あるモヤモヤ

今日、またまた支店長室に呼ばれました。今回のネタはわかっています。
こないだの呼び出しの件です。たぶん依頼主が正式に依頼に来られたんですね。
てことで、支店長室に入ると、とある部屋のとってもえらい人がふたりおられました。まぁ、おふたりからあいさつされて、すでに中身はわかっているのでそれはそれです。で、わたしから一番大切な話を切り出しました。
い「時間はどれくらいいただけますか?」
参「40分でお願いします」
い「40分!無理です。2時間かかります」
参「少ないとは思いますが、これでお願いします」
い「で、どのジャンルの話を?」
参「トランスジェンダーについて」
い「でも、知識は必要ですよ。このギョーカイでは、知識というのは、語る人によってニュアンスが違います。あと、カバーしてる範囲によって、知識の濃淡もあります」
参「知識については、いちおうすでにレクチャーを受けているので、全員ある程度の知識はあります。こんなセミナーもやりました」
い「あぁ、これ。行きたかったけど用事があっていけませんでした。ここのトイレメーカーの方、いろいろやっておられるみたいですね。あと、村木さんもアンケートを実施したりしておられる。でも、トランスジェンダーについての専門家がおられないなと思っていました。これ、障害者解放運動の文脈でいうなら「Nothing about us, without us」だなって思ってました」
参「今回は講演ではなく、会議の中におけるレクチャーなので、40分しか時間がとれないので、これでお願いします」
い「わかりました。まぁ、ネタを考えます」
てことで、いちおう終わりです。

しかし、なんか、モヤモヤしています。きっとわたしの「えらいさん」への発言は間違ってないでしょうね。
あるひとつの「ものごと」をどう説明するかってことの背景には、それにまつわる「ある知識」をどう捉えるかとかがあって、その知識の捉え方抜きには説明できないんだと思います。だから、そこから話をしたいと考えたんだけど、「知識は一定ある」って言われた。そこにモヤモヤがあります。
今回、トランスジェンダーについて話をすることになりました。なので、セクシュアリティの知識についてもトランスジェンダーという観点からの軸足のかけ方や捉え方がある。でも、「それはいらない」と言われたわけです。これを言い換えるなら、「知識は普遍的である」という考え方に対する異議申し立てを無視されたということへのモヤモヤというか、たぶん怒りにも似た感情だと思います。だから、わたしは「えらい人」にドスをきかせました(笑)。
あるいは、わたしもいま日々アップデートすると同時に必死で深めようとしている「知識」を、「知ってる」と簡単に言われたことへの違和感と怒りでしょうね。「知ってる」と簡単に言うような人に「知ってる」と言われたくないということです。だから「えらい人」にドスをきかせました(笑)。
そしてなにより、学校現場の教員として「教育」に携わり、トランスジェンダー生徒交流会をすることで「実践」に携わり、こないだアドバイスをもらったにしろ、いちおうペーパーも認められたという意味では「研究」もしている人間であるという自負心は、やはりあります。もちろん「ネタだらけ」の話ではあるけど、そうした経験や知識のすべてを織り込んだ話なので、その一部を切りとることは、実はほぼ不可能です。それを尊重されてないというふうに思ったのです。だから「えらい人」にドスをきかせました(笑)。
あ、ついでに、「Nothing about us, without us」って言葉を言うことで、「当事者」という刀の刃をチラリと見せたかな(笑)。

で、職員室に帰って「ドスきかせたった!」って報告したら、そこにいたみんなから「やったれー!」ってエールもらいました(笑)。ええ職場やなぁo(^^)o

でもま、受けたものは受けたわけです。せっかく谷口さんが「京都ならこの人」と言ってくださり、伊藤さんが「うちの部屋にいたよ」と言ってくださったわけですから、それに負けない話をしなきゃなと思っています。もちろんフルパワーでやりますともo(^^)o。

変わり種

なんか、こないだの土日の集まりのレポートがSん潮に出てるとか。で、友だちが「京都の数学の教師の発言にけっこう紙面がさかれて」と教えてくれたので読んでみたら、ひどい書かれようです。かつて「『正論』にほめられちゃった」わたしなのになぁ(笑)。
なんか「権利に守られて」云々とか書いてわたしを批判してたけど、「守られている権利を行使すること」って、アカンことなのかなぁ。
文脈は、5時に帰るかどうかのことで、「5時に帰るときは「子どもの迎えがあるから帰る」と言います」という発言があったので「なぜ理由が必要なのか?理由はいらない。「帰ります」でかまわない」って言っただけのことで、それが批判されてるんですよね。ちなみに、「働き方改革」とか言われてるご時世にです。
基本的に、権利に守られてないことが問題で、権利に守られてない人は権利を守らないだれかによってその権利を剥奪されてるんだから、その「権利を剥奪するもの」を批判するのが正当だと思うんだけど、そうじゃなくて「権利を行使する人」を批判する。そしてそれが支持される。それが自分の首を締める行為だってことがわからないのかなぁ。
で、さらに笑ったのが、その教員で、「妻も子もいてトランスジェンダーという変わり種」らしいです。そりゃ、あたしゃ変態ですよ(笑)。でも、雑誌が特定の個人を指して「変わり種」はアカンでしょう。まぁ、LGBTブームの昨今ですが、「変わり種」じゃなくて、「ちゃんとした」人じゃないといけないらしい。で、どんな人がちゃんとしてるかというと、幸せな結婚式をあげる同性愛者とか、死ぬかもしれない手術を乗り越えて戸籍変更して幸せな結婚をした性同一性障害者とか、そんな人たちなんでしょうね。結婚して子どもができたトランスジェンダーはダメらしいです。でも、わたし、戸籍変更以外は上のふたつは満たしてるし、少子化解消にも協力してるし、なぜ批判されるのかよくわからないけどなぁ(笑)。

復習はいつしたらいいのかな

いま、毎週金曜日に「週末課題」なるものを出しています。ほんとうは宿題とかあまり好きではないし、そもそも世界侵略のススメでも宿題は出さないとなっているらしいから、あまりやりたくないのですが、昨今「意欲・関心・態度」を評価しなくちゃならないという、わけのわからんことになっているので、宿題を点数化して評価につなげるという外道なことをやっています。ちなみに、宿題の提出が「意欲」なのか「関心」なのか「態度」なのかはわからないし、提出しなかったらそれらがないかどうかもわかりません(笑)。
ただ、3日式に触れなかったら忘れるということはあるので、意味がないとは言えないかななどと思わないことはないです。まぁ、復習というやつです。
問題は、授業時の復習です。
ありがちなのは、早めに試験範囲を終わらせて、最後にまとめて復習する。これのいいところは、まとまった時間があるので、苦手な子に集中的に伝授することができたりします。が、遊ぶ子にとっては格好の遊び時間です。
もうひとつありがちなのは、週末の最後の1時間を復習にあてるというもの。これはその週にやった内容を復習するから、まぁ理にかなってるような気がしないわけでもありません。でも、ほんとうに理にかなってるのかどうかは不明です。というのは、金曜日に復習をして、土日は週末課題+遊んで、それが定着するかどうかが不明ということです。そして、月曜日は定着していることを前提に授業を試みるけど、定着していない子にとってはチンプンカンプンということになる。
なので、それの検証も兼ねて、今回は月曜日の授業を復習の図書館学習ということにしてみました。このメリットは、復習から1週間がはじまって、それを踏まえてその週の積み重ねができるということです。ちなみに、デメリットは、遊ぶ子にとっては格好の遊び時間になるということです(笑)。
まぁでも、いまやってるのが定積分の計算なわけで、これができないとあとの面積がさっぱりわやなので、やってみますか。
結果としてよかったかも。苦手な子が、週末課題を一生懸命やって、その成果が月曜日の復習プリントにつながるので、手応えがあったみたいです。もちろん、遊ぶ子にとっては格好の遊び時間でした(笑)。
まぁ、わたしにとっても教研明けのしんどい月曜日に授業せずに、かつ仕事もできたからメリットはありますね(笑)。

遅すぎ…

明日から遠出をしなくちゃなりません。でも、休みをとる時間と電車の時間がビミョーなので、乗車券はあらかじめ買っておいたほうがいいかなと。
なので、今日の帰りに職場の最寄り駅の「みどりの窓口」でゲットしようかと。
てことで、少し早歩きで駅に向かいました。到着すると、みどりの窓口にはお客はいません。やったね。
今回買うのは、ほんの少しだけ複雑です。こんな時のいずみちゃん頼みです。快く経路を調べてくださって、決定したのは次の通り。

往路が
京都→(新幹線)→小倉(途中下車)
小倉→(在来線)→佐賀
復路が
佐賀→(在来線)→博多(途中下車)
博多→(新幹線)→京都

という往復切符になります。つまり、小倉博多間がきっちりの往復にならない。こんな時のために「別線往復切符」というのがあるらしいです。
いずみちゃんからは「紙に書いていくと早いよ」というアドバイスももらいましたが、まぁなんとかなるでしょう。
さて、勝負。
ところがこれがどうやらメッチャめんどくさいみたいです。マルスって、出発駅と到着駅を入れたらいくつか経路の候補が出てきて、そこから決定すると一発なんですね。でも、その候補からはずれると手入力になるみたいです。しかも、その手入力は「路線」が変わると中継駅を入力しなきゃならないみたいです。
例えば、京都→奈良だと
京都→(奈良線)→木津→(関西線)→奈良
みたいな感じです。
すると、小倉→佐賀は
小倉→(鹿児島線)→鳥栖→(長崎本線)→佐賀
となります。ここでめんどうなのは、鳥栖を入れなきゃならない。ところが、関西の駅員さんはそれがピンとこない。なぜならJR西日本の会社員なので、他の会社(JR九州)の駅まで把握してないからです。
しかも、往復で経路が違うから、往復それぞれ入力しなくちゃなりません。つまり
京都→(新幹線)→小倉→(鹿児島線)→鳥栖→(長崎本線)→佐賀
佐賀→(長崎本線)→鳥栖→(鹿児島線)→博多→(新幹線)京都
となるわけです。
これが時間がかかる!途中やり直しも含めて時間がかかる!さらにもうひとつ乗車券を出してもらったら、所要時間は全部で10分。
快速に乗り遅れました(;_;)。

でも、これいずみちゃんの指摘通り、分割民営化がアカンのですよね。JR西日本内で仕事すればOKと思ってる人だとこうなってしまう。このあたりはプロ意識とかかわってきますよね。
つまり、国鉄なら全国ですから、プロ意識というより仕事の範疇になります。
労組つぶしがこういうところに出てくるってわけですね。

逃げた自分を反省的にとらえること

ここしばらく、ずっと2次校正をしています。この作業、たしかにしんどいけどおもしろいです。
しんどさはというと、言うまでもなく「校正はしんどいもの」ということです。
てか、トランスクリプトを作成する人が解釈を加えて文章をいじるのをやめぃ!これは「改竄」ですよ。一番ひどい「改竄」は、直接話法で話している中身を標準語的な言葉に変えてしまうことです。それは直接話法とは言わない。で、直接話法で話しているのは、そういうライブ感があって、必然として使っている。そしてそこには講演者の「意図」があるんですよね。で、この「改竄」は、その意図を踏みにじることに他なりません。
なので、結局今日はずっと音声データを聞きながら校正をしてました。でもこれ、なんのためにトランスクリプトをつくってもらったかということですよね。わたしもしんどいし、もっとしんどいのはトランスクリプトの作業をした人です。「せっかくやったのに、自分はなんのため?」って、きっと思われます。そんなふうにならないためにも、文章はいじらない。

なんてことを考えながら、K原さんの講演を読み聞きしてました。
あらためて読み聞きして、「おもしろい!」と思いました。
K原さんは徳島の方です。徳島のとりくみは、それはそれは暑苦しい(笑)。まぁそれだけ分厚い実践があるということです。京都「府」とは比べものになりません。そんな中でK原さんは子ども時代を過ごしてこられたわけです。そして「イヤや!」とそこから逃げてきた。
たいていの場合、「逃げ」は「自分の弱さ」と結びつけて考えられがちです。でもK原さんは違います。「教員のとりくみの問題だ」とバッサリ切られます。まぁそれができるのは、K原さん自身が教員ということもあるだろうけど、もうひとつは生徒時代に感じた「分厚い実践の背後にあるもの」≒「形骸化したとりくみやそこにあるホンネ」を、教員になって再確認したということなんでしょうね。そしてもうひとつは、にもかかわらずある差別の現実を目のあたりにされたとかな。
そこで、K原さんは、そういう現実を引き受ける。具体的には「差別の現実」と「「自分が逃げさせられてきた実践」をやる立場になった」というふたつを引き受ける。ここでおもしろいのは、K原さんが、やはり「教員である」ことにこだわり抜いていることなんじゃないかな。つまり解放運動に「逃げ」ない。解放運動の立場で教員を断罪するのではなく、教員として自己矛盾を引き受け、それを止揚した結果、「目の前の子にかかわる」という原点にもどる。それは、ある種、自分が「逃げ」てきたところに教員としてもどることです。ここでもしも子どもが「逃げ」たら、自分もまた自分を逃げへと追いやった教員と同じになってしまいます。
そして、子どもたちと出会いつながる。
これ、もちろん、孤独な闘いです。なので、はじめは「尖ったナイフ(K原さん談)」です。そんなK原さんが、ナイフにシースをかぶせてもええかと思わせたのがる、K野さんとの出会いだったみたいです(笑)。やれやれ。
でも、K原さんは、たぶん今も孤独な闘いをしてるな。そこにはあきらめというか、絶望というか、そんなのもあるんだろうな。だからこそ、「クズ仲間」として、わたしともつながっていてくれているのかな。
まさに「希望は、絶望をわかちあうこと」ですね。

ヤバイな

なんか、自分の中に「センサーの波」みたいなものがあることを感じます。いや「センサーの向かう先」みたいな感じ?簡単に言うと「ローテーターのついた八木アンテナ」みたいな(笑)。
つまり、自分のアンテナが向く方向が変わるので、キャッチできるものが変化していくんですよね。すると、こないだまでキャッチしてた情報がキャッチできなくなったり、その方向での発信ができなくなったり。すると、常に変わらず「そこ」にアンテナが向いて、情報を入れたり発信している人に比べると、ある種「おとなしく」なってしまいます。てか、正確には「億劫になる」かな。まぁ感度が鈍ってるってのもあるかもですけどね。
でも、やってることがあまりにも多すぎるのかもしれませんね。なので、投入する集中力の方向が周期的に変わるのかも。
で、向く方向によっては「なにもない」ってのがあったりして、そっち向くと「なにもやりたくない」というふうになってしまいます。これがマジでヤバイです。メール返すのも億劫になる。あり?これ、鬱?でも、違うでしょうね。仕事には行ってるし、こんな駄文も打ってます。だから、たぶん鬱じゃないです。せいぜいが燃料切れくらい。

まぁしかし、久しぶりに元号問題でテッペンきたから、まだ「感性」は残ってるな。

保険適用か

こないだ新聞に載った手術の保険適用の問題ですがね。もちろん、12月の段階でここでもいろいろ話はしてました。
原則、保険適用そのものはいいんです。てか、あるべきではあります。が、今の状況ではなぁ。SRSをとりまく社会的・法的状況が悪すぎる。それがひとつ。
もうひとつは、保険適用を満たす要件の問題ですね。国内3院だとか。これ、かつての和田形成外科の話の繰り返しです。例えば、◯ローブとか◯グモとか、はたまたゴッドハンドの◯江とか、最近話題の◯ズキとか、そういったこれまでたくさんの当事者のニーズに答えてきた「街のクリニック」が保険適用から除外される。いや、仮に除外されなくても、保険点数が大幅に下がることによって撤退せざるを得なくなったり、保険適用をあえてしない選択しかできなくなったり。
となると、2極分化しそうですね。お金があって早くやりたい人と、お金がないから順番待ちをする人と。
それを「選択肢」というのは、あまりにアレやなぁ。
ついでにいうと、特例法の要件を満たすために手術をするという人の場合、ほとんど内摘でいけてしまうトランス男性は、たぶん高額医療のバックとあわせると、ほとんどただ同然でできてしまう。それに対してトランス女性はそれなりの金額がかかる。いまもそうなんだけど、それがより一層はっきりするだろうな。
なんしか、ややこしすぎる。

得手不得手

それにしても、つくづく思うのは、わたしは「政治」には向いてないんでしょうね。あるいは「運動」か。まぁ、運動も政治ですからね。
かつて、ある尊敬する先輩教員から
「お前は活動家じゃない、実践家やぞ」
と言われたことを、あらためて思い出します。
学校という分脈に引きつけて言うなら「教育活動」ではなく「教育実践」ですね。
そして、解放教育の世界で言われてきたことは「実践を差し出せ」でした。つまり実践に基づいた論議をするってことです。
なので、わたしはそうやってきたんだけど、そうもいかないこともある。でも、元来不得手なんですね。
そんなことを思った朝。

今後の予定

家に帰ってお風呂に浸かりながらいろいろ考えていました。ちなみに、考えがまとまる主な場所は、お風呂とトイレです。
で、なんとなく決意。
もういろんなことがいろんな意味で限界です。いままで心がささくれたり詩に励ましてもらったりしてきましたが、やはり限界です。なので、新たな方策を考えなきゃダメですね。
で、考えたのが、「夏」は残り4回。こないだのネタを含めると、持ちネタは4つ。他にもないわけじゃない。てことは、いけるな…。
もう、聞きたい人が聞けばいい。聞きたくなければ聞かなくていい。その代わり、聞きたい人がうちの支店以外にいるならその人に来てもらってもいい。
そう考えたら、なんとなく吹っ切れました。
考えてみると、残り少ないですからね(^^)。

前から見る

今日は午前に2発授業です。でも、走り続けてきたので、一旦立ち止まって復習しましょう。ということで、いつもの教えてあい学習。なんか質問に来る子が多かったな。いいことです。
で、午後に研究授業。
はっきり言って、きらいです。だって、みんな「板書がどう」とか「発問がこう」とか。まぁ、たしかに意味はあるかもしれないけど、個人的にはどーでもええやろと思う話ばかりです。なので、まったく行きたくないのですが、なんでも研究授業週間らしく、行かなきゃなりません。
てことでしかたなく参加。まぁ、お友だちの授業なので、ちょいとやらかしてやろうかなと、教室の前の窓側の端に陣取ることにしました。はじめは子どもたちは面食らい、次はクスクスと笑っていましたが、気配を消すのは得意です。なので、平常へ。
なるほど、前から見るとおもしろいです。どの子が意欲をなくしてるかとか、いろんなことがわかります。
てことで、わたしのメモ

1、よかったこと
・誰かがあたった時、他の子らも自分たちの答えが正解かどうかを相談しあってる
・自分があたったかどうか関係なく、誰かがあたった時に教科書やノートを見て答えを考えてる
2、気がついたこと
ひとつの証明に30分、みんなよくついていったなぁ
3、感想
5時間目は眠い

で、結論は「ええ子らやなぁ」です。
まぁそんなもんです。
でもこれ、数学の教員でなくてもわかることで、たぶんこういうのが研究授業なんだと思ってるんだけど、どうやら世の中の研究授業はほとんどがこうじゃないらしい。