている?」ということを問い続けておられるみたいです。
いちおうレポーターへの質疑という形で出されたのですが、実際は参加者全員に問うている。やっぱりこのおっちゃんには返さなあかんやろうと思いました。で、K口くんに後押しされて(笑)発言。
部落の人間も部落外の人間も、もちろん人間としては一緒です。でも、わたしはそれを根拠にしたとりくみはしたくない。それは、わたしが在日朝鮮人の生徒とのかかわりから出発したからです。
ある日、在日の生徒が泣きながらわたしのところへ来ました。友だちから「韓国と一緒にされたくない」と言われ、「あ、これはわたしのことや」と気づいた瞬間、涙がとまらなくなったからです。この子は泣きながら「普通がよかった、普通がよかった」と繰り返しました。
「韓国人でよかった」と言える学校をめざしてきたのに、こういう言葉を言わせてしまった。ほんとうに自分のとりくみの情けなさを感じました。
だからこそ「同じ」を根拠にしたとりくみはしたくありません。
まぁだいたいこんな感じです。一部から拍手されちゃいました^^;;
で、今日の分科会のしめくくりはI同研のY田さんの発言です。K口くんとわたしは顔を見あわせて
「総括、終わったな」
「司会の仕事、なくなったな」
とポロリ。
なかなか楽しめた1日目でした。
プレイベント(全同教大会・0日目)
授業が終わったら速攻帰宅。その後向かうは三重県四日市市です。
四日市に到着したら友だちのN尾さんが迎えに来てくれていました。すごくありがたいなぁ。今日は前日のイベントで「人権の夕べ」というのがあります。友だちのI藤さんたちは*1こちらに参加しているとのこと。さらにわたしの知りあいも出ていそうなので、わたしも参加することにしました。
到着すると、いきなり受付から手を振る人がいます。全国在日外国人生徒交流会の世話人の人です。なるほど、どうやらこのプレイベントはそちらの方面が仕切っているみたいです。
中にはいるとアイヌの舞台。きれいなハーモニーですね。続いて在日ブラジル人ふたりのトーク。このふたりは生徒交流会の参加者なのでわたしも知っています。あたりをうろうろと具志さんがうろついています。続いて在日朝鮮人ふたりのトーク。ふむ、まさに「多文化」です。
若い子の話はおもしろいなぁとは思いながら、一方で「未熟だなぁ」とも思います。なんというか、すごく表層的なとらえ方をしている側面もあるわけです。まぁこれからいろんな人と話し合ったりぶつかったり笑ったり泣いたりしながら、でも「今」の感覚を忘れないままに考えを深めてほしいなぁ。
*1:一緒にほめられた人ね
知らない街の散歩
考えてみると、2009年になってから長崎に来るのは3回目です。でも、諫早はもちろんはじめて。てことで、午前中は時間があったので、あたりをぶらついてみることにしました。
まず目に入ったのは、商工会の建物にある看板。「水門開放反対!」みたいな内容です。なるほどなぁ。それぞれ意見がわかれているんだ…。
その後、ふらふらと歩いていると、妙に古い町並みが。諫早って、新しいものと古いものが混在しているんですね。なかでも、あるお宅の2階の窓を見ると「お茶屋さんかなぁ」と思うようなつくりです。窓ガラスが波うっています。かなり古そうです。ところどころにお地蔵さんやヱビスさん?、あるいは小さなほこらが忽然とあらわれるのもおもしろい。古いシャッターの降りた店のウィンドウをのぞくと、えらい古めかしいラジオが置かれています。どうやら閉店した質屋さんみたいです。
2時間ばかり、ふらりふらりと散歩を楽しみました。