いつも「スキーの楽しさ」ってなんだろうと思います。
かつて、貪欲にスキーをうまくなりたいと思っていた頃、スキーをすることが苦痛でした。
スタッフトレーニングでうまくいかないんです。緩斜面で「後傾」とひとこと指摘をされます。たぶん、乗っている位置そのものが違うんでしょうね。でも落ち込むんです。リフトに乗りながら下を見ると、みなさんすごく楽しそうに滑っておられる。別にうまかろうが下手であろうが、それとは関係ないんですよね。もう、スタッフをやめて一般スキーヤーになろうかと思いました。でも、一緒にリフトに乗っていたスタッフが「でも、それでいいんですか?」とグサリ。それではよくないと思っているわたしの思いを突いてきます。
いまも、まわりから見たらそこそこの滑りをしているとは思います。もちろん自分では満足できていません。でも、最近、そういう伸びしろを楽しむことができるような気がしてきました。「あぁ、もっとうまくなりたいなぁ」と素直に思えるようになってきました。たぶん、それぞれの年齢で、それぞれの達成したいレベルがあって、そこに素直に向きあっていく。そういう向上心を持つことができるスポーツなんです。
と同時に、そういう心を持とうとする人に許されている「自然」がある。それはおそらく「技術」とは別のものなんですよね。うまいからそういう自然と触れられるわけじゃないです。もちろん、うまい方がレンジは広いかもしれません。でも、それよりもなによりも、「楽しもう」という思いが「自然」とふれあう余裕を持たせてくれます。緩斜面に載っているほんの少しの新雪に「ひゃっほーい!」と声をあげられる気持ちの中に「楽しみ」があるんじゃないのかなぁ…。
カテゴリー: 考え
「違和」という言葉
どうも前から「いつごろから性別に違和感があったんですか?」という質問に「う〜ん」となってしまうんですよね。で、わたしの答えとしては「違和感を感じるのは「違和感という感覚が存在する」ということを知らないと感じられないと思うのです。なので、そういう質問に対しては「ありません」と答えるんですよね。でも、反対の性への同一感はありましたよ」みたいな言葉でごまかしているんです。
で、きのう、診察室でそういう話になった、と。
で、お医者さんが言われるには「「違和」という言葉は、「現実を認識しながらもそうではないという感じがする」という言葉なんですよね」とのこと。わたしなりに直感的に理解するならば、認識と感覚の矢印が反対方向を向いている感じでしょうか。
例えば、「実際には聞こえていないことがわかっていながら聞こえるような気がする」=「幻聴」になります。こういうのが「違和」。で、もしも現実の認識そのものがずれていて「聞こえるねん」となったら、それは「妄想」ということになるそうな。
で、その「違和」というのは、自分自身で命名するというよりも、さまざまな話を聞いた他人が「違和」と名前をつける感じだそうです。つまり、話を聞いた後に「あぁ、そういう違和があったんですね」みたいな。
逆に「いつ頃から違和感がありましたか?」みたいな質問って「いつ頃から幻聴があるんですか?」という感じなわけで、「いついつから幻聴が聞こえます」みたいな答えが出せるようだったら、「すでに幻聴じゃない」ということだそうな。
なにを書きたいのかわからなくなりつつありますが、簡単に言うならば「いつ頃から性別違和を感じましたか?」みたいな質問って、あまり適切な質問じゃないんじゃないかということなんです。どちらかというと、使い方としては、さまざまな質問へのさまざまな答えを総合的に判断しながら「そういう違和があったんですね」と他者の側からまとめてみる、みたいな使い方の方がいいのかなぁという気がしたんです*1。
ルサンチマン
なんか、wikiによると
嫉妬と願望に関係した憤りや怨恨を感じることが、反感を感じられる相手への(不誠実な)憎しみと(行動をし、状況を生きる等のことへの)感情と共に重要であると解釈される。
と書いてあるけど、よくわからないです(笑)。
ただ、わたしのさまざまな活動を後押ししているのは、間違いなく大学時代のある経験です。
かつてわたしは「ネパールワークキャンプ」に行く予定だったのですが、政情不安定とのことで1年出発が延びました。で、その間、ネパール語の勉強会とかしていたのですが、わたし、語学が苦手&キライで行かなかった、と。で、1年後に「君は協調性がないからクビ」と言われた、と。いや、たしかに協調性はないから別に文句はないけどね…(笑)。
でも、彼らの決まり文句は「日本を外から見る重要性」とか「アジアに学ぶ」みたいな話だったんですよね。で、出発が延びた期間、例えばカマの越冬支援なんかにも行っていたわけです。
さて、彼らがネパールから帰ってきたあと、再びカマに行ったのかなぁ…。あまり聞かないなぁ。わたしは大学の友だちと一緒にあれからもよく行ったけど。その後教員になった人もいるけど、ムラの子どもや在日の子どもにかかわっているのかなぁ…。あまり聞かないけどなぁ…。てか、その時の隊長さんにはウチの交流会の案内を送り続けている(いた)けど、なんの音沙汰もないしなぁ…。
「日本を外から見る重要性」って言われても、そこをクビになったわたしにはその後ほとんどそんな機会がないわけで。てか、重要ならばクビにするなよな、みたいな。あと、「アジアに学ぶ」って言われても、この国もアジアですし(笑)。そして「彼ら」の言う「アジア」はこの国の中にもあるわけで、それは例えば、カマであり、ムラであり、ウトロであり、東九条なわけです。
わたしは「この国にもアジアはある」というふうに考え、そこから「日本」を見、そことかかわり続けることで、「彼ら」を「越えよう」としたんですよ。まぁ今となってはどうでもいいことでもあるのですが…。
でもねぇ…。
やっぱり、「国連で働いている」みたいなことを聞くと、あのころの古傷がうずくんですよねぇ(笑)。
感想文
エントリを[work]にしようかどうか迷いましたが…。ま、こっちの方で。
いちおう人権学習の担当をしているので、1年に2〜3回、子どもたちが書いた人権学習の作文や講演の感想文などをすべて読まなくちゃならないんですよね。自分のクラスだけだったらなんていうことはないんですが、これが、全学年全クラスになると、そうとうな負担になります。800人ぐらいいますからねぇ。
しかも、「読み応え」のある感想文って、やっぱり少ないです。ほとんどが
「差別はいけないと思った」
「差別がなくなればいいと思った」
みたいな…。
もしも自分が担任をしていたら、「「差別はいけない」とか「差別がなくなればいい」とかって、何も書いていないのと同じ」というふうに最初に言っちゃいます。なので、自分のクラスからはほとんどでてきません。まぁ、何を書くかはそれぞれの子どもたちが考えることなんですがね。
そんな中、ある部落の方の講演に対する感想文は、本当に読み応えがありました。例えば、「自分の友達に部落の人間がいる」「自分の元彼が部落」みたいなところからはじまって、「自分の体には傷跡がある」とか、自分の身のまわりを振り返りながら、部落の人がさしだしてくれた「人生」に、なんとか応えようという思いがあふれています。力のある話には、こういう感想文を書かせるものがあるんだなぁと思いました。
ただねぇ…。
劇薬なんですよね。
わたしたち教員が普段やっているのは「漢方」です。漢方は効いているのか効いていないのかわからない。だんだん飲むのがおっくうになってくる。悪くなった時に、はじめて「あぁ効いていたんだな」みたいな感じですか。
でもね。それがあるから劇薬が効くんですよ。
だって、普段本当に何もやっていなかったら、部落の人がいくら話をしていても、その話はきちんとは届かないと思うのです。
それに引き替え、やっぱり「映画」はあきませんねぇ。映画って、映画そのものからは直接はメッセージがこないと思うんです。そうじゃなくて、その映画を見ることで、自分が過去経験してきたことや受けてきた授業なんかのイメージが喚起されて、自らが「気づく」というものなんだと思うのです。その「気づき」によって、自らがなんらかのものを獲得していく。だから、あらかじめ「見るポイント」みたいなものを与えてしまうと、すごく表層的なものになってしまうと思うんですよね。
でも、これがなかなかできない。
あ〜、靴の上から足を掻いている気分です…。
てことで、感想文集をつくるか…はぁ…。
ケンミン
ケンミンと聞くと、当然「ケンミンの焼きビーフン」なのですが、最近はカミングアウトするものらしいです。
わたしとしては、これの司会者は大嫌いなんですが、つい見てしまいます。
ついでにいうと、これのスタンス*1も大嫌いなのですが、つい見てしまいます。
なんでかなぁと思っていたのですが、ようやくわかりました。おそらく、逆の考え方をすると、「揺るぎない位置を与えられている東京には「ネタ」がない」ということがはっきりするからなんですね。で、「カミングアウト」をしているケンミンのみなさんが、そういう形で「ネタ」を増幅してくださるわけです。
で、やっぱり「秘密のOSAKA」がおもしろい。
大阪府民は「バーン」と指鉄砲で撃たれると撃たれたポーズをとる。
その通りです。てか、単なるポーズではダメです。先日、石川県でトイレの前でつい「バーン」とやってしまったのですが、やられた相手*2は、お約束のように手のひらを見ながら「なんじゃ、こりゃぁ!」とやってくれました。
昨日の放送でもいいのがありました。
大阪府民は擬音なしでは道案内できない!?
その通りです。大阪府民だけではありません。京都府民もやります。
かつてわたしが職場の近くでバイクで事故ったとき、気が動転した教頭が「あのな、事故の場所な、校門を出て、ダーッと行ってバーッと行ったところや!」と叫んでいたそうです。非常にわかりやすい。その教頭、かつて教員が文句を言った時「そんなもん、ケッチョンパーや!」と叫んでいました。非常にわかりやすい。
ま、べつにどうでもいいことですけどね…。
わたしは白鳥…ちゃうなぁ…
6時間目の授業が終わって、ヒマなので教室でグダグダ生徒と雑談。最近ちょっとやる気をなくしている生徒と「どないしてんの?」みたいな話をしていると、横にいたその友だちが
「先生って仕事、ストレスたまるよね。心中お察し申し上げます」
と、えらいていねいな話をしてくれました。
「そやなぁ…」
とボーっとしたことを言っていると、別の生徒が
「でも、先生はストレスたまってへんやろ。のんびりやってるやん」
と、これまたズバリな発言。やられたな…。でもね、水面を優雅に泳いでいる白鳥も、水の中では…。
と思ったのですが…。
先日の健康診断の時に書いた問診票のことを思い出しました。こいつには自覚症状を書く欄があるのですが、あてはまる項目がほとんどないんですよね。たまにお腹がゆるい時もあるけど、たいていビールを飲み過ぎた翌日だし、だいたい、朝50分も寒空をバイクで走ったら、そうなりますわな。腰も最近痛くならないし、肩も凝りがマシです*1。「なんでかなぁ」と考えたら、最近猫背が治ってきたんですよね。「冴えないヒゲのおっさん」のフリをすることもないし、「上半身の一部(笑)を隠す」必要もありません。てか、今後のことを考えたら、姿勢良くしているほうがいいのかもしれないぐらいで(笑)。
そうそう、この間もパートナーから
「あんたの血液検査の結果みたら、正常値をはずれているマークがついているとこ見たら、全部女性の正常値におさまってるやん(笑)」
と言っていました。
なんか、トランスすることって、体にいいのか?
そうそう。体調がメチャ悪だったのですが、授業が終わったらずいぶんとマシになっていました。変や(笑)
*1:痛い時はたいてい前日に思いものを持った時で、原因がわかっている
ホーム
現在、わたしたちが集まりをやっている場所がなくなるかもしれないという事態が進行しつつあるようです。先日、「「場所」を確保するための話しあいがあるので来てほしい」という連絡があり、今日がその日でした。でも、パートナーの調子が調子なので、わたしが行くことについては断念せざるをえませんでした。で、代わりに行ってくれる人を探したのですが、若い衆がひとり「行きますよ」と言ってくれたので、行ってもらうことにしました。
その若い衆に趣旨説明をするにあたって、どう言おうかと思ったのですが、最終的にはひとことだけでした。
「あの場所がなくなったら困るやろ?」
それに対する答は「はい、困ります」だけ。これだけで、たぶん通じてしまうんだろうなぁ。
その若い衆、さらに若い衆を2人引き連れて話しあいの席に行ったそうです。その話しあいの席には行政関係者と運動体の他には一般利用者としてはわたしたちだけだったみたいです。そこで、3人はブイブイいわせたそうな*1。
でも、あとでわたしに連絡をしてきた人から「ありがとう。ほんとうにいい話を聞かせてもらった。わたしたちも学ばせてもらった」という電話をいただきました。
その「場所」、長い闘いの中で先輩達が勝ち取ってこられた場所です。そこを今わたしたちも使わせていただいている。なぜいま、わたしたちが使わせてもらえるか。それは、勝ち取ってこられた先輩達は、わたしたちをより理解したい。そして、ともに歩みたいと思ってくださっているからです。そんな人たちと一緒の場だからこそ「集まり」ができる。
「場所」は「場所」であっても、単なる「場所」ではないんです。おそらくは、わたしたちにとっての「ホーム」になりつつあるところなんです。
考えてみると、わたしたちって「ホーム」がないんですよね。集まって住んでいるわけでもないし、生まれながらに持っているわけでもない。下手をすると、「親・きょうだい」こそがもっとも「ホーム」から遠い場合もあります。だからこそ、「ホーム」がほしいと思ったら、自分でつくりだしていかなくちゃならない。
いま、ようやく手にしようとしているかもしれない「ホーム」を奪われそうな事態になった時、若い衆が声をあげたのは、ある意味必然だったかもしれないです。そして、実はそれは、かつて「先輩」たちがやってきたこととある意味同じなんじゃないかとも思います。「集まって住んでいるからホーム」ではない。「生まれながらに一緒に住んでいるからホーム」ではない。「ホーム」はつくりだすものなんじゃないだろうか。
んなことを、ふと考えました。
*1:死語
温故知新
今の停滞期っていったいなんなんだろうと思ったのですが…。
O田さん曰く。
「国内の手術がほぼ絶望的な状態の中で、今の話題の主流って、「どこでやるか」「どのエージェントがいいか」「どうやれば紹介所が書いてもらえるか」みたいなことばっかりなんですよね」
そうなんですよね。なんか、技術論に終始している気がする。
「もともとGIDにかかわってきた人たちが考えてきたことって、そういう技術的なことじゃなくて、もっと思想的な部分を大切にしてきたんじゃないかと思うんですよ」
たしかに。「SRSをする」「戸籍を変更する」ということ=トランスではない気がしますよね。
「最近新しく受診者された人たちに、なかなかそういうのが届いていない気がするんですよ。でも、やっぱりそういうのを知らなくちゃいけないんじゃないかなぁ〜という気がするんですね」
なるほど、なるほど。
そんな会話をしていて、ちょっと元気がでてきたかな…。
昨日のエントリの続き
昨日の分の日記にはずいぶんとマスコミについて批判的なことを書きました。
で、実際に自分の場合はどうだったかというと…。
例えば、はじめて取材をされた某N局のN川さん。収録の前に何度かいらして、収録そのものも3日間。その後、放映ギリギリまで練りに練った台本を送ってこられて、最終チェックをさせくれました。そして、その後もおつきあいがあります。
最近の某A新聞(笑)のI田さん。4月から半年間かけて何度も何度も来られました。何度も何度もしゃべりました。おそらくは、本筋とは直接関係ない話もいっぱいしたし、I田さん自身のことも話されました。2回目・3回目については、ラフスケッチみたいなのを送ってこられて、ずいぶんと意見を言わせていただきました。でも、それをていねいに反映されたと思います。
他にも、突然メールをしてもきちんと対応して下さった方や、お猿の国(笑)から一時帰国の時にわざわざ会いに来て下さった方もおられます。
なんというか…。
少なくともわたしが出会ってきた方々は「一緒につくっていく」というスタンスを持っておられた方が多いんじゃないかなと思います。そういうスタンスだと、「つくる側の意図」は原形を保ちながらも少しずつ変わっていくし、それは妥協の産物ではないものでもあると思うのです。そして、わたしも単なる「素材」ではなくなり、「表現者」になれるような気がします。そんな人たちと出会ってきたから、なんとなく昨日のような「一般論」じゃない話になってしまうのが、わたしの感触なんですよね。
まぁ、甘いかもしれないです。でも、信じてみる道もあるのかな、と。
わかんないや…。
オープンに生きることと晒すこと
ある人とメールのやりとりがあった時「オープンに生きる」という言葉が出てきて、「ふむ」と思いました。
はたして自分はオープンに生きているんだろうか…。もう少し言うならば、例えばさまざまな取材に応じるって言うことは「オープンに生きる」ということなんだろうか…。
たぶんその答は「否」ですね。
取材に応じること、マスコミに顔出しをすることと、オープンに生きることって違うんだと思います。
マスコミに顔出しをすることは「さらし者になることを辞さない」ということなんじゃないかなぁ。
この世界は、ある意味「狐と狸の化かしあい」みたいなところがあるんじゃないかと思います*1。取材をする側は、「取材をしたい意図」があり、それを表現するための「素材」として対象者を「使う」。取材をされる側としては、自分に意図があったとしても、必ずしもそうはならないし、下手をするとぜんぜん違うところに行ってしまう。でもそれは当たり前です。前提にあるのは、しょせんは取材される側は「取材をする側が表現するための素材」でしかないからです。
で、さらにそれを受けとった人は、取材をした人の意図とはまた違う受けとり方をする可能性が大です。なぜなら、受けとめる人にはそれぞれの生活があり、それにもとづいて「受けとる」からです。
てことで、幾重にもねじ曲がりながら「マスコミへの顔出し」があるんじゃないかと思います。
では、なぜ「辞さない」か。それは、まさに「化かしあい」だということを前提にしての話なんだと思います。もう少し言うならば、「利用しあい」みたいな…。
てなことを考えると、マジで「オープンに生きる」こととは程遠いなぁと思います。
じゃ、「オープンに生きる」ってどういうことかなぁ。
きっとそれは、自分の生活を大切にし、自分の身のまわりの人を大切にし、そして互いに相手を認めあうような関係を、日々構築していくことなんじゃないかなぁと思います。
自分のしんどさを一方的に受けいれてもらうために「オープンにする」のは、実は「オープンに生きる」と言うこととは違う。相手のしんどさも受けとめてこそ、「オープンに生きあう」ことができるんじゃないかという気がします。そして、そういう人間関係を、自分のまわりに少しずつつくり、広めていくこと。そして、なによりも「蛸壺」に入らないこと。
そんなことを考えながら、はたして自分にそれができているだろうかと、あらためて自分に問いかけるのでありました。
*1:ちなみに、わたしはネコ(笑)