なぜにその相関か?とか固いなぁとか

今日は午後から前のおべんきょ場所で「伊藤悦子門下生研究発表会」です。ちなみに、去年は「中の人」に脅しをかけて、最後はひと吠えして飲みに行きましたが、ことしはどうなるかな。
今年の発表は「情報と人権」です。問題意識としては、どうやら子どもたちがどのように情報に触れ、その情報とどのように向き合い、疑問があったり間違いかもしれないと思ったときにどのように対処するのかってことを明らかにしたいという感じでした。まぁそれを基礎資料として、「情報」にかかわる人権教育を組んで生きたいという思いがあるようです。
発表そのものはおもしろかったのですが、なんかひっかかることが。それは「性別との相関」を調べられたってところです。ちなみに質問用紙の性別欄には「男・女・その他」があり、「その他」を選択した子が複数人いたのはおもしろかったですけどね。
データを見ると、情報の入口としては「会話」と「本」が優位に女子が高いんですよね。そして、インターネットの使用の仕方も「コミュニケーション」「音楽視聴」が高い。これをどう見るかですね。
わたしの頭の中にとっさに浮かんだのはこの時のおべんきょでした。レジュメをつくったのは、そのちょっと前かな。
つまり、女の子の特性として会話とか本とかコミュニケーションなんかをすると考えるのか、会話とか本とかコミュニケーションをMCDとして使用して、女の子カテゴリーをその場で構築してるのかってことなんです。もしも前者であれば、会話とか本とかコミュニケーションのしかたに危険性があるならそれを指摘してしかたを変えればいい。でも、後者だと、そのしかたを変更するということはカテゴリーの構築のしかたをかえることになるし、女の子カテゴリーのありようが変わってしまう。問題は、後者の可能性があることを理解した上で前者の立場をとるのか、その理解なしにとるのかってところかな。
まぁそんなことを考えたので発言したのですが、まぁわからんやろな。すんません。伊藤さんにも軽く流されてしまいました。
後半の発表はおとついもあった「人権教育に関する教職員の意識調査」の結果報告です。まぁいろいろ考えたことがあったけど、やはり気になるのが「人権学習をする上での課題」として「間違ったことを教えるのではないか」という不安があるってところですね。「中の人」は「だからきちんとした知識を得るために研修をして、安心して教えられるように」って結論してたけど、なんでそんなに固いんだろ。あえて間違ったことを教えるのはアカンけど、間違ってしまうのはかまわないと思うのですよね。で、間違ってたことに気づいたら、それを修正することをきっかけにして子どもたちとさらに話しこめばいい。つまり「間違っちゃってもいいよ」っていう安心感があるほうが大切なんじゃないかなと思うんですが、伝わったかなぁ。
てなことで、3時からはじまった研究発表会、4時半に終わるかと思ってたけど、6時までやってました。疲れたけど楽しかったな。吠えずにすんだし、それもよし。今年は飲み会がないから帰りましょう。

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