がーんばーろう♪!

仕事の合間、ネットを見ていたら「性的少数者の子に配慮求める通知 文科省、対象範囲拡大」なるニュースが飛び込んできました。ふぅむ、出たか…。まぁ、通知なんてものは現場に降りてくる前に「アクティビスト」にわたるみたいです(笑)。実物の写真をあげてくださる人もおられたりして「ふむふむ」と読んで…。そのうちに文科省のサイトにあがってることも確認しました。

いや、これね。喜ばしいことです。だって、これを読んで、真っ先に浮かんだのは、実際に学校の無理解に悲しみと怒りを覚えている中学生です。あるいは、受け入れられるかどうか、カミングアウトするかどうか悩み続けている小学生です。あるいは、カミングアウトしたけど、その要求の実現のために、常に学校から要求され続けている小学生です。
その子らのためには、きっと喜ばしいことです。

でも、一方で、なんとも言えない虚脱感に襲われました。
おそらく、わたしは2006年頃から「学校の中のトランス」にもっとも力を入れて、地方都市の片隅で「雪かき仕事」を続けてきました。でも、そこから考えるさまざまな蓄積があります。
今回の通知は、そんなことをすべてすっ飛ばしてブルドーザーで均すようなものな気がしたのです。
この通知の結果
「あー、いつきさん言ってるみたいにゴチャゴチャ考えなくても、ちゃんと配慮しますよ」
みたいな世界が来るんじゃないか。本質を置き去りにしたまま「ノウハウ」だけが求められる世界が来るんじゃないか。そして、そのノウハウは誰が持ってるかというと、これが「専門家」だったりするわけです。となると、「診察は不要」とする、ある種画期的な通知であるにもかかわらず、グルリと一周まわって「専門家主義」じゃんかってことになるんじゃないか。
その時、交流会に集う子どもたちとともに積み上げてきた本質はどこかへ飛んでしまう。
そんな気がしました。

でもね。
きっとこの通知は、うちの交流会の子らも含め、全国各地で声をあげ、自分のまわりの社会を少しずつ変えたトランスの子どもたちの声の上にある。そんな気もするのです。
なので、たぶん一番大切なのは、そのことを忘れないこと。
2003年にはじめてわたしのところに送られてきた一通のメール。学校がとても好きで、勉強もしたいのに、制服が着られず、ジャージすら認めてもらえない子の、淡々とした絶望のメール。それに対してなにもできないわたしがいたこと。そこから出発していること。そして、やがて各地から相談メールが来て、それぞれの地の友だちに連絡をしながら、その子らのサポートが少しずつできるようになったこと。その先に、交流会がある。
そのことを忘れないこと。
そして、ブルドーザーではなく「雪かき」をしているからこそわかることがある。それを発信し続けること。

そんな気持ちにさせてくれたのは、尊敬する先輩や大切な仲間たちのエールでした。

ブルドーザーで雪かきすると、大切なものもいっしょに捨ててしまうような気がします。

ブルドーザーには、狭い路地裏の雪かきは出来ないのです。

そしてブルはゴミもたくさんの雪を海に捨てて環境破壊までします☆
しかしそれをしないと交通麻痺。何が正解なのか、どこに鍵があるのか、悩みながら雪かきをします。

よし、がんばろう。ここからだ。