語る方法

今日は、加古川で高座。
その前に、ちょっと腹ごしらえ。加古川と言えばカツメシです。お友だちのYさんと合流して、旭食堂へ。ここは、寺家町商店街をずい〜っと奥へ進んで、商店街が切れてしまった先にある昔ながらの食堂です。
このカツメシ、まずは安い!だって、お皿の上のごはんがほぼ隠れるくらいのカツ*1が乗って、その上にカツメシのソース*2がかかっていて、800円です。もともとサクッとしていたカツの衣にソースが適度に染み込んだ感じが、なんとも言えません。それなりの量あるように見えて、あっさりと食べられます。ソースも、なんというか、昔ながらの洋食屋のソースですね。おもしろい味です。
で、食べ終わったら、会場へ。
今日は性教協の高座なので、あまり基礎的なところをやる必要はありません。それだけに、難しいというか、自由というか…。
で、話しはじめたのですが、ある人から鋭いツッコミがガンガンはいります。
「それ、もう少し説明して下さい!」
「しゃべったのはあなたですか?生徒ですか?」
etc,etc…。
そのうち、だんだんわかってきました。わたしのしゃべり方って、主語が欠落することが多いんだ…。そら、わかりにくい人にはメチャクチャわかりにくいはずですよ。で、そのツッコミを入れている人は、そういうことがわかりにくい人*3だったんだ。
じゃぁ、あの人にわかってもらうためには…。わかってもらえるように、わたしが話す以外、法はないですよね。
そこから、できるだけ主語と述語をはっきりと提示するようにしたのですが…。
これがまた難しい。わたしは「横道にそれる」芸風なんですが、これがたぶんその人にとってはすごく不親切なんだと思うんです。というのは、横道にそれたところは、本筋を考える時には、一部スルーして、ちょこっと本筋に応用みたいな感じなんですね。この「スルー」が、その人にとってはたいへんなようです。
まぁこのあたりについては、しゃーないので、「ゴメン」と思いながらやることにしたのですが…。

でも、自分の語りを自分自身で分析的に聞くっていうのは、すごくいい勉強になりました。きっと教室にいるであろう、その人の「仲間」のためにも、ほんとうにいい気づきをさせてもらいました。

そうそう、当日参加された方で、「あれ」が必要な方は、こちらまで。

*1:関西で「カツ」は、当然牛です。

*2:デミグラスソースみたいなもの

*3:早い話が発達障害の人

落とした!

ジムニーをドナドナして、パジェロミニを買ったのはいいのですが、スタッドレスタイヤをはじめ、必要なものが何もありません。なので、久しぶりに◯フオクに参加。
今日の午前2時頃が落札の〆切ですが、日付が変わったあたりから動きが鈍くなってきました。さてさて、このまま一件落着するのか、はたまた…。
とりあえず、30分おきにチェックをしていたのですが…。ふと目が覚めると、終わってました…。青ざめた次の瞬間、落札したのが私とわかって、そうとうホッとしましたよ。思ったよりちょい安めで、よかったよかった。

オールロマンス事件の虚構と真実

今日は、京都部落問題研究史料センターの部落史連続講座第2回目です。
前回は11月7日でして、この日は川口くんや阿久澤さんと呑んでいたので行けませんでした。
で、今回のテーマは「オールロマンス事件の虚構と真実」。話されるのはオールロマンス事件の研究者として有名な前川修さんです。
わたしは今回の案内をどこかで見た最初の時から、もう、ワクワクしていました。なんといっても、京都のあるいは日本の部落解放運動というか同和行政のあり方のひとつのターニングポイントとなった「事件」ですから。
とういことと、もうひとつ前々から気になっていたことがありました。それは、
「オールロマンス事件(1950年)から行政闘争が始まったと教えてきたけど、同対審答申の1960年までの10年間なにがあった(なにをしていた)のか?」
ということなんです。これ、部落史の資料をつくる中で、どうしても気になっていたことなんですよね。中世〜近世、あるいは戦前あたりについては、それなりに「ネタ」があるんですが、オールロマンス以降については解説書レベルではほとんどないんですよね。まぁ、『京都の部落史』あたりを読めばいろいろあるんでしょうけどね。

で、ワクワクしながら会場に行って、好位置キープ。軽くお腹に者を入れていると「いつきさん!」という声。ひょいと見ると、阿久澤さんです。ありゃぁ〜、こんなところでというか、京都在住なんだなぁ。
てことで、話がはじまります。

  • オールロマンス事件とオールロマンス行政闘争はわけて考えている

「オールロマンス事件」を知っている人は多いけど『特殊部落』を読んだ人はけっこう少ないという話。たしかに差別小説としては有名だけど、これほど小説として読まれていないものは、他にはないんじゃないだろうか。
では、著者杉山清次はどういう意識で書いていたのか。
『特殊部落』に描かれている「風景」は、明らかに朝鮮人の姿*1。また、闇米のシーンなんかは部落の話。このあたりについて、前川さんは資料を用いながらていねいに解説されていきます。
質疑応答の時にも出てきたのですが、戦前から東七条への差別事件は頻発しています。こうした「世間の常識」の中で生きていた杉山清次さんの意識と、自分が職務上知り得た現実*2が一体となって、「なんかすごいところ」を暴露しようとしたんじゃないか。そして、その「すごいところ」に「特殊部落」という名前をつけた。
つまり、杉山さんにとっての「特殊部落」というのは、いわゆる「部落」をさすわけでもなく、朝鮮人の集住地域を指すわけでもなく、「世間の人々の知らない世界」みたいなものだったんじゃないかという指摘です。
ところが、これを「部落の姿」*3として、放置した行政の責任を問いながら、地区改善要求の根拠にしていった。これが、「オールロマンス行政闘争」。つまり、『特殊部落』という小説そのものや、その著者杉山清次の意識、あるいはその背後にある社会のまなざしといったものへの差別性を問うならば、それは「オールロマンス事件」といえるのかもしれないけど、それを行政闘争の契機*4にしていったという意味で、小説『特殊部落』をめぐる問題と切り離して考えるべきなのではないかというように、わたしは聞きとりました。

  • 一枚の地図はなかった

「一枚の地図」の話はあまりにも有名で、映画でも見た気がするし、わたしも教室で教えていました。でも、あれ、どこで読んだんだろう。
前川さんは、「別にあったかなかったかはどうでもいい話」と前置きしながらも、例えば『京都の部落史』の中に「地図」にかかわる資料が収録されていない理由を師岡さんの「いくらさがしても資料がなかった」という言葉をひいて「わたしはなかったと考える」と話されました。さらに、あの話の出典として東上高志さんの『差別』の一文を資料として提示しながら、「オールロマンス行政闘争」当時の京都市の部落の数と、東上さんが書かれた時の部落の数のズレを指摘したり、行政側に残された火事の件数や衛生的に問題のあるとされた地域の数と当時の部落の圧倒的な差を示されます。そこから、東上さんの文書を「あれは歴史文書ではなく啓発文書」とばっさりと切られます。
しかし、「一枚の地図」の話を否定することは、実際には解放運動側と行政側の戦前にはじまる地区改善事業への長い長いとりくみを発掘することでもあるのです。わたしたちは戦前・戦中・戦後それぞれに断絶があると感じがちですが、行政レベルで言うならば、人も計画も、すべて連続しているようです。「オールロマンス行政闘争」は、そういう息の長いとりくみの中での、とても大きいターニングポイントと捉えるべきであるという定期というふうに、わたしは理解しました。

  • オールロマンス行政闘争の功罪

わたしは「光と影」くらいにとどめているのですが、ここは「功罪」とずばりと言われました。
「功」はもちろん、同和事業の画期的な前進です。
問題は「罪」のほうです。先にも書いたように、消防局が出した危険地域の数や衛生局が出した改善を必要とする地域の数は、部落の数の10倍以上の数でした。にもかかわらず、それらの地域は放置された。その典型としてあげられたのが東九条でした。
前川さん自身、東九条の中に住み、東九条の中で働き、東九条の中で運動をしておられる方です。東九条の住宅環境を改善するための施策を京都市に要求しても、「京都市は無理である。住宅地区改良法による予算は、すべて同和対策にまわっている」という返答があったとか。実際に、東九条市営住宅が建てられたのはここ数年ですし、まだ3棟しか建っていません。そして、そういうアンバランスが、法切れ後のあまりにも強い逆風をまねていているのではないか。そういうことを「顛末」と表現されました。
なんというか、前川さんの言葉の中に、一種の「恨」を感じました。

  • どこから見るのか

前川さんの話に対していくつかの質問が出ました。
ひとつは
「オールロマンス行政闘争は、結局は、行政内部の地区改善事業をしたい人たちとしたくない人たちのヘゲモニー争いであったと考えることができるのではないか。とするならば、今もまた、逆の意味で同じことが繰り返されているのか?」
というものでした。
これ、かなり辛辣な話だなぁと思いました。でも、そう受けとることもできますよね。
で、もうひとつはムラのおばちゃんの質問というか意見です。
ひとつは、
「オールロマンス事件は、(行政側のきっかけではなく)運動側にとってのきっかけだったのだ。あそこで元気をもらって運動をやったから、さまざまな施策がなされたのだ」
というものでした。
まぁ…。なんというか…。「その時、その場所」にいる人間はこう感じるだろうし、それはそれでひとつの真実かもしれない。でも、それを歴史という形で見た時、「それだけ」がクローズアップされるとするならば、そこにはなんらかの「意図」があるんだと思うのです。その意図に対して、さまざまな方向から光をあてないと、歴史から学ぶということはできないんじゃないかなぁと思うのですが…。
さらに、話の途中で前川さんが「低位性は部落だけにあるのではない。誰かが貧困であるとするならば、その原因がどうであれ、等しく保障されるべきである」という話をされたことに対して、次のような話が出てきました。
「他の貧困はそれが解消したらそれでいいかもしれないが、部落の貧困は、解消されても差別は残る」
あぁ…。久しぶりにこのフレーズを聴いたなぁ。
これに対して、前川さんは
「そのとおりです。だからこそ、差別をなくすためにともに闘っていきましょう」
と返されたのですが、おばちゃんにその真意をわかってもらえたとは思えないですね。
部落史の見直しが提起してきたことのうちのひとつは、貧困と差別をわけて考えるということだったんじゃないかと、わたしは思っています。つまり、貧困な状態の解消は、部落であろうとなかろうとやるべきであって、どこか・誰かを特別扱いするべきではない。そして、それとは関係なく、差別と闘いましょうというラブコールを前川さんは送っているんだと思ったのですが、たぶんそのラブコールは届かなかったんだろうなぁ…。でも、それを責めることはできないんだと思うのです。だって、まさに貧困と差別の中を生き抜いてきたおばちゃんにとって、それが現実であり、そこから物事を見つめ、考え、闘うわけなんですよね。

ん〜。いろんな意味で刺激的な講座でした。
次回も楽しみ…。

*1:どぶろく工場(マッコリのこと)や砧の洗濯シーン、長キセルなど

*2:当時、九条保健所勤務

*3:糾弾要項の中に書いてあるようです。

*4:「ネタ」と言ったらいいすぎかな

タイトルとストーリー

12月に京都で開催されるATACカンファレンス2008の一環として、「リビング・ライブラリー」が開催されるみたいです。今年の6月28日に朝日新聞紹介されて、その日にはあちこちのブル具で反響があったみたいです。ちなみに「リビング・ライブラリー」でググッても、ほとんどが「居住空間の中の書架」みたいな感じですわ(笑)。「生きている図書館」でググると山のようにでてきます。
で、先ほどの「リビングライブラリー」のリンク先を見ると、なにやら見慣れた文字列が…。
いや、突然メールが来て、そういうハメになりました(笑)。
その日、わたし、本になっていますので、まぁそういうことで^^;;

そうそう、今日、事務局の方から「本のタイトルとストーリーを教えて」という電話が来たので、ちょこっと考えました。で、次のようなタイトルとストーリーにしました。

「自分の航路を刻もう!−トランスジェンダーという生き方−」
「ありのままのわたし」を生きるための手がかりを、セクシュアリティという側面から考えてみませんか?

あぁ、またうさんくさい言葉を使ってしまった_| ̄|◯

メッチャ寒い…

まぁ、たいていのところは寒い季節ですから、特にどうということはないのですが…。
でも、やっぱり寒いものは寒いです。
今朝、急激に冷えましたね。
わたしは通勤はバイクですから、気温の変化はモロに影響します。今朝は、某動物系の名前がついている「坂」で気温が0℃。
さすがにキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!の気分です。
ただ、南へ下って行くに従って、徐々に気温があがっていきます。お城の横を通ってしばらく行ったところでは6℃。まぁこんなものでしょう。
にしても、これから寒くなるよなぁ…。

どうしても気がのらない仕事

わたしはたいていの仕事は、それほど身構えることもなくやってしまうタイプです。もちろん「めんどくさいなぁ」とか「むずかしいなぁ」とか思うことも多々あるわけですが、そういうのもいろいろ工夫をすればなんとかなります。
でも、どうしても「いやだなぁ」と思う仕事があります。それは、テープおこし。
それでも、例えば「おもしろかった」と思える講演のテープおこしは、それなりに楽しんでやるのですが、「いまいちやったなぁ」と思った講演のテープおこしは地獄ですね。
で、今やっているテープおこしが、まさにそれ。
いや、講演の内容はすごく刺激的だったしよかったんですけど、語り口がわたしの感覚にあわないんですよね。だから、やっているとすぐ嫌気がさしてしまう。なので、なかなかすすまない。となると、ますます嫌気がさす。このスパイラルに落ち込んでいます。
あ〜、めんどくさい…。

やはり絶不調

朝起きると、体のまわりにまとわりつく天一の香り(笑)。
本人にとっては、それはそれでいいのですが、まわりの人にはなぁ…。てことで、さっそくパートナーに指摘されてしまいましたよ。
で、それだけならいいんですが、昨日からおかしかった喉の具合が極めて悪いです。風邪らしいです。てことで、一石二鳥の「マスク作戦」でごまかしますか。
そんな状態の身体ですが、それでも1時間目から授業。これがまた、なんとなくできてしまうからまずいです。
こうやって、またこういうことを繰り返すんだろうなぁ(笑)。

刺激的な呑み会

昼、しばらく家でダラダラして、ふたたび出動。
今日は、新羅という焼肉屋さんに集う人々の会です。
この会、けっこうおもしろいんですよね。2部構成でして、第1部がミニ講演会。第2部が鍋を囲んでの宴会なんです。
前回は、第1部の講師として藤田敬一さん・仲尾宏さん・守山で医者をしておられる方の3人でした。で、今回は、テーマを「多文化共生」において、岡真理さん山崎一樹さん*1が講演をされました。
岡さんは、もちろんパレスチナ問題について、短い時間の中で熱く語られました。岡さんの話は、ひたすらショックを受けながら、「イスラエルと日本は一緒じゃん…」とつくづく思い知らされました。
で、山崎さんは総務省自治行政局国際室長時代に行った多文化共生についての話をされました。山崎さんって、なんともクレバーな感じなんですね。で、行政や政治家が「多文化共生」をどうとらえているかがよくわかりました。なんというか、「理想論」では語らないんですね。すごく現実的だし、分析的。そのあたり、ものすごく「靴の上から足を掻いている」感じはするのですが、「なるほどなぁ」なんですね。そういう意味では、岡さんと好対照だけど、おもしろいとりあわせでした。
で、「質問」と言われたので、思わず小さく「はい」と手をあげてしまいました。内容は「ところで、文化ってなんですか?」という、これまたまったくどうしようもない質問です。
でも、これ、切実なんですよね。
ともすれば「多文化共生」って、民族や国籍、地域なんかに位置づけられた「自文化」があって、「他文化」が来る。で、そこに摩擦が生じて、それを受け入れることによって共生していくみたいなイメージでとらえられがちなんだと思うんです。でも、「自文化」ってほんとうに存在するんだろうか。というか、「自文化」って、実は「他文化」によってつくられるんじゃないかなぁ、と。もっと言えば、「自文化」の枠組みの中に強制的に放り込まれていくという感じかなぁ。
でも、わたしはなんか「違う」という気がしています。
たぶん、前にも書いたと思うのですが、多文化(モザイク)は自分の中に存在している。そういう「多文化」なわたしと「多文化」な他者とが出会うことで、さらにモザイクが増えていくという感じ?
ちなみに、そのあたりにからまって、山崎さんは「多文化共生を推し進めていくと、それは究極的にはレイシズムにつながっていく」と表現されました。直感的にはわかりにくかったのですが、2次会・3次会と一緒に話をする中で、「なるほど、そういうことか」と思わされました。
てことで、2次会の鍋では中村一成さんなんかもいたりして、えらい盛りあがってしまいました。
3次会はスナック。いや、久しぶりですよ、スナックは。にしても、みなさんカラオケうまいなぁ。
で、帰りに天一本店に寄って、「こってり、ネギ大、ニンニク大」を注文。家に帰ったら、あたりにニンニクの臭いをまき散らしていたみたいです。
あしたが心配だ…。

*1:京都市の副市長ですわ

交流会の朝

朝早くに生徒が起きる音がしたので「なんだ?」と思ったのですが、どうやら顔をつくりに行ったみたいです(笑)。しばらく布団の中でゴソゴソしていたのですが、エイヤッと起きあがって、朝ご飯の仕込みです。といっても、きのうの扁炉をあっためて、あまったお米をおにぎりにして、卵焼きを焼いておしまいですけどね。
ひとつだけ工夫をしたのは、扁炉の味つけのバリエーションかな。塩・唐辛子だけじゃなくて、ミソをしょうゆを入れてお湯で溶いておいたのも出して、「みそ汁ふうにもできますよ」てことにしました。お椀におにぎりを入れて、ミソをちょいとたらして扁炉のスープをかけると、かなりおいしいです。
あとは、生徒たちの話を聞きながら、ネットサーフィンなんぞやって、合宿も終了→解散です。

で、生徒交流会の合宿

ちょこっと質疑応答にも参加して、その後、全国在日外国人生徒交流会の生徒実行委員による事後合宿です。会場が東九条なもので、わたしが行かなきゃどうしようもないわけで…。
で、わたしの役回りは何かというと、基本的には実働部隊なわけです。具体的には、買い出し・食事担当ですね。って、玖伊屋といっしょですけどね。で、晩ご飯が終わったら、すでに「クズ」になりかかっているので使い物にならないのも玖伊屋と一緒ですわ。
今回のメニューは、水餃子とチヂミと扁炉です。在日のソンセンニンがチヂミにしこたまプッコチを入れたから辛い辛い。でも、あっさりなくなりました。扁炉はさすがにおいしいですね。でも、15人に対して白菜2玉はちょっと多かったらしいです。まぁ残った分はあしたの朝ご飯だからいいんですけどね。
なんだか夜中まであーだこーだと話をしていて、そのまま沈没。