体育祭

放送部の仕事の山場とも言える、体育祭の当日です。今年は、ケーブルの引き回しを変えるので、けっこう準備がたいへんな予感がします。
で、生徒たちの集合は、午前6時半(笑)。もう、むちゃくちゃです。わたしはというと、そんな時間に間に合うわけがない*1ので、はなからあきらめていました。と言っても、6時過ぎの電車でスタート、到着は7時半でしたが…。
グランドに着いたら、やってました。いちおう打ちあわせ通りにことは進んでいるみたいです。ほどなくケーブルの引き回しが終わって、火を入れました。ところが、音が出ない…。なんでだろう。いろいろ探ると、きのう自作した100mのケーブルがダメポです。「え〜?」と思ってよく見ると、プラグがこわれています。なんで…。まぁしゃーないです。グランドで急遽半田づけ。で、無事音が出ました。
なんしか、ウチの学校の放送設備、どんどんこわれていってます。なによりグランドのトランペットスピーカーが壊れていて、前から「直してくれ」って頼んでいるんですが、予算の関係か、ぜんぜん直してくれません。なので、体育祭では仮設のスピーカーを出すんですが、やっぱり出力が厳しいです。ちょっとあげると音が割れてしまう。ギリギリのところを保つのがけっこうむずかしいですね。
でも、開会式も無事すんで、それなりに「ながら」になったところで職員室へ。普通に動きはじめると、生徒はたいへんだけど顧問はヒマになります。まぁ、たまりにたまっている仕事でもしようかと。
でもやっぱり、仕事の方は思うように進みません。半日かけた結果が

  • 在日外国人生徒の交流会のビラ

完成

  • 人権学習のプリント*2

半分完成

  • 某研究会のレポート

存在を忘れていた(笑)
です。やれやれ。
夕方はくずし。けっこうサクサク進んで楽チンでした。
で、夜は打ち上げ。
いろんな話をしていたのですが、やっぱり一部の教員がわたしに期待しているのは「教職員劇の復活」と「ドリームチーム*3の復活」みたいですね。まぁ、来年は実現しなくちゃね。って、まだいるのか。来年もいたら23年目だよ_| ̄|◯
2次会にも参加したけど、無事終電に間にあってよかったよかった。よくなかったのは…。仕事か。

*1:バイクだったら大丈夫だけど、夜に飲み会があるので、電車で行かなくちゃならないんですよ

*2:おとついグチってたやつです

*3:リレーの教職員チームのこと

突然の来客

あしたは体育祭。なので、放課後、放送部の連中と一緒に準備をしていました。
今回は、いままでとは少し違うセットにしてみようと思っているので、あれやこれやと生徒と打ちあわせをしたり、放送室や視聴覚教室の裏側にある誇りのかたまりの中から宝探しをしたり、けっこう楽しめました。
で、帰ろうと部屋にもどったら、お客さんが来ていました。
そのお客さん、わたしがはじめて担任を持った学年の、3年生の時受け持った子でした。そうそう、ちょうどこの時ですよ(笑)。
なんか、久しぶりに担任を持った子と話をすると、あの頃のことがどんどんよみがえってきて、なつかしい気持ちになるというか、自分の原点を振り返ることができました。
でも、それだけじゃないですね。子どもたち*1にとって、「高校」っていうのは、人生の中のほんの一部分だし、それからあとの長い人生の中で、いろんなことがあるんだなぁと、あたりまえのことなんだけど、実感させられました。
実はその子、自分のしんどい思いを話しに来てくれたんですよ。「だれかに話をしたい。でも、こんなこと誰に言えるんだろう」と思った時に、「どひなら差別をしない」と、ふとわたしの顔が頭に浮かんだっていってくれました。それを聞いた瞬間、「あぁ、自分の思いを伝え続けたことは間違っていなかった」って思いました。ものすごくうれしかった。
最初わたしにあった時、「誰かな?ほんとうにどひ?」って思ったそうな。ま、そりゃそうでしょう(笑)。でも、わたしが今の生徒と話をしている行儀の悪い姿(笑)を見ているうちに、「たしかにどひだ」と思ったそうな。
そうなんですよ。わたしにとって、「表面の姿」は変わったけど、「中身」はたぶん変わっていない。で、とりあえず一皮剥いた分だけたぶん楽になったんだろうな。トランスっていうのは、わたしにとってそういう意味なんだろうなと、その子と話をしながら思いました。
また遊びに来てね。

*1:っていうのは、当時のね。いまは立派な大人ですよ、もちろん。

みんなの嫌われもの

放課後、追認の指導*1をしていたら、ある教員が来て言いました。
「あの…、人権学習のプリント、むずかしすぎるという意見が多いんですが…」
ま、むずかしいですよ。だって、日朝関係史ですから。一筋縄でいけるわけないじゃないですか。
で、いろんなことを話しているうちに、「ビデオを見せて、講演聞かせてだったら楽やな…」とポツンとつぶやいていました。思わずキレそうになったけど、こんなところでキレても明るい明日はないので、「スルー力(笑)」を発揮することにしました。
まぁ、最終的にはあちらさんの話しておられることをほぼ丸飲みする形で、プリントを大幅につくりかえることにしたんですが…。
なんだかなぁ。
実は、わたしがつくるプリントは「わたしならこう授業を展開する」というシナリオなんですよ。なので、他の人が使いにくいのは当たり前かもしれない。でもね、プリントってそういうもんだと思うんです。自分が授業を展開する時に、「これを伝えたい」というものがある。そこに、自分の持っている知識や力量をこめて、しかもそれらの3割で伝えるわけです。その上、プリントはそのエッセンスなので、まぁ自分の知識や技量の1割でしょうか。他に、いっぱい伝えたい「ネタ」もあるんです。でも、そのあたりは「その人にしかできない」ものですから、他の人に伝えることは不可能なんですよ。
つまり、「伝えたい」という思いを具体化するものが教材であり、その教材を触媒として、自分の思いを生徒たちに伝えていくものなんだと思うのです。ところが、どうも「教材を伝える」と誤解をしている、あるいはそこでとどまって「よし」とする感じがひしひしと感じられるんですよね。でも、それでは「思い」は伝わらない*2
なんでこんなことになっているのかなぁと思うのです。で、当面の結論は、「人権は大切だと思うけど、人権教育は嫌い」なんだろうな、と*3

*1:数学基礎なんていうのを去年落としたヤツがいて、「10万円を年利30%で借りた時、6回分割で1年で返したら利息をいくら払わなくちゃならないか?」みたいな問題をやってました。計算が終わったら「絶対借りるもんか!」と言ってたけど、やばいなぁ…。

*2:つーか、そんな時間につきあわされる生徒たちがかわいそう。

*3:は、もっと辛辣なことも書こうかと思ったけど、やめとこ…。

そんなことより…

大阪市が決めたそうな。
これ、人員削減のための体のいい理由づけのような気がします。てか、ずっと「切り捨てる」ための理由を待っていたというほうが正しいのかも。
前にも書いたけど、なんで「あの人達だけ手厚いのはおかしい。だからやめろ」になるのかわからない。逆に「あの人達だけ手厚いのはおかしい。だから、うちらにも同じような施策をしろ」にならないのかなぁ。その結果、たとえば、加配とかの人員がムラから減って、他の「しんどい」ところにまわっても、それはしかたがないと思います。逆に、ムラでやってきたさまざまなノウハウが、他の「しんどい」ところにフィードバックされるなら、それはそれでええことやと思います。
でも、人員をカットして、予算が助かってとなると、最終的に「しんどいところ」の教育の質が下がるというのは、もう、火を見るより明らか。
でも、まぁ、いいんだろうね。大阪市を切り盛りしている人達も、バッシングをしている人達も、さらには政府にいる人達も、確信犯はそんな話は自分の生活には関係ないものね。そんな人達は、「バウチャー制」が導入されたら、たぶん自分にとっては有利に働くんじゃないかな。
もっとも、踊らされている人達は、「最後には自分にツケがまわってくるかもしれない」っていうことに気がついているんだろうか…。

放映らしい

巷ではいろいろ話題になっているみたいですね。
で、わたしはというと…。10時〜12時なんていう時間、起きていられるわけがないです。なので、録画セット。明日見るか、はたまた今度の土曜日に玖伊屋で見るか。まぁ、そんな感じになるかと思います。
てことで、感想などはそのあとに。

3連休の〆

夜は、11月3日の東九条マダンの会議。
かつて、時間通り行ったら会場が閉まっていたことがあったし、その後も開催時間がものすごくルーズなので、会議の前にちょっとお買い物。で、会議に行ったら、すでにはじまっていました。なんなんだ、こりゃぁ?
会議そのものは、過去10回ほどとほぼ同じ。時間は30分ほど。そのために、往復40分ほどかけていくのもなんだかなぁと思いますが…。まぁ、これもつきあいというものかな。いろんな人に会えたし、よしとしましょう。
その後、交流会ということだったんですけど、「これなもんで…」とヘルメットを指さしたら、みなさんそれ以上は誘いません。「しゃーないね」「うん、つかまったら懲戒免職だからね」で、みなさん納得。ちょっと後ろ髪を引かれる思いはあったけど、子どもの数学を見なくちゃならないし、なにより今晩は家でゆっくりしたいです。
それにしても、そうか、ヘルメットって、飲み会を断るには絶好のアイテムだったんだ。
あ、子どもは数学やってませんでした(笑)。

上の子どもとタンデム

あまりにも天気がいいので、「バイクに乗りたいなぁ」と。でも、一人で気ままに行けないのが家族持ちというものです。でも、4人乗りはできないし(笑)。パートナーは「ドライブにしない?」と言うんですけど、ドライブってな〜んもおもしろくないです。なので、ごめんしました。てか、パートナーも乗りゃぁいいのに…。
で、上の子どもとタンデムでプチツーリング。パートナーには「2時間ほどで帰ってくるしね」と言い残して、とりあえず給油。「北の方に行こう」とだけ決めて、あとは地図も持たずになりゆきまかせです。
天気よし。気温はひんやり。道の横にある小川の水は抜群にキレイ。
ちょうど2時間ほどで家に到着。こどもも満足したみたい。すごくうれしそうでした。ヤツは将来バイク乗りになるだろうな。
また行こうかなぁ。

てことで、某会議(笑)

ま、行きがかり上というか、いろんなやりとりの中で「頼まれても断らないようにしよう」と決断しなくちゃならないこともあるわけで、そんなうちのひとつが今日やってきました。
まぁ、結果的にはみんなでビデオをつくったりして楽しかったですけどね。結果よければそれでよしとしましょ(笑)!

ちょっとイライラ

連休の中日だというのに、朝からなんとなくイライラしていました。
なんというか…。「頼む人」って「これやっておいて」の一言なんですよね。ところが、それをこなす人は、それを実行するためにそうとうな時間を費やしなくちゃならない。しかも、わたし一人ですまないので、わたしから他の人へと仕事を振る場合は、他の人への依頼の重荷を背負うのはわたしだったりします。で、他の人に何かを頼んだら、当然その人からものを頼まれた時にはそれにこたえなくちゃならない。
ところがですね、最初に「頼んだ人」はそんなことがおこっているかどうかは気がつかない人がほとんどなんですよね。で、結果だけをもらって「ありがとう」の一言でおしまい。
そんなことが、ずいぶん長い間につもり積もっていて、たまに「もう、ええかげんにして!」と爆発することがあります。
ところが、「頼んだ人」は「なんでこんなことぐらいで…」と思うらしい。仕事というのは、微分的(瞬間の増加量)・積分的(たまりたまった量)の両方なんですよ。特に後者については、「頼んだ人」にはわからない。でも、「頼まれた人」にはものすごい重荷だったりします。
はぁ…。