今年も「時」が近づいた

今日はほんとうは午後の授業だったはずなのに、午後から卒業式の予行がある関係で、なぜか1時間目に授業が振り返られちゃいました。めっちゃスケジュールがタイトやん!
でもまぁこいつらと同じ教室でいられるのも、今日を含めて3回。まぁええやろ。
朝、「やはりなショックなニュース*1」があったので、まぁ自分の思いを語ろうかと。
考えてみると、子どもたちにとっては「敗戦」なんて歴史上の出来事なんでしょうね。そして、その「敗戦」を踏まえてつくられてきた「憲法」も「教育基本法*2」も、歴史上のことなのかもしれない。あの時*3みんなが「民主主義」と言っていたわけですが*4、なぜそれをみんなが求めたかということも、歴史上の出来事なのかもしれない。
でも、例えばわたしにとってみれば、父親は1927年生まれなわけです。乙二で戦場には行かなかったけれども、学徒動員で大阪の工場で働いていたという「戦争史」があります。この間岸和田で会った方は、現実に戦場に行かれた方でした。わたしたちのまわりには、まだそういう方々が生きておられます。そんな人々は、自分からは語ろうとはしない。でも、聞けば語ってくださいます。
すでに歴史上の出来事ととらえている子どもたちと、機会がなければ語ってくださらない方々との間をつなぐのは、両方を知っている「わたし」の役目かもしれない。
自分にとってのリアルな「昭和(笑)史*5」を語ることを通して、そこの「つなぎ」をしなくちゃならないなぁという気がしてなりません。
まぁ、そんなことで語ったわけで。

もちろんそのあと授業はしました。でも、あいまあいまに机間巡視*6をしながら生徒と雑談していると
「あんな話をもっともっとしてほしい」
なんていう感想もあって、かなりうれしかったですね。

*1:大阪市の条例の話

*2:改悪前ね

*3:つっても、わたしも生まれていませんが^^;;

*4:それが「転向」であったとしても

*5:子どもたちは「昔のことやん」を「昭和のことやん」と言いますからねぇ

*6:一発で変換できた!

はじめて聞いたかも

今日は午後から地元の研究会の総会。記念講演は、地元の教育連絡会の会長さんの話です。会長さんといっても、年はそんなに離れていないし、まぁチャキチャキの活動家&実践家です。まぁ簡単に言うと「名誉職」的な会長さんじゃないってことですね。
講演はわずか1時間。内容は、地元のムラの近世からの歴史と、自分史を交えた現代史。そして現状と課題。まぁ1時間では無理だろうなと思ってたら、やっぱり無理でした。そりゃ、ペース配分が前半長すぎますよ(笑)。
というのはおいといて…。
わたしはここのムラ、わたしの地元でもあったので、ここの部落史の本は持っています。で、かつて部落史の教材をつくった時に必死で読んだので、まぁ把握はしています。ふんふんふんと聞いていました。でも、後半の「自分史を交えた現代史」は、やっぱり迫力が違います。
「今にしてみたら、よぅこんなところで住んでたなと思いますが」
と笑っておられるのですが、ほんとうに「よう住んでたな」です。もちろん知識としては知っています。あるいは、他の人の話で聞いたこともあります。でも、やはり20年近く一緒に活動をしてきた会長さんが自分の話としてされるその内容は、ぜんぜん迫力が違います。
今回は尻切れトンボで終わってしまいましたが、近々フィールドワークと併せて話を聞かせてもらえるので、すごく楽しみ!

眠い

そりゃそうです。金曜日も遅かったし、土曜日も遅かった。
生徒たちも眠そうにしていますが、そんなもん、負けていません。
でも、試験前。ここはひとふんばりていねいに教えましょう。
にしても、あー眠い。

総括

その後、Sンチョルの車に乗せてもらってN市へ移動。Sンチョルはここからバイトなので、お別れです。もちろん別れ際はハグをするわけですが、なぜかなぐられそうになりました。なにかしたっけ?
で、わたしたちは居酒屋へ。今回の家主カップルと、伝書鳩の会会長とわたしで、今日の総括。のつもりが、やっぱりグダグダ話になりながら、それでも7時半頃まで呑み。
さて、最終で帰りますか。
ここで会長と家主カップルの片方とはハグ。もう片方は、恐れをなして後ずさりしていました。いったいなにがあったんだろう…。
てことで、1泊2日の弾丸ツアーも終了です。

伝書鳩の会

なんか、今回のU市は、きのうのお座敷は名目で、今日の「伝書鳩の会」が本番だとか。
「9時半買い出し!10時開会!」
と厳しく言われていましたが、いつもの通り9時半起床。10時買い出し、11時開始って感じです。ちなみにわたしは会場までランニング(笑)。今日のコースは川沿いの道です。けっこう気持ちいい。でも、最後の800mぐらいのところでふいに足が痛くなりそうになったので、ランニングはやんぺ。あとはウォーキングでごまかしました。

きのう
「メニューはどうする?」
と聞かれたので、とっさに
「水餃子とチヂミ」
と答えたのですが、これって、先週と一緒じゃない?まぁええか。
みんなで皮をのばしてあんを包むのはけっこう楽しいものです。しかも安あがりだし。
はじめは
「どうしよ」
みたいな感じでしたが、だんだんうち解けてきたのかな。動きも出はじめて、よかったよかった。
みんなでごはんを食べて、自己紹介をして、しばしダラダラしたところで解散。

第2弾

12時頃に
「帰るよ」
と起こされて、気がつきました。すでにMどりちゃんもH本さんも帰られたみたいです。わたしたちは、宇佐の定宿Hボン家です。
ここで合宿4人組と家主カップルの2次会開始です。ちょっとトランスらしく、オペ話なんかも出てきました。そんなこともあっていいかもです。
そうこうするうちに、3時頃。そろそろ寝なくちゃなりません。ただ、ふとんは一枚しかありません。Sンチョル曰く。
「ふとんはネコに渡す」
はぁ…。でも、そういうわけにもいきますまい。ここはいつもの通り、シェアしましょう。
熱…。

関西で会わずにここで会う

ここからは会場を集会所に移します。なんでも、その距離5キロ弱。う〜ん…。走ろう。
てことで、ジャージに着替えて走りはじめます。はじめてのところを走るのは、なかなか変化があって楽しいのですが、距離がどれくらいなのかわからなくて、それはそれでこわいです。でも、教えられた「手がかり」がどんどん出てきたので、今日のところは安心できたかな。
で、会場に到着すると、Mどりちゃんが来ていました。お互い関西に住んでいるのに、会ったのは何年かぶりです。それにしても、えらい遠いところで。でも、遠方だからこそ会えるのかもしれません。
今回わたしを呼んで下さったM野さんとH本J子さんコンビがつくってくださった、めっちゃおいしいちゃんこをつつきながら宴会開始です。もちろんビールはヱビスが並んでいます。もう、至福の瞬間です。そうこうするうちに、I永さんが「奈良の人からもらった」とかいうメチャクチャおいしい日本酒があきます。これはダメです。とまりません。そうこうするうちに、アジのフライとか鶏の唐揚げとか高菜のまんじゅうとか、こちらもとまりません。走っておいてよかった^^;;。
なんか、途中、Mどりちゃんにちょっとからんでいたみたいだけど、まぁ笑ってくれていたから大丈夫でしょう^^;;。
にしても、昨日の夜が寝不足だったので、10時頃にストーブの横に丸まってしまったところで、爆睡…。

ひさしぶりのUSA

朝、とりあえず西に向かいます。で、着いたのは、久々のN津です。今日はお友だちのM野さんが、隣保館の学習会に呼んで下さいました。
N津駅に着くと、Mすみちゃん@伝書バトの会会長とSンチョルが迎えに来てくれていました。
「とりあえず、昼ご飯を呑みに行こう」
とか言いながら、近くの喫茶店へ。で、お腹もふくらんだところで会場へ向かいます。

今日来られたのは20人くらいでしょうか。なんとなく教員臭のする人もいれば、まったくない人もいます。
とりあえずしゃべりはじめたのですが、O分の人たちは優しいです。ちゃんとこっちのネタにつきあってくださいます。なにせ、マクラがいきなり
「今日はヱビスの日でして」
という、あまりにもどうでもいい話です。
それでも、ところどころメモをとる方もおられるし、なにやら真剣モードも漂う中、無事終了。

いろんな人生があるんだなぁ

今日は、いつもお世話になっているNPO法人JUMPのS輔さんと、サポートをしてくださる予定のNさんの引きあわせ。
とりあえず大阪に行って、S輔さんと合流。かなり緊張しています。まぁそりゃそうでしょうね。サポーターになってくださるかどうかという緊張感と、初対面の緊張感と。ちなみにわたしはまったく緊張していませんが(笑)。
「とりあえず晩ご飯を食べに行きましょうか」
ということで、近くのホルモンのお店へ。
生○○ーなんかをつつきながら、S輔さん、NさんにJUMPの説明をしています。時々かむのが初々しいです。でも、わたしもはたしてNさんがどういう反応をされるかよくわかりません。さてさてどうなるやら。
と、Nさん
「わかります。自分も同じような経験があります。意味のある活動ですね。サポートします」*1
と、予想とはまったく違う、というよりも予想以上のすごい答えが返ってきました。
気がつくと、NさんとS輔さん、
「元ヤンどうし」
とか言って、えらい意気投合しています。
それにしても、Nさん、すごい優しい人だなぁと思っていたんだけど、その優しさの裏側にはそんな挫折や経験があったんだなぁと、はじめて知りました。
わたしにとっては、サポーターになってくださったことよりも、そういうNさんと出会い直せたのがうれしかった*2

*1:要約

*2:まぁ、なんのことやらわからないだろうけど…

応用問題

今日も某クラスは特別授業。今日とあと一回で、とりあえず一通り網羅できます。
にしても、衝撃を受けたのはある生徒の一言。
「この問題が出たら解けるのに、いつも応用問題ばかりやから解けへん」
え〜と。
きみが言う「応用問題」って、もしかしたら数字を変えたものか?
例えば、例題で
「x^2を微分せよ」
が出てきて、これの解き方はわかったと。で、試験で
「x^3を微分せよ」
が出てきたら、これは応用問題だと。
さすがのわたしも絶句しました。
でも、もしかしたらそうなのかもしれない。
中学校時代
「x^2の微分がわかったら、それを応用すればx^3の微分がわかる」
みたいなことを言われていたら、数字を変えただけでも応用問題に見えてしまうのかもしれない。そりゃぁ解けた時の充実感はあるだろうけど、問題のハードルを自分であげている気がするんだよね。