プチフィールドワーク

高座の後は、「地元を案内しますよ」という主催者の方のご厚意にあまえてT地区とE地区のプチフィールドワーク。
なんというか…。
関西と関東の違いというのもあるかもしれませんが、都市部と農村部という違いもあるんでしょうね。まず、圧倒的にちがうのは、地区改善事業については、解放住宅がメインではないということでしょうか。解放住宅はほとんどありません。やっぱり、土地があるんですね。
だからといって、「広々」かというと、そういうわけでもありません。E地区はほんとうに入り組んだ道がムラの中をかけめぐっています。「他の地区はね」と隣の地区にも車で案内してもらったのですが、ぜんぜん町並みがちがいます。まさに「道がある。道が狭くなる。狭くなったそこに部落がある」というフレーズを思い出させる光景でした。
「なぜこんなに狭いままなんですか?」とたずねると、ひとつは、人口の流出があまりなかったことをあげられました。でも、これは近世から近代初頭の感じでしたね。では、近代から現代に関してはというと、やはり、「行政が放置をしてきた」ということだったみたいです。
あと、やはり地域の考え方かなぁ。ムラの人の中には地域改善事業にあまり協力的ではない人もいるわけで、そういうところでは、道を拡げようにもそこの土地を買い取れないので、拡げられないなんていうこともあったみたいです。
一方、人権をめぐる活動については、ほんとうに「開かれた」方向に進んでおられるみたいです。このあたりも、「力関係」なのかな。話を聞いていると、「いいバランス感覚をしておられるなぁ」とつくづく感じました。

関東進出?

朝、そうっと起き出して、とりあえず朝食の準備とか荷づくりとか。パートナーも子どもも寝ています。
そのまま、みんなを起こさないように、そうっと家を出ました。向かうのは、ずいぶんと東の方です。
とりあえず、8時40分頃の新幹線に乗るべく、8時頃に家を出たのですが…。よく考えたら、駅まで歩いて15分ほど。で、京都駅まで20分ほど。てことは…。走りました。
なんとか新幹線に飛び乗って、東京へ。ここで新幹線を乗りかえて*1小山駅へ。そこから車に乗せてもらって着いたのは、O平町。
栃木県の特に南部の方は、そうとうさかんに人権関係のとりくみをされています。トランス関係についても、こんな方とかを呼ばれたりしています。それにしても、前回K川さんの話を聞かれた方が今回こられたらイヤだなぁ(笑)。だって、そもそも見栄えが全然違いますからねぇ(笑)。
で、会場にはいると…。すごいです。ご高齢の女性が真ん中に数人陣取っておられます。しかも、全体的にすごくまじめそう…。これが関東の雰囲気か…。
さて、どうするか…。関西のお笑い系としては、「ここでウケてこそ」とは思うのですが、いつものペースでいつもの内容を話しても、ぜったいに笑ってもらえもらえない感じです。とにかく、まわりの人たちを引きずり込みながら、本丸を攻めていくことにしました。
すると、はじめは固かった雰囲気もだんだんと柔らかくなっていって、最後は本丸の人たちも笑ってくださるようになりました。いやぁ…。ほんとうにあせった。
高座が終わってから、「わざわざお越しいただいてありがとうございました。みなさんがにっこりされたお顔を見させていただいて、ほんとうにほっとしました」とあいさつにいきました。すると「おもしろかったですよ」とお褒めの言葉をいただきました。よかったよかった。

*1:初体験!

学力低下?

ある授業にて…

わたし「6/6はいくら?」
生 徒「ゼロ!」
わたし「…」
生 徒「だってなくなるやん」
わたし「6つのケーキを6人でわけたら、ひとりいくつずつ?」
生 徒「…1や!」
わたし「はい、よくできました」

そう言えば、昨日もこんな会話をしたなぁ…。

わたし「こっからここまでを4等分するんやで」
生徒、作業する
わたし「あれ?4等分するのって、いくつ線を書くのかな?」
生 徒「4本」
わたし「…」
生 徒「…」
わたし「OK。ロールケーキが一本あるとしようよ。これ、4人でわける時、いくつカットを入れる?」
生 徒「4つ…。ちゃう、3つ」
わたし「はい、よくできました」

なんか、座標軸にいちいちロールケーキを書くの、めんどくさいんだけどなぁ…。

寄り道

現在、わたしは毎日京都市を縦断しながら通勤をしています。たしかにたいへんっちゃぁたいへんなんですけど、考えようによっては、祖父地図でも寺町でも四条でも、どこでも「通勤途中」です。ですから、気がむいた時にはひょいと寄り道ができます。
もちろん、そういうところばかりじゃなくて、例えば人と会うのもとても簡単。
なので、昨日焼いたDVDを今日寄り道して持っていくことにしました。郵送料も必要ないしね。
で、寄り道するつもりが、会ってしゃべりはじめるとついつい興に乗るのもよくある話です。はじめは立ち話だったのが「まぁ座って」とか言われると話し込んでしまいます。
話の内容は、他愛もない話です*1。でも、なんとなくしゃべりにくいような話を話せる人がいるのって、精神衛生上いいのかもしれない。かなりすっきりして家に帰りました。
家に帰ってパートナーに具合を聞くと、少しずつ少しずつ快方に向かってはいるそうな。よかったよかった。

*1:京都の教育運動界の内部事情の話とか、人間関係の話とか…。他愛もないなぁ(笑)

突如燃えた!

知りあいから、「某集会の映像があったら、研究のためにほしいんだけど」というメールがありました。
手元にはあります。でも、わたしが職場で使っているパソコンではDVDは焼けません(笑)。なにしろ、そのパソコン、1年半ほど前の昼下がりにいきなり天に召されたもののかわりに急遽買ってもらったものですから、必要最小限のスペックなんです。で、その「必要」のなかに「DVDを焼く」というのが入っていなかった、と。
てことで、家に持って帰って焼くことに。で、焼いたDVDはなんぼなんでも裸のままというわけにはいきませんから、職場の帰りに寺町に寄ってケースを調達。ふと横を見ると、DVDが120枚はいるケースがあったので、つい買ってしまいました。なにせ、焼いたDVDって、放っておくとそのへんに散乱しますから(笑)。
で、家に帰って、某集会の映像とか、東京から送ってこられた10分間ほどの映像とか、東九条に関する非常に貴重な映像とか、ひたすら焼きまくりました。
焼いている時間はヒマなので、DVDの整理。おぉ!入る入る!
さらに、普段お世話になっている方々に送らなくちゃならないものも思いだしたので、そのあたりのものも用意。
なんか、喉の奥に刺さっていた小骨みたいなのがようやくとれたかな。
なんしかすっきりしました…。

つきそい人

パートナーはあいかわらず調子が悪いみたいです。なにより、原因がわからないのがこわいです。てことで、今日は検査でMRIをとることになりました。
ところで、パートナーは閉所が苦手。なので、CTとかMRIは大嫌いです。「イヤや〜、イヤや〜」と言いながら、でも、原因がわからないのはもっとイヤということで、やむを得ず撮ることになったのですが…。
重い扉の向こうに、技師さんとふたりで消えていきました。と、5分ほどしたら技師さんがあらわれて「中に入ってください」と(笑)。やっぱりな…。
結局、15分ほど一緒にMRIの部屋にいるハメになりました*1
撮影が終わって技師さんが入ってこられた時、ひとこと「なんでこわいのか、よくわからへんにゃけどなぁ…」確かに…。わたしも「んなもん、東大寺の柱に上向きに寝ているみたいなもんやんか」と思ってみていましたから。でも、こわい人にはこわいんでしょうね。
で、その後所見を聞いたのですが、「とくになにもない」とのことでした。たぶん、前に治療していたのを放ったら貸しにしていたのがよくなかったんでしょうね。

で、家に帰ってふたりで昼ご飯を食べながら*2「技師さん、わたしを呼ばはったなぁ」という話になったのですが…。
「わたしのことなんて言ってはったの?」
「表にいるの、お嬢さんですか?って」
「\(^o^)/で、なんて?」
「え、い、いえ…って答えた。ほしたら「お姉さんですか?」って」
「\(^o^)/で、なんて?」
「え、い、いえ…って答えた。ほしたら「お家の方ですね?」って言ったので「はい」って答えた」

お家の人…。便利な言葉です。
そう言えば、お医者さんから昨日の夜電話がかかってきて、わたしが受け答えしたんですが、診察に入った時に「あの…、昨日電話を…、とられた方です…か?」と、えらい戸惑ってはったなぁ。

まぁ、声パスしてないだけか_| ̄|◯

*1:えらい手が冷たかったので、そうとうきつかったんだろうと思いました。それにしても、終了間際のemergencyみたいな音、なんとかならんのかなぁ…

*2:あ、授業が終わったら休みをとって家に帰ったんですよね

ホーム

現在、わたしたちが集まりをやっている場所がなくなるかもしれないという事態が進行しつつあるようです。先日、「「場所」を確保するための話しあいがあるので来てほしい」という連絡があり、今日がその日でした。でも、パートナーの調子が調子なので、わたしが行くことについては断念せざるをえませんでした。で、代わりに行ってくれる人を探したのですが、若い衆がひとり「行きますよ」と言ってくれたので、行ってもらうことにしました。
その若い衆に趣旨説明をするにあたって、どう言おうかと思ったのですが、最終的にはひとことだけでした。
「あの場所がなくなったら困るやろ?」
それに対する答は「はい、困ります」だけ。これだけで、たぶん通じてしまうんだろうなぁ。
その若い衆、さらに若い衆を2人引き連れて話しあいの席に行ったそうです。その話しあいの席には行政関係者と運動体の他には一般利用者としてはわたしたちだけだったみたいです。そこで、3人はブイブイいわせたそうな*1
でも、あとでわたしに連絡をしてきた人から「ありがとう。ほんとうにいい話を聞かせてもらった。わたしたちも学ばせてもらった」という電話をいただきました。

その「場所」、長い闘いの中で先輩達が勝ち取ってこられた場所です。そこを今わたしたちも使わせていただいている。なぜいま、わたしたちが使わせてもらえるか。それは、勝ち取ってこられた先輩達は、わたしたちをより理解したい。そして、ともに歩みたいと思ってくださっているからです。そんな人たちと一緒の場だからこそ「集まり」ができる。
「場所」は「場所」であっても、単なる「場所」ではないんです。おそらくは、わたしたちにとっての「ホーム」になりつつあるところなんです。

考えてみると、わたしたちって「ホーム」がないんですよね。集まって住んでいるわけでもないし、生まれながらに持っているわけでもない。下手をすると、「親・きょうだい」こそがもっとも「ホーム」から遠い場合もあります。だからこそ、「ホーム」がほしいと思ったら、自分でつくりだしていかなくちゃならない。

いま、ようやく手にしようとしているかもしれない「ホーム」を奪われそうな事態になった時、若い衆が声をあげたのは、ある意味必然だったかもしれないです。そして、実はそれは、かつて「先輩」たちがやってきたこととある意味同じなんじゃないかとも思います。「集まって住んでいるからホーム」ではない。「生まれながらに一緒に住んでいるからホーム」ではない。「ホーム」はつくりだすものなんじゃないだろうか。
んなことを、ふと考えました。

*1:死語

緊急事態!

で、夜に寄り合いがあるので会場を早々に引き揚げ…。
と、そこに一本の電話。パートナーからです。
「ごめん、救急車呼んだし…」
「へ?」
混乱です。今晩は寄り合い…。あしたの晩も大阪…。来週は…。ヤバイ…。
「どうしよう」とパートナーについ言ってしまったのですが、「そんなん知らん」とあたりまえの答え(笑)。
とりあえず、今日の寄り合いに欠席する旨の連絡だけして、大急ぎで家に帰りました。で、荷づくりをして病院へ。
処置室に行くと、思いの外元気な顔をして点滴を受けていました。やれやれ…。そういえば、前にもこんなことがあったよなぁ。いつだったっけ…。
病室で2時間ほどボーっとして、一緒に帰宅。よかった…。家に帰って携帯を見たら、寄り合いの仲間たちから「大丈夫?」「お大事に」、暖かいメールが来ていました。ありがとう*1

それにしても、綱渡りの生活やな。

*1:一人だけ「倒れたのはいつきさん?パートナー?」というのもありましたが(笑)。なにせ、混乱していたのでわけわからんメールだったんだと思いますわ

デスマは続く

今日は、クラブの引率です。と言っても、引率だけではすまず、運営の手伝いもしなくちゃなりません。当たり前と言えば当たり前なんですけど、しんどいのはしんどいです。もっとも、「審査員の接待」という役割なんで、きっと楽なところをあてて下さったんだと思いますけどね。集合は9時なんですが、起床は6時。
まずは、コーヒーを飲んで息を整えます。にしても、眠い…。お弁当をつくって、昨日の片づけを開始です。なにせ、今日片づけをしないと、次にできそうな日は、ず〜っと先になりますから(笑)。
ドラ缶をワイヤーブラシでゴシゴシ。網もゴシゴシ。かつてスキースクール対抗のスラローム大会に出た時、レッスン後、「自分たちが楽しんだからね」とポールをかつぎながら滑っていたのを思い出します。まぁ、そういうことです。
んなことをやっていたら、あっという間に8時半。出発をしなくちゃならない時間です。会場は「ハート◯◯京都」というところ。「あぁ、あそこか」と思いながらスタートしたのですが、ふと不安になって「社会福祉会館」に寄りました。やっぱり社福でした。なので、「やっぱりあそこか」と七本松まで行って看板を見ると、「京都アス◯ー」かよ!てことは…。「昔の勤福か!」
まったく、カタカナの意味が通らない名前にするからまったくわからへんやんか!
無事到着しました。
あとは、お茶を出したり、湯飲みを洗ったり、おしぼりを出したり…。それ以外はとってもヒマです。眠い…。

午後になって審査員の方々が帰ってこられました。その会話を聞いていると、メッチャおもしろい!

「例えば、モナリザは、そのコピーにはなんの価値もないですよね。だから、もしも原画がなくなったらいくらコピーがあっても「モナリザはなくなった」となるわけです。ところが、手塚治虫のマンガは原画がなくなっても確かにマンガそのものの価値はまったく変わりません。ところで、映画ってフィルムに価値があるんですか?あれもいっぱいコピーがあるけど」
「映画の場合は、劇場に配給するためにコピーがあるわけです。でも、フィルムそのものに価値があるんじゃなくて、スクリーンに映された映像に価値がある」
「でも、原画とか元フィルムって文化財的な価値はあるんじゃないでしょうか」

みたいな会話が延々と続いています。みなさん、映像表現(含む絵画・漫画)のプロでありながら、互いに専門分野が微妙にずれているので、ますます興味深い感じでした。
途中、わたしもこことかここに書いたことなんかをしゃべりたくなって、ついつい仲間に入れてもらったりして、楽しい時間を過ごさせてもらいました。って、接待役がこんなんでいいのかなぁ…。

昨日のツケは今日来る

今日は東九条マダン。いつもの通り、在日外国人生徒交流会として焼肉の出店を出します。
とりあえず、6時起床。朦朧とする頭を鎮めるべくコーヒーを飲んで一息。さて、準備です。準備リストを見ながら…。やば…!炭とキャベツを買い忘れてた!
とにかく8時に荷物を会場に搬入する必要があるので、火床に使うドラ缶とか特大の網とかを倉庫から引っ張り出して荷物を積みます。積みながら考えるのは、足りないものの買い出しの段取り。
途中、漬け込んだキムチをピックアップして会場へ。すでに、会場は大にぎわいです。
車の中から大量の荷物を出して、いざセット開始。
と、そこに知りあいの在日の教員が来たので「なにで来た?」と質問。「バイクですよ」「貸して」「いいですよ」で、交渉成立。とりあえず、立ちあげ直後の炭とキャベツだけ確保しに行きます。
あとは、ひたすら肉を焼くのみ。
ただ、今回は映画のロケに協力することになっていて、お店の前に並んでおられるのがお客さんなんだかエキストラの方なんだかわけがわからないというハプニングもありましたけど。
とにかく今回は、そんなハプニングもありぃの、生徒の参加者が少ないという緊急事態もありぃのと、たいへんなマダンでした。
そのせいで、あっというまに一日が終わって撤収の時間になってしまいました。

でも、振り返って考えてみると、東九条マダンって、ほんとうにマダンなんだよなぁ。
岡山の長島愛生園から金泰九さんが来られていました。「座るところある?」ってサポートをしている人から聞かれたので、「そのために持ってきましたがな!」とキャンプイスを出しました。すると、そこに徳島から来た人や大阪から来た人達が集まってきて、マダンができます。ウトロの町内会長さんも「来たで」とそこに来られます。やがて、泰九さんと会長さんの会話もはじまります。みんなが少しずつそうやって「つながり」を広げていくところがマダンだと思います。そんな「東九条マダン」の中にある、小さなマダンをつくることができてたというそのことで、ものすごい疲れも癒されます。
準備の時や肉を焼いている時は「もう、やらない」といつでも思うのですが、終わって振り返ると「またやるか…」と思ってしまうんですよね。

荷物を積んで家に帰って時計を見ると、打ちあげ開始の時間まで後わずか。ここから電車に乗って打ちあげに行くか、このままお風呂には行って寝るか。ほんの少し考えたのですが、後者を選択しました。歳かなぁ…。いやいや、あしたがありますねん(;_;)