変則ダブルヘッダー

そう言えば、昨日O田さんから「今どきダブルヘッダーやってないですよ」って言われたのですが、やっぱり今日はダブルヘッダーです。それも、少し変則の…。
朝、起床は6時45分です。「今、夏休みなんよな」と自問自答しながら、とりあえずいろんなツールをダウンロード。で、demuxとremuxくらいはしちゃおうかと。あと、VLCの導入も決定。あとは、シャワーを浴びて朝のコーヒーを飲んで。かなりしんどいけど、スタートです。
今日の行き先その1は、北摂にある某中学校。なんか、アップダウンがきつくて、中学校についた時点でほとんど終わりかかっています。あかんあかん。
とりあえず校長さんにあいさつして、会場へ。あー、液晶テレビ…。たしかな楽だしきれいなんだけど、レーザーポインタが使いにくいんですよね。てことで、ワガママ言ってプロジェクタを用意してもらいました。
で、お座敷開始。話しはじめると、意外なほど元気です。これ、単純にアリナミンAが効いてるだけなのか、はたまたアドレナリンが出ているせいなのか。でも、いいです。やっちゃいましょう。
にしても、みなさん若い。それに比べてわたしのネタは古い。管理職レベルにしかウケないネタってどうよと思うのですが、しかたないです。それが持ちネタですからね。てことで、若いみなさんのビミョーな笑いと同年代のみなさんの爆笑をもらいながら、無事お座敷終了。質問もしてもらえたし、よかったよかった。

で、移動開始です。お次は三ノ宮。今日は全国キリスト教学校人権教育研究協議会の全国セミナーです。
ここ、かつては積極的に参加してましたが、あまりにも忙しくなってしまったので行けなくなってしまいました。が、今年は多文化行政分科会でコーディネーターをやってほしいとのお声がかかったので、久しぶりに行くことになりました。とは言え、わたしの仕事は講師選びです。さてとどうするかと思っていたのですが、「わかりにくい人」ということで、日本籍日本人でルーツがフランスという人と、対照的に「わかりやすい人」ということで、純血(笑)在日韓国人。このおふたりの対話の中で、たぶん「ルーツとはなにか」とか「アイデンティティはどこにあるか」とか、迷走をしてくれるんじゃないかなという目論見がありました。
実際話を聞きはじめると、なかなかおもしろい。定型的な語りとも言うべき話と、定型のかけらもない話がぶつかることで、少しずつ話がズレはじめます。例えば「自分にとっての韓国人のアイデンティティは国籍」みたいな話を出した時に、「わかりにくい人」の肯定の過程で矛盾を起こしてしまう。ところどころで「あれ?わからなくなってきた」ってなるあたりからが佳境です。キンタクンテの「ルーツ」とは違う、自分のルーツ。「わかりにくい人」にとっての「言わなければわからない10年」という言葉は、なかなかのインパクトでした。
で、わたしからの無茶振り。
「言葉と文化とアイデンティティで、どれが一番困ったというかめんどう?」
答えは
「言葉は努力すれば克服できる。文化はわかってもらおうとは思っていない。でも、アイデンティティは他者との関係の中にあるので一番困ったというか、いまも困っている」
これを聞いて、「やった!」と思ったのは、たぶんわたしひとりなのかな。でも、きっとそうなんです。「自分とは何者か」を、これまではあまりにも定型的な語りで回収をしてきたし、今も「大きな歴史」の中で理解しようとする。でも、そんなのとは無関係な「ルーツ」を持つ存在から、そこへの疑問が呈されたひとときだったかなと思います。
結論なんかないし、運動にもならない。でも、これを抜いて先へ進むことはできないんじゃないかということが、個人的にはぼんやりと感じられたひとときでした。

てことで、交流会には参加せずに、とにかく家へ。晩ごはんを食べて、しばし寝転んでメールの整理。
さてと、またまた移動開始です。
京都駅からバスに乗って、明日はどっちだ?