今日は某国立大学附属中学校でお座敷です。なので、朝はゆっくり。というか、今月末〆切のゲンコを書かねば。
トランスジェンダーのジェンダー葛藤についての生の声を掲載したいなと。まぁもちろんいっぱいあると言えばあるのですが、いろんな文献から拾うのもいいかなと。で、思いついたのが「三橋順子, 2002, 「トランスジェンダーと学校教育」『アソシエ21』8: 142-160.」だったりします。が、ダメですね。孫引きになります。他にも虎井さんとか上川さんとか、いろいろ探したけど、なんかイマイチです。やはり、自分が聞かせてもらった「声」が一番いい。当たり前か。
てことで、決断して、インタビューデータを読み直します。おもしろい。そして、今も変わらない現実にげんなりもします。まあ、多くの人は「困らない」。困るのはごく少数のトランスの子どもたちだけです。なので変える必要を感じない。だから変わらない。もちろん、ごく少数の人々は「変えなきゃな」と思っている。が、その人の想像の範囲でしか考えられない。その想像を超えたあたりに原因がある。だから「わからない」。わからないから、変えているつもりが変わらない。
その限界を突破するのが「おべんきょ」なんだと思っています。感性ではなく、レンガを積むように書く。そうすれば「わかる」ようになる。すると「変えられる」ようになる。
まぁ今のゲンコもそういうものです。I田さんと書いているゲンコもそういうものです。そして書籍化もそういうものです。
そしてもうひとつ。「変える」ためになにをすればいいのか。なにができるのか。それも明らかにしなくちゃダメですね。それが書籍化の次にやることかな。
そんなことを考えていたら、出発の時間が来ます。なのでスタート。ほんとうはもっとゆっくりと考えたいんだけどなぁ。
それにしてもboseが不調です。つながらない。おかしいな。仕方ないので道を歩く時も、バスの中でも、電車の中でも音楽なしです。しかし、世界はこんなにも騒音にまみれているんだ。ロードノイズやエンジンの音、排気音。そして車内アナウンス。ひたすらうるさいです。と、突然つながりました。いきなり静寂がやってきて、バッハの無伴奏チェロソナタが流れるだけの世界になります。心地いい。Kうさんは、たしかゼンハイザー推しだったかな。クラシックにはそちらがいいと言ってはりました。が、わたしはノイズキャンセリングが強いのがほしかったので、boseにしました。てか、他のは考えなかった。グールドのピアノとか、けっこういいけどなぁ。あ、バッハとか、ほとんどジャズか(笑)。
で、ガッコに到着。
速やかに会場に入ってセッティングです。が、音が出ない。てか小さい。大きなスピーカーを持ってきてくださったので、bluetoothで接続を試みるも、なかなかつながらない。どうもbluetoothに嫌われ気味ですね。それでも、いきなりつながったので、よかったよかった。
で、お座敷開始。
みんな集中しています。もちろんゴソゴソしている子もいますが、それもこちらを気にしながらもゴソゴソなので、おそらく反応してくれているんでしょう。てか、一生懸命うなずきながら聞いてくれている子もいます。
ちなみに、最近、前半がちょうど50分くらいってのがわかったので、ここでいったん休憩を入れることにしています。なので今日も休憩。すると、緊張感が一気にほぐれたみたいです。なんか、じゃれあってます。かわいいな(笑)。
わたしに声をかけてくださった養護教諭の方は
「人権学習は別にやっていて、今日はLGBTQを…」
と言われたので、
「LGBTQも人権ですからね(^^)」
と返しておきました。まぁ、なにをテーマに人権を語るかって話ですからね。
で、後半は養護教諭の方の要望に沿ったセクシュアリティに関する話です。が、やはり最後は人権です。でも、子どもたちはめちゃくちゃメモをとってます。
子どもたちにとっては、おそらく人権学習も保健学習も関係ないんですよね。すべて「学習」であり「講演」である。
そんな感じで、2時間連続授業はおしまい。そのまま速やかに中学校を脱出です。
帰りの電車では無事音楽が聴けて、よかったよかった。
家に帰って走ろうかと思ったけど、やめました。今日はおべんきょモードのままにしておきましょう。そんな一日。
そうだ。今日は水平社設立の日でした。