うま!

昨日の夜は、実は「卒業生の会」でした。でも、わたしは寝てたと。
で、朝もゴロゴロ。少しごはんを食べてゴロゴロ。
にしても、Tーマス、家族全員で来てくれるのがうれしいです。

昼前から京都の交流会がはじまります。
今日のメニューは「ひらやーちー」「ゴーヤチャンプルー」「回鍋肉」「麻婆豆腐」です。
もちろん「○○の素」なんかは使いません。「豆鼓辣油」を使って、ちゃんとした味つけをします。というか、してくれます。なんしか、京都の交流会は食事のレベルはすごく高いです。ま、世話人世話人ですからしかたないです。

そうこうするうちに、「ひらやーちー」にいろいろ工夫をしはじめたりするわけです。まぁ、みんな、そのまま食べられない人なもんで^^;;
てことで、1学期の交流会も無事終了。
にしても、最近ちゃんとした話し込みをしてないなぁ^^;;

で、夕方から「前のおべんきょ仲間」との呑み会。集合場所に行くと、なんか見たことある人がいるなぁ…。それも、なんか「えらいさん」っぽいなぁと思っていたら、とある研究会の元会長さんでした。まいったな^^;;
で、おべんきょ仲間とまたまた食べます。なんでも、「包まぬ豚は、ただの豚」らしいです。

食べ放題らしいけど、もうお腹いっぱいです。完全な食べ過ぎです。
でも、ここでの話はおもしろいです。だって、「おべんきょ仲間」ですから、やっぱり話が「おべんきょ」になるわけです。いろいろ悩みを聞いたり、悩みを出したりしながら、延々と話をしたけど、なんか話たりません。というか、飲みたりもしない。なんか、焼酎、薄いぞ?
てことで、もう一軒飲みに行って、気がついたら0時をまわっていました(笑)。

まぁねぇ…

今日は所要で中京の大都市へ。ちょいと午前中に用事がありまして。
なかなか念入りに血を抜いてもらったり、話を聞かれたり。あー、ちょいと相談事もしたかなぁ…。ま、また来なきゃならないことになりました。

で、昼から友だちと呑み。
ふーん。味噌味で有名な街ですが、案外味噌味、しつこくないんだ…。

で、昼でやめればいいものを夕方からもう一軒。さらに帰りの電車の中でも宴会。

京都に着いたら0時をまわってました。
さて、マダンセンターにはみんな集まってるはず。
マダンセンターに着いて、そのまま爆睡でした(笑)。

回避した

今日は職場のセクションの呑み会です。
このセクション「力で押さえる」のが仕事みたいなセクションなんですよね。でも、実際はそういう人ばかりじゃなくて、けっこう「力に頼らない」人がたくさんいて、いい感じではあります。
でも、ジェンダーバランスが悪い(;_;)。
去年は女性がわたしを入れて約3人。で、今年は1名減。これはきつい。
なにがきついかというと、話の内容が男性ジェンダー寄りになる。すると入っていけない。これ、呑み会では拍車がかかります。なので、少し気が重い。
どうしたものかと思っていたのですが、幸い何気なく座ったテーブルは女性席。
帰りも男性はカラオケ、女性は帰るというパターン。
ふぅ。なんとか回避できたかな。

いいガッコだ

今日は大阪市南部のN吉高校でお座敷です。ここのガッコにはいろんな意味でお世話になっています。なにより、ここのガッコがあるおかげでTーマスとも出会えました(笑)。
てことで、仕事を終えて、N吉へ。
今年度から制度が変わって雰囲気もかなりかわったのかなと思ったのですが、「しんどい子」を大切にする感じは変わりないですね。そのあたりがすごいです。ここにも「カフェ」があって、そこのボランティアの人が知り合いだったりして、これもまたびっくりです。

で、お座敷開始。
前に聞いてくださった方もおられるのですが、今回は新ネタをかけたので、ネタバレもせず。ところどころに仕込んであるネタにも反応してくださいました。てか、一番反応してくださってたの、校長さんじゃないか?

で、夜は天王寺で飲み。校長さん、来られてました。というより、率先しておられました。たぶんそういう人なんですね。ここでもいろんな話。
例えば…。
「力で押さえる」指導が蔓延すると、「力でしか押さえられない」ガッコになってしまう。そういうガッコは「力で押さえる」人にとってはやりやすいガッコだけど「力に頼らない」人のやり方が通用しないガッコになってしまう。それは「指導の多様性」を奪うことだし、「力に頼らない」人の有用性を奪うことになる。で、そういう状況をつくりだしているのは、実は生徒ではなく「力で押さえる教員である」ということに、力で押さえる教員は気づきにくい。
みたいな話。

あまりにも楽しい時間だったので、当然のことながら今日も終電でした(笑)。

仕事仕事の合間に

なんか、カントクとか採点の祭典とか、書類つくったりとか、いろいろ仕事な日でした。
にしても、若い衆の話を聞きながら、考え込んでしまいました。
あまりにも見方が一元的。まぁ、そりゃそのほうが楽だし、理解しやすいし、合意も得やすい。でも、「それではあかん」とわたしたちは教えられてきました。
わたしたちに「教える機会」をつくってくれなかったから、いま断絶があって伝わらない。だって、みんな、わたしらみたいなややこしくてめんどくさいことをしなくても、一元的な見方でみんな合意をとれて理解してるから、「ややこしい見方」なんかに興味がない。
まぁ、でも、あれか。最前線にいると「背景」なんて考えないほうがいいんだろうし、そういう人間を求める人たちがいて、まんまとそういうふうになっているのかな。

家に帰ったら、ケーブルテレビ屋さんが来ました。TAの交換、本来は作業員がやるらしいんですけど、こっちにやらせてくれました。あっという間に終わりますわいな(笑)。
「いまどき、NTTの回線とVOIPを切り替えて使ってる人なんていないですよ」
と聞くと
「いないですねぇ(笑)」
とのこと。たしかにサポートセンター、大混乱してたからなぁ。
まぁ、無事にすんでよかったよかった。

で、昨日届いた1次校正の原稿を家族に紹介。うーん。二日酔いの時のほうが尖ったことが言えるんだ…。

導入は正解!

今日は午後から出張ですが、午前は時間がとれそうなので、久々におべんきょ場所に行くことにしました。1ヶ月半ぶりくらいかなぁ。
なんしか遠い。今までは仕事の帰り道にあったけど、今は「わざわざ行く」ってところにあります。でも、自分で選んだことだし、なによりとってもいい「おべんきょ場所」なので、ほんとうに感謝してるんですけどね。
で、この「おべんきょ場所」、駅から遠いことでも有名でして。だいたい徒歩15分ってところでしょうか。こうなってくると問題なのは帰りです。できるだけ長くおべんきょ場所にいたい。でも、今日みたいにうしろに出張がある。どうするか。これは「おべんきょ場所」から駅までを早く移動するしか方法がないです。
前回はやむを得ず走りました。ま、これはこれでよかった。でも、なんかイマイチです。てことで、「なんとかならんかなぁ」とずっと思っていたのですが、「あった…」と思いました。
キックボードです(笑)。
うちの子どもが小学生の時に買ったJD Razorのがあるじゃないですか!
てことで、今日はキックボード通学したのですが、これが楽しい!キックする時って、意外と全身を使います。しかも、キックしない方の足はそれなりに踏ん張るので、意外と体力を使います。そして、なにより速い!ちんたら自転車こいでる人よりも速い。
てことで、それなりに汗もかきながらおべんきょ場所へ行き、それなりに息を切らせながら駅まで行き、ついでに出張先までも最寄りの駅からキックボードで行き、ついでに玄関まで行ったら変な顔で見られてしまいました。
もちろん帰りもキックボード。
思わずキャリングケースを買ってしまいました^^;;

うまくいかんなぁ…。

やはり、脳みそを使うことが多すぎるのかな。いや、そんなに多くはないんですが、ひとつのことに投入しなきゃならん脳みそのリソースが大きいのかな。もしかしたら、全体が少なくなって、投入した残りのリソースが少なくなってるのかな。
なんしか、シングルタスクに近い状態が続いています。なので、ひとつやると、他がまったく止まってしまう。
もちろん、ひとつのことだけにかまけるわけにいかないので、あれをやってそれをとめて、これをやってこれをとめて、それをやってそれをとめてってならざるを得んのですが、おかげさまで、全体が遅々として進まない。
ヤバイです。

んー
昨日は「歳をとると経験値が増えて、そのぶん共感の幅が増えるから、感受性が豊かになる」なーんて話をしていたんですけど。で、個人的にはたぶんそうなんですけど、それとこれとは別なのかなぁ…。

なんしか、〆切伸ばしてもらおう(;_;)。

半日が終わると

なんでも、うちの電話が不通になってるとか。てことで、あちこち点検。
んー。これは…。ターミナルアダプタだな。たぶん。
ところが、TAの交換を頼むのがまたひと苦労。まぁ、いまどきVOIPとアナログ回線を切り替えて使っている人とか少ないかもしれないです。
そう言えば、昔「fusion communication」てのがあったな^^;;
ま、そんなこんなで、4時間くらいかかって、原因のつきとめと、応急復旧にこぎつけました。
やれやれ…。

アレキサンダー・テクニーク

昨日の夜、鈴木重子さんから「アレキサンダーテクニーク」のレッスンを受けたんですけど、すごく印象的でした。
まずは、頭蓋骨がどこで支えられているかってことを教えてもらったんですけど、「へー!そんなところだったんだ!」という驚きです。で、そこに意識を集中して頭蓋骨の位置を調整すると、いきなり頭蓋骨がフリーに動きはじめます。ほんとに力がいらない。
で、今朝、また少しレッスンを受けたんでけど、おもしろい。背骨がいい位置になると、目線がほんの少し上にあがる。で、歩きはじめると、いきなりカクンと落ちる。で、片足だけいい位置にしてもアンバランス。でも、両足をいい位置にするとみごとにバランスがとれます。
「はじめてなのによくわかりますねー」
って言われたけど、そりゃわかりますよ。それほど劇的な変化があります。

ちなみに、重子さんとふとんの上で寝転びながら、あーだこーだダラダラとしゃべっていたのですが…。
「表現」をめぐる話や「考えること」をめぐる話。すごく一致をする。もちろん、質や深さは違うとは思います。あるいは方法や方向性、これは明らかに違う。でも、違いはそんなに大きな問題とはならないのかな。
重子さんは「考える」ときに「身体」と対話しておられるのかな。うん。おもしろい。そう言えば、わたしも重子さんと話しをするときは、身体のあちこちが考える気がします。これはなかなか感じられない感覚です。
もしかしたら、そんなのもアレキサンダーテクニークと関係があるのかなぁ。
なんしか、かなり刺激的な、それもとても静かで深い刺激のひとときが過ごせました。

「違和のありどころ」とか

で、宿舎でやる打ち上げに、なぜかわたしも参加。てか、蓮池さんたち、はじめからそれが織り込み済みだったらしいです。
で、みんなで呑みながら、いろいろ話。で、ついつい「違和のありどころ」の話。
「見習い天使」は、もともと自殺予防のプロジェクトの中で出てきたものらしいのですが、社会の出来事のなかで少しずつ変化してきたようです。そして、3.11で大きく変わって、舞台を福島に移すことになったそうです。
今回の芝居には福島から避難されていて、避難者支援をしておられる方が招かれていました。で、その人のトークもあったのですが…。
福島の話を当事者から聞くのははじめてのことで、いろいろ学ぶところはあったのですが…。
それはそれでいいのですが、やはり「語り口」がなぁ。たぶん震災の話が風化していく、それが特に西日本において顕著であることを肌で感じられるからこそ「西日本の人では」みたいなことを訴えられたのですが…。いや、わかります。その通りです。わたしなんか、その最たるものです。でもね。
例えば阪神淡路大震災の時に東日本の人はどの程度切実だったかってこともある。いや、そんなふうな東日本と西日本を分断しちゃいけないですね。もっと考えなきゃならないのは「絆」という言葉かな。これ、劇中にも出てきたんですけどね。そして「がんばろう日本」。
まさに被災地薄めの言葉だと、わたしは思っているし、それが「風化」の一因ではないかとわたしは思っているのです。
あー、でも、まぁそれをもって「西日本における風化」を正当化しちゃいけないです。
一番の違和は「わからないだろうけど」です。
わかるわけがないです。それは大前提なのです。でも、その大前提であるわかるわけがないことを「わからないだろうけど」と語られると、とてもきつい。そしてそれを散々経験してきたわたしは、その言葉は決して使うまいと決めてきました。それを久々につきつけられたなって感じ。それが違和のありどころだったかな。
たぶん、あの場にはいろんな「しんどさ」を抱えている人がいた。そんな人々の口を閉ざしてしまいかねない「わからないだろうけど」は、やはりしんどいな…。

違和のもう一つは「家族」ですね。
いや、いいんです。大切です。でも、しんどかったな。それはセクマイにかかわるだけではない。「家族」にしんどさとか息苦しさを感じる人にとって、やはり「家族」を自明のこととして提示されると、「う…」となってしまう。

まぁ、そんなことを話しながら、ダラダラと最後まで飲んだら、3時でしたよ。でも、こんなの、懐かしいなぁ(^^)。